とある女性の悩み。

昔、夫に浮気をされて離婚した。愛してたからまさかそんなことがあるなんと思わなかった。愛してるから浮気されるわけないっていうのは私のエゴなの?今は新しい恋人もいるけど、その人もいずれは私を一人にするだろうなと思うと思い切り愛することがこわい。これは過去の傷への執着なのだろうか?

というようなもの。

私の師匠の回答は、「すべては移り変わるの。それが摂理なの。あなたはこうなるかもしれない未来を恐れて生きる?それともすべては移り変わるものという摂理を受け入れて生きて行く?」

 

今日、スーパーのセルフレジで精算しているとき、ふと3、4年前に行った沖縄のことを思い出した。私はまだ大阪に住んでいた頃で、後輩のNっちゃんがアメリカ人と結婚して、配偶者ビザを取得するのに一人で日本に残って待機していなければならず、関西で暮らしていたものの出身地は関西じゃなくて、しかもかなり外国暮らしが長かったこともあり、とにかく関西が肌に合わなかった、だから思い切って数ヶ月だけ沖縄に移住してしまった、そんな頃。私はその月は珍しく週5日で働いていて、どうしても休みは取れず、夫は単身で東京にいた頃だったので、身軽だけど不自由、見たいな頃。大好きな沖縄に行きたくて、Nっちゃんに会いに行こう、と決めて、週末に一泊だけ弾丸で沖縄に飛んだ。朝出発しても、やっと昼一でNっちゃんと合流。那覇近辺をさらっと観光したりして、確か夜にスーパーに行ったんだ。関西ではセルフレジというものを見たことなかったのに、なぜか沖縄にはあったんだと思う。そのときのことをぎゅうと今日思い出した。Nっちゃんは今ではアメリカに移住していて、双子のママ。だから、あのときの一人ぼっちでビザの取得を待つためだけのために沖縄でぼんやり暮らしていたNっちゃんは、あのときだけのNっちゃんだった。Nっちゃんは絶対に今の方が幸せだと思う。でも、私が知っていたのは、ちょっと宙ぶらりんの、Nっちゃん。早くそこから逃げ出したいと思っていた彼女。人生のほんの限られたひと時だけを一緒に過ごす、そんな縁だったんだろうなあ、私とNっちゃん。もうあのときの寂しそうなNっちゃんはいないんだなあってそう思って、胸が少しきゅうっとなった。

このプロフィールの写真は、そのときの沖縄旅でNっちゃんが撮った写真だ。2日目に入った久高島。

 

夫がまた行ってしまいました。本当は無理すれば通えるんですが、激務の上、通勤が片道1時間半じゃあろくに寝れないでしょう、ということでホテルに連泊するそうです。「帰ってきたら奥さんいる?」「いるけどどうして?」「いなかったら困るから。」「どうして?」「淋しいから。」と言うので、ちょっと満たされた。

来月は1ヶ月私がいないことをちょっとずつ想定してるんだろうか、彼。

 

「でも、その時、窓の外の暗い道を見て私は思った。私もいつか誰かとこの夜道をどこまでも歩きたい、と思うかもしれない。実際そうするかもしれない、だから、反省とかそういうことではないのに、と思ったけれど、せっかく反省してくれて洗い物もしてくれたので、黙っていた。」

吉本ばなな「アムリタ」新潮文庫

 

 

 

 

8月8日

コニー・ウィリスの「オール・クリア」が面白い上に分厚くて手放せないっていうのに、吉本ばななの、単行本で読み損ねていた長編が文庫化して発売。嬉しいけどそっちにまだ進めないのがもどかしい。読む本が充実している幸せは久しぶり。

 

昨日、台風を考えて、一番行きたかった海岸でBBQは諦めて、江ノ島で生しらす丼にしようとウキウキしていたけどぐだぐだになった夫に流されて築地でいくら丼になった。これじゃないんだけどなあ…。がっかり。そのまま歩いて銀座へ行き、Apple Storeでどっぷりはまって足が疲れ、近くのマッサージ屋さんに吸い込まれ。元気が復活してさらに歩いて日本橋。途中で雨に降られたけどなんとか映画館に入って、「ザ・マミー」鑑賞。トム・クルーズ、ずいぶんストイックだなあ!キアヌ・リーブスとかディカプリオとかはもう今ではかなり緩んでるっていうのに!その後人形町まで歩いてカラオケ1時間。

