真夜中の砂布巾 -6ページ目

真夜中の砂布巾

真夜中にネットをさすらっている中年おやじの、たわいもないひとりごとです。

福岡での、いわゆる「いじめ自殺事件」が盛んに報道されています。

「ニュースステーション」の結論ありきで、強引に教師や学校を糾弾するプロパガンダには
反吐が出る思いがします。

このように、どこかに責任をなすりつけ、魔女狩りのように糾弾することで視聴率を取り
まるで社会の規範であるような姿勢をとることは絶対に許せません。

根本的な問題から目をそらせ、結局は学校や教師に責任を負いかぶせてそれで終わりですか?

mixiなどの日記を見ていると、まさにプロパガンダに乗せられて、「怒髪天を突く」なんていきがっている人が
いるのですが、こんな意見しか出てこないとは暗澹たる気持ちです。

教師が「いじめはいけません」「思いやりを持ちましょう」「いじめのない美しい社会を」などと
きれい事をいくら叫んでも、いじめは絶対になくなりません。

憲法9条で戦争放棄をうたっても、戦争の危機がなくならないのと同じことです。
いじめに関しても「脳内お花畑」の考えが蔓延しています。

セクハラ、パワハラいろんな新しい言葉を作って、理想郷を目指す傾向があるのですが
これは、とても危険な発想です。
いじめやハラスメントを受けているほうが、そうだと感じたら、そうなのだという認定基準は
実に危険です。

この考えだと、いくらでも悪用は出来るので、結局はいじめやハラスメントの立場が逆転するだけで
なんの対策にもなりません。

大いに異論はあると思いますが、今回の自殺もひとつの淘汰だと思います。
弱者は淘汰されるのが現実社会です。

人間社会でも、生存競争があり個々の人間は自分の欲望を達成するために
自分より弱いものを叩き潰して、相対的に自分の価値を高めるのです。
それが、競争社会の現実です。

子供の世界でも、当たり前のことです。それを認めずに平等社会、思いやりのある社会と
お題目ばかり並べるから脆弱な人間ばかりを再生産するのです。

脆弱な人間は、すべてをあきらめるか、より強くなることを希求します。
そこには、弱すぎるが故の一種の狂気が存在します。
そんな狂気が引き起こす悲惨な事件は枚挙に暇がありません。

いじめは、なくならない。
人間関係の摩擦はどの年齢においても、どの社会においても必ず存在するものです。
そのプレッシャーやストレスにどう対処していくのか。
どう立ち向かっていくのか、どこの時点で逃げ出すのか。

そういうことを真剣に教えていく教育が今一番必要なのではないでしょうか。
なんだか、妙に色々な事件が起こっている時期「昭和天皇の談とされるメモ」が発表されて、マスコミがこぞって取り上げています。

一部のマスコミの欣喜雀躍ぶりには、閉口ぎみです。

このメモ自体の信憑性も取りざたされていますが、ネットでの論評を見る前から、なんだか違和感を感じていました。

北朝鮮のミサイル問題で、中国がかなりポイントを失い、国内でも中国などが主張する「靖国問題」に関して世論が相手にしない方が良いという方向に傾き掛けているところで、このメモの発表です。

政府や与党が「靖国問題」を軟着陸させるために、このような発表をしたなどと言う憶測もありますが、果たしてどうでしょうか。

いずれにしろ、国内の政治勢力が意図してやったことなら、これは実に大きな問題です。

「天皇が政治に関与する」事自体が、「パンドラの箱」であり、決してあけてはならない物です。

明治維新以降、この錦の御旗をかかげて、多くの人が死にましたし、国を危うくする事態も多く発生しました。

数千年続くこの魔力は、随分と輝きを失ったとはいえ、今でも日本人の心に生きています。この魔力を手にした権力者は、その絶大な力を使い、そして、それにおぼれて国を危うくするのです。

しかし、この力は国民統合の象徴としては保っていかなければなりません。
日本人に残されたただ一つのアイデンティティとして。

だからこそ、「政治に利用する」という、「パンドラの箱」をあけさせてはいけません。

政治家達や海外勢力の同行を注視しましょう。

このことを、政治的に利用しようとする政治家は排除しなければなりません。
韓国では与党のウリ党が惨敗のようですね。

これでノムヒョン大統領のパワーも落ちてくることでしょうが、反日政策や北朝鮮への太陽政策に変化が見られるのでしょうか?

