チェンマイ-2002-
2002年の冬、2月22日から、僕は1ヶ月ほどタイへと渡った。
その時、再びチェンマイへトレッキングしに行ったのだが、
本当に素敵な思い出となった。
チェンマイは、首都バンコクから北へ710kmほど。
タイ北部の中心都市。
かつて、ランナー・タイ王国の首都として栄え、
現在でも、100を越える寺院と、昔ながらの城壁に囲まれた旧市街を中心に
街は広がり、過去の姿を所々に残している。
僕は、このチェンマイという街は、本当に美しい街だと思う。
最近だと約一年ほど前に、病院に友達を見舞いに行った時以来だろうか。
何度も訪れた中で、とりわけこの2002年に訪れた2回目のチェンマイは思い出深いものとなった。
多くのバックパッカーが、この街を訪れるわけだが、
お目当ては、なんと言っても近郊の山々への、トレッキング(山登り)。
日帰りから、1泊2日、2泊3日と。
色々あるが、チェンマイ周辺の山は本当に美しく、行く価値がある![]()
そして、チェンマイだけでなく、おススメなのは、ワット・プラタート・ドイ・ステープ。
標高1080mのドイ・ステープに聳え立つ、その寺は
とても綺麗で、22mの金色に輝くチェディ(仏塔)は美しい![]()
何よりも、日の沈む頃に見れる、綺麗なチェンマイの夜景は
本当に美しく。心を和ませる。
綺麗に区画された城下町の点と点が結ぶ、綺麗な無数の光たちは、
中心部から、広がるように瞬き、散りばめられた宝石のような輝きを見せる![]()
おススメです(‐^▽^‐)
そして、ここは何と言っても、ナイトバザールが面白い!
数多くの民芸品や、お土産類。
偽ブランド類から、洋服・靴まで。
まるで宝の山![]()
ショッピングするなら最適で、いつも行く度にドキドキしてますw
女の子なら、もっと楽しいんだろうなあ![]()
人Chang Klang Road.をまたいで、敷き詰められたように並ぶ
屋台が織り成すナイトバザールは、本当にこの街の見所です![]()
是非チェンマイ行ったときには、行ってくださいね(^ε^)
決意
2002年、年は新しくなった。
僕は、ただオーストラリアへ行く資金だけを考えて、
バイトに邁進していた。
とにかく、お金を貯めなきゃならない。
けど、その一方で、初めて一人で海外に住むことは、
住んだことのないものにとっては、何かとてつもないもののように思えて。
不安になりながら、経験者の話を聞いたり、本を読んだりしては、
その気持ちを、紛らわしたりしていた。
時が過ぎるほど、高まる気持ち。
その気持ちを抑えながら、ただただ現実的にお金を貯めていく…
2002年5月-6月。
僕は当初、休学を一年間して、オーストラリアへ行こうとしていた。
そして、そうすべく休学の申請をし終え、後期の9月から行く予定だった。
けれど、日本では、休学をするのに一定のお金がかかることも珍しくない。
僕のいた実際、大学では、30万もの、お金がかかった。
この30万円の意味?
何だろう?
お金を使うことは、支払うことは、簡単なことなのかもしれない。
けど、本当にお金の意味を考えた時に、
それでいいのか?と。
考えるようになった。
この時、30万円の意味が持つものは、
-学生でいることの証明。
-新卒者として、就職活動を出来る事。
その2点だけだった。
「新卒?
新卒ってなんだよ。
学校卒業してたら、会社は人を取らねえの?
それも、おかしくね?
だったらさ、そんなん考えないで、好きな方やろうぜ。
で、頑張ったら頑張った分だけ、見てくれる人が、必ずいるでしょ。
俺が新卒じゃなくても、仕事は手に入れられるって、証明したやろうぜ。」
そう思って、僕は休学することを辞めた。
卒業して、海外へ旅立つことを決めた。
確かに、「新卒」と「既卒」は、こうして就職活動を終えて、
今振り返ってみたら、果てしなく大きな壁があるほど、その扱いは違う。
受けられる会社の数さえ、変わってしまう。
けど、その当時の僕には「それ」が馬鹿らしく思えた。
「かっこ悪い」と思った。
不条理だと思った。
そんなシンプルな理由だ。
全部綺麗にしたら、そしたら、後は裸一つ。
何も残すものはない。
前に進むしかない。
そのくらいの覚悟がなきゃ、やりきれないだろうと。
僕はそう思っていたし、その位、オーストラリアでの時間に賭けていた。
人生の中で、初めて、自分の目の前にぶら下がった、その大きな目標を
納得いく所まで、成し遂げてやろうと、そう心に決めていた。
そして、2002年の夏、僕は休学を辞退した。
人生の分岐点(3)-母親-
いつでも水と太陽は優しさを語りかけてくる
「あのね、オーストラリアに行く話だけどね…
お母さん、色々考えたんだけどさ。
行って来なさい…
どうせ言うこと、聞かないんでしょ。
あんたが、言っても聞かないこと分かってるから。
だから、行って来なさい。
ただし、学校は絶対に卒業すること。
何があろうと学校は、卒業すること。
そして、自分の意思を貫けると思うなら…
行って来なさい。
けどね、勘違いするんじゃないわよ。
お母さんは、賛成するわけじゃないんだからね。
あきらめたんだから。
だから、勘当されたと思って、行って来なさい。
自分の道を…
精一杯頑張りなさい。」
12月終わりも近づく頃、ある夜、家に帰ると、
そう、母親が淡々と語りだした。
意外な言葉だった…
心の中で、僕は絶対に行くと決めながらも、決して許してくれるなんて
思ってもいなかった。
最後に引っかかっていたのは、母親の存在だった。
それを母は、考え抜いた結果、震えそうな声で、「行って来なさい」と言う。
どれだけ、悩み、辛い思い出送り出した事だろう。
女手一つで、10年以上かけて育てた、わが子を送り出す気持ち。
計り知れないものがある。
改めて、母親の偉大さを感じた。
そして、2001年、その年が2002年へと変わりかける頃。
僕は、ついに静かに夢へと動き始めた。
海外に出る!
その思いだけが、突拍子にこの心から溢れ出しては、
止まらず流れ出していった…

