久々百合丘教会のマリオ神父様のごミサにあずかった。
今日の福音は「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい(ヨハネ6:27)」。だった
まず、第1朗読は出エジプト記。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという。この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語のマナと呼ばれるようになる。
教えられないとわからない、知らない。知らないと人は幸せにはならない。
朽ちる食べ物を求めて一生懸命働く私たち
永遠の命に至る食べ物のために働くよう呼び掛けるイエス
その食べ物に出会えるのは自分の魂の飢え渇きに目覚めていく時。
これは信仰の神秘。神の業。神の愛。
信仰がないと力が見えないが、神の求める働きは、労苦も新たに理解させてくださる。
今日のパパ様ツイッター
ご聖体は、天国への『予約』です。それは永遠の命に向かい歩む道を導くイエスでもあります。
真の『命のパン』は体だけではなく、魂も霊的食物を与えながら空腹を満たすことができる。
どこに幸せを求めるか?
答えは今日の福音にあった。
そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。私のもとに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して乾くことがない。」
キリスト者はこの生き方を証していきましょう。
