ハブ(無線)やパソコン通信には興味は沸かなかった。
でも、インターネットには未来を感じた。
それ以前にデータベースの世界にのめりこんだ。
それまで規則性を持って一定量の情報を蓄える術は、一般人が手軽に利用できたという意味では、書籍しかなかった。
新聞や雑誌などもこれに分類できるかもしれない。
でも、どれも一方通行だ。
インターネットが日本で利用できるようになったのが1995年だから13年が過ぎたことになる。
当時のそしてそれからしばらく少なくとも2000年くらいまではインターネットは書籍や新聞と同様一方通行だったと言ってもいいだろう。
インターネットはこの2000年時点でも、ろくなデータはなかったし、始まってすぐは当然HTMLも広く知られていあなかったこともあり、情報は極端に少なく、誰もが、こぞって企業が情報公開をする状態になかったこともあり、お世辞にも利用価値があるようには見えなかった。アフィリエイトなんかも当時はアメリカや海外のものしかなかった。ValueCommerceなどもそうだ。
インターネットの情報量という意味でもGoogleの出現により、Yahoo!とのいい競争が生まれ、HTMLも急速に広がり始めた。
この頃、データベースとインターネットの融合は、一般的ではなかった。
その頃はまだまだPC(パソコン)自体個人に普及していなかった。
当時、データベース、インターネット共に仕事に利用できると感じ、所属してた会社では全く理解されず、自腹でシャープのMebiusを買った。
Pentiumが出たばかりの頃だ。あの頃は75MHzと90MHzの2機種でどちらもかなり高額だった。
うる覚えだけど75MHzで40万円強、90MHzで50万円超だったと思う。
今からすればハードディスク容量もメモリも貧弱で筐体も華奢だった割りに重かった。
同時にやっぱりシャープのザウルスとDocomoの携帯とそれをつなぐ通信ケーブル。全部で100万円近くかかったと思う。
当時、携帯にメール機能はなく、通話専用でモデムを接続すればFAXができるというレベルだったが、この外出先からFAXという機能は営業で外回りが多かったので魅力的だった。
会社で支給してくれればいいのになぁ、、と思ってたけど、何遊んでんだとばかりに白い目で見られるばかりでそんな雰囲気は微塵もなかった。
そんな中、なんとか仕事で使った分の通信料は請求できるように説得した。
当時の携帯通話料は無料通話サービスもなければ、定額制もなければ、とんでもなく高額だったからだ。
iモードもメールもできず、電話機能だけで仕事に普通に使うだけでも数万円なんてすぐだった。
それからしばらくしてようやく携帯が全役員と全営業に支給された。
理由は、一人だけ先進技術を使って実績が上がっているのは不公平というものだった・・・。
なんとも捻くれた発想だけど、どうでもよかった。
活用できることが、活用することが、当時業界のリーディングカンパニーでもあり、外資系であった会社には必要不可欠だと思っていた為にこうした通信技術を普段の仕事に利用できるようになればそれでよかったから。
その後、さらに自分の中でMS-DOSだった頃はMulti-PlanやCard+といったDBからWindows3.1、95により桐やAccessに移行し、こうした簡易RDB(リレーショナルデータベース)を利用して特に事務処理の業務効率向上と自然環境保護の観点から紙媒体の削減を提案し続け、手書きまたは連続帳票にドットプリンタで出力され無駄紙が多かった見積書の作成簡易システムと見積作成時点でA~Cランクの選択入力をくわえ、そこにたまったデータベースを利用して引合情報が自動的に出力できるようにした。
時には寝ずに朝まで費やし、そのまま仕事したこともあった。
これも数年経ってようやく理解され、本社支店を含めた業務基幹システムの構築を外部発注するまでになった。
クライアントはVB、サーバはC言語によるシステムとなった。当時としてはスタンダードな組み合わせだろう。
この時の理由は、営業の人間が、外に出ずに遊んでるやつがいるということからだった。
担当顧客にも恵まれ営業成績はトップ、プラントともいえる現場での据付工事、修理、立会い、クライアントの工場が24時間営業だったこともあり、徹夜なんて当たり前だった。
でも当時その会社の営業は営業に徹するスタイルが主流でそんな事する必要はなく無駄だと言われていた。
その為、自社の現場工事スタッフやサービス部門スタッフからは、感情的な面で営業は嫌われていて業務に支障をきたすことも多かった。
そんなこともあって休みもほとんどなかったけど自分としてはやりがいがあって楽しかったので苦ではなかったし、業務がスムーズになったけど、出社するといわゆるホワイトカラーはみな面白くなかったようだ。