あれ?結構ちゃんとしたデート…。

 

そして今日こそ江ノ島へ!午前中のだらだらをむさぼった夫と午後からのんびりと向かいます。でもお腹が空いていたので、デーツを買っておやつにしました。電車のお供に読みかけのコニー・ウィリス。

江ノ島の駅に着いたら散歩がてら江ノ島まで歩いても良かったんですが、なんせ暑いのとお腹が空いていたのとで、タクシーでひゅーんと島の入り口まで。そこで知る、台風の翌日は不漁につき生しらす丼はできないという事実。

でも静岡産のが出せる、とかで、適当なお店に入りました。…びっくりした。関東に来てから、「まずい店」ランキングのトップがどんどんと更新される。あの店、関西だったら一週間と持たないよ。どんなにいい立地でも。それが関西。

帰りは歩きました。富士山が見えた。途中でビーチに立ち寄りました。ここ数年は、バリ、沖縄、ハワイ、広島(うふふ)の綺麗なビーチしか見てなかったから、これもびっくりした。砂が白くないのは良いとして、台風の後なのも仕方ないとして。水が濁ってる。泡が立ってる。あれは入れないわ。ビーチ気分は満喫できました。

 

家に帰って休憩して、晩御飯はさっぱりと素麺。を夫が食べました。

 

8月9日

朝練に行く気になれず、朝のんびり。毎日行ってるとどんどん行きたくなるんだけど。ペースを落とすとすぐにこんな気分。今晩から夫が出発するわけだし、明日の朝からまた頑張ろう。そして朝練に行かないと人とほとんど会わない日々。朝練に行ってもあまり話さないわけですが。

 

ふと考えていた。常識がいかに自分をつまらなくしているかについて。

一つね、お酒。歓待の証としてお酒を勧める。肉でもてなす。これ、どちらも私には苦痛。飲めないし肉は好きではない。でも、受け取らなきゃいけない風潮。誰か気づいてくれないかな。むしろ帰りたくなるんだけど。と思いながら生きてきた。ヨガ界でも皆普通にお酒好きだから「きっちりストイックにやるとギスギスするよねえ」みたいな風潮が確かにあって。けど私の師匠はお酒飲まないです。ヨガを志すのに飲酒はおかしいときっぱり言い切っています。ああ、嬉しい。私は飲めないんだけど、飲まないことがいいこととされている世界がある。

もう一つ、男女の役割。話が広がりすぎるから、一点に絞ると。異性を好きになるのが常識って、そんな常識はない。かなりの数でこれだけ同性愛者がいるんだから、出会う人すべて、異性愛者か同性愛者かがわからない前提でいいんじゃないか、と思うな。

 

さっきまでもう少しいろいろぐだぐだと考えていたけど。もう忘れた。

 

「そういうことみんなを、はじめちゃんはどしんと受け止めようとしていた。怒りが何回もはじめちゃんの体を焼いては、また静まっていくのを見るしかできなかった。はじめちゃんがあきらめていったものの尊さを、見ていてあげるしか。」

よしもとばなな「海のふた」中公文庫

 

 

 

 

昨日、途中までブログを書いていたんだけど、消えてしまった。

書くだけで満足したし、まあいっか。

 

生還した友人Tに会ってご飯食べた友人Zに様子の報告をせがんだ私。今はすぐに会える距離にいないし。電話でよく話すわけでもない。私が引っ越すまでは年に何回かご飯を一緒に食べた程度、あとはアホなLINE限定で絡んだ程度。でも、ちょっと同士っぽい気持ちで繋がってるTとZと私。

入院してると聞いてすぐに近くに住んでるZと話して、お見舞いのお花を届けてもらった。近くにいないと私にできることなんて、連名で名前載せてもらうくらい。「お礼にってお昼おごってもらったから、次はあなたもおごってもらいなよ」ってZは言ってくれたけど、私はなにもしてないもん。その分Zがしてもらってほしい。

