来週からまた海外。愛しの島に行きます。

 

昨日、奇跡の生還を遂げた友達と、いつものZとご飯を食べて喋り、その後でカフェへ行ってまた喋りました。

 

奇跡の生還を遂げた友達にただ会えることが嬉しかったんだけど、人間って贅沢なものですね。彼は前とはまた別の人になっていて…なんだか自分とは合わない人になってしまったような気がします。

確かに、前から、自分以外の人間はゴミ、と思っている節はあったよ。

でも、身内には暑苦しいくらいの仲間意識を持っている人だったんだけど、いつの間にやら、身内やら仲間カテゴリーから私は出ているみたいだった。

Zは「なんだか闇が色濃く表面化していると思った」って。

いい人成分がすっかりなりを潜めたというか。

生きているとそういうこともあるよねえ。

もしかしたらもう会わないかもなあ、と、彼の生還を嬉しく思い、かつすっごく寂しい気持ちになりました。

生還したことと関係ないかっていうと、あると思う。

心身の限界を見て、「これだけの経験をすると、いろいろな出来事が些細なことにしか思えない。大事なのは自分と自分の周りだけ、他の人たちは例えるならハエくらいにしか思えない」って言ってて、ハエなのはいいけど、私、ハエ側認定された気がする。心身の限界を見て、そっちに行ったのかあ、と。

「脳の手術をしてからは、人の考えていることが全部分かるようになった」とも言ってた。

私、自称「分かる」人に山盛りであってきたのよね。サイキック系とかね。それで食べてる人たちね。それで、最初はそういう人たちの言葉に随分と左右されたけど、今、はっきりと確信を持っていることがあって、それは、「すべてわかる人などいない」ということ。

ある部分、見られてるんだろうけど、それは大きな多面体の、ほんの一部でしかないのです。それが正解でもあり、全くの的外れでもある。

自分のことが分かるのは、自分だけなんだよな。

Zは、そんな彼のことが「ちょっと怖いなって思った」と言うけど、私は怖いとは思わなかった。自分以外に自分を分かる人はいないことに確信があるから。自分を信じ抜けていたら、他人が怖いと思うこともない。

「分かる分かる」詐欺、「見える見える」詐欺。どっちも全然怖くない。

 

一緒に話していた時、自分にすっごい違和感を感じた。その違和感は、「この人のそばではもう自分らしくはいられないよ」っていうお知らせ。

もう、さようならなのかもしれないなあ。すごく寂しいです。

 

こんな風になっちゃうから、私はいつまでたっても、友達たくさんできないんだ。すごく残り少ない友達だったのに。

 

彼は生還したけどね、実はZ、言ってなかったけど、今、必死なんだよ。検査結果待ち。なんだよ、自分ばっかりかよ。とかね。

 

執着しない、に切り替えよう。変わってしまうことは、生きているから当然のこと。

 

「重かった過去に会いに行ったのにそれからはずっと明るい気持ちでいられたのは、天国からの悟のいたずらのおかげだったろうか。

 深刻にならなくていいよ、全ては過ぎていくんだから楽しめよっていうメッセージだったんだろうか。」

よしもとばなな「サーカスナイト」幻冬舎文庫

 

 

10月23日

 

ある人に、「食べれるならなんでも食べたほうがいいのに。自分はアレルギーで食べられないものだらけ」みたいなことを言われた。

ううん…放っといてくれないかな?と思った。

私が食べないものを増やした理由は山盛りありますが。

その前にまずアレルギー。食べられないものがあるのは私もだし。

後天性のアレルギーはほぼすべてメンタルが原因と言われていますが、これに賛同します。つまり自分でやらかしてるんだからね。私のアレルギーはそうですよ。

「もったいないから出されたものはすべて食べなさい」

これが純粋に、食べる人の健康を思いやった発言でしょうか?

そこ、人にこの台詞を言うときはしっかりと責任を持って欲しいくらい。

まず、食べきれない量を食べたら体に悪いでしょうどう考えても。

その量はその人の体質と体調とその日の消化力によっても全然違うでしょう。

そしてその「すべて」とやらは本当に体に悪くないのか?

強制されて食べることがどれだけ消化を悪くするか、分かってる?

