戦争がもたらすもの 〜 その4 mai più Hiroshima | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

本日配信されたバチカンニュースのイタリア語版にミラノ外国宣教会の日本管区長であるアンドレア・レンボ神父のインタビューが出ていると、直々ご本人からメッセージを頂いた。
 
世界的パンデミックの中、開催されたオリンピックの裏では庶民の貧困化が進んでいる。また、広島・長崎での原爆投下に言及し、原爆の真実を風化させず核及び核兵器保有に関する考察に教会は貢献していると語っておられた。
また、日本のカトリック教会では、8月6日から終戦記念日である8月15日を毎年「平和旬間」としているが、今年のテーマは「ミャンマーの人々のために」思いを寄せるものである。
 
2021 年2 月1 日に発生したクーデター以降、ミャンマーの国情は安定せず、人々とともに平和を求めて立ち上がったカトリック教会に対して、暴力的な攻撃も行われている。そこで、ミャンマー政府や軍の関係者が平和のために賢明な判断が出来るように、弱い立場に置かれた人々、特にミャンマーでの数多の少数民族の方々の命が守られるよう、信仰の自由が守られるように、この平和旬間に共に祈ろうという動きがある。戦争や紛争を振り返り、平和を思う時、平和は単なる願望ではなく、具体的な行動でなければならない。
 
ところで、去る8月6日、ローマの古代遺跡であるパンテオン広場で、広島と長崎の原爆犠牲者を追悼する式典 "mai più Hiroshima"(「ヒロシマを二度と繰り返さない」)が開かれた。 この式典は98年に始まり今年で23回目。
 
地球最後の被爆国となった日本が世界の先頭に立って平和を訴えつつ、世界の人々と「ヒロシマ」を振り返り過去の過ちに学ぶことが大切。そして、それは一人一人が命の尊さについて考える上で大切なことであり、今後も世代を越えて末長く続けていくべきことだ。
 
そして、8月6日のイタリアのニュースでは、広島の平和記念式典の後の会場の様子を写しながら、76年前に起きた出来事、オリンピックで賑わう(政治的に?)東京ではあるが、広島市が要望したにも関わらず、オリンピック会場では黙祷が行われなかったことなどが語られた。加えて、署名・批准していない核兵器禁止条約についても昨年同様、触れていないのは遺憾である。イタリアの新聞にも、「”スーガ”は日本国民に好かれていない」と書かれていた。
 
これだけは言わなくてはいけない。”mai più!" マイピュー。二度と...ない。決して...ない。強い意思を示す言葉でニュースは締めくくられた。
 
日本がそれを強調しないでどうする?!
 
嘆かわしい限りだ。