Zによれば、Tは闘病中に20キロ痩せたと聞いたけど、退院して2ヶ月近く?もうほぼ元のガタイ、素手でケモノを仕留められそう。「これからは人の役に立つことをしたい」って言ってるんだって。今までいつも自分より人のことばかりしてきたくせに。むしろあなたがあなたらしいことをするのを見たいよ、と思うけどね、とZと電話で話した。

 

昨日の出しなは感じが悪かった夫、悪いと思ったのか、昨晩はすんなりと帰ってきた(と言っても23時とか)。寄り道もせず。珍しいことだ。あてを用意してあげました。チャーシューとごぼうサラダとオクラのおひたしと冷奴。

 

夫が仕事で留守がちだから私が私らしく生きていられるのも真実。

 

今日は夫が休みだから海の家に行ってBBQしよう!って私が勝手に楽しみにしてたのに、台風が来てるから午後から雨よ。しょんぼり。そしてお盆前から彼はまた猛烈に働き出します。一緒に何かができるなんて滅多にない。だから無理にでも旅行に連れ出すのさ。それでも長くても4日くらいしか空けてくれないんだけど。行けるだけで奇跡と思ってる。

 

一昨日もやもやしてるなあっと思ったらやはりのムーンタイム。

 

昨晩にはすっかり調子を取り戻して、一人全然オッケーなモードにシフトチェンジした頃、21時すぎにZから電話。「家でコロッケ丸めてたらさー、孫が学校で怪我したから車で病院連れてって、と従兄弟の母(つまりZの伯母に当たるのかな)から電話があったもんだから、コロッケ放り出して慌てて車出して連れてったんだけどさ、よく考えたらそれタクシーでいいんじゃない?って話だよねー。おかげで私、この時間まで何も食べれず腹ペコだよ!」っていう内容だった。

親戚がとにかく多くて、いつもどこかの用事に駆り出されるZ。働いてた時はそれなりに仕事で断れたけど、「今のこの無職期間に自由を満喫したいけど、他の人に時間を盗まれそうな気がしてならない。早く脱出したい」と言っていた。

 

痛めた肩甲挙筋はほぼ治りました。でも、まだ一番深い後屈からのカムアップはできない。ので、腸腰筋もよわよわしくなってる気がする。ムーンタイム明けから完全に練習に復帰できる気がする。

 

「人間は、心の中で震える小さな弱い何かをきっと持っていて、たまに泣いたりしてケアしてあげたほうが、きっといいのだろう。」

吉本ばなな「アムリタ」新潮文庫

 

コニー・ウィリスの「オール・クリア」を読み始めています。「ブラックアウト」の分厚い上下では収まりきらなかったのね。続いてるって知らずに買いました。とにかく読ませてくれるタイムトラベル物です。戦時下にあるロンドンの人たちの暮らしぶりを淡々と描写、この距離感の取り方は何なら私の日常に必要だわ。

 

夫、今日も休みと思っていたけど急遽、出勤。

昨日は一週間ぶりの休みでのんびりと過ごしていたようですが、やっぱり離れている期間ができると2人の間で色々噛み合わない。慣れたけど、毎回心が痛みます。私あまり好かれてないのかな、なんてなー。

 

たった今、誰かと話したいな、と思っても、誰もそばにいない。1人でいることを選んでる。納得してる。でも、誰かと話したいな、という気軽な願望が気軽に満たされなくなったのはいつ頃からか。家で仕事することや、期間限定であちこちに呼ばれる仕事のスタンスはとても気に入っているんだけど。たまに、ちょっと誰かとつながりたくなったりするんだよ。こういうとき、一番つながりたいのは、自分本人となんだよ、と頭では分かっているので、この少々落ち気味な気分も致し方なしと受け入れる。けど、ここには書いちゃおうっと。

 

ヨガのアーサナ練習、すっごく好きなんです。でも、ヨガでみんな仲間だよみたいなイベント系には全然興味ありません。ヨガ&ほにゃらら。ヨガしてそのあとでおいしいもの食べる、とかなんかするやつ。外でヨガするやつも、実はあんまり。私の師匠が「ヨガのアーサナは内側とつながるものだから、外でっていうのはまたちょっと別の話よねえ」と言っていて、すごく納得した。外でなにかしたい、という気持ちはあるけど、ピクニックしたいなあ、とか、踊ってみたいなあ(実際にはできないんだけど)とは思っても、別にアーサナは、私はしない。