飢えてる云々も、目の前の食べ物と自分とは無関係でしょうし。それを言うならそれにふさわしい行動ができるよねえ。

 

体に合う食生活を一回本気で体験して、本当に体調が良くなり、集中力が増して、そこを知れば極力戻りたくないと思ったの、と説明するんだけど。

自分がいかに食べたい物を食べられないかを言われてもなあ、ちょっと関係ないんじゃ、なんて思った。でもその場でそれは言えなかったから(相手のことを好きだし、一生懸命言ってくれてるところを汲むという、私のつまんない共感力が発揮された)、ここで吐き出してしまうわけ。気持ちをためたのは失敗。

 

本気で体に良いものを食べようと思うと、もう外食はできないんだな。

だから自分でできることは、「感謝して食べる」ことだけ。

 

10月24日

親を選ぶってやつ、たいていの場合は解消したいカルマを持ってその親を選んで生まれるのだそうで。

人の心の中のぐしゃぐしゃは、誰でも持っているものだけど、幼児体験でぐしゃぐしゃがたまっていくみたい。いろいろな症例を見ていても実感できるし、自分を振り返ってみるとまさにそれ。そのパターンをずっと大人になっても繰り返す。他人を見ていれば一目瞭然なのに、自分のこととなると、とんと皆目見当もつかない。そんなもんらしい。私、そこは気づきたいです。

 

友人Zに対して(多分)私は「ただ話を聞く」がきっと出来ていない。大昔の先輩後輩という力関係のせいで、どうしても「ああすればよろしいのだ」と差し出がましいことを言う。本当、どうしようもないわな。「ただ聞いてあげるだけの方がその人のためになることも多いのよ」って言われるんだよ。わかってるの。でも、言っちゃう。これは(何度目の決意かわからないけど)直そう…。

 

食べ物に気を使い、朝は瞑想やら呼吸やら朝練やらをやって、何が目的?っていうと、単純に自分に出会いたいからです。やればやるほど知らなかった自分の面白いところが見えてくる。この出会いは思ってたよりずっと、すごい。そういう自分の方が世の中の役にも立てると思う。動機って言えばそれくらい。

 

「そんなふうにあなたが失うことを必要以上に怖がる人になってしまったことも、またあなたが望みの人生を得るために乗り越えるべきトラウマのひとつなんですよ。」

 

吉本ばなな「吹上奇譚 第一話 ミミとこだち」幻冬舎

 

10月14日

 

一ヶ月の海外滞在から帰ってきて早2週間。

今日、とっても繊細なある人に「見えないものと闘っているね」「帰ってきた直後はあんなにきらきらだったのに今はちょっと疲れてる」と言われました。

そうか、そういうことを今私はしてるんだ。

あっちでは色々と特殊な体験をしたので余計こっちの重力を重たく感じるんだろうな。

そう、東京(日本が?)はあっちに比べると重いようですよ。重力というか重圧なんだと思うけど。体ががちがちにこわばるんだよ。

この繊細な人は20代を仙人みたいな環境で過ごした人で、選んで今は東京にいる人。むしろ仙人暮らしは寂しくて仕方がなかったって。「人もね、ジャングルの木と同じよ」なんて上手いこと言いますね。確かに人も自然の一部ですもんね。

あっちで知った自分がこっちで保てないことにも苦しみ悲しみがあるけど、あっちでは自分の可能性を見せてもらったということなんだと思う。あっちの自分がこっちで再現することが今必要な取り組みなんだと思う。その最善の自分をこれだけ重圧のかかった環境でも再現できてこその真の強さ。

多分そういうことだと思う。

 

今、新幹線の中。東京〜広島を新幹線って、思ったより遠いな。大阪〜博多も遠かったな。こりゃ飛行機距離やんか。でも飛行機の方が高そうだった。ベストの料金で旅するのって苦手じゃ。

広島の目的。帰ってきてから24時間も一緒にいられなかった夫と合流すること。そして観光。あえて宮島に行きたいんだ!

