いつものことですが8月後半の時間の流れはどうにかならないものか-ということで、少し気持ちがアレな感じですが、今回も、トークのスクリプトです。終業式で時間をもらってしゃべらせてもらいました。だから、「TV終業式ミニトーク」ということになります。
毎年どこかのタイミングで「多様性と平等についての宣言(通称)「ダイバーシティ宣言」をなんとしても生徒手帳に!」というトークを入れてますが、マイナーチェンジを重ねてきたこのネタを、今年もしゃべらなければならないということになってしまいました。
あらためて。スクール・ダイバーシティは、こんなことを目指しています。わたしたちはその創設メンバーが作った「多様性と平等についての宣言」を生徒手帳に載せること、つまり、それによって学校としての、アンチ差別の態度、多様なあり方を受け止め合いその平等を守る意志のはっきりとした表明を目指しているということです。まずは「宣言」をあげておきます。
「多様性と平等についての宣言」(2014.5.15宣言、2021.3.11改定)
*わたしたちは以下に挙げるものを含む多様性を受け入れ、それらを理由に誰に対しても、直接的にも、間接的にも差別、疎外をしません。人種、国籍、宗教、文化、言語、民族的または社会的出身と境遇、社会的性別、生物学的性別、性的指向、性自認、身体的特徴、心身の障がい、年齢、家柄、家庭環境、学内外の所属または活動、趣味趣向など。
*わたしたちは、差別、疎外に結びつくようなすべての言動に対してつねに繊細であることを心がけ、学校内の多様性とその平等が損なわれる場合、または、損なわれると感じられる場合、適切な方法でそれらの対処に努めると同時に、高等学校に対して、適切な方法での解決を求めます。
*わたしたちは、一人ひとりの多様性に寛容になり、互いにそれを尊重しあうような学校生活の実現を求め、多様性とその平等をないがしろにする全てを根絶するために努力を惜しみません。
10年前に生徒たちが作って、翌年度生徒総会で承認されて、5年前から「カード」という形で毎年全員に配布しているこの「宣言」をどうして生徒手帳に載せることができないのか?-納得できない感にあふれたトークをどうぞ苦笑。
AB:おはようございます、スクール・ダイバーシティです。
A:今日は、これ、「多様性と平等についての宣言」です。みなさんには、「カード」という形で4月に配布されたと思いますが、これを「学校による宣言として生徒手帳に載せたい、というか、載せるべきだ!」―というわたしたちのスタンスを今年も共有したいと思います。
B:さて、この「宣言」ですが、11年前にスクール・ダイバーシティの創設メンバー、5人の生徒たちが作りました。あのネルソン・マンデラさんたちが作った南アフリカの憲法を、学校のリアルをふまえてアレンジしたものです。
A:ポイントはこんな感じです。—人種、国籍、性別、性的指向、性自認、障がいの有無、家庭、学内外の活動、趣味などによって、誰のことも差別しない、そして、差別があったらそれをストップさせるために学校とともにアクションを起こす。
B:たしかに、もう「カード」はあるし、その手軽さは悪くないとは思いますが、でも、あれだとやっぱり「ダイバーシティがやってること」という感じで、学校が本気で差別に反対しているようには、見えない――というのがわたしたちの実感です。
A:だから、ここはやはり「生徒手帳」に「宣言」を―と思うわけですが、でも成蹊高校は、「学校としていかなる差別も許さない」と宣言することをためらっているように見えるのです。
B:場合によっては「《あり》な差別」もある?――そういうことでしょうか? そうでないなら、どうしてためらうのでしょうか?
A:「生徒の間で浸透してから」――ということを11年間言われて来ました。でも、「いかなる差別も許さない」と学校が宣言することに、安心・安全を感じる生徒はいても、それを嫌がる生徒がこの成蹊にいるのでしょうか? それとも、「反差別宣言」で困る人たちが学園のどこかにいるとか?
B:もしもいたとしたら、それこそ、学校として立場を明確にする必要があるのではないでしょうか? 「ここでは、いかなる差別も許されない」――という。
A:現状、差別も、それにもとづく誹謗、中傷も世の中には溢れかえっています。そのために取り返しのつかない悲劇も繰り返されています。先日は、ダイバーシティな活動にとって、もっとも大切なひとりだった人も亡くなってしまいました。
B:成蹊が、そんな現実に、はっきりと「ノー」を突きつけるような学校だったとしたら、それは、本当に誇らしいと思います。みなさんは、どうでしょう?
ずいぶん以前こんなことを書いています。「マンデラさんは亡くなり、彼が夢みた「虹の国」はかつても今も存在しないし、近い未来に現れることもなさそうです。」
この状況、今も全然変わりませんよね。世界各地で人種、民族、文化間の不信を浮き彫りにするような事件が続いているし、サッカーW杯のカタールでも話題になりましたが、同性愛者が同性愛者であるという理由で処罰される社会もなくなりません。ここ日本でもネットのコメントにはあらゆる類のヘイトがあふれています。でも、 こう考えてみてはどうでしょう。「虹の国」は遠くかすんでいたとしても、「虹の学校」ならば? それだって簡単じゃないということは、わたしたちも知っていますが、でもこの「学校」というスケール感は、絶妙なのではないかとあらためて思い始めています。広すぎず、狭すぎず、縦にも横にもつながりそうな、がんばり切れそうなスケール感―—スクール・ダイバーシティの活動をこんなふうにとらえるといくらか気持ちが上がるような気がします。
このトークですが、途中、ryuchellさんが亡くなったことに少し遠回しでふれたことに気づいた人もいるでしょう。ryuchellさんについては、言葉もありません。控えめに言っても、日本のダイバーシティな活動にとって、最も重要な人のひとりでした。でもそのような評価は、実際のところ、ryuchellさんに共感したり応援するふうでいて、結局、ダイバーシティないろいろのすべてをryuchellさんに「おまかせ」してしまっていた、つまり、矢面に立たせてしまっていたということを意味するだけだったと気づかされました。ryuchellさんに負わせていたいろいろをもっともっとシェアできただろう―っていう。そんな痛恨も込めて、自分たちに出来ること絞りだしながら活動を続けていこうと思っています。