 

心の師匠とは別に、今ヨガの練習に通っているところの先生は、きっとすっごい孤独に違いないって勝手に思ってるの。ものすごい高みを目指している人で、一見近い立ち位置の人もきっとあの人の見据えているものはわからないんだろうな、って。それはとても孤独な道なのだろうなあ、と。そう思うことで、今、たった今、1人だなあと思ってる自分がなぐさめられたりしている。

 

今はこんな風にローですが、まあ月に一回のサイクルってことでしょう。めそめそしたくなる日。

 

今、YouTubeでSia。

 

肩を痛めてるから、朝練は依然、不完全燃焼。腸腰筋がよわよわしい。

 

「あのイカだとか、イシガキダイだとかエンゼルフィッシュだとかに、毎日、そして毎年同じ場所で会える奇跡。

 それがどれほどすごいことか、ほんとうは人間も同じなのに、案外、気づかないでいられる。毎年きちんと咲いてくれる桜のことなんかも、風景としか思わなくなる。」

 

よしもとばなな「海のふた」中公文庫

 

 

 

足跡をつけるあの変なブログの人たちは私のブログの何に引っかかってここに来るんだ?あ、あやしげキーワードが散りばめられてるからか。

 

先月、とても大切なことを学びました。まとめればそれは「自分以外は信じなくてよろしい」これび尽きるわけです。だから、いくら私があやしげな活動をしているようでも、それなりにリスクは犯したし、あやしげがなぜあやしげと呼ばれるかや実際に魑魅魍魎がうぞうぞしてることが分かり、そういう場に行くにしても自分の直感がオッケーを出したところ以外は絶対に行かない。全ては自己責任、ということを学んだ。向こうから声をかけてくるものも、基本的には受け入れない。だって許可せずに近づき情報を与える手合いは多分おそらくやがて魑魅魍魎化する。もうよく分かった。「私、視える」系の人たちも「そーですか良かったですね」以上はなんの興味もない。

私が許可を出した場合つまり教えてくださいと言って教えてもらうときも、それは一面でしかないから」と知ったことで受け入れ態勢が変わりました。自由に受け取れるようになった。

 

最近はインスタ映えなんぞするところが人気なんですってね。昨日行った金魚鉢アートはまさにそれだけだ。写真を撮るの、楽しかったもんな。金魚鉢アートは面白いね。誰が仕掛けたのか。外国人にさぞ異国情緒あふれて見えることでしょう。

 

さて私は誰に向かってここで書いてるのか。改めて考えてみると、やっぱり完全に自分のため。頭をまとめるため。人の言葉ばかり伝えていると、自分の言葉を持たなければ頭が狂いそうになるから。そういうことだ。

 

先月まで通ってたマツエクのお店は大好きな作家さん行きつけのサロンで、ミーハー心から「私も行こう」と通い始めたのですが、なんか合わないな、と思い、でも普段は同じ業界の人とばかり接してるから、違う世界の人と話すと少し違うのは当たり前、なにより大好きな作家さんおすすめの店だぞ、としばらく通いましたが、やっぱりとうよう無理になった。最終的な理由は、背術用のベッドの寝心地。ずっと目を閉じて無言で横たわっていると間違いなく寝落ちする。それはいいんだけど、そこはなんかベッドが合わなくて、私の体がつらくなるからか緊張するからか、施術中に何度もはねるの。で、「危ないから我慢してください」と注意されて「それもそうだ」と思ったけど、コントロールできることでもないので、オタク的には作家さんと間接的につながっていたかったけれど、諦めてサロンを変えました。そうしたら、背術がすっごく楽になった。尊敬するあの人が好きなお店なんだから、と思っても、合わないんだから仕方がない。誰かを崇拝するっていうのはやっぱり束縛になるんだなあ。かと言って、一番好きな作家さんには変わりないのですが。

 

来月は1ヶ月日本を離れるので、それまでに朝練で到達しておきたいと思ってた後屈があるの。でも怪我をして後屈が出来なくなった。私の焦りを見透かしてた体。お見事。

 

携帯電話の人の勧めるままに電気会社を携帯電話会社に変えましたがサービスに不信感しかないのでもうやめる。ガス会社にしよう。

 