うっかりすればしたいこと、会いたい人に会えること。条件が重ならないと会えないっぽいんだけど。そういうことは天におまかせ。気負わず。

新幹線の中ですでにしたこと。吉本ばななさんの新刊本を読みながらお昼食べてうたた寝。食後のうたた寝はすっごい体に悪いです。したらあかんのに。

 

あっちでした特殊な体験は、きっと経験した人同士にしか伝えられないことの域になってきた。友達とは経験を分かち合いたいなんて思っていたけど(数少ない友達だし)、そろそろ無理かもなあ。あんな、自分の深いところからなんやかんや、カルマやらにへばりついていた自分じゃないエネルギーをごっそり排出するなんて経験さ…。すっぽーん、って何かが抜けたり。ゴホゴホゴホって吐き出したり。他の人の感情が夜毎に私に夢を見させたり。脇の甘い私のせい。そして、それを恐れるあまりに卵の殻みたいに自分の周りを硬くしてるって言われた。こういうことは怖くない、自分さえしっかりしてたら大丈夫、そのことを知った一ヶ月だった。

 

書いたよ。まともに話せる人が周りにいないからどこかで形にして残しておきたいなと思ったし。話してもちょっとずつ世界観が違ったりするから、なんか違うしこういうことはそういうもんだし。

 

「その心を根本から癒しゆるめないと、あなたは持って生まれた才能である、さっぱりした良い性質や直感に優れた才能を発揮できません。」

吉本ばなな「吹上奇譚 第一話 ミミとこだち」幻冬舎

 

8月27日

昨日、好きな作家さんの新刊エッセイ集を買いました。うきうきと家に帰り、そしてさっき読み終わる。

 

今日の朝練はだいぶ腸腰筋にきいた。自分の腸腰筋を本気で使おうとしたらあそこまで使えるのか…!今までずいぶんと楽をさせていたもんだよ!

師匠は「女の力は骨盤底」と言っていましたが、腸腰筋、こいつも相当なもんだと感動です。骨盤底と腸腰筋が使いこなせたら、怖いもんないんじゃないか。どっちもまだまだ弱々しいけどね…。

 

8月28日

肩甲挙筋は大分調子が良くなりました。

9月の出発に向けていろいろと整えないと、という段階であれもこれもできてない、と焦りまくる。通常運転すぎる。

今、GTで追いかけるお話があります。続き物って登場人物に愛着が湧く。友達みたいに思えてくる。続きは気になるけど、終わらないで欲しいなあって思っちゃうね。

 

午後一で夫が帰宅。帰るなりアイドルソングを大音量…。そう、彼とは本当に音楽の趣味が合わなくて、こういうとき心の底から辛い。つい文句言っちゃった。普段家にいられないんだから、たまには好きにさせてあげたらいいんだけど、私は音に人より敏感なのか、我慢できない音は我慢できない。たいていの日本の歌はダメです。うるさいのがダメ、というわけでもないんです。じゃあ静かな曲は大丈夫か、というと分からないけど。耳に入るだけでむずむずするような音の流れがある。ああ、無理って。なんだろうね、音楽の好みって。

 

ベランダの植木鉢にGが住むなんていうことはあるんだろうか…。

 

首を長くして待っていた仕事が入りそうです。うふふ。楽しみ。

 

明日から産後関連の3日間仕事。子供を産まなかった私が産前産後の女性を手助けする仕事に関わるなんてなんか不思議だなあ。親しい人たち、私に近い人たちは、なぜか誰も子供を産んでいない、産みそうもない場合がほとんど。そういう縁なのかもしれないね。

 

「たとえそのハイビスカスが枯れても、世界中のハイビスカスがどこかでつながっているから、命は同じ、人間もそれときっと同じなんだろう。」

よしもとばなな「サーカスナイト」幻冬舎文庫

 

 

 

 

 

「ワンダーウーマン」鑑賞。え、油断した、と思った。ヒーローものでしょ、気楽に見よう、な感じだったのに、これは大変油断した。

もちろんヒーロー物にありがちなキテレツ展開なんですけど、第二次世界大戦が舞台です。ヒーローがスーパーパワーでばんばん解決するわけにはいかないんですね。絶対悪のせいで戦争が起きたんじゃない、人間が人間だから戦争をする。

 

絶対悪はあると思っているから、それとは闘う。もしくは逃げる。そのつもりで生きている。

 

「ヴァガバッド・ギーター」では、闘いたくないと言う王子アルジュナに、神の化身クリシュナが「闘え」と言うのです。義務を果たせ、と。死が終わりなのではない、肉体は幻に過ぎない、この世のすべてが幻影だと。

経典に、戦争は悪ではない、と書かれているんですよ、神が「闘え」と言うんですよ、大衝撃。

 

義務。昔のインドでは(今もだけど)カースト制があったから、戦士の天分は闘うことだった。その時代はまだシンプルかもしれない。じゃあ、カーストのない私たちにとっては、義務を果たすとはなんだろう?と私の先生は問いかける。

