真夜中の砂布巾 -8ページ目

真夜中の砂布巾

真夜中にネットをさすらっている中年おやじの、たわいもないひとりごとです。

今日、仕事の帰りに車の中で見たニュースで、哀しくて仕方なかった。

痰吸引必要な女児の保育園入園、東大和市に拒否認めず

このニュースの中で無邪気に「保育園に行きたい」と笑顔で話す5才の女の子。
私も似たような年齢の子供を持っているので余計です。

こんな場に引き出され、何もわからずに言わされている。
この子の親に無性に腹が立ちました。子供をダシに使って何がしたいんだ。
ニュースの中では市に対して損害賠償を求めているとのこと。
売名行為とお金ですか?

障害を持つ子供を育てている親御さんには同情する気持ちもあります。
自分の子供だったら、どんな風に感じるか考えてみました。

まず、裁判所の言っている。

菅野博之裁判長は決定で「幼児期は集団生活を経験することで社会生活の素養を身につけたりする重要な時期」としたうえで「保育園で保育を受ける機会を失うという損害は、金銭賠償などでは取り返しがつかない」と判断した。

これには、全く納得いきません。もちろん集団中で過ごすことの重要性はわかっています。私自信も、少し早めに幼稚園に通わせ、集団の中でもまれるように考えました。
しかし、この子は障害を持つ子供の施設に現在通っているのです。
そこで集団生活を経験できないというのでしょうか?

また、5才の子供がこのような障害を持っていた場合、出来ることなら親の目の届くところで看護していたいと思います。
私なら障害児施設でも心配になります。
まして普通の保育園なら、余計心配なはずです。
テレビでは、わざわざ、痰の吸引を本人がしているところを見せていました。

これを1時間おきにしなければならないわけですから、看護はかなりな負担になるはずです。危険があるからこそ、医療行為としているのです。

私の母が寝たきりになり、のどを切開してこの吸引をやっていたので体験しています。

そんなにまでして、なぜ保育園に行かせたいのか?
全く理解の及ばないところです。
どう考えても、親の身勝手な欲求です。うがって考えれば、自分たちが自由な時間が欲しい。と言うだけではないでしょうか?

このくらいの年齢の子は、ほとんど判断が出来ません。
「保育園に行ってお友達と遊びたいか?」って聞けば「遊びたい」と言うに決まっています。それをわざわざ記者会見場で言わせる親の気持ちに憤慨しています。
同情を引くための道具に使っています。

それを、「子供の願いを叶えたい」という、美談風に報道するマスコミにも腹が立ちます。

本当に、子供のことを考えているのか?

この結果、保育園では看護師を一人増員する事になるそうです。
それだけコストがかかってしまうのです。
こんな親に限って、何か事があれば、また保育園に無理難題の要求をすることでしょう。

障害者の社会参画に反対なのではありません。
しかし、「平等」という金科玉条が一人歩きして、おかしくなってしまったため
弱者が守られすぎて、逆の差別感情を産むことに危惧しています。

この子を保育園が普通に温かく迎えるでしょうか?
表面上はそうでも、腫れ物に触るように扱うでしょう。

周りの父兄は、どう思うでしょうか?
面倒な子が入ってきたと言われないでしょうか?

そういう社会が、良くないと言ってしまえばそれまでです。
しかし、それが人間の本質です。かわりはしません。

そんな世の中で生きていくために、特権意識を持つことなく、ハンディを直視して
それを乗り越えていける強い子に育って欲しいと切に願います。
昨年末から仕事で忙しく、またその仕事自体がうまくいかない状況で
もがいています。

そんな気分の中で、なかなかブログを書く気持ちになれませんでした。
少しは、気分も回復と言うことで、書いてみます。

ろろさんが、新年から「平等の問題」について、面白い意見を書かれています。
この平等思想で、思い出したのが「坂本龍馬」です。

上士、郷士という武家社会の中での身分制度や
幕藩体制の中での不自由さ、その行き詰まりから飛び出した青年が
幕末という時代の風を受けて大活躍したわけですが。

私は、この幕末の英雄が以前から大好きで、色々と本なども読んできました。

ちょうど30才を過ぎた頃、健在だった父と、「坂本龍馬」について
話していたときに、言われた言葉を忘れられません。

「30すぎても、まだ坂本龍馬か?青臭いな。もっと成長しろ!」
40過ぎて、やっと、この言葉の意味がわかってきた気がします。

成長したかな?
辛坊次郎さんが司会の番組を見ました。

テレビをつけたときは、アジア重視かアメリカ重視か札を上げてる
所でしたが、相変わらず井筒監督が眠たいことを言ってました。

海底油田の件で、中国に強硬な発言をするだけではなく、自衛隊を
派遣して牽制しないといけないという意見に対して、
「そんなことしたら、撃ち合いになる。殺し合いになる。そんなところに
自分の子供は行かせたくない。」などと、いつものプロ市民発言を
してました。しかし、最近は腕組みしたまま、声も小さく、随分旗色が
悪い様子ですね。

塩爺に「戦後の教育がこんな日本にした。」と言われてました。
暗に「戦後の教育がこんな駄目な人間を作った。」と言われている事に
気づいていたのかいないのか?

少子化問題に移って、金美齢や蓮舫、それに小泉チルドレンの自民党新人が
出ていました。とくかく、この新人女性議員キンキン声は何とかならない物か?

