真夜中の砂布巾 -9ページ目

真夜中の砂布巾

真夜中にネットをさすらっている中年おやじの、たわいもないひとりごとです。

皆様、ご無沙汰しております。
師走に入りましたが、私事も仕事も忙しく更新のままならない状態です。

トラックバック頂いたり、コメント頂いたりしておりますが、お返事できなくて心苦しく思っております。お詫び申し上げます。

さて、流行語大賞でレイザーラモンHGの「フォー」が選ばれなくて、ほっとしている今日この頃です。

あんなくだらない一発ゲイのゲイ人がはやるなんて、どうかしていると感じています。日本人の心は平和なのでしょうか?それともすさんでいるのかな?

我が家の2歳児まで「はーろげい」を連発する始末で困っております。
意味もわからず言葉を使うことの恐ろしさをみなさん理解しているのでしょうか?

ゲイ、レズ、おかま、おなべなどなど、ずいぶんと社会的に認知されてきているようでその許容度は増すばかりです。
特にマスコミに登場するタレントは「おかま」がやたら幅をきかす世の中です。
こんな事で良いのでしょうか?本当に、自分が良ければ何でも良いの世の中です。

個人の性癖や嗜好をとやかく言うつもりはありませんが、すべてを公にして認めていく風潮には困惑しております。さらに、そういう性癖や嗜好が良い物であるように喧伝することは、許容範囲を超えています。

ゲイやレズには暗い面もつきまといます。また、男色嗜好はエイズとの関連もあるのですから、単純に権利を認めればよいという問題ではありません。

きちんとした性教育のなされていない現状において、マスコミが受ければよいと言うだけの短絡思考で次々に愚にもつかない情報や笑いを振りまいていくことには許せないことだと思います。

かたや、本日のニュース番組で見た「インターセックス」というもって生まれた障害(障害というのは適当ではないかもしれません)で苦しみ、悩んでいる人もいるわけです。

「インターセックス」となんでも英語にしてしまえば差別にならないと感じているマスコミの対応が、また鼻につくので「両性具有」と書かせてもらいます。

こういう、「両性具有」、「性同一性障害」などの先天的な問題を抱えている人たちと、性的嗜好だけの人たちとは根本的に違います。
しかし、今のようなマスコミの姿勢では、混同されてしまうような気がしてなりません。

そして、そういうことをきちんと子供達に教えていくことが大事なのではないでしょうか?
何もかも、ごちゃ混ぜにして区別しないこと、曖昧にすませて根本的なことを教えないことが平等で差別のない社会だと思っているなら大間違いだと思います。

区別、違いの本質を教えて自分で判断できる力を与えることが大事です。
興味本位で幼い頃に見たゲイやレズの姿を覚えていて、将来そういう性癖に走ったとしたら、罪は深いと思います。

そういう教育、マスコミの姿勢が子供達を混乱に陥れていると感じています。
先般の紀宮さま結婚式の記者会見から、NHKが閉め出されたそうです。

宮内庁の取材自粛要請無視、NHKが御所上空から中継 (読売新聞)
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宮内庁は15日、NHKが放送した紀宮さまの御所出発の生中継が、同庁の取材自粛要請を無視したものだとして、二人の記者会見にNHK記者が出席を遠慮するよう申し入れた。事実上の出席拒否で、要請に従ってNHK記者は出席しなかった。

 同庁などによると、NHKは同日午前10時ごろ、紀宮さまが御所を出て車に乗り込み、同庁職員らの見送りを受ける場面を上空のヘリから生中継で放送した。

 同庁は御所を出発する場面の取材自粛を宮内記者会に求めており、「一定のルールが守られなかった。慶事における気分の問題で、出席を遠慮していただいた」と説明した。

 会見は、NHK記者を除く宮内記者会加盟18社、日本雑誌協会や外国特派員協会の代表が出席して行われた。

 NHK経営広報部の話「警視庁が設定した飛行自粛要請区域の外側からの取材は可能だと判断した。宮内庁の自粛要請に沿わない形になり、関係者の方々にご迷惑をおかけしました」

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民放でさえ、きちんと守っていたことをNHKはやってくれるもんです。

「警視庁が設定した飛行自粛要請区域の外側からの取材は可能だと判断した。」
ということは、何故上空からの取材を自粛するように申し入れていたのか、その理由が全くわかっていない回答ですね。
なんとまあ、判断力がないのでしょうか?
NHK職員は有名大学卒が多く高給取りと聞いていますが、こんな簡単なことがわからないのですね。

最近のNHKを見ていると視聴率を稼ぐことに必死になっているようで、痛ましい限りです。なんのために視聴料を強制的に徴収しているのか、全くわかっていないようです。スポンサーからの広告収入で運営しているなら、視聴率至上主義もわからないことはないのですが、視聴料徴収を法律で認められている放送局の姿ではありません。

昨今、司法の場に訴えてまで視聴料を徴収しようと動いているようですが、このような取材姿勢や視聴率至上主義で行くのであれば法を改正して完全に民間企業にしても良いのではないでしょうか?