 

今の私の義務は。夫のおかげだけで、ぼんやりとしたフリーランスでいられる今の私の義務は。目一杯、必死で、自分を輝かせようとしています。うっかり間違って虚栄心に油を注いだりする。洋服を買いすぎたり(とほほ)、美容院は高いし(でも白髪がたくさんあってそれが我慢できない)、でも一番の義務は、輝くことだと信じているよ。最終目標は、飾り立てずに輝けること。これは本当に修行が必要。

自分が輝く。そういうやり方でしか抗えないよね。

 

戦争、善悪について、これ以上自分の考えを深められない。なんてシンプルな頭なんだろう。

 

昨日は忙しすぎる夫がキレキレになっていた。もう八つ当たりも甚だしい。八つ当たりは自分が傷つくんだろうけど、私も傷つく。けど、あれだけ忙しかったら、仕方がないところもある。帰った途端にホッとできる家づくりが全然できていません。とても反省。

そしてまた今日から彼は泊まり仕事。

 

「ワンダーウーマン」を観る前にマツエクに行ったんですが(これも虚栄心だとほほ)、マツエク後数時間は水に弱いのに、涙をこらえるのが大変でした。

相手役はクリス・パイン。目の見えない男性の役をした「Blind Dating」っていう映画以降、結構好きです。

 

「よく人はなにかに守られているというが、それは確かにとてもすばらしい感覚だ。大きなものが自分を気にかけてくれている、それ以上に心強いことはない。

 しかし、守られているということは、当然守っているものの敵からも目だちやすくなるということだ。」

よしもとばなな「サーカスナイト」幻冬舎文庫

 

 

 

8/21

 

インドに呼ばれる、と言いますよね、よく。

私は今まで別にインドには呼ばれなかった気がするんだけど、ここにきて急速にインドに惹かれるようになりました。立て続けに2回、インドに行かない?と誘われて、ちょっと考えて、自分で自分の都合で行くことにしたのです。

いくあては何箇所かあるのです。そしてゴアを選びました。

メールでの申し込みは済んだ。今後はお金を払って(お世話になるシャラへのレッスン料金、破格値)、次にゲストハウスを選んで、エアチケットとってVISA、の流れかな。

2週間滞在するつもり。

 

滞在中は、早朝にヨガを2時間したら、あとはなーんにもない。ゴアだからビーチに行く。それくらいしかない。らしい。

 

8/22

 

眉毛を整えに眉毛サロンへ行きました。ぼうぼうに生やし放題が本来のあるべき姿なんだろうけど、そしてそんなことを言えば、白髪だって伸ばし放題なのが自然の姿なんだけど。まだ、そこまでは手放し切れていないのです。ちょっとはおしゃれしたいのです。マツエクもしちゃいます。

手放せたのは、ファンデーション。塗るとさ、かえって法令線とか小じわがよれて目立つもんで。

化粧水とかのコスメ類。何もない時は太白ごま油でいける。太白ごま油は合う合わないの体質があるから万人受ではないです。私はいける。

 

来週からぱたぱたと仕事が立て込み、あっという間にもうハワイにいるのでしょう。その間はきっとあまり更新しない、かな。仕事で行くからプライベートな時間もあまりないよ。

 

おとん、簡単な手術が無事終わる。

おかんは元気そう。

 

新月で皆既日食なのに、ギーを作っちゃった。だって切らしたら仕方がないよねえ。満月の日に作りおきすればいいんだけど。

 

痛めている肩甲挙筋が反抗的。ちょっと通いつめなきゃいけなさそうです。

 

朝からたくさん果物食べてお腹いっぱいお昼ご飯を食べていたら、また1キロ増えた。がーん。来月には全部落ちるの分かってるんだけど、維持ができないライフスタイルってどうよ、と思って、ちょっと反省だ。でも、たくさんフルーツが食べたい気持ちがなくなりません。スイカ美味いよ。桃大好き。いちじく。ぶどう。今の果物が一番好き。もう少ししたら柿の季節で、次がりんごでしょ。そのあたりでフルーツ欲が治るんだ。

 

友達が「花のベッドでひるねして」を読み始めている。「ワカメに包められて捨てられた女の子の話」だって。うん、もう最初のシーンで泣けるよねえ。あの本のおじいちゃんがとにかくしびれる。あんなおじいちゃんになりたい。けどどう頑張ってもいろんな意味で無理。

