日時計主義の生き方 -18ページ目

困難に打ち勝つ喜び


打ち勝つ喜び困難を征服したときのみ感じられる。

困難がなければどんなにか人生は味気ないものになるか・・・



山登りのスリル、水泳のスリル、スキーのスリル、

このような危険のともなった爽快味を云う・・・



一方に、人間は楽をしたい、、働かずに生活したい、

何もせずに給料をもらって食べられたら、いいなぁ~

などと思うかもしれないが、



何も働かずにいたり、何もすることのない人ほど

不幸なことはない、人間の幸福感困難

征服したときのみ味わえるものであって、



その困難の程度が大きければ大きいほど

征服した喜びは大きいのだ。



困難を征服して困難がなくなったとき、

私達はホッとしたやすらかな喜びを感じる。



そのために多くの人間達は困難のない生活を希望する。

だが、安らかなホッとした喜びは、

それは困難の後だからこそ楽しいのであって、



いつも安らかで何もしなくていい生活が続いていたのでは、

何の喜びもないのは、水のおいしさは、

喉が乾いたのちであってこそ美味しいのであって、



いつも水ばかり飲んでいたら、

水のおいしさはないのと同じなのだ。



だから常に水をおいしいと思って水を追うのも間違いで、

常にに休息とか平安が楽しいと思って

それを願っているのも間違いなのだ。



休息や平安があまり続けば

味気の無い水を飲まされると同じことで、



結局は味の無いものになって来る・・・

人生の喜びは打つ勝つところに伴って来るのだ。


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)


日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方


み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   












全てのものが語りかけている



言葉と言っても口から出る言葉だけが言葉ではない、

太陽朝日も庭に咲くも私達に何かを語りかけている。



輝いている太陽はニコニコと明るい朗らかな言葉で話しかける

朝日を受けた庭に咲く花も私達に何かを話しかけている。



それは声としては聞こえないけれども、

私達は色々の花によって、色々の感じを受ける。



その色々の感じとは花が私達に語りかけてくれた言葉なのだと、

同じ花でも朝日に輝いている時と、雨に濡れている時と、

風に吹かれている時とでは別々の感じを与える。



朝日に輝いている花は温かく嬉しい感じがする。

それは其の花が『暖かい嬉しい』と私達に話しかけているのだと、



雨に濡れている花は悲しくしょんぼりとしている。

それは其の花が『雨に濡れて悲しい』と語っていると、



冬の風に吹かれている花は如何にも寒そうな感じがする。

それは『今日の風は寒いわね。こんなに身体が震えるんですもの』と

云っている。



花だけではない、太陽だけではない、回りにある全てのものが

皆な私達に何かを話しかけている。



あなた達はその言葉を聞いている。

その言葉が知らず知らずにあなたの心に応えて、

あなたの心を動かすから、



あなたは何を見ても、そのものから別々の感じを受ける。

この声の無い言葉が人に何かをさせる。

この知らず知らずにあなたの心に応える言葉を暗示という。



良いにつけ悪いにつけ知らず知らずに私達は

暗示にかかっているのだ。


どうせ暗示にかかるのなら、良い暗示にかかったほうがいいし、

常によき声なき声に耳を傾けたいものである。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)


日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方



み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   






運と人相は心で変わる


心は波のように次へ次へと色々な考えが起こって来る。

その次へ次へと起こって来る色々の考えを『心の波』とも言い、

』とも言う。とは字のごとく今の心である。



肉体即ち此の身体は心の波が形に現れて来る。

何故なら悲しいと思えば悲しい顔となり、



嬉しいと思えばにこやかな顔に現われ、

腹ただしく思えば腹だった険しい顔に現われる。



このように肉体は心の思い心の考えで色々の姿に変わってくる。

怒る心は怒る顔になり楽しい心はにこやかな顔になりますが、



普段の顔が、憂い顔や、膨れっ面や、

愛嬌の無い顔剣のある顔それが

常に習慣になり人から嫌われる。



それは顔の表面のことで、

人相なんかたいしたことでない、

と考える人もあるかも知れないが・・・



人相はつまり顔は人に向けているのであるから、

大切なのだ、人相が良い人はきっと幸福にも恵まれる人となり、



人相が悪いと不幸に見舞われる人になりかねない、

ところが人相というものは普段の心の波が顔に現れたのだから、

自分の心で作り上げることが出来るものなのだ。



自分の心で人相を作り上げることが出来れば、

また自分の心で運をよくし幸福にすることができる



そうすると私達は普段に持つ心が大切だということは

言うまでも無い、普段に悲しい心、腹立つ心を持つことなく、


常にニコニコした心を持っている人の方が

成功する確立は高いのだ。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)



日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方



み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   









『大地が六種に震動する』とは?