番組内容にしても、以前はすばらしい番組が多いと思っていましたが、質の低下は酷すぎます。海外取材のドキュメンタリーや科学番組はほとんどBBCなどの海外局から買った物ばかりです。一生懸命に取材に行って、お金掛けてるなと感じると、ほとんどが中国などの特定アジアだけです。
紅白歌合戦に至っては、レーザーらモンだとかみのもんただとか、色々憶測が飛んでいますが、本当に品位のかけらもない番組になりそうです。
大晦日まで、汚い男の腰振りや酒焼けして脂ぎった顔は見たくありません。

政治的中立性、質の高い放送内容、緊急時の放送体制。
この3つが揃っていないと、NHKの存在意義はありません。
今かろうじて残っているのは、3番目だけのようです。
しかし、この緊急時の必要性も他のメディアが発達する中、重要性は薄れてきています。

今回の事件で結論が出ました。「NHKは不要です。


最近、ニュースを騒がせているタリウムを使った毒殺未遂事件。

このような犯罪はセンセーショナルで耳目を集める物となります。マスコミは少女の心の闇などとかき立てて視聴率を稼ぐことに必死ですが、視聴者はすぐに忘れてしまいます。このような事件は一種の精神障害による物だと思います。完全なる異常者ですから、いくら一般の正常な人が心の闇をのぞきたいと思っても、理解できる物ではないのです。
ただし、未成年・精神障害だと言って、このまま厳しい刑を科さずに、簡単なカウンセリングとか少年院での指導だけで、野にはなってしまえば必ず再犯が行われ危険きわまりないことも事実です。
最近の調査で、少年院における矯正の効果が出ていないと感じている当事者が多いことが出ていました。
対処療法ですが、こういう矯正の方法をきちんと見直し、効果を出せるように改善していく必要は大いにあるでしょう。また、少年院だけでなく、刑法犯に対する処罰も矯正という趣旨から離れてしまい、その更正への効果が薄れてしまっているように感じます。マフチモーター事件でも犯人は刑務所で知り合い、その中で犯罪の準備をしていたわけですから。

一方、またぞろゴミ屋敷事件を一生懸命マスコミが報道しています。
いつまでたっても、同じように繰り返されるゴミ屋敷事件ですが、ほとんどが60代くらいの高齢者ですね。なにが、この世代をこうもおかしくしているのでしょうか?
この世代は、その幼少期には今より厳しい社会規制があったはずですが、他人に迷惑を掛けるなと言う教えが身に付いていないのでしょうか?
それとも、戦後の闇市、どさくさの中で幼少期を過ごしたので、社会規範などどうでも良いという体質が身に付いていて、会社を退職するなど社会の縛りから抜け出たとたん傍若無人に振る舞ってしまうのでしょうか?
なんとも情けない事件ではあります。自治体は、すぐに人権問題として、こういう物に対して厳しく対処できません。しかし、近隣の何の非もない人たちの人権はどうなるのかと問いただしたいですね。何らかの迷惑防止条例を制定して、強制的に撤去し、撤去費用を請求するなり、罰金刑を科すなりすれば良いと思うのですが。
ずいぶんと時間がたってしまいましたが、靖国問題その2です。

中韓の反応は、おおかたの予想通りでした。小泉首相の強攻策は、この問題をどうしても政治カードにしたい両国のねらいを弱体化することに成功しているようです。両国とも国内向けのメッセージとして、一通りの非難はしましたが、それ以上は実質的に何も出来ないようです。

韓国に関しては、中央日報も盧武鉉政権の節操のなさを嘆いていますが、致し方ないことですね。

【コラム】対日政策に戦略なし


歴史問題しか、相手国を非難する材料がないし、かといって、様々な面で日本とのつながりは重要なので一方的に排斥するわけに行かないのですから、日本としては無用な挑発は無視し続けることが一番の得策でしょう。

中国も、あまり反日をあおりすぎることは、国内政策の失敗による不満を爆発させて現政権の足下を揺るがすだけでなく共産党支配の根底を揺るがすことになりかねないので、これ以上の挑発は控えたいところでしょう。対外的にも、米国、欧州のからの非難の対象になり得ます。台頭してきた中国に対しては、どの国もぴりぴりしているところですから、こういう問題はその材料にされかねません。

これからの日本外交は、従来の様に平身低頭しておいて裏でしっかり稼ぐと言うだけではダメでしょう。そういうことは米国の後ろ盾がしっかりしていて実現できていたのですが欧州も統合し、米、中、露、欧という枠組みになってきては、何時までも米国頼りだけではじり貧になってしまいます。アジアの中でしっかりと物を言い、中国を押さえる役割を担っていかなければ将来は無いでしょう。

さてさて、前回はA級戦犯について書きましたが、私自身もこの「戦犯」という言葉が戦後延々と日本人を苦しめ続けてきた事に関しては苦々しく思っています。東京裁判のような事例は過去にも、未来にも無かったことで、いかに連合国が大東亜戦争で痛手を負い日本に対して激しい恨みをもっていたかと言うことの実証です。
日本人自体が戦争によって苦しめられた恨みを当時の軍部や政府に持つことは当然だと思いますが、戦勝国がこのようにいい加減な裁判を行い敗戦国の人間を処刑することは許されないことだと思います。
戦争犯罪人とは、住宅が密集し民間人が多くいる東京などの大都市を無差別爆撃したり、原子爆弾を投下した人間たちにこそ与えられる名前だと思います。

