Phnom Penh(2)
プノンペン、カンボジアの首都。
この街は、都市というほど大きくはない街。
けれど、内戦を乗り越えて、前へと進んでいる活気に満ち溢れた街。
中心部から東に進むと、トンレサップ川とメコン川が重なる所へ出る。
そこには、この街の忙しさや、過去から未来へと向かっているそのベクトルの力と裏腹に、静かな優しい空間が流れている。
夕方時に行くと、川は優しく太陽の陽を受けて、金色に色に輝く。
この街は、特に派手な見所はない。
けれど、歴史を紐解いていくと、如何に凄惨な出来事が、この街で起きていたのか、
長きに渡る内戦を越えて、やっと築き上げた瞬間が〝いま〟なのだと、そう考えると感慨深いものがある。
子供たちは、道で物を乞い、金を乞う。
その小さな肩に籠をかけては、本を売り、そしてお土産を売る。
時に、そういった子たちには、裏にマフィアや元締めがいて、
お金を回収していると聞く。
実際、そういった話は、現状から推察するに事実に間違いない。
それでも、子供たちが、こうして働かざるをえない、事情は切なく、そして悲しい。
だから、せめて笑顔をと思い、僕はいつも子供たちと遊ぶようにしている。
その目の奥の光を覗くと、絶望しか見えない。
よどんだその瞳は悲しく、厳しい現実を語る。
それでも、肩車をして、走り回ったり、一緒に飛び回ると
彼らの眼に光が差し、子供らしい素敵な笑顔になる。
やはり子供は子供だ。
彼らが、笑っていられる環境。
そんな環境があれば、と強く願う…
今でも、忘れない瞬間がある。
ある日、自転車を漕いで、町中を走り回って疲れた頃、
おなかが空いた僕は、パン屋さんに入ることにした。
すると小さな少年がひもじそうに立っている。
町外れのその場所で、ただ子供は寂しそうな目をしながら、僕に近寄ってきた。
そして、お金をせがむ。けれど、勿論お金はあげられない。
そこで、「パンを食べたい?」とジェスチャーすると
「食べたい」と頷き、店でパンを買った。
20円ほどのパン。それを、その痩せこけた体に力をと思い、
あげると、ひもじい思いの中で、小さな笑顔を見せてくれた。
その笑顔を垣間見た時、心には切なさが残った。
ある時には、僕が、子供たちの相手をし、遊び周って、
その後に彼らから本を買った事があった。
すると、その中の一人の男の子が、しつこくお金を強請ってきた。
「ねえ、買ってー、買ってよー」
そうすると、他の小さな女の子が
「もう十分相手してくれたでしょ。行かせてあげるの」
と叱り、僕の手を握って、その男の子の元から、引っ張っていった。
(カンボジア語は分からないので、何を言っているのかわからなかったが、
不思議とそう言っている気がした。)
その手は、小さくて、切ないその温もりに、僕はただ愛おしさを感じた。
こんなに、しっかりしていても、まだ子供は子供。
きっと甘えたいんだろうと…
ただ、彼らが親に甘え、日々食事をし、学校に行き、元気に遊びまわるだけでいい。
たった、それだけの望みが、この街では叶わない…
歴史を紐解いていくと、この台地の人々の優しさの向こうに、何か切ない、悲しいときを感じる。
それでも、時が止まることはない。
プノンペンを雄大に流れる川は、今日も人々の心を癒し悠々と流れている。
過去が拭い去れないものである一方で、時が刻一刻とたゆまず流れていくのと同じように。
石焼ビビンバ-炭火焼肉 快 小田原駅前店-
大好物の石焼ビビンバ
小田原で、美味しい石焼ビビンバが食べれます。
ここには、よく親しい友人と来るのですが、
とにかく、このビビンバは旨い![]()
激ウマです![]()
何しろ、東京から2時間半かけても、幸せになるくらい美味しい。
この前も、親友と箱根まで温泉に行った時に、
紹介し、美味しくほうばってしまいました![]()
テンション上がりまくり(‐^▽^‐)
ちなみに、もっというと、ここのユッケジャンスープはやばいです。
何がやばいかというと…
それは言えませんw
石焼ビビンバ、ユッケジャンスープ、等々韓国料理が好きな人は是非探して、行ってみて下さい。
問い合わせも受付です^^←宣伝?w
ちなみに、この店。本来は焼肉を食べる店ですがw
人生の分岐点(2)
2001年から2002年へと新しい船出へ
2001年の12月、他の皆が就職活動を始め、何かが回り始めたその時、
僕の人生もまた、その歯車を違う方向へと回り始めた。
正直、決断は怖かった。
普通、日本では、卒業する前に就職活動をし、
同じ時期に、決まった時期に、ガイドラインに沿って職を得る。
レイルの上で、物が決まっていく、そのやり方は、
いつでも合理的で、そして非情だ。
けれど、そんな決まった一つのレールを守って、安定した道を進むより、
僕には、自分の心に素直にやりたい道を進むことの方が、
魅力的に見えた。
今、振り返ると、僕は初めから心の中で、卒業して就職せずに、
海外へと進む道を選んでいたのかもしれない。
運命に呼ばれるかのように、僕は進んでいったのを覚えている。
そして、ついにその日は来た。
母親と向き合ったその日。
最初は大喧嘩をした。
無理もない。
大変な思いで育ててきた息子が、いざ就職という時に、
海外に飛び出すと言うのだから。
勿論反対された。
「もし行くのなら、勘当にする」とまでも。
彼女なりに、一生懸命僕のことを考えていてくれたのも、勿論分かっている。
それが、当然親だ。
そして、僕も懸命に考えた。
勿論、母親のために働きたいとも考えた。
自分がすることは、僕の人生とは言え、ある意味裏切りだということも。
学歴なんて無意味なものになることも。
すべてわかっていた。
それでも、それでも、この胸に次から次へとこみ上げてくる
抑えきれない感情を、押し込むことはせずに、先へと進むことを決めた。
その冬、僕は覚悟を持って、前へと進むことを決めた。