人間の生命の本質が神のいのちであって

本当に有難いものであると云うことが解ってきますと、



この今住んでいる世界の姿が変わってくるのです。

変わると云っても大地震が起こるわけではなく、



実際大地震が起こるよりも、もっと激しい変わりかたをして、

住みにくい地獄のように思われていた世界

たちまち天国極楽のように変わるのです。



これを『大地が六種に震動する』と云うのです。



お釈迦様が説法された時に、

大地が六種に震動したと云う事が書かれてあります。



地獄だと見えていた世界がくだけて天国浄土

変わってしまったのですから、

正に『大地が六種に震動する』と云っても過言ではありません。



大地が六種に震動する』という意味は、

肉の眼で見ていた世界が目の前で粉砕してしまって、

この世界がまるで芝居の回り舞台のようにくらりと変わってしまい、



地獄のように、阿修羅の世界のように、苦しみ、悲惨に満ちていた世界

一変して天国浄土に見えてくることです。

これが『大地が六種に震動する』ということなのです。



私達は今までこの世界の裏の暗い方乏しい方貧しい方苦しい方を見て

裏ばかりを見て苦しみ悩み悲しんでいたのです。



人間というものは死すべきもの病むべきもの老いるべきもの、生きていく

のには、色々の人と争い憎み恨みしなければ生きられないものであると、



そして、その苦しみ悩みの中でやがて死んでしまってあとは何ともなくなる

このように悪い方ばかり見ていたのですが、

これは人間の表ではなく裏の方を見ていたのです。



そこで私達は、本物を見るように人生を表返しして、

物質や肉体は人間ではなく

人間の道具にすぎないと知ることなのです。



私達の生命は神の生命だったと、

その神の生命母親の胎内にやどり

色々の物質があとからくっついてこのような姿になったのですから、



この肉体や物質は本物では無い

それなのに人間を物質だと思うからこの世界が楽しくなく、

地獄のように思われてくるのです。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)


日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   









生命の有難さとは?


本当に有難いと云うのはどこから生まれてくるのかと

考えますと・・・これは人間の本体(実相)そのものが

有難いものであるから『有難さ』の感じが生まれて来る

のであります。



人間の実相とは本当の姿です。

肉体ではないのです。

肉体の中に生きている生命(いのち)です。



つまり神の生命です。

有難い』と云う言葉は『有りようがない』と云うような言葉から

きたのですが・・・有り様が無いほど有難いという事



要するにこの世に比べるべきものがザラにあったら、

有難い』とは云われないのであって、



有難い』とはこの世に比べるべきものがない、

この世にあり得ないような実に珍しいもの・・・



神の生命が宿っているのが人間の生命でありますから、

人間のこの本質が解ると『有難い』という感じが魂の底から

しみじみと湧いて来るのです。



この人間の生命の本質を真に内側から

覗いてみるようにしなければならないのです。



この内側から人間の生命を除いて見るのを

内観すると云うのです。



人間が不幸になるのは、

人間の生命の有難さを内側から覗いて見ることを忘れて、

外界に執われて有難くないと不足の心を起こすからなのです。



人間の生命の本質は神の生命(いのち)であって、

本当に有難いものだと云う事が解ってまいりますと、

この住んでいる世界の姿が変わってくるのです。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)