その会社は外資で日本法人は設立20年ちょっとでホワイトカラーは生え抜きとヘッドハンティングと転職組みで社員が構成されていた。当時、大卒新卒採用をしたことがなく、第一号だったこともあり、元気な20代は一人だった(入社2年後、同じ大学から新卒採用され、翌年には他大学から某ルートで1人入った)
それもそうだったのだろう、元々担当顧客がいいわけで売上もあがる一方で現場に出て昼も夜もなく休みもない生活をしている営業がいたら、他の営業からすれば、自分たちもそこまでやらなくちゃいけなくなったらどうするんだよという事を考えるといい迷惑だろう。
それぞれ仕事があるのだから、たとえどうであっても仕事が終わったあとに別の部署の仕事をするとなると普通は身が持たないから。
社内の特に部署間の人間関係が希薄だったために、起こった摩擦の潤滑油になれればと、他の営業だって若くて体力があれば・・・と同行する工事スタッフやサービススタッフに言ってたけど、言ってる相手のそのスタッフたちは、営業より年齢層が高い人も多く、説得力に欠けることも。。。
というわけで、こんな風になにかと毛嫌いされたものだ。
◎一人だけ先進技術(100万円くらい身銭を切って買った携帯、PDA、通信ケーブル、ノートPC)を使って実績が上がっているのは不公平・・・。
◎営業の人間が、外に出ずに遊んでる(データベースシステムとかいうわけわからんもんを作ってる)やつがいる・・・。
エンドユーザーコンピューティングの視点からつくる、活用するシステム。さらにプロとしての視点を身につけるつもりで、IT業界に転職を考えたときのキャリア相談でも転職エージェントから、そんな経験や考え方は全く使い物にならないとことごとくいわれたものだった。
そんな中、IT業界に転身。VBAとVBとCには多少の馴染みがあり、その頃から遅まきながらDHTML(HTML、CSS、JavaScript)を覚え、初めてホームページというものを自分で作った。転職に何か役立つかもという気持ちもあったけど、こうして仕事以外でも初めてパソコンに触ることになった。2000年のことだ。
買ったのは、いまだにサードマシンとして持っているけどCPUはCeleron、Windows98マシン。よく覚えていないけど、まだWindowsMeや2000は出てなかったように思う。
今やPCや携帯、PDA、インターネットは当たり前になっている。
当時はRDBとインターネットはまだ結びついていなかった。
今ではMySQLやPostgreSQLなど無償ツールをはじめOracleに代表される商用データベースもインターネットとは切っても切れない関係となるWEB時代となった。
Webは最初にユーザーインタフェースとして活用され、CGIでは、RubyやPython、Perlなどが利用され、Perlが何かと広まった。
その後、ブログやSNS、IP回線を利用した無料通話、動画、オンラインショップサイト構築ソフトなどが出現し、アメーバなどのブログサイト、、MovableTypeなどのブログ構築アプリ、SNSの申し子mixi、IP無料通話Skype、動画配信YouTube、オンラインショップ構築アプリosCommerceなどが人気を集めた。
業界では、企業の基幹システム構築においてデータ集中管理システムから分散システムに移行する流れ(今は更に逆の流れ)が相次ぎ、プログラム言語はUnixベースでCobol、C言語からLinuxやWindows、Macを含めたプラットフォームでC言語、VBに移行、その後ネットワーク上のプラットフォームに依存せず、サーバ、クライアントいずれも利用できるプログラム言語としてJavaが人気を集めた。
C++とJavaがしばしば天秤にかけられる中、C#が、また.NETやASP、JSP、PWS、IISなども生まれた。
それに連れハードスペックもより大容量により高速に、そしてCPUのDual Coreと発展してきた。
その後、OSなどプラットフォームに依存していたデータの共有を巡り、プラットフォームに依存しないXMLという考え方が主流となり、並行してアーキテクチャが進展した。
今は、インターネットという通信手段を基盤に急速に広がった企業のWebを含むシステム開発運用とWebビジネスの隆盛によりWeb2.0という概念の元、あらゆるデータを共有、活用する意味で既存システムにXMLインタフェースを採用することにより、プラットフォームに依存しないレガシーデータを含めたデータ交換が可能となった。
これに伴い回帰現象ともいえるJavaScriptとXMLを活用したajaxというアーキテクチャが広まっている。
ajaxによってサーバやデータベースばかりでなく、サーバとクライアント間の環境も大きく変わることとなる。
