過去の全ては魂の進歩のための肥料
もうあなたは過去の失敗について、
過去の過ちについてグジク゜ジと
思い煩うことをしないのである。
神はあらゆる塵芥や糞尿を浄化して、
作物がよき実を結ぶ肥料とするが如く
過去のあらゆる失敗も過ちも悉く浄化して、
良き魂の収穫を得るための肥料となし給う
あなたの過去の過ちはあなたの人生観を
深め、、心の視野を広め、人生の意義を
悟らしめるのに非常に役立っている。
あなたは過去を、このように感じることによって、
心の混乱や、不安や退嬰や過度緊張が取り覗かれ
心が平和と愛と調和に満たされ、
過去に体験したものを真に自分の魂の
生長に役立たせることができるのである。
又他の人々の過ちについても寛容であれ、
全ての人は一見過ちと見えるものを通して
魂が進歩しつつあるのである。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
体験に失敗はない、
過去について思い歎くことなかれ。
過去は既に蚕が一眠ごとに脱ぎ
捨てた皮のようなものであり、
蝉の脱け殻みたいなものである。
過去の殻の形が如何にあろうとも
それは現在の自分にとって何の
かかわりもないことである。
真に自分にとって大切なことは、
脱ぎ捨てた過去の殻が如何なる
形をしているかと云う事では無く、
その殻の中にあって如何に自分の
魂が生長を遂げたかと云うことである
如何なる困難も、如何なる失敗も、
決して完全なるマイナスというものは
人生には全然ないのである。
エジソンは千百の実験に失敗した後
一つの発明を完成しても、
その千百の実験を『失敗』と呼ばないで、
『こうしたらこうなる』と云う実験のデーターを
得たのであるから、それだけ自分は進歩したのだ』
『失敗なんかしちゃいない。
うまくいかない方法を七百通り見つけただけだ。』
『失敗すればするほど、
我々は成功に近づいている。』との名言を残している。
ゆえに私達の体験には失敗はないのである。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
現象の奥にある実相の富とは
人生の目的は富を得ることでもなければ
名声を勝ち得ることでもない、
人生の目的は人格を神格にまで高めることである。
現象に現われている富のみを求めることはかえって
『実相の無限の富』を忘却させて、
自己に与えられている富を縮小することになる。
神が与えたもう富というものは霊的なものであって
物質的な富というものはただその影にすぎない、
神は霊であり給う、それゆえに神は霊の賜物を与え給う
すなわち、愛を与えたまい、知恵を与えたまい、
生命を与えたまうのである。
それを感謝して受けて働かすとき、波長があって、
それがテレビの画面に映像が現われるがごとくに
物質界の富としてあらわれて来るのである。
現象の有限の富だけを握って、
そのために現象の背後にある
『実相の富』を見失ってはならない。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
自分を許すこと
人類の不幸及び災難を絶滅させるためには、
人間自身の自己処罰をなくさなければならない、
その自己処罰とは自分を許さないところから生ずる、
例えば、だれか人を傷つけたときなど、
表の心では、「自分は間違っていない相手が悪いからだ」と
自分を正当化しようとしますが、
奥の心では、人を傷つけた自分を批難し、
苦悩していると、そしてその罪を贖(あがな)うために、
それ相応の自分が痛み、あるいは苦しむ出来事を
引き寄せていると言われている。
引き寄せるというより、自ら無意識的に作り出してさえいるのだと、
これを自己処罰というのである。
自分が自分を罰するという、
人間の精神の複雑なカラクリである。
兎も角、人間のこのカラクリを知り、
人間は神の子であり本来は完全であり、
内に無限の力を持っているのであるから、
自己を許さない限りは、どんな災難も受けることは
できないのであり、災難を受けるとしたら、
自己が自己を処罰する場合と言い得るのである。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
無限の宝庫
今生きていることを喜ぼう~
生命が今ここに生きている。
生命が喜ばしい~
人から褒められるから喜ばしいのでもない、
ただ、ただ、生命が此処に生きてあること、
いのちをみつめること・・・
それが尊い・・・
何もなくても嬉しい~
ただ無条件に感謝したい、
青空をみることが楽しい~
青空いのちが感じられるから、
私の見る世界は魂の見る世界、
私の魂が映し出した世界。。。
空気も太陽も無償であたえられ。
あの青空の青玉色は私のいのちの延長。
わたしは無尽蔵に富んでいることを知る。
ふっくらと芽吹いた機々の新芽は
私のいのちが芽吹いたのだ。
桜の花よ、あなたは私のいのち、
柳の新芽よ、あなたは私の魂のささやき、
何処に貧しき世界があるのか?
