「心こそ大切なれ」 | くにまさのブログ

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(『新・人間革命』第2巻より編集)

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 〈勇舞〉 3

 

 ー 信心によって病を克服した体験を持つ婦人が、なぜ、周囲をも巻き込み、団結を破壊しようとするのか

 

 その一念の狂いは、何ゆえ生じたのか。

 

 日蓮大聖人は 「もし、己心の外に法ありと思わば、全く妙法にあらず」と仰せである。

 

 つまり自分自身が一念三千の当体であり、幸福も不幸も、その原因は自己の生命のなかにあると自覚することから仏法は始まる。

 

 しかし、周囲の人を嫉妬するというのは、自分の幸・不幸を他人にい見いだし、”己心の外”に法を求めているからにほかならない

 

 そうした考えに陥れば、状況が変化するたびに一喜一憂し、困難や苦しみにあえば、周囲を恨み、憎むことになってしまう。

 

 そこには自分を見つめることも、反省もない。ゆえに成長もなく結局は自分を不幸にしてしまうことになる。

 

 また、組織の中心や幹部といっても、人間である限り、長所もあり短所もある。

 

 未熟な面が目立つこともあろう。問題は、そこで自分がどうするかだ。批判して終わるのか、助け、補うのかである。

 

 中心者を黙々と守り支えてこそ、異体同心の信心といえる。

 

 そして、どこまでも御聖訓に照らして自己を見つめ、昨日の自分より今日の自分を、今日の自分より明日の自分を、

 

 一歩でも磨き高めようと挑戦していくなかに、人間革命の道はあるのだ。

 

 そこにのみ無量の功徳があり、福運を積みゆくことができるのだ。

 

 この婦人は、これまで一生懸命に信心に励んでいたように見えても、結論するに、仏法の基本が確立されていなかったのであるー 。

 

 彼が最も心配していたのは、支部の婦人部長としてこれから活動しなくてはならぬ石山照代のことであった。

 

 石山にとって支部婦人部長の就任は、予想もしないことだったようだ。彼女は任命を受けたものの、自分が果たしてその責任を

 

 全うできるのか不安をいだいていた

 

 

 

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