(『新・人間革命』第12巻より編集)
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〈新緑〉 23
そして、学会活動のなかで兆し始めていたアメリカ広布というテーマが、彼の新たな人生の課題としてクローズアップされていった。
彼は、これからどうするべきかを考え、懸命に唱題を重ねた。
すると、アメリカ広布という大舞台が胸いっぱいに広がり、そこを駆け巡ることこそが、自分のこの世の使命であると思えてならなかった。
彼の心は高鳴った。広布の大舞台に比べれば、あの”ブロードウエー”の舞台さえも、色あせて見えるのである。
笹原は、自分がダンサーを志し、アメリカに渡って来たのも、アメリカの広宣流布に生き抜くためではなかったかと思えてきた。
彼は、唱題の末、ダンサーを断念した。
しかし、日本には帰らなかった。アメリカ広布のために、この国の土になろうと決めたのだ。
そして、生活の足場を固めるために、仕事を探し始めた。
翌昭和四十三年、彼は、航空会社に勤務が決まったのである。
人生の道は、人それぞれであり、さまざまな生き方がある。
しかし、広宣流布の大使命に生き抜くならば、いかなる道を進もうが、最も自身を輝かせ、人生の勝者となることは絶対に間違いない。
妙法は「活の法門」である。すべてが無駄なく活かされていく。
広宣流布という大願に邁進する時、個人の諸々の願いもまた、ことごとく成就できるのが仏法の法則である。
笹原は、ダンサーをやめたあと、自分が活躍できなかった分、仏法を持った多くの優秀なダンサーなどの芸術家を育てようと心に誓った。
それが、広宣流布という新しき人間文化の創造に寄与する道であると、考えたのである。
