(『新・人間革命』第7巻より編集)
71
〈早春〉 2
やがて、昭和三十五年に、山本伸一が第三代会長に就任した。
伸一は、その年の秋には、北・南米の指導に旅立ったのをはじめ、アジア、ヨーロッパと、世界への平和旅を展開していった。
”青年よ、世界へ”と呼びかける伸一の指導に、佐田も、世界広布に青春を捧げたいとの希望をいだき、ヨーロッパに渡ることを夢見るようになった。
しかし、アルファベットも分からない自分には、それは叶わぬ夢であると考えていた。
そのころ、西ドイツのルール地方の炭鉱が、炭鉱技術派遣として、労働者を募集していることを知った。
駄目でもともとと思いながら、彼は意を決して応募した。すると、派遣メンバーに選ばれたのである。
”不思議だ! これは、自分には、ヨーロッパ広布の使命があるということなのだろう”
昭和三十六年十月、出発を前に海外局を訪ねたところ、職員が、聖教新聞社にいた山本会長のところへ案内してくれた。
伸一は、ヨーロッパ訪問から帰った直後であった。
彼は、笑みを浮かべて、佐田を迎えた。
「ドイツに行って、広宣流布をやろうというのは君だね。いよいよ君のような人が出てきたな。
ヨーロッパの広布の道は切り開いてきたから、安心して行ってらっしゃい。向こうでも、地涌の菩薩が待っているよ。
これから、君のあとにも、たくさんの同志が続くだろうから、決して、焦る必要はない。一歩一歩、階段を上るように、着実にやっていきなさい」
伸一は、西ドイツに渡って、広宣流布をやろうという、青年らしい心意気が嬉しかった。
伸一は、この時、佐田に約束した。