 

今から明日のお弁当用にきんぴらごぼうと照り焼きチキンを作ろうと思います。

 

心の中で、たくさんの人に応援を送りたい。

ああ、どうか、皆が、できる限り自分を生きることができますように。どんな時も、光を見出せますように。

できることなんてほんの少しなんだけど。触れ合う人にしか伝えられないことだけど。

 

「人にはそれぞれにつながる大勢がいて、行きつ戻りつ少しずつ車輪を回している。それも自然そのものの営みの一部だった。」

よしもとばなな「サーカスナイト」幻冬舎文庫

 

 

 

 

 

独り言が尽きない。

 

昨日、仕事で会った担当者の女の子はよく知らないことを言葉で盛って、あたかもちゃんと情報をつたえられる人かのようなふりをする子でした。幸い私がほぼ全部体験して知っていることだったので、遠慮なく情報追加したり訂正を入れたりさせてもらいました。

前職は、知らないことを虚勢はって知ってるふりしないといけない現場だった。

私も新人の時はああやってごまかした。本当に恥ずかしい思い出。新人教育のしっかりしていない会社だったので最初はとにかく誤魔化すしかないと思って、誤魔化せてると思ってた。私は、バックグラウンド的に、経験を積むうちに入社前からあった知識を活かせるようにもなって、嘘なく仕事ができる日をやがて迎えられた。でも、知識がない子をたくさん採用する会社だったから、とっても美しくない光景をたくさん見た。例えるなら、フランス語ができないのにフランス語の勉強の仕方を指導する、みたいな感じ。後輩指導をどう頑張っても、本人がごまかし続けるつもりでいる限り、フランス語を話せるようにすることはできなかった。(全然オブラートに包めていない例え。)

嘘はそこら中に罠をはっているよ。会社が嘘をついてもいいといっているんだから、それに従うのは当然と思っているかもしれないけど、嘘をついたツケを払うのは自分だから。もちろん会社もいずれは払うだろうし。それでもそのままでいいの?とその時後輩に言えることはなかった。私もそのシステムを理解していなかったからです。

 

男女の友情について。「大好きだけど、男女のどろどろを見せたくないし相手のそういうのも見たくないんだよ」とゲイ友に話す。「分かった!それって、相手もゲイだけど友達、みたいな関係のこと?」うん、それで正解(笑)。ゲイ友は心が女だから、私とは女同士と思ってるからね。

友情だったら一生続くよ。道が交わらなくなる日まで。異性とは恋愛関係しか築けないなんて、そんなのもったいなすぎる。

自分がモテモテで、こっちは友情がいいのに向こうがそうさせてくれないの…みたいなのとは無縁だから言えることかもしれないけどね!モテない!

 

ある仕事を待っている状態。私はこの仕事はとても欲しいなって思ってるけど、連絡がこれだけないってことはよそに行ったのかもしれない。それならその代わりに私のための何かがやってくる、と思おう。その道へ迷わず進め、そう後押しされてる気がする。その仕事に選んでもらえなかったからって、それはたまたまご縁がなかっただけ。

 

HozierのTake Me to Churchは神がかった曲だなあ。Hozierの他の曲も数曲聞いたけど、この曲は特に好き。セルゲイ・ポルーネンのドキュメンタリーの影響かもしれないけど。あの振付も大好きだあ。元々のPVもたいへん物議を醸し出したそうです。

 

ちょっと前に見た映画「アデライン」はブレイク・ライブリーの美しさもさることながら、相手役のハリソン・フォード、ではなくて、マイケル・ユイスマンがかっこいい!いや本当にかっこいい!し、演技も素敵です。Hozierを見ていてふと思い出した。長身黒髪長い髪の毛、このへんがリンクしたのかな。

 

今年みた映画のナンバーワンは、今のところぶっちぎりで「Lion」です。

 

人と繋がりたいからSNSするのかな。「まずは自分と繋がらなきゃ」って。そうだよね。それでも、なんだか寂しい日があるよ。今日は風に当たったからかもしれないな。でも久しぶりに耳に心地いい路上ライブを聴きました。

 

「重かった過去に会いにいったのにそれからはずっと明るい気持ちでいられたのは、天国からの悟のいたずらのおかげだったろうか。

  深刻にならなくていいよ、全ては過ぎていくんだから楽しめよっていうメッセージだったんだろうか。」

よしもとばなな「サーカスナイト」幻冬舎文庫

 

