(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈早春〉 5
だが、炭鉱で働くメンバー以外は、彼らが住んでいる地域から何百キロメートルも離れたところに点在していた。
その同志を激励し、弘教に駆け回るには、どうしても車が必要であった。
佐田は、一大決心をして、中古の車をローンで購入することにした。
そのために、彼は食べる物も、着る物も惜しんで金を節約した。そして買った車が、フォルクスワーゲンであった。
その車を「若獅子号」と名づけ、西ドイツを駆け巡ってきたのである。
昭和三十七年の九月には、男子部員に続いて、一人の女子部員が西ドイツにやって来た。
耳鼻咽喉科の医師の高石松子である。
彼女は千葉大学の医学部を卒業し、念願の医師となったが、友人との人間関係に行き詰まり、また、医師としての自信も失いかけていた。
彼女の義姉は、医学の粋を尽くして治療しても治らなかった病を、信心で克服した体験をもっていた。
その義姉に勧められ、昭和三十三年に入会したのである。
彼女は、無我夢中で信心に励んでいるうちに、思いがけず母校の千葉大学の助手になることができた。
信仰の力を確信した。
やがて、山本伸一が会長に就任すると、世界広布が叫ばれ始めた。
高石も、西ドイツへの留学を決意した。いつか西ドイツの地で、自分が山本会長を迎えようというのが、彼女の念願であった。
しかし、交換留学生の試験を受けると、不合格になってしまった。子どものころから、優秀といわれ、試験に落ちたことがない高石にとっては、大きな衝撃であった。