こんなの出したら、自民党はイメージダウンですね。
言ってることもレジメに書いたことを連呼してるみたいで...。
しかも、途中で何度もかんでしまい自分でも何言ってるかわからなくなってるみたい。

蓮舫は出だしから「自民党がどうだこうだ。」と言い始めて、金さんから
一喝されシュンとしてました。(笑)

結局いつものぐだぐだ議論になるかと思いきや、子供を持っている人に
年金を増額するとか、所得税の減免を増やすとか、以前私が言っていた
増税に似た話が当たり前のように出てきて、ちょっとびっくりしました。

塩爺と金さんが「愛」を掲げていましたが、これも大切ですね。
あまりに身勝手で個人至上主義を教育してきた結果が、結婚したく
子供産みたくない、育てたくないというわがまま世代をはぐくんできたのです。

自分や家族は危険を冒したくないけど、守っては欲しいという「井筒監督」の
ような荒唐無稽でわがままな世代と同根です。

そのようなわがまま世代では、本当の家族愛を持った家庭を築けるわけは
ありません。このような病巣が、家庭内暴力、家庭崩壊、熟年離婚と
続いて吹き出してきているのでしょう。

その結果が少子化です。

そして、最近の児童虐待、子供をねらった犯罪も根っこはここにある気がします。

こう考えてくると、日教組は亡国の大罪人になってきますね。
ああ、恐ろしい。
最近は小学生女児をねらった悪質な犯罪が立て続けに起こっています。

犯人像を分析したり、その生い立ちから教育の問題を語る事が多いのですが、実際の子供(小学生女児)を持つ親としては、そんな悠長なことは言っておられません。

しかし、子供の通う小学校では、簡単なペーパーを配布して注意を喚起しただけで、他のアクションが何もありませんでした。
PTAの役員会でも、普段の行事の進行や反省のみに終始しているので、たまらず「危険マップ」作りを提案しました。

「危険マップ」を作ることはテレビなどでも報道されていますが、果たしてその効果がどれくらいあるかは未知の世界です。

ただ、こういう話題を役員会で出したことで、他の役員さんから下校時の時間差や集団下校について質問が出たり、地域の人たちとの連携について提案があったりと、たまっていた物が一気に噴出した感がありました。

学校は、何もしないわけではありません。
しかし、すべての学校がすぐにアクションを起こす訳ではなく、校長の考え一つで対応は様々です。それに基本的に何か新しいことをするにはかなり抵抗があるように感じました。

マップ作りに関しても、現在の指導要領で時間がきつくなっている中、時間を割いて授業で取り上げる事は難しいなどの発言もありました。

しかし、その後子供達に危険マップを作るための用紙が配布され、まずは家庭で子供達と話し合い原稿を作成することになりました。
年明けには、この原稿を使って学校内で作成する事になりそうです。

保護者が何もしないと現状維持になってしまいます。
PTA役員でなくても声を上げましょう。決して学校の無策を糾弾するのではなく、ともに考え協力して何か対策を始めようとアクションを起こすことが大切です。

それによって、学校側の意識も変わりますし、保護者の意識も変わってきます。
理想は「必要なときにしかる父親」…読売世論調査

こんな世論調査の結果が出ていました。
父親が家庭の中で期待されている姿として、「かみなり親父」や「ガンコ親父」が多くなっているようです。別に懐古趣味ではなく、やはりしつけや教育の中心としての父親像が求められているようです。

私も3人の子供を持つ父親として、日々奮闘努力していますが、なかなか難しい物ですね。自分の父親を振り返ってみると、確かに「ガンコ親父」だったと思います。
なにせ、大正生まれ、幼い時代から成人するまで朝鮮半島で暮らし、そのまま東南アジア戦線に出て行ったわけです。

その体験からして、私がかなうはずもありません。
また、人生観自体が戦争体験を通して変わってしまっていたようです。
物欲という物が減退し、求める物が大きく変わっていたようで、なかなか議論してもかなう相手ではありませんでした。

振り返って自分はと言うと、高度経済成長期に子供時代を過ごし、
物欲の固まりの様な世代であります。
幼い頃は、実に貧しい生活でしたが、年を追うごとに豊かになり、信じられないような生活が日々現実となった時代でした。

ただ、幸いなことは、一時でも貧しい時代を知っていると言うことです。
昔を懐かしむ気持ちもありますが、そのような貧しさに戻ろうとは思いません。
そのつらさも身にしみてわかっています。

そして、その豊かさの根底に国民の勤勉さがあったことも知っているのです。
正直に、額に汗して働いた人たちがいて国が豊かになり、今の生活が享受できていることを...。

豊かな時代ですから、私たちが幼い頃の貧しい体験を子供達に語ったとしても、実感させることはとても無理です。いかにして、勤勉さや正直さが人間として大事な要素であり、そのことが社会を豊かに安心にしていくかを教えることが大切だと思ってます。

しかし、これが実に難しいので日々奮闘中です。

子供達がほしがる物を買い与えることに関しても、いろいろな意見があります。
何か課題や労働をさせて対価として与える方法もあります。
すぐに買い与えるのではなく、時間を掛けて我慢をすることを覚えさせる方法もあります。

いろいろな方法で、物欲を押さえる方法を学ばせようとしますが、これには親の精神力も必要になります。
やはり、自分の子供はかわいいものです。

泣いたり、しょんぼりしたり....。
果てには、それを持っていないため学校で話題について行けないとか、のけ者にされるとか...。

多くの誘惑が、子供に対して甘くなる気持ちを起こさせます。
一つ一つのことに対して、物を買い与える解決方法ではなく、教え諭して行くことが大事なのですが、ついつい自分に甘えて簡単な解決に走ってしまう事があります。

まずは、自分の心から鍛え直さなければなりませんね。
本当に貧しければ、買えないのですが、経済的には買える物を我慢させることは実に大変です。