(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈操舵〉 27
この三月十六日の夜、東京・日比谷公会堂では、会長・山本伸一が出席して、青年部の弁論大会が盛大に開催された。
五年前のこの日、戸田城聖は、衰弱した体で、死力を振り絞るようにして、伸一をはじめとする青年たちに、広宣流布の後事のいっさいを託す、広布の記念の式典を断行した。
その戸田の精神は、日本の国の、いや、全世界の人びとの幸福と平和の建設にあった。
青年たちは、この師の精神をわが心とし、広布に走り抜いてきた。
弁論大会の会場には、民衆を守り抜かんとする、創価の若人の情熱があふれていた。
各弁士は「マスコミの改革を叫ぶ」「現代の評論家を批判する」「東京都政の実態を突く」などをテーマに、旺盛な批判力にあふれた熱弁を展開した。
そこには、無責任極まりないマスコミや評論家、また、腐れきった政治家への怒りが燃えていた。
日本は高度経済成長の時代に入り、経済的に豊かになるにつれて、青年層にも拝金主義の風潮が強まっていった。
そして、本来、生き方の最も大事な基準となるべき「善悪」や「正邪」に替わって、物質的な豊かさや格好のよさが、判断の尺度になろうとしていた。
その風潮こそが、「悪」を温存させ、政治権力の横暴や腐敗をもたらす土壌を形成しつつあった。
民衆を苦しめる「悪」を絶対に許すなー それが、戸田城聖の信念であり、教えでもあった。
青年が「悪」と戦わずして誰が戦うのか。青年が叫ばずして誰が叫ぶのか。青年が先駆となって行動せずして、誰が行動するのか。