真夜中の砂布巾 -7ページ目

真夜中の砂布巾

真夜中にネットをさすらっている中年おやじの、たわいもないひとりごとです。

東北では、川で子供の遺体が発見される事件が起こり、数ヶ月前にも隣家の子供が亡くなっているという。

また、佐賀でも子供のひき逃げ事件が発生したようだ。
こちらは重傷ということだが、発見されたようで一安心。

このような、子供が対象になる事件、事故が相次いでいます。

そんななか、みのもんたが朝の番組で、
「学校や親は何をしているんだ」と言う趣旨の発言をしているのを見てとても腹立たしく思いました。

歯に衣着せぬ発言で人気を博している芸能人ですが、結構無責任な発言も多く
あまり好きなタイプではありません。

単に、誰かを攻撃してカタルシスを得る様なタイプの芸人さんですから、まじめに聞く必要は無いのですが、今回の発言はやはり失言ですね。

今回のような事件は、いくら学校や保護者が注意しても防げる物ではありません。
四六時中、子供を監視し常にそばについていれば、防げるかもしれませんが
それは事実上不可能ですし、そんな環境で子供を育てること自体よくありません。

しかし、どうしてこのように弱い物を攻撃する事件ばかり続くのでしょうか?
本当に日本の社会がゆがみ始めていることを感じます。

色々考えても仕方ないのかもしれません。
対処するには厳罰化しかないように感じ始めています。

一人くらい殺しても10数年で刑務所から出られるようでは、防げないでしょう。
交通事故などではなく、故意に人を殺した場合は、即死刑でも良いでしょう。

特に子供を対象とした場合は、大人よりも罪を重くすることを望みます。

そのくらいしか、抑止する手だてを思いつかないくらい、世の中間違った方向に行っている気がする。

哀しい事件が多すぎます。

犠牲になられたお子さんに、合掌。

最近は少子高齢化、老人の増加による年金や医療福祉の費用増大を当たり前のこととして、その大前提で話をする人が多くなりました。

しかし、それを大前提にしても出てくる対策は対処療法でしかなく、日本の経済力を低下させることは間違いありません。
中国の台頭は東アジアを軍事的に不安定にさせるだけではなく世界経済をも不安定にさせています。そんな中で日本の唯一のバックボーンである経済力、国際競争力を低下させることは大変な問題です。

ニュースで出産一時金を出産後ではなく、事前に渡して少子化対策とするなんて話がありました。どうして、こんなちまちましたことしか考えられないのでしょうか?

事態は逼迫しています。

私の家には3人の子供がいますが、児童手当の相次ぐ改訂で長女は、何度も支給停止や再開を繰り返しています。
しかし、たかだか月に2万円の手当です。
こんな事では根本対策にはなりませんし、少しづつ小出しにしていてはインパクトがありません。結局財政負担は同じでも、1回でやることと何回かに分けてやるのでは全くインパクトが異なり影響力が大いに異なります。

一方国民健康保険の負担は、子供が多いため300万円台の所得でも上限の年額50万円超を払わなくてはなりません。この金額は独身で1000万円超の所得でも変わらないわけです。

月額5千円の手当がもらえても、健康保険の負担増で何の意味もありません。
しかし現実には、子供達はほとんど病院を利用することなく健康に育っていますからこれらの保険は掛け捨てになっているわけです。

非常に卑近な例を挙げて申し訳ないですが、こんな現状なのです。

私案ですが、出産一時金などは廃止して出産自体に保険適用をして欲しいと思います。また不妊治療も保険適用と子供が欲しくても出来ない人たちを支援して欲しいと感じています。
老人達が茶飲み話をするために病院に行くのに使うのではなく、子供を産み育てる気持ちのある若い世代に使って欲しい物です。

私の周りにも、つらい不妊治療を受け、経済的にも大きな負担をして子供を産んでいる人がたくさんいます。単に女性の社会進出とか、子育ての不安だけで少子化が進んでいるのではないと感じてます。

食生活の変化か、ストレスの増大か、はたまた環境ホルモンや道の化学物質のせいかもしれませんが不妊に悩む女性が増加していると感じています。
こちらの対策も是非政府に願いたい物ですね。
仕事が忙しく、精神的にも追いつめられた状態でしたので、なかなかブログを書く気力が持てませんでした。

そんなブログでも1日に10件ほどの閲覧があるようで、チェックして頂いている方に感謝致します。

これからも、あまり長い記事は書けませんが、日々の雑感をつづっていこうと思っています。

さて、ブログを書いていない間にも世の中では様々な事件が起こり、そしていつの間にか記憶から消えていき、人の口の端にも登らなくなっていきます。

首つり自殺体のそばに、布団の中では女性が死に段ボールの中に子供の死体があるという猟奇的な事件や未成年による憂さ晴らしの殺人事件など、本当に暗くなるような事件がたて続いております。
また、お隣の市では商業施設誘致でもめては、市長が辞職し選挙になるなど全く理解を出来ないような出来事もあります。

すべては人心の荒廃による物かなと感じています。

基本的に人間は我欲によって生きています。本能から自分を守り、自分が生き残ること、また自分のDNAを保存していくことが最大の目的です。

そのためには、奪い、殺すこともいといません。
しかし、長い時間を掛けて少しづつ英知を養い、奪い殺し合う事を避ける方法を学んできたはずです。それは単独で生活する肉食動物ではなく、群れをつくって生活する弱い動物にとって必須なことであるからです。