日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   











幸福は自分の心ひとつにある。


私達が幸福であるとか不幸であるとか云うのは、

結局は自分の心ひとつの問題でして、



心が幸福に感じている人は、その人は幸福で、

心から不幸に感じている人はその人は不幸なのであり、

幸福というものは物質的条件にはよらないということなのです。



たとえ豪邸に住み立派な衣装に身をつつみ、

豪華な食事をし、何の不自由のない生活をしていても、



それでも心に不足を思い、心に悲しみを思い、人を憎み、

争いの心にイライラしていたならばその人はやはり不幸なのです。



お釈迦様も王宮に皇太子としてお生まれになり、

何不自由なく暮らしていましたけれども

やはり幸福ではなかったのです。



物質に恵まれながらも不幸であったからこそ、

王宮を飛び出しいわゆる出家をされまして、

本当に人間の幸福というものが何処にあるのかを求められたのです。



此のお釈迦様の生涯を思いましても、

幸福というものは物質的条件に拘わらない

ものであるということなのです。



物質がどんなに豊かであっても不幸な人は

不幸であることが判るのであります。



キリストに於いては、『人の子は枕するところなし

などと云って寝るところの家も無い状態で人々を

救ってお歩きになりましたけれども、



あの貧しき境涯に於いて、キリストは不幸であったのかとと云うと、

必ずしも不幸ではなかったと思われます。



何故かというと人間の幸福と云うものは心にあるからです。

人々を救済するという愛の心をが起こっているとき

その人は幸福なのだと思うからなのです。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)


日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方


み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   












『汝みずからを知れ』とは?



汝みずからを知れ』と云うのは、

自分自身の本当の姿を知れという事です。



それを私達が知ったとき、今まで嘘の姿に騙されて

生きていた、その本当のことがわかるのです。



怠けたい自分腹立ちたい自分人を羨む自分

悲しがったり暗くなったりする自分・・・



このような自分をじーっと見詰めていますと、

色々の自分が出て来ます。



しかし、それは本当の自分の姿ではない、

迷いの姿嘘の姿なのです。



生活の出発は自分自らをよく見詰めて『本当の姿

すなわち『実相』と、『嘘の姿』『仮想』とを

取り違えないようにしなければなりません、



のもとは自分を生かすと云うことにあり、

自分をいい加減にしておいて、

人に深切をせよということではなくて、



まず自分を大切にせよ、と云うことなのです。

しかし、その自分が本物の自分であるか、

利己主義の自分であるのかを吟味してかからねばなりません、



迷いの自分腹立つ自分憎む自分落ち込む自分欲張る自分

そんなものは『本当の自分』ではありません。



でも、其の自分というものを本当に知らない人が多いのです。

自分を良く知らないでいて、

自分を幸福にしたくても、幸福になりようがないのです。



だから、幸福を追い求めても、家庭の中で争ったり

お金の奪い合いをしたり怠けたり

憎んだりして不幸になっている人が多いのです。



先ず自分の本体と云うものが一体どんなものかと云うことを

見極めて、そしてそれを育て、

生かすようにしてやらなければならないのです。



人間は一体どんなものであるのか?

ただ猿から進化した動物と同類で肉体だけのものなのか?



そうではない、というものがあり、魂のためには

肉体を捨てても幸福になり得るものなのか?



などどうでも好い、物質が増えて、立派な部屋に住み、

贅沢品が並び、美味しいご馳走がたらふく食べれれば、

それが幸福であると思うのか・・・



さて、あなたは自分をどうしたら幸福に出来ますか?

それを見極めるのもあなた自身なのです。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   










愛することが人間の使命



人間はただ愛するためのみに生まれてきた

国を愛し、父母を愛し、子を愛し、良人や妻を愛する・・・

すべてを愛することが人間の目的であり使命なのです。



働くにしても会社を愛し、同僚を愛し、親を愛し、

夫婦相愛するために働かないで、

お金を設けるために働くのでは、その働きは死んでいるのです。



私達が働くのは愛するためなのです。

神は愛なり』と聖パウロは言いました。

神の子なる人間は実に愛するのが目的なのです。



自分を捨て切って公のために愛する。

国を愛し、君を愛し、人類を愛し、

地震で津波に合いし人々に愛の手を差し伸べるのも人間のみ・・・



愛するのが人間の使命なのです。

自分を捨てて広く大きく愛する、



この人間の使命のために

私達が大きく生命をささげて働くときは

人間は幾時間働いても疲れない。



ましてや疲れて病気になるなどと云うことはないのです。

日本人は大きく全世界を愛して生活しましょう~



これから、私達は勉強とか仕事をする前に先ず

お金のため』『自分の出世のため』などという考えを捨てて、



心のうちで『世界の人助けのため』『人間の使命のため

生き甲斐のため』『愛を働かすのため』と暫く唱えてから

仕事や勉強に取り掛かりましょう~



そこから二倍も三倍も仕事や勉強する力が湧いて来、

そう云う生き甲斐ある仕事の下には

働けば働くほど健康になるのです。


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方


み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   










日の丸の国旗に現す日本の心とは?