昔も今も便利なインターネットだけど、いろんな一部技術はあったもののどうしても一方通行だった。Javaの登場により、JavaアプレットやCGIにより多少双方向性が生まれたものの、ajaxは更なる双方向性を実現する技法として注目を浴びている。
昔、IT業界にいた頃、プロジェクトマネージャーや元受会社の管理者に怒涛の如く息巻いた時期がある。
参加したプロジェクトはどれも大規模なものだった為、数十社の会社から集まったSE、PGがチームにもよるがおおむね1年の稼動を目指し、元請会社-2次請け-3次請けなどによるピラミッドとデータベース、サーバやネットワーク、クライアントなど運用面でのチーム編成と各機能によるチーム編成の各組織からなる即席組織で開発をする。
これは1社の社員だけでは数年越しのプロジェクトをいくつもこなし、会社として売上を上げていくことは実質不可能なため、行われる形態。
それは、これだけ技術が進歩している一方で融通が利かない、目的やゴールが決まらないとシステムは作れず、1年後完成予定のシステムがあったとして、顧客が迷っている時点でことによっては1年後の完成が達成できず、1年前の今でも本来なら開発はとまる。
ところが、止めるべきところで止めないのだ。
ここにはいろんなしがらみも含めた◎物事の本質/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079318294.html を見る事なく、目をそむけ、◎本質がわかっても変わらない理由/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079345342.html が存在することに問題点がある。
◎1つは経済の弱肉強食による弊害だ。
(経済社会の不平等は必然/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10071417168.html や経済の最も醜い汚い一面/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080114940.html 、)
その時点(開始時点も含め)での完成が無理とわかったとしても、顧客が強く、次に元受が強く、2次請け以降も順次弱くなる仕組み。
◎1つは、「業務のプロ」と「システムのプロ」(顧客とITベンダー)のシステム化における溝。
◎1つは、この2つのプロの溝を埋める役割が十分に機能するのが実質困難であること。
◎さらに、顧客にもITベンダーにも内部的に自己保身から(報告、連絡、相談、誤解、誤認、うっかり)ミスを報告しないこと(◎心の渇き/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080354613.html )。
◎そしてこれを受けても経済の弱肉強食が揺るがないこと。
◎こうした問題点からたとえ実現可能性があったシステムも実現不可能性が100%になってしまう現実から目を背ける風潮が蔓延していること(◎本質がわかっても変わらない理由/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079345342.html )。
特にこれが、システム全体ではなく、一部機能に大きな影響を与えることになった場合には尚更、そこを担当する人間は過労死への道をまっしぐらに進むこととなる。
こうした流れもあり、UMLなどのモデリング技術が研究開発されているが、未だに問題解決には至っていないというのが現実だろう。
UMLは、ちょっと乱暴だけど簡単にいうと顧客の業務を洗い出し、ブレークダウンし、顧客目線の業務項目や言葉で各セグメントを図式化し、システム上の実現すべき機能と結びつけ、システム開発側が、そこから各セグメントを個々にシステム化し、連携させることによって全体のシステムが完成するという技術。
これによってこれまでと比し、顧客側がシステムを理解する必要がなくなる。
でも、これは【「業務のプロ」と「システムのプロ」(顧客とITベンダー)のシステム化における溝】を埋めるという問題の根本解決にはなっていない。
これは顧客が難解なシステムを見やすくなり、「こうしたい」「業務はこうだ」と余計な(システムの)知識なく参加しやすくなる利点はあるけど、顧客とベンダー間の溝のほとんどは、最初の企画書に対して仕様変更が度重なるとどうなるかという理解の溝だ。
顧客側からすれば、「ちょっとした変更だし、このくらい、いいだろう。」「考えてみたらこれはどうしても必要な要素ではずせないから、どうしても入れてくれ」など
ベンダー側からすれば、その仕様を変更、追加する事自体は開発の進捗に「影響があるのか」影響がないのか、進む開発のどのタイミングでどの時点ならそれらの変更が可能なのか「不可能なのか」
「影響があり」「不可能なら」どうするのか?
