マナ ~ 命のパン | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

久々百合丘教会のマリオ神父様のごミサにあずかった。

 

今日の福音は「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい(ヨハネ6:27)」。だった

 

まず、第1朗読は出エジプト記。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという。この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語のマナと呼ばれるようになる。

 

教えられないとわからない、知らない。知らないと人は幸せにはならない。

 

朽ちる食べ物を求めて一生懸命働く私たち

永遠の命に至る食べ物のために働くよう呼び掛けるイエス

その食べ物に出会えるのは自分の魂の飢え渇きに目覚めていく時。

 

これは信仰の神秘。神の業。神の愛。

 

信仰がないと力が見えないが、神の求める働きは、労苦も新たに理解させてくださる。

 

今日のパパ様ツイッター

ご聖体は、天国への『予約』です。それは永遠の命に向かい歩む道を導くイエスでもあります。

 

真の『命のパン』は体だけではなく、魂も霊的食物を与えながら空腹を満たすことができる。

 

どこに幸せを求めるか?

答えは今日の福音にあった。

 

そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。私のもとに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して乾くことがない。」

 

キリスト者はこの生き方を証していきましょう。