真夜中の砂布巾 -10ページ目

真夜中の砂布巾

真夜中にネットをさすらっている中年おやじの、たわいもないひとりごとです。

今日は睡眠不足で疲れています。靖国問題は、また後日に。

さて、嫌な事件が2件おきました。

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母子刺され、4歳女児死亡=交際中の男、自分の胸も刺す-大分

19日午前11時50分ごろ、大分県豊後大野市三重町向野の田北理恵さん(22)が自宅で、包丁を持った男ともみ合っているのを訪ねてきた人が見つけ110番した。豊後大野署員が駆け付けたところ、2階で長女真琳ちゃん(4)が刃物で胸を数カ所刺されており、病院で死亡が確認された。田北さんも玄関先などで額や手首を切られ、けが。
 2階にいた男が胸から血を流して倒れており、田北さんと真琳ちゃんを刺した後、自分の左胸を刺したことを認めた。
 男は田北さんと交際していた同市三重町市場の職業不詳小野修容疑者(31)で、傷の手当てのため入院した。同署は交際上のトラブルがあったとみて、回復を待って殺人などの容疑で逮捕する。 
(時事通信) - 10月19日21時1分更新

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ちょうど、この時刻に現場から1キロも離れていないところにいました。
仕事先で処理を終え建物から出たのが12時頃、救急車のサイレンに続いて覆面パトが2台、回転灯を付けて走っていくのとすれ違いました。
こんな田舎で何事だろうと思っていたのですが、かえってきてインターネットでこのニュースを知りびっくりした次第です。

なんで、弱い子供に凶器を向けるのでしょうか?
若いときの男女関係では劇情にかられることは、わかりますが罪のない子供を犠牲にするなんて、なんともやりきれない事件です。

<大阪>母親死亡・・・中1長男が注意され殴る

テレビのニュース番組でもやっていましたが、タイトルには「殴り殺す」の
文字が...。
内容を聞いてみると離婚後、母親だけで育てていた男の子が暴力的になり、こんな事件に至ったようです。母親としても一生懸命だったろうし、中1と言う男の子の年齢から考えると、とても情緒不安定な時期です。細かい事情はわからないのですが、離婚が生み出した結果とも言えるのではないでしょうか。なんとも、悲しい事件です。

しかし、ここでも報道の無神経さを感じてしまいます。
センセーショナルに、「殴り殺す」のテロップを出しています。
果たして、殺意があったのか。暴力が暴発してしまった事故なのか。
それとも、持病や突発的な体調不良で死んだのか?
まだ、何も解明されていない時点でこんな決めつけをするなんてなんともいたたまれない気分です。

一方で、今までの猟奇的な少年犯罪でもひたすら実名を避けるというポーズだけをとりながら、このような報道をするとは少年に対して本当に保護し更正を願う気持ちがあるのか?はなはだ疑問でなりません。

最後に事件でなくなられた、少女と母親のご冥福を祈ります。
引き続き小泉首相の靖国神社参拝ニュースに関して考えてみたいと思います。「アジアの真実」ブログでも引き続きコメントされています。

私の基本的スタンスとしては、戦時中の「靖国神社」「英霊」と言う考え方を支持する物ではありません。これらの考え方が国民を戦争へと駆り立てるプロパガンダに使われたという面をもっているため、それを考え合わせると無条件で支持はできません。

ただし、激烈な戦争下に置いて命を落とされた方々に対して慰霊の気持ちはもっていますし、命を落とさないまでも様々な苦労を強いられた人がたくさんいることを忘れてはいません。実際、私の父はビルマ戦線でマラリアや赤痢になりながらなんとか生還しております。また母も大阪で焼夷弾の雨をくぐり、目の前でたくさんの知人が生きたまま焼かれていくのを見ているのです。