人が読まない前提でかくとかように話はとっちらかるものなのか。

 

「そこで目が覚めた。

  暗い、夜中の部屋だった。

  ああ、メスマ氏がお別れをいいにきたんだわ、と思うと切なくなった。今の夢のすみずみまで書きとめて、刻印して、封じ込めて永遠に大切にしたかった。

  でも、違う。

  どんどん手に入れては、手放していく美しさ。強くつかんではいけない、あの海も、遠くへ去る友達の笑顔も。」

吉本ばなな「アムリタ」角川文庫

 

7月ラスト1日。

今日は朝練に復帰。基本、後屈が全滅、首を痛めてるのでセカンドとフィニッシングは全滅。あっさり練習が終わってしまって物足りないのなんの。整骨院では「お盆前くらいには治るかなあ」と言われましたが、そんなにかかるのか…!9月は1ヶ月間そんなに練習できないから、今のうちにできるようになりたい後屈のポーズがあるだけに…私の焦りの気持ちを察したかのようなまさかの怪我。ちぇ。

 

午後、ヘナの美容院に行って白髪をがんがん染めてもらいました。

ヘナを扱ってる美容院だからアーユルヴェーダトークをたっぷりかましてきた。そこからどんどんと過去生話などへ発展。担当してくれた美容師さん、とても勘のいい方だからむしろそういうのは先輩っぽいです。楽しかったな。

 

その後、金魚鉢展ならぬアートアクアリウム展に。全然並んでなかったのでゆっくりと時間が過ごせて良かったです。たくさん写真を撮ったけど、あれだけお膳立てされてるのにいいのが撮れなくて自分のセンスのなさに絶望。とほほ。

 

センターステージ3について昨日に引き続き。

主人公役のNicole Munozはアーユルヴェーダの体質でいうとカファ(水と土)。あのうっとりするような瞳と体格はカファ。設定としてはバレエ向きではないからだと表現されていて、じゃあ痩せればいいのかというよそうじゃない。カファの人はあの体型で輝く。そんな彼女の良さがよく出てる映画と思います。

カファの吸い込まれそうな瞳、いいなあ。私は堂々たるヴァータ(風と空)だから、ヴァータらしく瞳は小さめだもの。手足が長い方のヴァータではなくて、手足短め身長低めの方のヴァータですし。ある一点を除いてカファの要素がほぼゼロ、持ってないものには憧れます。うっとり。

 

「戻れない。

   そのことに悲しむでも、わくわくするでもなく、ただこうして、人生や景色に溶ける。ダンスする。それだけ。当然のように。それだけだ。」

吉本ばなな「アムリタ」角川文庫

 

 

 

 

ケーブルテレビのビデオレンタルで「センターステージ3」を観ました。正直からっきし期待してなかったんだけど、予想外に面白かった。

面白いダンス映画にだったのは久しぶり。ダンスには力を入れるけどストーリーが陳腐なものも多いし。ストーリーの要になりがちなのは、なにか新しいことを表現する、ということ。

パターンとして使い尽くされてるのは、バレエとヒップホップのフュージョン。このパターンだと個人的には「Save the Last Dance」が好きだった。主人公の女の子のダンススキルは特に超人的というわけではなかったけど、だからかな、等身大の物語があった。おきまりの最後のダンスは曲も振り付けも好きで何回も観てます。割と古い映画になるけど、その後に続くバレエ×ヒップホップはこの映画の二番煎じにしか思えない。

ヒップホップ×サルサっていうダンス映画もあったな。「ストリートダンス2」ね。これはハイライトのシーンしか観たことない。サルサって男性が女性を上手く踊らせるんだなあと思った。このフュージョンはあまり上手くいかなかったんじゃないかなあ。サルサのみの方が迫力あった。ストリートダンスと合わせると小さくまとまっちゃってた。

「High Strung」バレエ×ヒップホップ×バイオリン。これは一応全部観たはず。ヒップホップとバイオリンは合わないと思った。

「センターステージ3」は、バレエカンパニーがモダンダンスに手を広げようという話だったので、新鮮でした。最後のダンスの曲がSiaのAliveだったのも良かった。主人公の女の子が良かったなあ。バレエするにはちょっとぽっちゃだし、才能もない。そのコンプレックスを超えてコンテンポラリーを踊る。その泥臭さが踊りを豊かにする。