私自身、父親が子供時代を朝鮮の平壌で過ごしているにもかかわらず、ほとんど朝鮮半島には興味を持っていませんでした。

しかし、昨今の北朝鮮、韓国の反日政策のおかげで次第に関心を抱くようになりました。これは、日本国内のマスコミによる報道の影響していますね。

そして、マスコミによるフィルターのかかった報道だけでなく、インターネットを通じて得られる玉石混淆の情報も非常に役立っていることでしょう。

想像以上に多くの人たちが、近隣諸国がどのような政策をとっているのか関心も持つようになったと思います。もう、この流れは止められないでしょうね。

さて、今後も近隣諸国の動静に関心を持ってみていきたいと思います。
いやあ、少子化はどんどん進んでいますね。

このニュース記事に対するmixiの日記を巡っていて思いました。
この結果は、自然の摂理や人体に対する悪影響から来ている物ではなく
教育の結果なのだと確信しました。

周囲の人たちからの干渉を嫌い、何事も個人主義で生きたい。

自分の好きなように生きるのは当然の権利だが、他人のことは知った事じゃない。

そんな意見が蔓延していますね。

昔は、周囲の目を気にして早く結婚し、早く子供を産んで立派に育てる。そんなプレッシャーがあったのですが、今は無くなってしまいつつありますし、そういう干渉に激しい拒絶感があるようです。

しかし、ここら辺に事の本質が潜んでいるように感じています。

周囲からのプレッシャーを受けたくない、干渉を受けずに自分の考えだけで生きていきたい。そういう考えを否定せず、すばらしい物だと教えてきた教育があります。

今の教育現場でも、こういう考えが「自由に、のびのびと個性をはぐくむ」なんてキャッチフレーズで続けられています。

本当にそれで良いのでしょうか?

学校では、そういう価値観を植え付けられますが、家庭に帰ると親からのプレッシャーがある。成人して就職すると、上司や同僚、得意先のプレッシャーがある。

そういう現実から、逃避する初期段階で子供っぽいことを喜ぶ。
アニメやおもちゃに没頭する状態ですね。
これはピーターパン症候群と呼ばれる物に近いでしょう。

そこから派生して、ロリコンなどの弱い物、幼い物に逃避していく。

こうやって、大人になりたくない。常にプレッシャーから逃避する人たちが増えて
今の子供っぽい文化が形成されてきたと思います。

そして、行き着く先は、昨今の事件のように親を殺す。友人を殺す。
ストレスのピークに達していくのでしょう。

そういう事件を起こした当人達だけをケアしていても、次々に同様の事件を起こす人が現れてくるでしょうし、増加に歯止めがかからず、恐ろしい社会になっていくと感じています。

周囲から、色々なプレッシャーを受け、様々な干渉を受けて生きていくことは、社会生活を営む人間としては、至極当然のことであり、そのための心の持ち方を幼いときからきちんと教えていくことが実に大切なことだと思います。

この問題は、地方の荒廃、農村の過疎、そういう現実にも直結したことだと思います。

ある意味、濃密な人間関係の残る農村や地方で、子供達がこのような教育を受け続けているので、そこにとどまろうと考えるはずがありません。
人間関係の希薄な都会に出て行こうとするのは、当たり前です。

今こそ、教育を変革していけなければ、どうしようもない未来が待っています。
ディスカバリチャンネルを見ていたら、ホワイトバンドの長いCMが流れていました。

この「貧困」という問題に関しては、情緒的に訴えることも関心を得る手段としては有効であると思うのですが、そうすることによって本質から目をそらしてしまう恐ろしさも感じています。

「貧困」ということと、「不幸」と言うことを安易に結びつけることには賛成できません。
今の日本の中で暮らしていて、当たり前のことが出来ないから貧困と決めつけることも危険ですし、それが即「不幸」に直結してしまう短絡的な考えでは困ると思います。

一日の収入金額が何十分の一しかない国でも、日々幸せに暮らしている人は多くいると思います。その人の置かれた環境、生い立ち、宗教など様々な価値観の相違で感じ方は違ってくると思います。

もちろん飢餓や病気は、どのような人にとっても不幸に違いありませんが、どうも、このような運動はすべてお金で解決してしまう事につながっている気がします。
募金ではないとしても、最貧国の借金を棒引きにしたり、援助金を届けるだけで果たして今の状態から立ち直れるのでしょうか?

とても、難しい問題だと思います。

とても幸せな頭を持った人たちは、飢餓で苦しんでいる人たちは、きらきらした目をしていて純真で天使のような人たちだと思っているのかもしれませんが、現実はどうも違うようです。

援助された資金が武器に変わり、部族間でのの殺し合いに使われる。
様々な教育を勧めようとしても、古くからの慣習や宗教、根本的な思想が異なるため子供達に教育を受けさせようとしない。

世界には、まだまだ多種多様な考えと、歴史、文化を持った人たちが存在しているのです。それを簡単に援助と言う言葉で片づけた親切の押し売りをしているようにしか思えません。

「しあわせ」のグローバルスタンダードを押しつけることが本当に良いことなのか?

それぞれの国や民族の持っている物を尊重した上で、教育の機会を持つことで少しづつ発展していくしか道はないように感じます。

カンフル剤のように急激な変化をもたらすことは、逆効果でしかないと思います。