(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈早春〉 25
(つづき)
御書には、仏法者の進むべき道は明確に示されている。
しかし、励まし、指導してくれる人がいないと、ともすれば、自分の弱い心や感情、わがままに負けてしまいそうになる。
信心というのは、その弱い自分の心との戦いなんだ。御書にも『心の師となるとも、心を師としてはいけない』と仰せじゃないか。
自分の心を制することができてこそ、まことの信仰の勇者といえる。
私は、いつも、皆さんのことを祈っています。一生涯見守っていきます。だから、どんなことでもよいから、手紙で報告してください。
私たちは、創価の兄弟なんだから」
西ドイツ、フランスと比べて、イタリアのメンバーはまだ少なかった。だが、核さえ育んでおけば、いつか時が来れば、大発展していくものだ。
伸一は、今、ここにいる人たちに、人生の大飛躍の種子を、懸命に植えようとしていたのである。
一行がローマを発って、中東のレバノンの首都ベイルートに向かったのは、一月二十二日の午前十一時半過ぎのことであった。
地中海に面したレバノンは、良港に恵まれた地の利を生かし、はるか数千年の昔、フェニキア人が根拠地を置いた国である。
以来、メソポタニアと地中海を結ぶ、交易の中心として栄えてきたが、文明の十字路の宿命か、
幾たびとなく、他国の侵略、さらに、エジプトのマムルーク朝やオスマン・トルコ帝国の支配が続いていた。
・・・。
こうした歴史を経て、レバノンには、キリスト教、イスラム教の各派が広まることになり、宗教上の対立も繰り返されてきた。
レバノンには、まだ学会員は一人もいなかった。