(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈早春〉 6
彼女は、自分には、世界広布の使命はないのかもしれないと考えるようになっていった。
さらに、願いの叶わぬ信心に、疑いさえいだき始めた。
学会活動はしていても、心は悶々としていた。
彼女は、山本会長に指導を受けたいと思った。
昭和三十六年の暮れに、高石は学会の先輩である女性の医師とともに、聖教新聞社にいた伸一に会いに行った。
伸一は、高石の家庭状況などを聞いたあと、こう尋ねた。
「教学は?」
「まだ、教学部員になっていません」
彼女は教学部の任用試験に落ちていた。ろくに勉強もしなかったからである。
留学生の試験に落ちたことは衝撃でも、任用試験に落ちたことは、全く気にもかけなかった。
そこには、社会的な立場や肩書を優先し、信心の世界を軽く見てしまう、彼女の姿勢が表れていたといってよい。
「最高学府は出ても、教学はできないんだね・・・」
その言葉は、高石の胸に突き刺さった。それは、高石の信心の姿勢を正す、明快な指導でもあった。
彼女は、自分は一生懸命に信心をしてきたように思っていたが、心のどこかで仏法を見くびっていたことに気がついた。
そんな姿勢であれば、願いが叶わないのも、当然だと思えた。
高石松子は、信心を第一歩からやり直すつもりで、翌年一月の任用試験に挑戦した。
彼女の心は一変して、真摯な気持ちで教学を研鑽し、真剣に唱題に励んだ。その中で、仏法の偉大さを痛感していた。
任用試験の結果は合格であった。それは、彼女にとっては、”信心の合格者”になったことでもあった。