日本の政治や経済、一方、地球自然環境保全における行動を見ていると危機管理意識が薄いと思われる事が多い。


これは、物事の究極、物事の本質を考える習慣がないからだと思われる。

(物事の本質/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079318294.html /本質がわかっても変わらない理由/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079345342.html )


習慣がないというより、「究極を考える必要がない、究極を考えるのはマイナス思考だ、ネガティブだ、究極は悪だ」という風潮が蔓延している気がする。


この風潮を扇動しているのは誰だろう?


例えば、軍備増強は自国防衛策として当然のように大金が投じられる。


つまり、戦争が起きた時の対策って事で『危機管理上』必要な措置だという。


また、持つことにより、抑止力になるのだという。


でも、ちょっと、待って。


核拡散防止条約、核不拡散条約とは正反対の考え方じゃない?


危機管理意識としては、


★戦争が起きると想定する

 -だから定期的な軍備増強が必要がある

☆戦争が起きてしまったら多くの人類が、多くの生命体が、多くの自然が、地球上の多くの地域が死に絶えることになり、人類にとっても大打撃であると想定する

 -だから戦争を起こさない、武力行使しない、そしてそれを他国へ呼びかけていく必要がある


さて、どちらが究極を考えているだろう?


白星、黒星で表したとおり私は、後者だと考えている。


でも、一方で世界の歴史を振り返っても人類は奪い合う為に戦争を繰り返してきた。


現代は大国間の冷戦時代も終わったと言われながらも世界の多くの地域で紛争や戦争が勃発している、戦争から経済に転身した先進各国は、自由経済の名を借りて市場を奪い合っている。


自由経済というのはそういうものだし、当然だ。全く理に叶っているというのはホント?


貿易において相手国にないもの、どうしても生み出せないものと相手国で作り出せるものがある。


相手国で時間と技術があれば、作り出せるものなら完成した時点で輸出をやめ、相手国内需を活性化させようという思いと実行が伴うなら別だけど、それでも輸出を続けるとなるとその国に攻め入って奪えるものは全て奪うということになる。


戦争と何が違うのだろう?


これが進めば、相手国がその点で力不足ならその国は存続さえ危ぶまれるかもしれない。


そうなれば貴重な文化が消えてしまうことになり、世界の人類にとってもマイナスじゃない?


それが、自由経済で相手国にそのパワーがあれば、競争によってより消費者にプラスになるんだから均衡を保てばいいんだよというかもしれない。


でも待って。


国や企業ってそういう組織?ある程度利益も上がってるし、ずっと横ばいでいいや。なんていう組織体?


やっぱりでき得る限り食い尽くすことが目的になってない?


つまり、自由経済の究極は


◎自由競争の元に世界が成り立っている。

 -永遠に続く素晴らしい仕組みだから、世界中に推進しよう。

◎自由競争は弱肉強食

 -だから淘汰されることもあり、自国内ならまだしも、これが国をまたぐ場合には弊害にもなり得る。


さて、どちらが究極を考えているだろう?


マルクスやケインズ、コトラーやドラッカー彼らの考え方はいずれもその時々で優れいてる面が多い。


でも、自由経済の宿命は(宿命だと思われているのは)、常に拡張し続けるという限りなく幻想に近い理想郷だ。


現代を見れば、日本を見れば、知能レベルが上がれば上がるほど、産業が成熟し、飽和状態になり、ニッチ戦略を講じたり、戦略を練り、新規事業を生み出したりする。


このスピードが凄まじく速くなっている。


速くなり過ぎて新たな技術が市場を食い尽くすスピードも速くなっている。


あまりにも速過ぎて次の一手というパイまで物凄いスピードで食い尽くしている。


こんな中で経済が継続して伸びていくためには、手段を選んでいられないという発想を生む。


これが、発展途上国がなくならない(本気でなくす気が起こらない)原因にもなっている。


サブプライムに揺れる世界経済の損失は大きい。


まだほころび始めたばかりだけど、この損失に耐えている世界経済の経済力を持ってすれば、10歳まで生きることができない地域はもちろん全ての発展途上国が食料、医療含め最低限の生活ができるレベルまでは比較的容易にできるはずなのだ。


継続的な支援となる教育レベルアップと単独で国を支える力も含めて。


では、なぜそうしないのか。


そしてまた手段を選んでいられないほどスピードアップした経済社会では法律ぎりぎりのグレーゾーンに走らせ、果ては法律違反や犯罪行為を生み出す。


食品偽造や古紙配合率偽装をはじめとする犯罪行為がこれに当たる。


算数上の計算を成り立たせる為になんでもありになってしまうのだ。


でもこの方程式には無理があって【「経済は継続し、伸びていく」という答えが不変「と信じられている」】ことに問題点が潜んでいる。


そしてこれを信じさせる風潮が蔓延している。


その風潮が信用経済と形を変えて、人々に当然だと思わせる。


それが国が繁栄するため、経済が繁栄するため、企業が繁栄するため、それによって国民が守られるという言葉に置き換えられ、信じられている。


この象徴的な例がサブプライム。


マルクス、ケインズの考え方の流れが、今になって経済のスピード違反状態という皮肉を生んでいる。


もっと言えば、経済は安泰だと酔いどれて、泥酔によるスピード違反で事故を起こした状態、経済危険運転致死傷罪を犯している。


これらは過労死や自殺の引き金となる事が多く、更に人類以外の生命体と生態系、地球をまさに殺している行為。


マルクス、ケインズらが経済を提唱した頃は、未来は明るかった。


でも今は違う。


究極を見る事ができれば(見つめる勇気があれば)、その現状を踏まえ、世界は、これから真に進むべき方向はどっちなのかが見えてくる。


気づきと危機管理意識を持って勇気を出してすぐに決断すべきだということが。