聖木曜日 2018 〜 仕え合うことの意味 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

過越の3日間が始まった。

 

主の晩餐の夕べのミサ」は、キリストが受難と死を前に、最後の晩餐において、聖体とミサ聖祭、司祭職を制定したことを記念する。必ず夕方(我がパロッキアは夜の21時から)に行われる。ちなみに、主の晩餐を木曜日に祝った最初の記録は、4世紀後半だったという。

 

また、ミサの前または最中に、イエスがついに自分の最期の時が来たことを悟り、食事の前に弟子たちの足を洗われた行為を記念し、たらいに水をくみ、弟子の一人ひとりの前にかがみ、彼らの足を洗い、腰の手ぬぐいで丁寧に拭く「洗足式」が行われる。

 

本来、「足を洗う」この仕事は、召使いの仕事だった。それを主は行われた。

 

...主であり、先生であるこのわたしが、あなた方の足を洗ったからには、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなた方に対して行ったとおりに、あなた方も行うようにと、...」と模範を示された。(ヨハネ13:14)

 

ここ数年、ローマ教皇にパーパ•フランチェスコが選出されてから、聖木曜日というと、毎年少年院や刑務所を見舞い、「洗足式」を行われる。これは弱者に寄り添う教会を体現し、人に仕えることの真の意味をかみしめるよう促しているのだろう。

 

ところで、ここのところ日本の国会中継をよく見ているが、国の上に立つ人たちの足を組み、踏ん反り返った態度はなんなのだろう、と思う。なぜ、あれほどまでに傲慢なのだろうか。学校、会社、そして国のトップに立つ人ほど、謙遜であるべきで、人に奉仕する方法を模索すべきなのではないだろうか。権力中毒に侵された傲慢症候群。

 

話を「洗足式」に戻すと、イエスはその後、弟子たちに新しい掟、「互いに愛し合いなさい」と繰り返し告げる。「わたしは新しい掟をあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うなら、それによって人は皆、あなた方がわたしの弟子であることを、認めるようになる。」弟子たちは理解できていなかった。でも、国会のあの方たちは、愛し合うどころか、弟子たちの足を洗う発想さえないだろう。

 

ミサの前には、カテキズモを受けている小4の少年少女12名が祭壇に上り、司祭に足を洗われているのを見て、思わず日本の国会中継を思い出してしまった。苦笑 頼むよ〜

 

 

 

Io vi do un grande esempio, con amore lavo i vostri piedi.
Se ora tutti voi farete come me, l'amore regner.

私はあなた方の足を愛を持って洗うという偉大な模範を示します。

もし、皆が私のように行うのならば、愛の国となることだろう。

 

 

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