私の心のとどく限り、それは誠に無限の宝庫、
私は無限の宝庫を今ここにかしこに見出す。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
どんな運命も不幸も・・・
常に気をつけて暗い考えを追い出すのです。
暗い考えを追い出せば追い出すほど、
あなたの心は明るくなるのです。
心が明るくなれば、今あなたがどんな状態であろうとも
『もう私は駄目だ』とは考えなくなるのです。
『もう私は駄目だ』と考えなかったら、
屹度好い考えが浮かんできて、
それを実行する勇気が湧いてくるのです。
明るい考えを実行する勇気が湧いてきたならば、
必ずその人はも幸福になれるのです。
どんな運命もその人の前には素直に
言うことを聞いてくれるのです。
暗い考えを捨てると云うことは、
今目の前にある不完全や不満足に
眼を閉じて触れないるということではありません。
凡そ不完全や不満足に眼を閉じたり
そこから逃げ出したりするのは、
卑怯な弱い考えです。
そんな弱い考えはあなたを今まで不幸にし、
あなたの仕事を失敗せしめるところの
原因をなしているものなのです。
不完全や不幸というものが出てきたら、
じーっと見詰めるに限るのです。
恐れずに虎を見詰めていると、
虎は後ずさりすると云われるがごとくに・・・
眼をそらしてその不幸から逃げ出せば、
その瞬間その不幸はあなたに飛びかかってくるのです。
一層の不幸があなたに襲い掛かってくるのは其の時です。
だから決して恐れてはならないのです。
恐れずに勇敢に明るい心で人生行路を進みましょ~
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
前進するところに進歩あり
私達は何でも好いから前進しなければなりません、
何でも好いから前へ進むのです。
勇敢に前進するところに進歩があるのです。
今どこもかしこも暗くて、
どちらへ前進したらいいのか、
何を一生懸命やればいいのか・・・
判らない時には今あるところの何事でも、
今自分の周囲にある何事でも、
それを一生懸命やるのです。
例えば庭掃きでも、ガラス拭きでも、
部屋の掃除でも好い、今自分の周囲を見渡せば、
何かやることが必ずあるはずです。
人生は坂道を重荷を積んだ車のようなもの、
前へ進めば必ずそれだけ向上する。
じーっとしていたら、車の重みで後へ返るのです。
せっかく前へ進んでいたものが、
立ち止まってじーっと何もせずにいたばかりに・・・
退歩してしまったらもったいないことなのです。
進むのです。とにかく前進あるのみです。
前進していれば伸びるのです。
伸びるところに楽しみがあり、
進むところに歓びがあるのです。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
運命を創るのは自分
『運』が悪いという人は、不幸な経験ばかりがあって、
幸福な経験がなく、幸福になった人はどんな心もちでいたか、
どんな心の法則を使って幸福になったかを研究したこともない人で、
『この世はままならぬ』『思うようにならないのが浮世』などと、
云ってつぶやいている人です。
ところがあに計らんや『この世はままならぬ』
『思うようにならない』と思うから、
『思うようにならない』のです。
あなたが『思うようにならない』と思っているからこそ
『思うようにならない』のです。
だから、あなたの思う通りに其の通りに
『思うようにならない』ようになっているのです。
世の中が思う通りにならないと思う人は、
天を恨み、人を恨み、上役を恨み、下役に不平を持ち、
仕事にも、今あたえられている恵みにも感謝せず、
常に憎みと不平で心でブツブツと一杯つぶやいているのです。
どんな運命の工場でも憎みと不平とブツブツを混ぜて、
『運命』を製造したのでは、
好い運命は製造できないものなのです。
だから、運が悪いと云う人は、
本当は世の中に一人もいないのであって、
『運命』はみな自分が創るものなのです。
運は命を運ぶと書きます。
この命を良い方にも悪い方にも
運んで行くのも自分自身なのです。
運命に打ち勝つのは『運命』を悲しみ、
人を恨み憎むと云うことではなかったのです。
今ある運命を感謝して受けて、
兎も角も今日一日生かされていることに、
喜びを感じて感謝することから始めましょう~
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
運命の車の回し方
運命がどのように私達の上に襲い掛かろうとも、
私達にとっては、どんな運命も打ち勝つ喜びを
味わうためにある。
神の子としての自覚をもった人達には
打ち勝てない運命なんて此の世には無い、
『宿命』説を唱えて脅している宗教もあるが・・・
そのような宗教を信じたり運が悪いのも宿命のせいだなどと、
言っているのは、まだ魂が幼く発達していな人のこと、
発達していない人達は自分で自分の愚かさや、
欲望の奴隷になって、運命の車を悪い方へ
回して置いて、その車に引き摺られて行くのだ。
そして、自分は運が悪いと云っているに過ぎない、
いわば自分の掘った穴に落ちるのと同じ事・・・
しかし、賢明なる人達はそうではない、
悪い方へは運命の車は回さない、
自分の愚かさや、憎みや、腹立ちや、
つまらない欲心の奴隷にはならない、
そんなものにかかわっていたら:結局
自分の運命が悪くなることを賢明な人たちは知っている。
そして、憎みや、腹立ちや、つまらない欲心を捨てて
正しい方向に進むのだ。
憎む代わりに愛する。
腹を立てる代わりに許す。
怖い顔をする代わりに、にこやかな顔をするのだ。
意地悪をする代わりに親切をする。
イライラする代わりに落ち着くのだ。
万事このようにして運命の車が自分の幸福になる方向に
向くように廻すと、今ままでその人の不幸に回っていた運命が、
ただ幸福になるように回ってくれるのだ。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
※動物病院と併設している
野外レストランでママと食事をしたよ。
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓
困難を喜びに変える秘訣とは?
困難を喜びと楽しみとに変化する秘訣は
先ず『自分の力』を信じること、
自分の力の信じ方如何によって、
その喜びと楽しさとは大きくもなれば、
また小さくもなって来る。
『これは大きな困難だ ! 自分の力は小さい』と思った瞬間に、
その困難はあなたにとって苦しみに変貌する。
その反対に困難を困難と見ないで、
困難を好い獲物とし猟師が獲物を狙うように
『自分はこの困難という獲物を
捕らえて人生の餌食にしてくれよう』
こう考えてその困難に立ち向かえば
困難は喜びに変わって来る。
成功とはこのように困難に立ち向かって
それを生け捕りにしてやろう、と
云うほどに自分の力を信じる人のみ
に与えられる獲物なのだ。
では自分の力を信じるにはどうしたら好いのだろうか。
それは自分というものを『神の子』だと信じることなのだ。
自分の生命力は神の命が宿っているのであるから、
無尽蔵の力なのだと信じることなのだ。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
※今日は近くの動物病院へ行って診察してもらったよ、
(おっぱいが膨らんでお乳が出て困るんで)
診察の結果は想像妊娠だって、(@_@)
カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