(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈早春〉 3
「もし、ドイツのメンバーが十世帯になったら、その時に地区をつくろう。また、三十世帯になったら、支部を結成することにしよう」
佐田は、それは山本会長から、自分に与えられた目標であると受け止めた。
彼が日本を発ったのは、十一月一日であった。二十八歳になっていた。
デュッセルドルフに着いた佐田は、山本会長がヨーロッパ初訪問の折に宿泊したホテルを見に行き、ホテルの前に立った誓った。
”先生は、ここでドイツの広布を考えられた。ここに先生の題目が染み込んでいる。俺は頑張るぞ!”
佐田は、ヨーロッパの連絡責任者の川崎鋭治に連絡を取り、当時、西ドイツにいた三世帯のメンバーの激励から始めた。
さらに、炭鉱で働く日本人の同僚に、仏法の話をしていった。
戦いは開始されたのだ。
一方、ゲルゼンキルヘンの炭鉱のメンバーの中心となっていたのが、諸岡道也という二十三歳の青年であった。
彼も北海道の出身で、昭和三十一年に、十七歳で信心を始めた。十八歳で炭鉱で働き、男子部員として活動に励んできた。
・・・ 。
しかし、それは、実現性の乏しい夢物語と感じていた。
諸岡を悩ませたのは、家庭の問題であった。自分が中心となって、家計を支えなければならなかったからである。
ある日、思い切って、両親に、自分の希望を話してみた。彼より先に入会し、地道に信心を貫いてきた父親は、わが子の熱い思いを知ると、即座に言った。
「そうか、ぜひ行って来なさい。家のことは心配するな。思う存分、広宣流布のために頑張れ!」
・・・ 。
佐田幸一郎も、諸岡道也も、意気揚々と、西ドイツに渡ったが、炭鉱での仕事は決して楽ではなかった。