日本人として、何時までも押しつけられた概念を持つのではなくて、戦争に至った史実をよく理解し、冷静に判断することが大切です。むやみに謝罪したり、自分たちを卑下することによって事実から目をそらすことが一番危険だと感じています。

戦争で犠牲になった多くの人たちに感情移入することは、道徳的には正しいのかもしれません。しかし何でも感情で判断していくことが一番恐ろしいことです。感情で動く民衆ほど扇動政治にのりやすいのです。また、政治が煽動しなくても簡単に暴走が始まるのです。

最近ネット上でも嫌韓、嫌中の動きが多く見られます。事実を掘り起こし、冷静に反論することは大切なのですが、単なる感情的な発言が多くなっていることは気になります。こういう人たちは最も嫌悪している反日日本人と何ら変わりません。何かのきっかけで簡単に暴走してしまう、思慮のない人々です。
前回の殺人事件記事について、ろろさんからコメントをもらいました。そのことに関連してろろさんのブログ記事を読ませて頂き、そこから「草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN」というブログの記事を読ませて頂きました。
長崎県の佐世保市小六同級生殺害事件について考えを書かれていますが、この中での子供たちの共同体意識が無くなっている事が原因だという分析には考えさせられる事がありました。

私が子供だった昭和40年代初頭、住んでいたところが下町だったせいか非常に近所の大人たちとのつながりが深かったように思います。こういうつながりが密な集団にいると、近所の大人から叱られたりと多くの教育を受けてきたと感じます。また近所づきあいという物はいつも仲良く、気持ちよくと言う物ではありません。近所づきあいの中で様々なトラブルが起こります。ねたみ、陰湿な陰口の言い合いも発生します。その中で暮らしていると自然に人とつきあうことの難しさを理解しますし、子供なりの処世術を覚えていくわけです。

やがて青年期を迎え、生意気になってくるとそういう事が苦痛に思えてきます。そんな理由でつきあいを嫌い、自由気ままに暮らせるような状態を切望する時期がありました。しかし、社会に出て働き始めると、そのつきあいがないと一人では何も出来ないことが徐々にわかってきます。もちろん今でも、意に添わない人とつきあうことは苦痛です。しかし、そういう人たちもすべて含めて、自分の周りの人たちとうまくやることが生き抜いていくことに不可欠な条件だと言うことに気づきました。40才を過ぎてからですから、随分遅きに失した部分はありますが(笑)

ろろさんが、おっしゃっている自己実現という言葉はちょっと大上段に構えすぎかなと感じましたが、人間何をするにも一人では出来ない物です。すべては、社会の中での行動になります。身近な家族、親戚から始まり、友人、隣人、知人と広がっていきます。最後は人類と言うところまで行くのでしょうが、そこまで行くとあまりに希薄になってしまいますね。ただ、国家と言うところまでなら、自分が生活していく中で大切な多くの事柄が関わっています。こういう共同体とのつながりがあってこそ生きていく基本的な条件が整うのです。

病気になって働けなくなれば、最低限の補償をしてくれ死ぬことはありません。人に危害を加えられそうになれば、警察を呼び助けてもらいます。健康で文化的な(最低限ですが、それはアフリカなどの貧困国に比べれば天国のような生活でしょう。)生活を保障してくれます。


さて、この共同体とのつながりをうまく保って行くのに必要なスキルは、かなり小さな頃からの体験が重要になってくると思います。上記ブログの中でも書かれていますが、母親とのつながりが原体験ではないでしょうか。そして、私としては、父親も重要な役割を演ずる必要があると感じています。

とても弱くて親の保護がなければすぐに命を失うような存在として生まれてくる人間は、幼児期に十分な庇護と愛情の元に育てられなくてはなりません。そこで、まず安心できる心のよりどころがあることを確信する必要があると思います。
甘え、すがり、無条件に受け入れてくれる母親。外敵から守ってくれ、時に厳しく、時に優しく導いてくれる父親。この二つの存在が揃ってこそ、心のよりどころを持つことが出来、生長していく上で直面する苦痛に耐えていける力がつくのだと思います。
この土台がないと、常に不安にさいなまれ、周りはすべて敵だらけと感じてしまい、自己防衛のためには他者を寄せ付けないように威嚇するか、心を閉ざしつながりを持たないようにするしかありません。

このようになってしまうと、他者とのつながりをうまくもてず、共同体に属することが出来ない人間になってしまいます。昨今の日本を見ていると、こういう子供が、そのまま大人になったような人が多くなってきている気がします。これが、戦後の自由民主主義教育の犯した重大な罪だと思います。

面倒な他者との接触を避け自分のきままに生きていく事は、ある意味楽な生き方といえます。
しかし、結局は共同体に属せず、家族や兄弟とのつながりも希薄になっていき、行き着くところは疎外感に満ちた心の闇でしょう。