日本人は、君には忠、親には孝、兄弟の徳は悌、夫婦は和、

朋友は信、などというように、

人間の行なう善をいろいろと分類して分けることをしなかったのです。



忠も、孝も、悌も、和も、信も

だだ一語「まこと」というコトバで包容していたのです。



にも「まこと」をつくせばよい、父母にも「まこと」をつくせばよい、

兄弟も互いに「まこと」をつくせばよい、夫婦も互いに「まこと」をつくせばよい、

友達にも互いに「まこと」をつくせばよい、というわけなのです。



まこと」というのは「真事」又は「真心止」であり、

この世の中の事には゛真゛の事とと゛仮の事゛即ち「ニセモノの事」があります。

真の事のみ心に止めて実行するのが「真心止」であります。



つまり人間が肉体の姿に見えているのは「仮の姿」であって、

真事」すなわち、「真」の姿の事ではないという意味なのです。



肉体を楽します事や、肉体をラクにさすことばかり考えているのでは、

仮のことをやっているので、その人の行いに「真事」が現れていないと、



人間の本当の姿は、゛神の子゛の霊的いのちが宿っていて、

真事゛を出すということは、霊的魂であるところの

本当の自分」の心が悦ぶことをすれば、



それが親に対して自然に孝が出来るのであり、

魂が悦び心の底から「よくやった」と褒めてくれるような゛まこと゛を

天皇陛下や国に対してすれば゛忠゛になり、



兄弟仲良く゛まこと゛をつくして仲良く助け合って行けば、

それが゛悌゛となり夫婦互いに゛まこどをつくせばそれが゛和゛なり、

友人は互いに信じ合って協力して行けば゛信゛の徳となるのであります。



このように日本人は何事でも中心の真理

一つにまとめる天分をもっていたので自然に国旗にも、



一つにまとめ丸める心に、兼ねて、天照大御神の建国の心を現す

日の大神゛を象徴する「日の丸」の図案をもってしたのであり、



日本」と漢字で国号をかいて「ひのもと」とも「やまと」とも読むのです。

日の丸゛は一つにまとめる日本人の心の象徴なのであります。



私達はこのような立派な゛日本の国゛に日本の心をもって生まれた

自分を有難く思い、清明心をもち、

世界各国と互いに和する大和の心をもち、



何事にもマコトを尽くして生きることによって、

本当に生活に生き甲斐が出て来、

心身共に健康になり、家庭は調和し、国全体も栄えてくるのです。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)


日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方


み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓                   










「シロシメス」の意味とは?


「シロシメス」とは古代の言葉で、

天皇が政治をを執り行い国を治めることを意味する。



何故そういうかと云うと、

日本天皇が国を治め給うのは、゛十六方向゛すなわち、

あらゆる方向のすべての国民の声を聴いて治められるのだと、



天皇の十六菊の御紋章は十六方向の民の声を

聴くというシルシだと言われている。



全ての方向の国民の声を聴き、

全ての国民の願いに基づいて

国民の心を知り給う(即ちシロシメス)



ゆえに天皇が国を治めることを「シロシメス」といい、

天皇政治がそのまま国民の心を

もとにした民主政治なのです。



今現在の民主政治というのは、

名前は民主ですが、

われわれり国民の心を主にした政治ではなく、



徒党を組んだ多数の力によって、

何でも押しまくって反対の人の意見を聴かず、

まとまらない状態なのです。



ですから、今の政治は、名前は「民主主義」だけれども、

天皇政治よりも全然民主政治じゃないのです。

むしろ「派閥政治」なのです。



それですから、日本の国を本当に国民の心を主にした

政治が行なわれるためには天皇政治に

ならなければならないわけはそこにあるのです。



━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─


カレン教祖を通して

天の声が・・・Σ(~∀~||;)


日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

日時計主義の生き方

み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



ぽちっ☆ちてやるでちラブラブ       

   ↓