特攻隊員の遺書などで涙される方も多いと思います。自分の命を賭して愛する人のために戦ったというのは美談ではありますが、現実問題として一般市民も米軍による無差別爆撃の中助け合いながら命を長らえてきたのです。その点に置いて軍人しかまつられていない靖国神社を参拝することでは国民の慰霊にならないと考えます。

そして、この悲惨な当時の状況を作り出した責任がA級戦犯として訴追された人の中にあることも現実でしょう。そういう人たちに対する恨みが現実に存在していて今の靖国問題を複雑にしている一因だと思います。ただ、何時までも隣国のように「恨」の気持ちを持ち続けているのでは、真実から目をそらしてしまいかねません。大事なことは失敗の原因に目を向け冷静な気持ちで判断していくことです。

その点に置いて戦後の「一億総懺悔」は、反省の機会を奪い冷静な判断を曇らせました。戦勝国や第三国にひたすら誤り続け、戦争責任を一部の人にかぶせていたのでは無いでしょうか。その中から、国民は自分たちが平和を唱えていれば周りの国も平和になると言うような幻想に酔いしれてしまう結果を招きました。幸いなことに、このような状況でも戦後60年平和を維持し、繁栄を享受することに成功した裏には多大な努力があったことを知らなければならないと思います。

しかし、この平和を享受できた時代から大きく世界は動いています。
米ソ対立の冷戦時代は微妙なバランスの上で日本という国が存続できていたのですが、このバランスは崩れてしまいました。そして、隣国の中国が強大な軍事力と経済力を誇るようになってきました。これまでのようにアメリカに追随し、そのパワーで守ってもらえると安心していてはいけない時代になっています。

これからは日本の外交が試される時代になります。政府も国民に惰眠をむさぼらせたままで、国の舵取りをすることは難しくなるでしょう。国民がしっかりと目覚めなければ先行きは安心出来ません。

今回の靖国問題は、この役割をもっていることは確かでしょう。
小泉首相が靖国神社に参拝したという記事が駆けめぐって
テレビでは、この報道一色になっています。

なんでこんなに大騒ぎをするのでしょうか?
朝からの報道を見ていると、内容的には冷静に報道しているところが多く、ずいぶんと報道の姿勢も変わってきたなと感じてはいるのですが...。

一部報道機関が、鬼の首を取ったように中国、韓国の報道をもとに批判を繰り返しています。あまりに他国の主張ばかりを繰り返し、報道機関としての冷静さや中立性は微塵も見られません。こんな報道機関があること自体に腹が立ってしまいました。

報道の中で「靖国神社」が戦時中に戦争に荷担し、戦場に若者を送ったというような主張が見られました。
その論法で行くと、戦時中に大本営の発表を垂れ流し、あまつさえ戦争を賛美し、プロパガンダに荷担した新聞社はどういう責任をとったのでしょうか?
新聞社自体が公的な物なのですから、存在自体が否定されないことになります。

報道機関としての責任を放棄しておきながら、「靖国神社」に、このような批判を浴びせることはダブルスタンダードです。
同様に政教分離に関しても、偉そうに解説していますが、公明党や創価学会、生長の家など、国政に関与している宗教団体に対して批判的な報道はほとんどなされていません。

報道機関が信用できないことは、既に周知の事実になりつつありますが、今回改めて腹が立ってしまいました。
以前のエントリーで学力と進学塾のコメントを頂いていました。
たまたま、今日家内と話していて「塾」の話題になりました。
娘の友達も塾に通っているそうです。

その子は塾での反復練習で計算問題など実に早くなっているそうで
なんとなく「行かせたい」という雰囲気でした。
このような反復練習は「百マス計算」などで話題になっています。

私も、そういう単純な計算の速さなど、頭の回転を速くすることは必要だと
感じています。しかし、すべてがそれで決まるわけでもありませんし
そのような練習は家庭でも出来ることです。
最近はそのような勉強が売りの学習塾もあるようで、ちょっと情けないかな?