クレヨンしんちゃんを友人Zに強く勧められてるけど見つからなかったので代わりにこれを観ました。

 

「それとことによると、いろんな人にいろんなことを言われるかもしれないが、自分の体から声をだしてる奴以外の奴は、どんなにもっともらしいこといっても、わかってくれても信じちゃだめだよ。そういう奴は過酷な運命を知らないから、うその言葉でいくらでもしゃべることができるんだ。誰が本当の声で話しているか、誰がきちんと体験の分量で話しているか、勘はそういうことにこそ使わないと、死活問題だから。」

吉本ばなな「アムリタ」角川文庫

 

1つのことをやり続ければそれで良い、という時代ではもうないと思うけど、1つの得意分野を持ってるのが強みになるのは確かで、その得意分野に専門性をくっつければ、狭い中に広がりが生まれるよね。

得意分野、専門分野の身につけ方にはいろいろあるだろうと思うんだけど、お金を払って習うにがまず手っ取り早い。でも「3日間集中」みたいなのは、土台としてどれだけの素地が自分にあるか次第ではあるだろうけど、まあ3日で身につく程度のもの、と思う。

人から教わる、丹念に技を磨く、そういうことをこつこつと積み重ねてさらに自分を信じる、そうしたら拓ける道は拓くだろうし、そうでないなら拓かれない。けど、過程のどこかで流れを滞らせないようにしてたら、どのみち拓かれるべき方向に拓かれていくと思う。

なにが言いたいかというと、なぜ上手くいかないんだろうって膠着を感じているところには、なんか意固地がある気がして。がちがちに凝り固まっている。両手を広げて新しいものの見方を受け入れる勇気、そういうものが欠けてるようにも思える。意固地なときは全体像も見えていない。動機の根っこには、恐怖がある。

こういうことがよく見えているということは、私にそういう部分があるのだろうと思う。

 

昨日の夜、飲めないのに、お肉も食べないのに、朝練仲間とのワイン会に参加しました。良い人に囲まれて楽しかった。普段、一人が多いから、人とああいう時間を共有するということをたまにはしたくなるんだよ。

 

金曜の朝に痛めた肩甲挙筋は少し良くなりました。まだ不快に感じる位置はあるけど、今後の戒めとしてこれは受け入れる。明日から練習復帰。でも痛いところを避けながらなので、ちょっと物足りない練習になってしまうかもしれないな。

 

昨日、なんとなくの流れでタロット占いをしてもらいました。「何が知りたいですか?」と言われ、実は特になかったので「今後の流れをみてください」と言いました。来月からの1年間はどんどんいけいけなんだそうです。旅運も良しだそうです。今後半年でもしかしたらトータル数ヶ月は海外にいることになるので、これは嬉しいね。

あとは「お友達に声をかけてあげて。傷ついてるかもしれない」とのことで、早速友人Zに電話したら「腰が痛い」と言っていました。治らないようなら内臓疾患かもしれないから医者いきなよ、と伝えました。今朝のLINEで「筋を痛めているに違いない。舞の海のサイトを見て四股踏みの練習をしたのがだめだったのかも」と返信ありました。

それから「海外滞在中にご主人が寂しがってるかもしれませんよ。こまめに声をかけてあげてくださいね」と言われました。いつもは夫の方が不在がちで寂しいのは私なのでちょっとピンとこなかったけど、逆転すると彼も寂しいんだろうか。

タロット占いの開催場所は石屋さんだったので、岩塩ランプを買って帰りました。前から欲しかったんだ!安かったのでほくほく。

 

昨日今日と私の好きな人たちが2人の書く「インナーチャイルド」という言葉を目にした。1人はZがLINEで。それは「夜眠れないからくれシンを観たんだけどその内容が、インナーチャイルドと共存するという大変深いものだった」というもの。もう1つは敬愛するばななさんのメルマガで。なので朝から自分のインナーチャイルドに挨拶してみました。

 

