平和旬間 ~ 戦争がもたらすもの | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

広島原爆投下から73年が経った。広島市の平和公園には、夜明け前から被爆者や原爆で亡くなった人の遺族などが訪れ、追悼の祈りをささげられた。

 

昨年末バチカンで、パパ様が作成され関係者に配布した「焼き場に立つ少年」のカードの日本語版が日本の16の教区本部事務局を通して配布されていたようで、昨日のごミサの際いただいてきた。

 

写真は、アメリカ人の従軍カメラマンだった、故ジョー・オダネルさんが1945年の原爆投下直後に長崎で撮影したもの。パパ様がこの写真を用いたことに、核兵器廃絶を繰り返し世界に強く訴えるその姿勢が表されている。

 

焼き場に立つ少年

佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。彼らは60センチほどの深さに掘った穴のそばで作業をしています。やがて、10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目にとまりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に負っています。弟や妹をおんぶしたまま広場で遊んでいる子どもたちの姿は、当時の日本ではよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的をもってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすりと眠っているのか、首を後ろにのけぞらせていました。
 

少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づいて赤ん坊を受け取り、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に焼けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がり、真っ赤な夕日のような炎が、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは。少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が鎮まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。

坂井貴美子変著、ジョー・オダネル写真『神様のファインダー』(いのちのことば社)より

 

世界の核軍縮をめぐっては、去年、国連で核兵器禁止条約が採択され、反対する核保有国や核の傘のもとにある国と、非核保有国との対立が激しくなっている。

さらに、アメリカのトランプ政権が今年2月、核戦力の近代化を進める新たな核戦略を打ち出すなど、核兵器廃絶への道筋は今も見いだすことができていない。

広島市の松井一実市長は平和宣言の中で
「核兵器のない世界」への誓いを新たにし、「日本政府は、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、役割を果たしてほしい」と訴えられた。

 

今日8月6日から15日かけての『平和旬間』にあわせ、日本が経験した戦争を振り返り、平和の問題に常に関心をもち、平和を求める具体的な訴え、行動を実践していこう。