そうでなければ弱い動物は種を保っていくことが出来なかったからです。

そうして社会を形作り、食料の調達や、身を守ることから徐々に解放されることによって文明や文化が生まれてきたのですが、今のような状況は退化とも言える現象です。

はたして、個体数が増えすぎた人類に対して自然からのしっぺ返しが来ているのでしょうか?
しかし、アフリカなどでは人口爆発も懸念されています。今自分たちをうまくコントロールできなければ、待っているのは種の衰退しかありません。
そのためには、種全体の事を考える英知しかありません。

昨今の教育で個を協調し「我欲」を「個性」という耳障りの良い言葉に置き換えて、喧伝し、それを助長しているのはまさに滅亡へのシナリオです。

今必要なのは「個性」と言う名の「我欲」を押さえてでも、集団としての人間を考えることです。それは小さな集団「家族」から始まり、地域、国家、そして人類全体にまで及ばなければならないのでしょう。

最近の事件は、この小さな集団が崩壊しているために起こっているようです。
「家族」や「地域」のコミュニティが崩壊するのは、一見始まりのように感じますが、これは一番守り、愛さなければならない人たちへの攻撃ですから末期症状といえます。

教育の崩壊は、なんとしても食い止めなくてはいけません。

ケネディの言葉で「国家が私たちに何をしてくれるのかではなく、私たちが国家に何が出来るかを考えよう」と言う物がありますが、「家族や地域の人が私に何をしてくれるかではなく、私が家族や地域の人に何が出来るかを考える」、そんな教育が必要でしょう。
仕事が忙しくなってしまい、ずいぶんと放置したままでした。

来年度はやっとPTAからも解放されそうで、一安心です。

さて、「所詮自分はこんなモンだと思うこと...」って題を付けてみたのですが

以前、ろろさんの「自己実現」の話を読んでいて、将来に希望を持つこと自体は
悪くないことなのにと感じていました。

それなのに、何故こんなに多くの若者が簡単に挫折し、とんでもない行動をとってしまうのかと。

よく考えてみると、自分自身も随分と自己を過信し何でも出来るような妄想にとらわれていた時期がありました。いや、今でも、その気持ちはあるかもしれません。

でも、失敗したとき、弱ってしまったとき「所詮自分はこんなモンだ。」と逃げを打つことを覚えました。

自分を過信し、過大に評価し思い上がってしまうことは、裏返してみれば何時までも満たされることのない餓鬼になってしまうことでもあります。

別に逃げを打っても良いじゃないですか?

あきらめや、開き直りは良いことです。
そうすれば、大きな失敗は忘れ、小さな成功を喜ぶ余裕が出来ます。
その方が生きてて幸せという物です。

小さな成功を支えに、そして「所詮自分は..」と開き直って生きていけば
人生案外楽かもしれません。

小さな成功積み重ねていったら、大きな成功にもなるやもしれません。

ああ、やっぱりあきらめてないな。(笑)
「自己実現」がんばります。
読売新聞の記事で考えさせられることがありました。

本当に反省しているのか…被害者家族が見た“塀の中”

少年犯罪を含め、凶悪犯罪を犯した者が再犯をかさねる事が社会問題になっています。
理不尽に命を奪われたり、重傷を負った犯罪被害者への救済はままならない
状態が続いているのに、上記の記事を見ると塀の中での処遇も酷い物のようです。

刑法を改正して罪を重くする事も一つの対処ですが、いくら刑期を長くしても
矯正の効果が上がっていなければ何の意味もありませんね。
かえって、国庫でただ飯を食わせるだけでしょう。

一定期間、犯罪者を社会から隔絶する意味しかありません。

以前から思っていることですが、差別はいけない、犯罪者でも贖罪したなら
普通の人のように扱わなければならない。

と言うような「人権意識」が、教育やマスコミのプロパガンダで浸透しています。
そのため、前科者などというのははばかられる世の中です。
これでは、出所後の社会的制裁は受けないことになります。

以前は、この社会的制裁が怖くて犯罪を押しとどめる効果があったと思うのですが
刑期さえ終えれば自由の身では気楽な物ですね。

そして、さらに恐ろしいことに犯罪者の個人情報なども伏せられることで
何時、自分のそばに犯罪者が引っ越してくるかもわかりません。

一般の人は、なんら警戒をするすべを持ちません。

ここで、刑務所内での矯正効果が充分上がっていれば、再犯の危険も少なく
上記のような考え方も通るのでしょうが、矯正効果が上がっていなければ
犯罪は増える一方になってしまいます。

海外では、性犯罪者の氏名、住所の公開や追跡調査なども行われているようです。
このことから考えても刑務所内での矯正は「絵に描いた餅」に過ぎず、期待体は出来ないようですね。

そうなると、もう少し情報公開をして社会の厳しい監視の元に置くしかないでしょう。
人間が本来の動物としての本性を表せば、現代社会では法に触れることばかりで
決して「性善説」では、制御できないと感じています。

そのための法であり司法だと思います。