「意図して、誇り高く、地味な努力をして、あれこれ頭を使って工夫をしたら、実現するのだ。

 この世に、これまで影も形もなかった何かを出現させて、それを続けることができるのだ。

 私たちは人間だから、すごい力を持っているのだ。誰かがかき消そうとしても、無理やりに均されそうになっても、どんなに押さえつけられても絶対になくならない、そういう力を。」

よしもとばなな「海のふた」中公文庫

 

 

 

 

夫、一瞬帰ってきて、仕事に行って、荷物持ってまた出発した。夫とても頑張っています。

 

今日、夫がお昼ご飯を家で食べている間にテレビをつけていました。今お騒がせなのは元アイドルの議員さんなんですね。私には責める人たちのとげとげしさがなによりわずらわしいや。あのとげとげを自分が発しないためには、やっぱり他人を良い悪いと判断しないことなんでしょう。あのとげとげしさには争いしか見あたらない。そこにはいたくない。

それを打ち消すくらいのなにかが出来るとしたらそれはなんだろう。

 

昨日の朝練で肩甲挙筋を痛めちゃったよ。私の愚かさゆえにな。せっかく調子が良い日だったのが、その浮かれた気持ちがぽきーと折られた。よいいましめです。順調な回復ですが、大事をとって日曜日まではお休みしよう。

 

8月に勢いで山登りすることに。勢いで申し込んだはいいけどなにを装備したらいいのか皆目見当もつかないのでネット検索。…けっこういろいろいるのね。超初心者向きの、スニーカーで登る人もいると言われる山ですが、山を舐めんな、という人が周りにいるので、ちゃんと装備することにしました。で、専門家に直接尋ねようと思いパタゴニアのショップに行ったら、そこの店員さんが死ぬほど親切でした。高い値段に引いてる私に、安く揃える方法とか、手持ちのアイテムでも使えるのがあるとか、たくさん教えてくれました。結局パタゴニアでは一銭も使わなかった。靴は買おうと思ってたのですがパタゴニアには靴がなかったのが残念です。山登り、楽しみだ。

 

黄色のマキシワンピのすそに大きな穴を開けてしまったよ。あれは寝巻きに降格。気に入ってたのになあ。肩甲挙筋だけじゃなく、最近ちょっとそこつものです。気をつけなくては。

 

「この世の慈悲と無慈悲のバランスは、私たちが想像するには大きすぎる。ただその中で泳いだりびっくりしたり受け入れるしか、できることがないくらいにでっかいもたいだ。」

よしもとばなな「海のふた」中公文庫

 

 

 

数秘でいうと私は孤独の時間が必要なんだそうな。

アーユルヴェーダでは風の性質を多く持っているので、しゃべりすぎは禁物。話すことはエネルギーを浪費する行為ともされているので、話す言葉は最小限に厳選して言葉を口にするほうがよいとも習った。

 

今のようなフリーの仕事をする前は、毎日とにかく話して話して話し倒した。話すことが仕事だったから。今も話し倒さなければならない時はあるけど、それは一時的なもの。とくに東京に来てからはプライベートで会う人が激減したので(お勤めしてないし、気軽に会える古くからの友人なんていうものがいるわけでもないし)、家でも一人が多いから、ずいぶんと話さなくなった。最初の頃は顔の筋肉が衰えるんじゃないか、口が回らなくなるんじゃないか、と怯えていたけど、上に書いたことを知ってからは、顔の筋肉の具合は分からないけど、話さないことはむしろよいことのようだと安心している。

 

英語が急に話せるようになったのは、ぜんぜん人と話せない2週間を過ごした時だったな、そういえば。なぜ人と話さなかったか、というと、ハブられたからだな。

 

高校時代に交換留学で訪れたオーストラリア。同年代の、同じような世界各国から集まった交換留学生ばかり数十人を集めたバス旅行で、日本人グループは15名くらいはいただろうか?その中でハブられたの。その頃は留学して7ヶ月は経っていたかな。私は英語がまだ話せてなかった。聞くことはなんとなく分かる…のか?というころ。日本人からはハブられ、その他の国の留学生はそれぞれの国同士で仲良くして。図太くなった今なら、英語もまあまあ話せる今なら、ハブられても気にせず他の国の子達と会話したと思うんだけど。当時は自己評価の低い、内向的で自分のあまりない、臆病者だったから。けれど、その沈黙の2週間が明けた頃、突然マシンガンのように話し出したらしい。迎えに来てくれたホストファーザーが驚いて、そう言ってくれた。英会話の不文律として、話す量が鍵、というものがあるけれど、私の場合は違ったみたい。どうやら本当に私には沈黙が必要なのかもしれないね。まあそうなるまでにも、たくさん本を読んだしラジオ聴いたし英語で日記もつけてたけどね。

