(『新・人間革命』第7巻より編集)
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〈早春〉 1
ヨーロッパはこの冬、大寒波に襲われた。しかし、その氷雪をとかさんばかりに、広宣流布の歓喜の炎は燃え上がっていた。
・・・ 。
それから彼らは、西ドイツのデュッセルドルフへ移り、ルール地方の炭鉱で働くメンバーの激励に向かった。
ここは、炭鉱労働者として、多くの日本人が渡っていたが、カストロプラウクセルとゲルゼンキルヘンの炭鉱に、八、九人の学会員が働いていた。
カストロプラウクセルの炭鉱で働くメンバーの中心になっていたのは、佐田幸一郎という青年であった。
ー 佐田は北海道の利尻島に生まれ、七歳で父親を亡くしていた。母親は女手一つで、彼を頭に四人の子どもを育てなければならなかった。
家計を助けるために、彼も、子どものころから働いた。小学校も満足に通うことができなかった。
十八歳になった時、彼は釧路の炭鉱に就職する。しかし、それから間もなく、母親が四十一歳の若さで他界してしまった。
さらに、彼自身も、作業中に左足をトロッコに轢かれるという大怪我をする。医師からは、左足を切断しなければならないかもしれないと告げられた。
佐田は、次々と襲いかかる不幸に、自分の運命を呪った。
光の差さない、炭鉱の坑道に閉じ込められたように、人生の前途に何一つ希望は見いだせなかった。
そんな時、同僚から仏法の話を聞かされた。宿命転換していくのが、この仏法であるとの確信あふれる言葉に、彼は入会を決意した。
昭和三十二年四月のことである。
幸いなことに左足の切断は免れ、怪我は完治した。彼は、男子部員として、歓喜に燃えて活動に励むようになった。