顧客側は、その部分の機能がなくても凌げるのか、システムの完成時期をズラすことができるのか。一般的にはどちらもできないことが非常に多い。
この部分がまさにこれらの問題の本質であり、一番の課題なのだ。
顧客サイドからすれば、万一「その機能が部分的になくても実務上は凌げる」としても「システム上その機能がなくなったら他のシステムへの影響から、その機能のないシステムは、今の構想からいくと無理」
という現実に直面し、残るは、『顧客側は、システムの完成時期をズラすことができるのか』になるが、次のようなケースで拒否されることが多くなるのだ。
◎お互いの納期遅延の責任転嫁に終始し、どんな理由であってもどうしてもベンダー側が不利になる。
◎顧客は顧客のお客様に対して「来年○○月○○日から・・・」と既に告知しているので今更、変更するわけにはいかない。
◎万が一にも納期遅延の原因がどうやら顧客側にありそうだという空気になった場合でも稼動が延びる分のコストを持ちたくない、持てない(予算がない、出したくない、追加コストを容認するほど総額で判断すると(当初予算なら納得だが)妥当な意味あるシステムだとは思えない)
などなど理由は様々だ。
つまり、この問題の根本は顧客とベンダー間に議論の余地がないケースが多いということだ。
こうなるとどうなるかというと現場が火の海になる。
奴隷のように理不尽にこき使われたり、もう少し緩やかであったとしても、「理不尽なこと言われてもどうせ無理なんだから適当にやろう」とか「バカ正直に結果的に奴隷になる」といった状況になる。
これが一部の機能に端を発するものなら、他部門は「危うきは近寄らず」に徹する。
関連部門は死に物狂いにならざるを得ない。
中には元請会社の日本発のパソコンメーカーでもあり世界的ベンダーの社員が開発現場に張り付き、罵声を浴びせ、開発者を椅子ごと蹴り飛ばしたり、横にすわり、嫌味を延々と吐き捨て、ただでさえ後のない開発現場を邪魔したというところもあった。(◎現代日本経済の5つの弊害/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079839112.html )
【開発現場に張り付き、罵声を浴びせ、開発者を椅子ごと蹴り飛ばしたり、横にすわり、嫌味を延々と吐き捨てる】のが仕事となっている社員がいる世界的ベンダーって一体何?
