とある女性の悩み。
昔、夫に浮気をされて離婚した。愛してたからまさかそんなことがあるなんと思わなかった。愛してるから浮気されるわけないっていうのは私のエゴなの?今は新しい恋人もいるけど、その人もいずれは私を一人にするだろうなと思うと思い切り愛することがこわい。これは過去の傷への執着なのだろうか?
というようなもの。
私の師匠の回答は、「すべては移り変わるの。それが摂理なの。あなたはこうなるかもしれない未来を恐れて生きる?それともすべては移り変わるものという摂理を受け入れて生きて行く?」
今日、スーパーのセルフレジで精算しているとき、ふと3、4年前に行った沖縄のことを思い出した。私はまだ大阪に住んでいた頃で、後輩のNっちゃんがアメリカ人と結婚して、配偶者ビザを取得するのに一人で日本に残って待機していなければならず、関西で暮らしていたものの出身地は関西じゃなくて、しかもかなり外国暮らしが長かったこともあり、とにかく関西が肌に合わなかった、だから思い切って数ヶ月だけ沖縄に移住してしまった、そんな頃。私はその月は珍しく週5日で働いていて、どうしても休みは取れず、夫は単身で東京にいた頃だったので、身軽だけど不自由、見たいな頃。大好きな沖縄に行きたくて、Nっちゃんに会いに行こう、と決めて、週末に一泊だけ弾丸で沖縄に飛んだ。朝出発しても、やっと昼一でNっちゃんと合流。那覇近辺をさらっと観光したりして、確か夜にスーパーに行ったんだ。関西ではセルフレジというものを見たことなかったのに、なぜか沖縄にはあったんだと思う。そのときのことをぎゅうと今日思い出した。Nっちゃんは今ではアメリカに移住していて、双子のママ。だから、あのときの一人ぼっちでビザの取得を待つためだけのために沖縄でぼんやり暮らしていたNっちゃんは、あのときだけのNっちゃんだった。Nっちゃんは絶対に今の方が幸せだと思う。でも、私が知っていたのは、ちょっと宙ぶらりんの、Nっちゃん。早くそこから逃げ出したいと思っていた彼女。人生のほんの限られたひと時だけを一緒に過ごす、そんな縁だったんだろうなあ、私とNっちゃん。もうあのときの寂しそうなNっちゃんはいないんだなあってそう思って、胸が少しきゅうっとなった。
このプロフィールの写真は、そのときの沖縄旅でNっちゃんが撮った写真だ。2日目に入った久高島。
夫がまた行ってしまいました。本当は無理すれば通えるんですが、激務の上、通勤が片道1時間半じゃあろくに寝れないでしょう、ということでホテルに連泊するそうです。「帰ってきたら奥さんいる?」「いるけどどうして?」「いなかったら困るから。」「どうして?」「淋しいから。」と言うので、ちょっと満たされた。
来月は1ヶ月私がいないことをちょっとずつ想定してるんだろうか、彼。
「でも、その時、窓の外の暗い道を見て私は思った。私もいつか誰かとこの夜道をどこまでも歩きたい、と思うかもしれない。実際そうするかもしれない、だから、反省とかそういうことではないのに、と思ったけれど、せっかく反省してくれて洗い物もしてくれたので、黙っていた。」
吉本ばなな「アムリタ」新潮文庫