ただ、今の学校では競争否定の風潮からなのか、そういう反復練習の成果を
競わせるようなこともしていないようです。
特に、私の娘の行っている学校はこの傾向が顕著なようで、実にのんびりした
校風のようです。(笑)
市内の他の学校では、先生がストップウオッチをもって競争させるところも
出てきているようで、少しづつ競争をさせようという動きはあるようです。

さて、こういう反復練習とは違って読解力の低下が指摘されています。
その読解力の中でも論理的な部分を読み取る力が低いとのことです。
確かに、この傾向は感じているところです。

私の小学生の頃でも国語の中で読解力と言えば「作者の心情」や「登場人物の考え」を答えさせるような問題ばかりで情緒的な読み取りを問う物でした。
確かに、日本語の曖昧で微妙な表現は優れた物であり、文化を守るために
このような教育は必要だと思います。

(ただし、今の教科書は名作と言われるような文学は使われず、戦争を題材にした
最近の小説などを使っていて程度の低い物に感じています。
道徳じゃなくて国語にこのような読み物が出てくること自体問題ですが...)

一方、論理的な文章を書いたり、読んで理解することは非常に重要なことだと思います。数学や物理でも理解するには頭の中で日本語のイメージを使っているはずで
論理的な日本語を使うことになれていないと、そこから先の発展は望めないのです。

娘の算数の問題を見てやっていても文章問題を簡単な図にしてイメージする際に
実に多くの誤解をしています。これは文章の読解力不足に違いありません。
普段の話し言葉にしても、「なにか」とか「あの」とか、曖昧表現が多く入り
ボキャブラリのすくなさにはびっくりしますし、5W1Hがありません。
時系列に即して離すことが苦手で、時間が逆行することもしばしば。
主語が省略されるので、自分のやったことか相手のやったことかわからない。

つまり、頭の中で話す内容が整理されておらず、思いついた端からしゃべるだけです。こんな状況ですので、作文を書貸せるのも一苦労です。

こういう国語教育では困った物ですね。
戦争でひもじかったことや、お母さんがいなくなって寂しかった話などはどうでも良いので、まずはきちんと筋道の立った話が出来る教育をして欲しい物です。
ちょっと前ですが、中学校の給食の時間にお茶にチョークの粉が混入されていて
何人かの生徒が気分が悪くなり病院にはこばれたと言うことが
全国ニュースで流されていました。その後の報道で、犯人は中学生で
いたずらでやったと言うことがわかったようです。

この事件で報道の怖さを感じてしまいました。
少年事件などで実名を伏せたり、異常に犯罪少年の人権を守ることが
行われています。司法、行政の場でもありますしマスコミも同様です。

しかし今回の事件は、逆にこのような事件を全国放送で簡単に流してしまっています。お茶のやかんにチョークの粉を入れるなんて事は、確かに良くない事です。
また身体的にどの程度の影響があるかは知りません。

でも、この程度のいたずらなら、中学生がやりそうなことです。
これが、毒物が入っていたというなら、重大事件ですがチョークの粉です。
この程度のいたずら的な事件で、大々的に報道するというのはどうでしょう。
きっと、いたずら半分でやった少年は、かなり酷い目に遭うでしょうね。

報道の速報性は重要ですが、「この程度の事件は単なるいたずらではないか?」
という想像はつかなかったのでしょうか?
また、いたずらした生徒に与える影響を報道する側は考えなかったのでしょうか?

学校側の対応も気になるところではありますが、昨今の重大事件が発生している
状況では仕方ないとは思います。

しかし、報道のダブルスタンダードというか、本当に少年の人権を守ると言うことに
関して配慮をしているのか疑いたくなる事件でした。

事件の重大性とか、社会に与える影響、個人の与える影響など何も考えていない。
センセーショナルであれば、いくらでも飛びつき後は知らぬ顔のマスコミに
大変嫌悪しています。

本当に良心が無くなってしまったのではないでしょうか?