人生の分岐点(1)
2001年、大学3年の秋。
世の中の同世代のやつらが、就職活動を始める頃、
僕は、まったく違う事を考え始めていた。
初めて、海外に1カ月だが一人旅に出て。
僕は、その先に見知らぬ世界が広がっていることを知ってしまった。
そして、それは僕が長年追い求めていた世界だということも。
就職か、夢=海外に住むこと、か。
二択だった。
頭の中には、まず最初に働いて、いつか海外に出れることもあるだろう、という考えも勿論あった。
しかし、そこに僕の心はなかった。
正直、母親がその腕一つで、兄と二人を育ててきてくれたことを考えれば、
就職するのが、1番だったかもしれない。
けど、僕は、「行くなら今その時しかない」と信じていた。
大人がすべて感じられない生き物だとは思わない。
けれど、歳を取るに連れて、その感性が消え去ってしまうのが、ただただ怖かった。
分別をわきまえ、判断をできる歳。
そして、今だ感性が鋭い、感じる心が残っている。
そんな時代に、海外へ出たかった。
そして、僕は2001年12月、年もくれる頃、母親と話を始めた。
岐路
大切な人。
心から大切な人。
人は、どれだけ人を想えるのだろう。
どれだけ人を大切に出来るのだろう。
どれだけ愛せるのだろう…
迷路に迷い、光の見えないところで、ふとそんなことを考える。
大切にされること。
大切にすること。
心の中にある想い。
断ち切れない想い。
考えれば考えるほど、どつぼにはまりながら。
答えを摸索している。
きっと答えなんてないのに。
素直な気持ちはすぐここに、胸の中にあるのに。
それでも、彷徨いながら、迷い続ける。
怪我と穏やかな時間の流れと
最近、怪我をした。
ギブスを巻いて、ゆっくりとしか歩けない足で、時にもどかしさを感じながら、
時に人の優しさに触れる。
ある人は、ドアを開け、ゆっくり笑顔で待ってくれた。
ある人は、倒れた自転車をわざわざどけてくれた。
朝、通勤時に、会社の最寄の駅から会社まで歩くのが一番辛い。
けれど、ゆっくり歩きながら、青空を仰いでは
「これも悪くないな」
とふと感じた。
旅をしていた時の、自由な空気に一瞬戻され、僕の心は「ハッ」とする。
例え、何があろうと、僕はこの心の中の自由を社会の厳しさなどには、明け渡さない。
そして、ただ僕が今、受けている人の優しさと同じだけ人に優しくしてあげたいと思う。
ただ、自分の川の流れを、この心の中に持ち続けたい。

