(『新・人間革命』第7巻より編集)
73
〈早春〉 4
ドイツ語を話せない彼らは、職場でドイツ人の同僚と、意思の疎通を図ることも難しかった。ノルマも厳しかった。
特に、小柄で体重が六十キロにも満たない諸岡にとっては、体格のよいドイツ人に伍して仕事をすることは、予想以上に過酷な、辛い作業であった。
朝は四時半に起き、六時には仕事を始めなければならない。彼は体力の限界を感じたが、毎日、死力を尽くして働き抜いた。
ドイツ広布を誓い、日本で地区のメンバーから見送られて、ここに来たことを思うと、決して弱音を吐くわけにはいかなかった。
体の小さい諸岡が仕事をしていくには、人一倍食べて、体をつくらなければならなかった。
しかし、黒パンにチーズやソーセージといった食事は、日本食で育った諸岡には抵抗があった。
しかも、慣れない仕事で疲労が重なったせいか、食欲が失せ、食事が喉を通らないのである。
黒パンを水と一緒に、無理やり喉に流し込むと、目には涙がにじんだ。
だが、やがて、彼の努力は次第に実り始めた。体格もよくなり、体力も増し、人並み以上に仕事ができるようになっていった。
それは、そのまま、日本人への評価にもなった。
諸岡は、寮生活で西ドイツでの暮らしをスタートしたが、弘教を進めるためには、一日も早くドイツ語をマスターしなければならないと思った。
そのために、寮を出て、ドイツ人の家に下宿することにした。
彼は、習い覚えたドイツ語を駆使して、その下宿の主人にも布教した。
佐田や諸岡の活動によって、二人、三人とメンバーも増え始めた。彼らは、座談会を開き、ドイツ広布への夢を語り合った。