(『新・人間革命』第2巻より編集)
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〈勇舞〉 2
三百万世帯に向かう”怒涛の前進”のなかで、その基本が見失われ、砂上の楼閣のような組織になってっしまうことを、伸一は最も心配したのであった。
また、世界広布といっても、今はその第一歩を踏み出したばかりであり、広漠たる大草原に、豆粒ほどの火がともされた状態にすぎない。
それが燎原の火となって燃え上がるか、あるいは、雨に打たれて一夜にして消えてしまうかは、ひとえに今後の展開にかかっている。
そのためにも、今なすべきことは、一人ひとりに信心の指導の手を差し伸べ、世界広布を担う真金の人材に育て上げることにほかならなかった。
折伏と人材の育成とは、車の両輪の関係にある。この二つが共に回転していってこそ、広宣流布の伸展がある。
九月度の本部幹部会で千葉支部の人事が発令されると、石山への激しい批判の手紙が何通か学会本部に届いた。
”活動の実績もなく、信心の弱い婦人部長にはついていかない”というのである。
どこか意図的なものが、感じられた。
いかなる理由にせよ、広宣流布の使命に生きる同志を嫉妬し、恨み、憎む罪はあまりにも重い。
ゆえに、日蓮大聖人は、「忘れても法華経をたもつ者をば互いにそしるべからず」と、戒められているのである。
人の心ほど移ろいやすいものはない。善にも、悪にも、動いていく。
偉大な創造も成し遂げれば、破壊者にもなる。仏にもなれば、第六点の魔王(生命の魔性のの王)にもなる。
その心を、善の方向へ、建設の方向へ、幸福の方向へ導いていくのが正しい仏法であり、信心である。
山本伸一は、この問題について、真剣に考えざるを得なかった。