(◎心の渇き/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080354613.html )
こうした中で当時、各現場でチームリーダーをやっていた自分は、この根本原因がある限り、1年後や2年後の完成は無理だと声高に叫び、説得と理解を求めこ、時にはプロジェクトマネージャに呼ばれた際、休むことなく5時間延々と熱く語った事もあったのだ(周りから見たら説教しているようにしか見えなかったらしいが)。
サブリーダーやリーダーをやっていて感じたのが、そのチームの置かれている状況をそのすぐ上の管理者が理解できないことだ。
仕様も理解していなければ、言語も知らない。更にその上は尚更知らない。だから無理だと言っている理由が、顧客の仕様とチームが作るシステムは他のチームが作るシステムと関連してどの点がどうだから、この部分に変更が生じ、場合によっては他のチームのインタフェースやプログラム仕様を変更してもらう必要があり、そうなるとチームで考えていたプログラムの仕組みが根本から変えなければならなくなるが、その分、すぐ目の前のスケジュールが遅延する、それによって次の工程に支障が出たり、取り掛かれないというリスクが生じているといったような仕組みを小学生でもわかるくらいのレベルで説明してやっと理解できる状況でそこまで噛み砕いて説明するために半日や1日費やし、現在の作業工程に遅れが出たり。
やっと理解してその管理者が上に相談したらダメだしを受けて、また戻ってくる。
いくら繰り返しても結果は同じで、でも、仕様は決まらず、変更変更の嵐。
でも、つまるところ、プロマネが諸悪の根源ではないので、プロジェクト内部の動きに多少の変化はあったものの結局根本解決に至らなかったのは言うまでもない。
数件こんなプロジェクトが続き、かくして過労死を免れたものの廃人となった。
全ての現場ではないけど、システム開発にはそんな一面もある。SEやPGはもてはやされるだけの花形職業という存在ではない。
一方、ITは世界中に必要なインフラとなり、なくてはならないといわれるまでになっている。
その為、データ量も想像を絶するほど膨大になり、国内各所、世界各地にデータセンターとも呼ばれる、中にはスーパーコンピュータも含めサーバ管理をする建物が乱立している。
スーパーコンピュータは未だにとても個人には手が届かないとてつもなく高額なものなので、それほど台数が普及しているわけではない、そこで一般個人のネットワークにつながっている利用していない時間にCPUなどの資源を利用する仕組みなども検討されている。
こうしてコンピュータが当たり前となった現代、ここから熱や二酸化炭素が無視できないほど大量に放出されているという。
地球温暖化を止めるためにも、これは問題となっている。
一部の通信業者が通信料をアップし、カーボンニュートラルによる温暖化対策に取り組むと発表した。
でも、これは根本解決にはなっていない。
◎CO2排出権取引の落とし穴/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10081520627.html ということもあるし、出す量自体を減らすことが必要なので、電源供給エネルギー(◎ホントに必要?大量のモノやエネルギー/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10079039198.html )の変更などを含めた対策が重要だ。
誰もが生きていくために働かなくてはならないのが資本主義経済では特に当然のことだと考えられている。
その為に働くことができなくなるかもしれないという事柄からは、目を背け、君子危うきに近寄らずといわんばかりに見てみぬフリをし、寄らば大樹の陰といわんばかりに人道的、道徳的には考えられない大樹に寄りかかろうとするといった姿勢をどうしても生んでしまう。
そんなところからも気づきと感謝と思いやりが薄れ(◎『気づきと感謝と思いやり』/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10072166798.html )、◎心の渇き/http://ameblo.jp/soboku-question/entry-10080354613.html が生まれ、ますます寂れていく、人間関係が希薄になり、そして自然にも感謝できなくなり、自然を守るよりも経済を守る方が先だという勘違いを生む。
地球・自然が崩壊寸前になれば、そこに育まれる生態系が崩壊寸前になれば、まず淘汰されるのは人類であり、経済なんて言っていられる状況ではない。
こと日本の今の経済は、戦後64年しか経っていない中で生まれたものであって、太古の昔からあったものではない。
日本はたった64年の間に40億年以上の歴史ある地球の破壊に加担してきたことになる。
それでも経済優先、人の健康二の次なのだろうか。心や身体を含めて。
それでも経済優先、環境二の次なのだろうか。
人類の生み出した経済は、人類にとってすぐ目の前の恵みはあるけど、地球や自然、そこで生きる人類以外の生命体には迷惑でしかないほど、地球破壊に向け進んでいる。
人類は予想以上に大きな分岐点に立っている(立たされているのではなく、自業自得で立っている)。
この分岐点のメイン通りは2つしかない。
先に通らなければならない道は実はたった1つであり、その道を選択すれば、その先にはいろんな選択肢が広がる。
優先する道を間違えれば、戻ることも、もうひとつの道にたどり着くことも、歩くことさえもできなくなるのだから。
それでも何をおいても環境最優先にはしないつもりなの?