 

小学校5年生でも一度ハブられた。その時、自我が初めて芽生えたと思う。自分と他人との区別がはっきりとついた感じ。

 

OL2年目でもハブられた。そしてその後、ハブられたことが直接的なきっかけになったのではなく、全然別の些細なことが原因で、「私ここで何やってんだ?」という思いに駆られ、そう思った翌日に転職活動、翌週には辞職願を提出、そして英会話業界に飛び込んで私の人生が初めて動き始めた気がする。

ちなみに英会話業界での1ヶ月間の研修でも悪口は言われた。ハブられることはなかった。10ヶ月が経った頃、それまで仲が良かった同僚から無視をされるようになった。

 

…つくづくハブられの人生やん。笑うわ。学生時代までのハブられは、理由はわかりません。いじめられてたわけじゃなく、仲良しはいつもいたしな。小学校の一度目に私をハブった子はその後幼なじみとして20年くらい仲良くしてた。そして数年前に決定的な亀裂が入って、もうお別れした。

 

社会人でハブられた直接的原因は、ある女子社員のお気に入りの男性(でも既婚者やで)が新入社員の私を特別扱いしたから、という理由だと思う。でもな、あれは多分、労災が絡むことを穏便に処理するようにと社長に言われていただけだと思う。ウブな私は「ご親切どうも」な感じで、その態度もお姉さまには気に入らなかったんでしょうけど。労災を隠してたんだと思うけど、あの人たちはそれには気づかなかったんだろうか?私は気づかなかったよ。

 

いつもハブられるたびに、「あ〜あ、またか。なぜいつも嫌われてしまうんだろう」とどんどんいじけてた学生時代。けど、英語が話せるようになって勘違いした私は強かったね。短大時代なんて、もう人と話が合わないことに関してはすっかり諦めていたもんね。だから休み時間はずっと勉強ばっかり楽しくしてたなあ。

 

英会話業界で私を無視した人にはそれなりの言い分があったみたい。私も当時は反省いっぱいした。そして、帰省のたびに会う仲になって、意外と親しくできてたんだ。でも今思うと、反省しなくても良かったかも。なぜなら彼女とは今年いよいよ連絡を絶つことにしたから。私のLINEが乗っ取られて、なんか向こうに嫌なメッセージが行ったらしくって、すごく怒ってしまった。私も被害者だし、怒られるのも疲れるので、もういいやって思った。一度無視をされてからは、私は仲直り?してからも、別に心から信頼を寄せていたわけではないことにも気づいた。

 

3年前、ハワイのおじいさんのサイキックのセッションを受けた時におじいさんが「君はずいぶん長い間人から誤解されてきましたね」と言っていたのはこの辺りのことなのかな。

 

友人Zに「私はいつも失礼する危険をはらんでいる気がする」と言ったらZは「自分は常に失礼しながら生きていますけど」と返してきた。味方、仲間はいるんだ(?)。

 

とにかく目立つなとしつけられてきたけど、私はきっと変わり者の部類。親はだから目立つなと言ったのかもしれないけど、大人になってから分かったのは、隠れても無駄ってこと。中途半端に人に合わせるより、堂々と失礼しながら生きていくと、必ず仲間が集まる。と信じたい。たとえ気さくにお茶に誘える人が今身近に全然いなくてもな!

 

まとめとして。とりあえず、なんでハブられたか未だにわからないことも多いよ。

そんな今の私は「人当たりの良さ」「コミュニケーション能力の高さ」で仕事をもらっています。

 

「実はいろんなことってそんなに確かなものじゃない、っていうことに気づいたら苦しすぎるから、あんまり考えないでいられるように、神様は私たちをぼうっとさせる程度の年月はもつような体に作ってくれたのだろうか。」

よしもとばなな「海のふた」中公文庫