 

 

8/18

もんのすごくどうでもいいことだけど、他人事ながら、「え?あえてのそっち?」ってあるよなあ。チャールズとか。イギリスにいたころ、2人にすごく似せてきた役者さんのテレビ映画を友達のフラットのみなと集まって見た。そこの家はみんなでテレビをリースしてたから。ダイアナの真実、みたいなタイトルだったと思う。チャールズとカミラは愛を貫いた2人なんだろうけどさ、皇太子っていう以外にチャールズの魅力ってなんだ…?と不思議だった。皇太子のときも不誠実だったし(と描かれてた)どこがいいんだかさっぱり。チャールズをめぐる三角関係って。ええ?

 

友人はパートナーが家族ぐるみで公私ともに親しくしてたご夫婦の奥さんと仲良くなってしまったから離婚したけど、そっちに持って行ってもらってよかったねえ、というくらいのだめだめなパートナーだった。たとえ働かなくても彼女を好きでたまらないところが好感だったけど、それが台無しになったし。他人事なんだけどね。ほんっと、男と女は当人同士にしか分からないものなのだなあ。

 

8/19

昨日はスパイダーマンを観た。サム・ライミ版が好きだったなあ。10代のヒーローの孤独や葛藤が丁寧に描かれていたと思うの。アメージングの方も良かったけど、中途半端に2で終わってしまったから不完全燃焼気分だ。アイアンマンがメンタリングするスパイダーマン。メンターのいるスパイダーマン。とても気楽に見ることができました。ピーターはまだ喪失を経験していないし動きもちょっと素人(?)臭い、摩天楼をびゅんびゅんととびまわる躍動感は、今回はゼロ。それは次回作に期待なのかな。

子供の頃って、女の子はお嫁さんとかなんか可愛らしいものに憧れるものなのだろうか。私はヒーローになりたかったよ。でも運動神経が悪くて内向的だったし自分は女だから、ヒーローにはなれないな、と諦めていたような気がする。運動神経の悪さは今は努力である程度までは持っていけることが分かったので大人になるって素晴らしい。いや、依然ヒーローにはなれませんが。

 

人を受け入れること、自分がなにを怖いと思っているか、自分がどうありたいか。そういうことがよしもとばななの「サーカスナイト」を読んでいてちょっと見えてきた。人が集まる場所を作るってことで2つの在り方が書かれています。1つは日本の神社、もう1つはバリの日本人の家。自分を守ること、人にできること。

 

ところで来月から4週間、仕事で海外だ!

そのオリエンテーションに行ってきた。

去年、同じオリエンテーションに参加した。その時、担当者が参加者にはカラー印刷のしおりを、仕事で雇われている私には白黒印刷のしおりを渡した。

今年、担当者が代わり、私は参加者と同じカラー印刷のしおりを受け取った。

こんな些細なことなんだけど、自分が丁寧に扱われているかどうかに思ったよりも自分が反応しているのがわかる。お金だとほんの数円の差。どっちが正しいか、経費的には私には白黒を、が正しかったのかもしれない。でもそんなことで埋められないくらい、カラー印刷を受け取ったことで私の心が喜んだ。

 

「いつかは会えなくなるから、いやというほど会ったってかまわないんだ。そして、だからこそ、いやと思わないで会えるように工夫しあえば、奇妙な魔法が生まれてくる。

 べたべたしたり、嫉妬したり、泣いたりしているひまはないということなんだ。」

よしもとばなな「サーカスナイト」幻冬舎文庫

 

 

 

 

 

コニー・ウィリスの「オール・クリア」読み終わった。あかん。これは泣くやつ。

 

これで吉本ばななの「サーカスナイト」を心置きなく読めるな。

 

Facebookでたまたまある動画を目にしたんだけど。その人は多分その人にとっての真実を言っている、でも私はモヤっとした。ある人が、病気を単なる出来事ととらえていて、それでは他人事だ、運が悪いから病気になったみたいに思っているって。そうじゃない、病気は自分のしてきたことの結果でしかない。そのことに気づくチャンスはいくらでもあったのに、最後までそのことがわからず他人事と思ってたって。うん、それはそうだと思うんだけど。それを悪いこととして責めてるような言い方をこの人がしてるのが、私のなにかに引っかかった。

