(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈早春〉 7
それから間もなく、高石は研修医として、ハイデルベルク大学医学部の耳鼻咽喉科への留学が決まったのである。
彼女は、喜々として、西ドイツの大地を踏んだ。
炭鉱で働く佐田幸一郎や諸岡道也らの男子部員と、医師である女子部員の高石が核となって、青年の力で、西ドイツの広布は飛躍的に進んでいった。
そして、この昭和三十八年の一月には、会員の世帯は、山本伸一が佐田に支部の結成を約束した三十世帯をはるかに上回り、五十世帯を超えていたのである。
一月十二日の午後からは、三十人余りのメンバーが参加して支部の結成大会が行われた。
結成大会では、副理事長の秋月があいさつした。
「山本先生は、かねてより、『ドイツのメンバーが三十世帯を超えたら支部をつくろう』と言われておりましたが、今やドイツは、五十世帯を上回るに至りました。
これは、ひとえに、皆様方の労苦をいとわぬ、献身的な日夜の活動の賜物であります。大変にご苦労様でした。
先生は、現在、アメリカにいらっしゃいますが、・・・ いよいよ本日、このドイツに、ヨーロッパで最初の支部を結成する運びとなりました。
まことにおめでとうございます」
参加者の笑顔が広がり、大きな拍手が起こった。
佐田の目には、涙が光っていた。
「さらに山本先生からは、次のような伝言がございました。
『支部名はドイツ支部にしたいと思う。
私の心には西ドイツも、東ドイツもありません。あの悲惨な象徴であるベルリンの壁をなくして、平和を建設していくことが皆さんの使命です。
また、それを成し遂げていくためのドイツ支部です』」