千葉県でペットにICチップを埋め込むことを決めたという。


よく野生の生態系を知るためといった人類の探究心という欲望のためなどの理由でマーキングしたりすることがある。


もし、これが動物の生態を知ることでそれらの動物を救うことができるという観点だったとしても、短期的な対策としては致し方ない部分はあるにせよ、それ以前に動物や植物、生態系、自然界、地球を壊さない努力の方が先だろう。


このペットにチップを埋めるというのは倫理的に考えておかしくないだろうか?


動物はロボットでもなんでもないんだから。


しかも、それが動物愛護の視点からとなると本末転倒のような気がする。


保健所での収容数が増えたこと、普段や震災時などの迷子(迷ペット?)対策、飼い主責任の明確化などが目的だという。


保健所からすればいい迷惑なので対策が必要なところだろう。


ペットに洋服を着せたり、アクセサリーをつけさせたり、猫にリードをつけて散歩させたり、人間と同じ食べ物を餌として与えたり、餌という言葉に反感をもち、家族なんだから餌じゃない!食事だ!なんてことを主張する人もいる。


ペットの種類も犬や猫、金魚、文鳥ばかりでもなくなってきた。


最近では、ペット数の増加、ペット医療の充実に伴い、ペット用のCTやMRIまで登場しているという。


でも、そもそも私も含め日本人は、ペットに限らず◎物事の本質/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079318294.html を見失い、本質や根本から故意に目を背けた上で自然環境保護だ、人権だ、動物愛護だと言っているように思える。


こうも人がペットがいて当たり前だと思える世の中になったのは一体いつからなんだろう?


それ以前もペットの存在はあったけど、バブルの頃から爆発的に増えたんじゃないのかな。


ブームにのって飼った人の中には、ペットを捨てる人もでてきた。


ブームにのって餌代や飼育代がかかりすぎ、放置する人もでてきた。


それでもペットを飼い続けている比較的豊かな人々は、ペットにいろんな思いを託すのだろうし、私もワンちゃん、ニャンコとか言ってしまうくらいかわいいと思うけど、それ以上に過剰なまでにペットを溺愛し、過剰なまでにペットに依存している。


その為に、「うちの○○ちゃんは・・・」といったような人間と同じ家族だという思想が台頭し、そう思うことが動物を思いやることだと誤認しはじめた。


結果、ペットフード業界にも火がつき、人間の食物同様、食品添加物満載の餌ができあがり、人は、それがよくないと人間と同じものを食べさせる。


人間の食べ物も食品添加物てんこ盛りなのにだ。


果ては、ペットまで肥満やメタボなど生活習慣病が蔓延し、動物病院の設備拡充によってCTなどが導入されるところまででてきた。


誰がペットを放置し、誰がペットを肥満やメタボリックなどの生活習慣病に追い込むのか?


それは他の誰でもなく飼い主だ。


それは紛れもない事実だ。


過剰なまでに溺愛しすぎる故の結果が、こうしたことになっている。


だから、捨てるとか、放棄するとか、放置するとか、迷子(飼っているから迷子という状態になる)になるとか、過剰な餌を与えるから生活習慣病になるとか、室内犬のように外にいるはずの動物を屋内で無理矢理飼おうとするから動物に過剰なストレスが溜まったりする。


また、本来、人間に飼われる(買われる)ことなく、生命を全うするはずの動物が、まるで過保護のように散歩に連れ出し、餌を与え、あなたは私を癒してくれさえすればいいのよ状態になっている。


このことから目を背けるから、洋服着せるようになったり、靴はかせたり、無駄にリードつけたり、医療が変に進んだり、生活習慣病になったりする。


動物病院の医者にしても、経済で成り立っているから仕方ないにしても、今、地球環境は大変なことになっていて生態系にも多大な被害がでている。


これに伴い、野生の生物たちが絶滅や激減の危機に見舞われている。


これは、人為的に行われたことの被害であって本来あるべき自然の中の生態系による自然淘汰ではない。


ペットや動物から話は離れるけど、途上国の10歳まで生きることが許されない国々にしても、彼らが飲む水や空気を汚す公害を撒き散らしているのは、ペットを飼える余裕のある国だったりする。


これも人為的なものだ。


昔の人々は、野良犬や野良猫が鳴くのを聞き、自分たちの食べ物さえ十分でないのに、真心から残飯や水を餌としてあげていた。


動物との関わり方は昔もいろいろあったにしろ、今とは大きく違う。


もし、こうしたことから逃げず、目を背けず、直視していれば、少なくとも元々飼い続けることができないのにペットを買ったり、なんらかの事情でペットを放置して保健所行きになるような事態は避けられるはずだ。


そして保健所に大量の動物たちが集まってしまい、多くの動物たちが複雑な思いに駆られながら職務にあたる職員によって「処分」されている現実。


ペットを飼うなら、飼いたいならそこからも目をそらしてはいけない。


こうした事から目をそらす人々は、動物好きとは、いえない。


そんなことない!愛はある!というなら、保健所からこうしたかわいそうな動物たちを引き取ればいい、ペットを飼うことで必要となるはずの必要経費を人為的に自然が破壊されて生き延びることができない動物たちのために動物愛護団体に寄付したり、その元になる自然環境保護のために寄付したりすればいい、本当に純粋に動物好きなら。


そうしないのは、そうできないのは、動物好きなのではなく、自分好みの、人気がある、飼ってるとお洒落といわれるような体裁にとらわれているから。


それ以外に人はそれぞれの人生を歩んでいく過程で癒しを求めることもでてくるだろう、それがペットで癒される。


それはそれで人にとっては必要なペットなわけだけど、いずれにしても人間のエゴであることに違いない。


◎人里に下りて来る動物は迷惑!?/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10085507105.html にもあらわている通り、人間のエゴから人間側の言い分ばかりが主張される。


そこからも目を背けてはいけないと思う。


こうした悲惨なペットたちが少なかったら、チップを埋め込むなんてことすら本来起きないのだから。


違うのかな?


経済にどっぷり浸かって◎心の渇き/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080354613.html を生み、◎物事の本質/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079318294.html から目をそらすから◎本質がわかっても変わらない理由/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079345342.html につながり、気づきと感謝と思いやり/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10072166798.html や今、自分にできる事/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10071138942.html も見えなくなってしまう。


このブログ全体で触れているようないろんな事態を生む。


これらのほぼ全ては人間のエゴによるもの。


現代のまやかしから目を覚まし、良心を持ってモラルを持って考えていくこと、行動していくことが求められている。

それに気づかず(◎気づきと危機管理意識/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10086905006.html )地球の瀬戸際、経済の瀬戸際に立ってしまった今でも遅くはない。


はじめるのに遅すぎるなんてことはない。


「はじめなければ」、「失い」、「遅すぎる」という概念はなくなり、「遅すぎた」という後悔が残る、もしくは絶滅すればそう思うことすらできなくなるのだから。