中東のレバノンの視察(宗教事情) | くにまさのブログ

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    (『新・人間革命』第7巻より編集)

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 伸一がこの時、あえてベイルートを訪問したのは、イギリスの歴史家アーノルド・トインビーをして「生きた宗教の博物館」と言わしめた、レバノンの宗教事情を視察するためであった。

 

 レバノンは、当時、中東諸国のなかでは、唯一、キリスト教とイスラム教が二大宗教として並び立ち、しかもキリスト教徒の方が半数を上回っているとされていた。

 

 さらに、少数ながら、ユダヤ教徒もいた。

 

 これらの容認されている宗派だけでも十数派に上り、それぞれが独自の社会集団を形成していた

 

 レバノン社会では、これらの宗派がモザイクのように、複雑に入り組んでいたのである。

 

 レバノンの、公認された宗派が十数派というのは、日本と比べ少ないと感じるかもしれない。

 

 確かに、日本には、主な宗派だけでも六十近くあり、宗教法人は約十八万といわれる。

 

 

 しかし、レバノンの人口は、当時、日本の人口の六十分の一であり、しかも、宗教のもつ意味も、重さも、日本をは全く異なっている

 

 日本の宗教の多くは、国家に隷属してきた長い歴史をもち、冠婚葬祭のための儀式宗教となって久しい

 

 およそ宗教が社会的な力となることは稀であるし、宗教が個人の思想、信条、生活に、深く根差しているとはいい難い

 

 だから、一人が複数の宗教に所属しているケースもあるし、自分の宗教や宗派の教義を、いっさい知らないということも、決して珍しくはない

 

 いわば、形骸化した宗教の氾濫が、日本の宗教事情といえよう。

 

 

 

 

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