アーユルヴェーダで病気の段階の勉強をしました。そう、すべては原因と結果で。やっぱり、運が悪かったとかそういうことではないのかもしれないけど。

例えば暴飲暴食、喫煙、うん、これは自己責任。

でもさあ、一生懸命生きてきて、そして病気になったとしたって、一生懸命生きてきた結果でしょう。そういうのが全部込みで生きるってことなんじゃないの。

あと、天命というものは、やっぱりあると思うな私は。

アーユルヴェーダでは、すべて自己責任。

でも、それは別に、病気にならないためのものじゃあない。原因と結果があるよ、というだけ。と私は思っていて。

病気はなるときはなる。わりと本気で、病気になるって決めて生まれてくることもあると思う。そこで最善の自分を生きるくらいしか私たちには抗えないんじゃないかなあって思う。どんな状況でも、最善の自分を生きるゲーム。それでも、愛しい思い出をいっぱいかき集めて生きるくらいしか、そんな運命に復讐はできない、と思うんだよ。

病気に限らず。

 

なんてことを昨日書き、今日、いよいよ大好きな吉本ばななさんの「サーカスナイト」を読んでて(ところで文庫本を読む前は、これまだハードカバーで読んでない気がする、と思ってたけど、ばっちり読んでた。まあ私なら読んでるはずだよな)、同じようなことが書かれていた。

なぜかなあ。吉本ばななの本は最初から最後まで、自分のなにに響くんだろう、登場人物みんながもう愛しくて切なくてどうしようもない。ばななさんは読者層を把握しておられるみたいだけど、私、当てはまってるんだろうか。そんなに切ない生き方でもないけどな。でも、この作家さんの書く本にずっと寄り添ってもらっている。自分が一番危うかったとき、「ああ、これ乗り越えられなかったらわたしはあっち側に行っちゃうんだろうな(ダークサイド落ちみたいな。スターウォーズで言うところのさ)」っていうときにばななさんの本があったから、あっちに行かなかった。

 

今日は、新しいオイルを商品券でゲト。いっときオーガニックのお香にはまっていたけど、今はオイルがわたしの中で何度目かのブーム。好きなオイルブランドはあるんだけどそこは会員制で、いろいろとルールやしがらみがあるようなので、あまり入手できません。なので、いつも手軽に買える生活の木のを使っています。

今日買ったのは、ティーツリー、ラベンダーティーツリー、レモングラス、ラベンダー。すでにあるのは、ユーカリ、ゼラニウム、ライム、リツエアクベバ。

ホットヨガのレッスンを教えていたときに、スタジオから「アロマヨガ」を教えてくれ、と。自前のオイルやなんやかんやで。えー、と思ったけど、もうやるからには徹底してやろう、と思い、50人とか入るホットヨガで汗のにおいにも勝たなきゃいけなかったので、強い香りを選んでいました。ベルガモットはいつでも人気だった。効能とかそんな繊細なことかまってられなかったわ。生活の木のオイルは安価だったので大助かりだった。

でもある日、生活の木のオイルを切らしていたので、ある会員制の、ちょっと高価なオイルを使わざるをえない日がありました。確かゼラニウムをたいたんだったかな。そしたら、20時スタート、ただでさえくっそ暑いホットヨガスタジオの中で意識を保つのも大変な修行だったのに、みんな鎮静されたのか、あんな経験初めてだけど、半分くらい途中退出してしまった。あれはマジでびっくりした。以降は、アロマヨガで本来リラクゼーションを目的にすべきなんだろうけど、そんなことしたら50人の意識が飛んでしまうので、とにかくスッキリしゃっきりするアロマを選んでいたなあ。

スタジオはオイル代も一切経費でもってくれなかったので、ちょっとヤケになって、50人の汗が吹き飛ぶくらい毎回ふんだんにオイルを使いまくってた。その日は半分くらい帰ったけど、まあそのスタジオでは時間帯的にも良かったので、いつも比較的人数の入るクラスだったみたいです。辞めた後で、次の方がクラスを引き継いだのですが、「アロマの香りが全然しませんというクレームが出てしまって。いつもどれくらい使われていたんですか?」とスタジオ側から連絡が来たので、どれほどふんだんに使っていたかを正直に言いました。一ヶ月でレッスン1回分のギャラくらいは飛んでただろうな。でもちょっと報われた。

