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箱根

「そうだ、箱根に行こう!」

そんな小田急電鉄のフレーズのように、今日僕と親友は、箱根・御殿場方面へと向かった。

久々の親友との遠出は、家族水入らずのような感じで、

最近怪我をし、大好きなバスケをできない為、

週末に時間のできた僕には、いい気分転換となった。

すべてが行き詰っていく中で、こうして心を開放し、

気のしれた友と出かけるのは、本当に素晴らしいことだ。


まずは、一路箱根を目指す。

車で、東京の地元から2時間半ほどかるが、

箱根は温泉に美味しいご飯、美術館や、湖。

近隣には、御殿場があったりと、周辺に住む僕らにとっては、

ありがたい存在だ。


そして、箱根について、彫刻の森美術館に着いたが、

天気が優れなかったため、急遽御殿場アウトレットに行き買い物。

親友は左足を怪我し包帯巻き、僕は右足にギプスむっ

二人そろって、「こんな歩いていていいの?」と突っ込みつつw

僕にとっての、初めての御殿場アウトレットは面白いものとなった。

きっとカップルで着たら楽しいに違いない、と思いつつ。

20年来のバカコンビ2人は、げらげら笑いながら、場違いなその場所で楽しんだ(°∀°)b


それから、箱根の温泉にゆっくりつかり、

足首の痛みをとる。

本当は、入っちゃいけない気もするが、

「神経痛・傷に効く」

って書いてあるから、自分たちを正当化し(・∀・)、

2時間も語りながら、温泉につかった。

帰りは、大好きな小田原の焼肉屋さんの「石焼ビビンバ」と「カルビクッパ」を

二人で平らげてナイフとフォーク、岐路に着いた。


箱根はやっぱり素晴らしい星

温泉は気持ちいいし、飯も美味しい。

近くには、御殿場もあるし、小田原もある。

この周辺の神奈川県民や静岡県民がうらやましいヘ(゚∀゚*)ノ

(僕は、昔から鎌倉、小田原、国府津辺りが大好き)


時間があったらぜひ、箱根&御殿場&小田原コース行ってください(-^□^-)

1泊して富士急なんて行ったら最高ですねニコニコ




美味しい、美味しいビビンバニコニコ


Phnom Penh(1)


独立記念塔


20数年の時を経て、内戦という呪縛から解き放たれ、

カンボジアの人々は、厳しい現実の中、未来に向けて、日々を強く生きている。

国の舵を担う人々を失ったその船足は重い。

しかし、確実にその帆を、前へと進めている。


上の独立記念塔は、その意味で、アメリカのインドシナでの横暴と行き過ぎた介入からも、

隣接するタイとベトナムという、歴史上、幾度もその国土を脅かしてきた、地域からも、

約30年に渡って続いた、悲しく、厳しい内戦からも、

乗り越えて、今その脚で立っているカンボジアという国の想いと誇りを、

僕個人としては、感じずにいられない。

特に、夕方、この塔の近くの広場に、運動をしに来たり、語らいに来る人々を見ては、

「平穏」というその時間が、どれだけ幸せで、かけがえのないことかが分かる。


カンボジアに行って、その凄惨な世界と、人々の生活の大変さを

Siem Reapの荘厳なAngkor Wat遺跡群との対照で、

垣間見た人は多くいるだろう。

そして、人々の力強さに心を押され、人生の儚さと自分の存在のちっぽけさを知っただろう。


時に、現実と非現実という言葉を、僕はよく耳にする。

海外で見てきたものは、「非現実」だと。

それはエゴだ。

僕らの信じる「現実」など、この世界で起こっている事の断片的な1つの現実に過ぎない。

だからこそ、僕らには、自分の人生を生きる責任と、

人生を全うする責任がある。

少なくとも、僕はそう思う。


僕にとって、カンボジアという国は、特別な国だ。

同じように貧しい、ミャンマーともラオスとも違う。

インドネシアとも違う。

インドとも違う。

それぞれの国が特別な中で、カンボジアは悲しさをその懐に秘め、未来へ動いている国だ。

隣国ベトナムのように。

62年前日本が敗戦後そうだったように。

勿論、すべての国が、すべからくその道のりを悲しい過去から、未来へと突き進んでいる。

その激流の真っ只中にいるこの国は、人生の意味を思い起こさせる。


そんなカンボジアは美しく、僕の心にいつまでも焼き付いている。



カンボジアという国


カンボジアの道


カンボジア。

東南アジア、タイの隣に位置するこの国は、国土は18万1千平方KM

日本のおよそ半分以下の面積に、約1400万の人々が住んでいる。

皆さんはこの国に、昔何が起きていたか、ご存知だろうか。


カンボジアでは1975年~1979年クメール・ルージュ時代に、
実の「800万人中200万人」の人が虐殺された。
人口の4分の1。


農業を第一産業として、独裁体制を築いたポルポト

教養層は、反乱の種となると見て、次々と虐殺

医師、教師、旧体制の役人・軍人、商売人等々、

国を引率するべき人々を、カンボジアという国から奪い去り、

自分たちにとって、統制しやすい体制を築こうとした。

国家にとって、人は宝であり、血液だ。

そして、実に200万人の教養層を失った、その国は迷走する。

べトナム軍進攻により、1979年、ポルポト政権は崩れ

現政権が誕生するものの、内戦は90年代後半まで続く。

そして、1998年4月15日ポルポトの死によって、

その暗黒の時代は、一つの幕を閉じる。


彼らはクメールルージュ政権後、十数年の内戦の日々を乗り越え、

いま「再生」に向かって少しずつ動いている。


人々は、親がいなくとも、住む場所がなくとも、

地雷で体の一部を失おうとも、たくましく、その現実の中を強く生きている。


本当は泣きたいほど、親の温もりや愛を欲しいその子供たちは、
今も路上で物を、お金を乞い続けている

それでも、子供たちが織り成す虹色の笑顔は、
何よりも眩しく、この世に天使はいるのだ、とそう思わせる。

カンボジアの大地は優しい。

肥沃な大地には、内戦時代に多くの地雷を埋められ、乾ききってしまった。

それでも、人を温かく包み込むその大地は、

心の優しい人々を生み出し、着々と未来へと進んでいる。


Angkor Watで有名なこの国に行って、見てもらいたいものは

人々が逞しく生き抜く姿である。

彼らは、日本人が失ってしまった、大切な「何か」を持っている。