福岡での、いわゆる「いじめ自殺事件」が盛んに報道されています。
「ニュースステーション」の結論ありきで、強引に教師や学校を糾弾するプロパガンダには
反吐が出る思いがします。
このように、どこかに責任をなすりつけ、魔女狩りのように糾弾することで視聴率を取り
まるで社会の規範であるような姿勢をとることは絶対に許せません。
根本的な問題から目をそらせ、結局は学校や教師に責任を負いかぶせてそれで終わりですか?
mixiなどの日記を見ていると、まさにプロパガンダに乗せられて、「怒髪天を突く」なんていきがっている人が
いるのですが、こんな意見しか出てこないとは暗澹たる気持ちです。
教師が「いじめはいけません」「思いやりを持ちましょう」「いじめのない美しい社会を」などと
きれい事をいくら叫んでも、いじめは絶対になくなりません。
憲法9条で戦争放棄をうたっても、戦争の危機がなくならないのと同じことです。
いじめに関しても「脳内お花畑」の考えが蔓延しています。
セクハラ、パワハラいろんな新しい言葉を作って、理想郷を目指す傾向があるのですが
これは、とても危険な発想です。
いじめやハラスメントを受けているほうが、そうだと感じたら、そうなのだという認定基準は
実に危険です。
この考えだと、いくらでも悪用は出来るので、結局はいじめやハラスメントの立場が逆転するだけで
なんの対策にもなりません。
大いに異論はあると思いますが、今回の自殺もひとつの淘汰だと思います。
弱者は淘汰されるのが現実社会です。
人間社会でも、生存競争があり個々の人間は自分の欲望を達成するために
自分より弱いものを叩き潰して、相対的に自分の価値を高めるのです。
それが、競争社会の現実です。
子供の世界でも、当たり前のことです。それを認めずに平等社会、思いやりのある社会と
お題目ばかり並べるから脆弱な人間ばかりを再生産するのです。
脆弱な人間は、すべてをあきらめるか、より強くなることを希求します。
そこには、弱すぎるが故の一種の狂気が存在します。
そんな狂気が引き起こす悲惨な事件は枚挙に暇がありません。
いじめは、なくならない。
人間関係の摩擦はどの年齢においても、どの社会においても必ず存在するものです。
そのプレッシャーやストレスにどう対処していくのか。
どう立ち向かっていくのか、どこの時点で逃げ出すのか。
そういうことを真剣に教えていく教育が今一番必要なのではないでしょうか。