そこで、15年くらい前に通ってた美容院の担当美容師さんが生徒として参加してた、と後々で人づたえに聞いて、超びっくりしたもんだ。結構通ってくれてたのは知ってる。声かけられたから。でも、面変わりしてらっしゃったのと、その頃の自分が前世にしか思えず、その時は全然思い出せなくて、悔しいな。思い出せたらいっぱい話したかったのに。

 

Facebookで古い友人とつながれることもあるけど、もうすっかり音沙汰なくなっちゃった友人は、相変わらずそのまま。いつか会えるといいな。でも、もうお互いにいろいろ解消されちゃってて今生では会えないのかもしれないな。

 

今日も本当に独り言。もし読んでくれた人がいたら、ありがとうです。

 

「いろいろな人がそうやって、今はいない人に話しかける言葉はきっと目に見えない花になってどこかで咲いていると思う。

 その場所のことを思うだけで、天国ってあるんじゃないかなと思える。」

よしもとばなな「サーカスナイト」幻冬舎文庫

 

 

 

 

今日は映画に行こうかなと思っていたけど仕事してたらこんな時間(18:00)。

少しは外に出て散歩でもしないと、本当に歩かない日々です。

 

歩かない、と言いつつも、一昨日の山の日に山登りをしました!ヨガしかしてないこのからだでも意外と登れた。やはり決め手は腸腰筋か。一緒に行ったグループの人たちは普段あまり運動していないのかな、結構のんびりで、自分のペースで行きたくなっちゃったので、どんどんと上に行ったよ。

ところがこの一緒に行ったグループにはとんでもなくパワフルなサイキックがいらっしゃって(とか書くから変なペタ付くんだけどさ)、きっと道中で色々と素敵な解説があったと思うの。この方の翻訳本も何冊か読んだし、ご自身の著書も読んでる。そういうのを目当てに参加してみようと思ったはずなんだけど、山に夢中になっちゃって、もう自分の体験で十分満足してしまった。

だってね、グループで登るより、一人で味わう方が山が近いんだもの。

もののけ姫ですよ、もう。私好みの大きな木がゴロゴロ(?)。あいにくの雨、のはずが、しとしと雨だったおかげか木々に覆われて雨水は下には降ってこず、山全体にもやがかかって下界が遮断されたよう。外の風景に目を向けること叶わず、見えるものは目の前の岩と木と土。

登れば登るほど元気になって、岩を登るところは上から清流のように水が流れて、大きな岩をくぐったら要らないものがすっぽーんと抜けたみたいになって。

あんなおもしろい体験、解説がなくて、大丈夫。頂上に着いたら、あれほど歩いたんだからグラウンディングできそうなものなのに、天に近い分、上の方に気が上がっちゃったのか、てっぺんの乾いた岩の上で何度もすっ転んでしまった。ので、座って瞑想。これがまた最高でなにかが抜けた感じがする。

日本を代表する(?)サイキックさんには出会い頭で「もしかして魂は男ですか?」と言われました。そんな気がしてますよ。もちろん今は女で不都合ないですけど。

途中のお昼ご飯タイムでちょっと仕事の相談をしてみました。私とはスケールが違うんだけど、同じようなお仕事を長くされている方だったから。私に必要なのは境界線だな。分かってるんだけど。「ワカリマセーン」というフリをする私はかなり共感力が高い方なんだろう。そこ。テーマ。

夜の懇親会では参加者の皆さんといろんなカード引き大会。最初にOSHOカードを引いて、「これからの指針を教えてください」の答えが「Aloneness」。うひゃああ。これも、分かってた。他の人の歩く道じゃない道を、行け。そういう風に感じていた。

そして翌朝一番で引いたOSHOカード、「The Completion」。サイキックさんは「もう出来上がってきてるのね。これからは表現ね」って。自分の発しているなにかがが以前とは変わってきているのもよく感じています。いい励ましになりました。

とは言ってもどっちに進むかなんかはまだちいとも分かっていないという、相変わらずの自分探し中44歳。すいません。

 

「こうして歩いて、くだらないことを考えながら、この秋の高いすばらしい空の淋しさを、あと何回感じられるのだろうか?砂浜を歩いていく足の重さや、波音が響いてくる耳の感じや、風にさらされるこのほほの冷たさを、いったいあと何回?

 そう、それは数えられる程度の数には違いないのだ。」

よしもとばなな「海のふた」中公文庫