デンマークのショッピング・モール
もう、1月以上も前のことになります。
7月の終わりの金曜日には、
買い物に出かけました。
その前に、長男の親友のおうちに、ちょっと寄って、
一緒にパナケーエpandekageを食べました。
パナケーエは、英語ではパンケーキですが、
ホットケーキのようにふくらませてません。
かといって、クレープほど薄くはありません。
それにジャムやクリーム、砂糖なんかを乗せて
巻いたり、たたんだりして食べます。
朝から、長男の親友のステーフンがひとりで、
たくさん焼いて、待っててくれました。
ステーフンは技術専門学校に通う18歳です。
将来、彼の父や兄のように電気工事屋さんに
なりたいのだそうです。
こちらがステーフンのおうちの中です。
デンマーク人の家はいつも、キレイに片付いています。
こちらがステーフンのおうちの庭。
ここは普通の住宅街の、一戸建ての家です。
さて、それから、買い物によく行っていた、
ネストヴィズNæstvedの街にある
ショッピングモール に行きます。
通いなれた道を30キロほど、走ります。
外は小雨模様ですが、日本の猛暑のことを思えば
「雨もまた良し」です。
ショッピングモールの中をカートを押して歩きます。
セレッソのシャツ着てるのは、うちの次男です。
日本のスーパーカー・ブームの時代なら、
これだけでも大騒ぎでしょうね。
左は電機屋さん、右は雑貨屋さんですね。
通路も広々としています。
Wickedむけの緑のマネキンもいますねwww。
大型の水槽もあって、水族館のように子どもも見入ってます。
カートがけっこう大きいので、乗せている子どもの位置も高く、
大人と視線があわせやすいというのも、いいと思います。
では、モール内最大のスーパーをご案内しましょう。
広いので、全部はご紹介できませんが、ほんの一部。
まず、目指すのはレゴのコーナー。
スーパー内のおもちゃ売り場の中でも、
かなりの面積を占めてますので、
遠くからでもすぐに見つけられます。
ときどき安売りもするので、そんなときは見逃せません。
ずっと飛ばして、次は食料品売り場の中の
チーズのコーナーへ。
チーズ売り場は、こんなに広いです。
(この写真に写っていないところにもずっと続いてます)
そして、デンマークのチーズが、またおいしいのです!
次は野菜のコーナーへ行ってみましょう。
必要なぶんだけ、自分で袋に入れます。
生でパクパク食べます。
アナセン(アンデルセン)の作品にも、
「5つぶのえんどうまめ」や
「えんどうまめの上に寝たお姫さま」など、
エンドウマメの登場するお話がありますね。
これもできるだけ身の詰まってそうなのを選んで、
量り売りです。
パックに入ったコーナーももちろんあります。
エノキはenokiと書かれてパックで売られてます。
デンマークで、こんなに野菜が豊富になったのは、
政事・軍事・経済の多方面にわたるEU統合と、
1998年のシェンゲン協定加盟国内のパスポート検査撤廃、
以後のこと。
けっこう新しいんです。
デンマークの食生活も大きく変貌しつつあります。
冷凍食品コーナーにこんな表示も。
お醤油もこんなに種類が置かれるようになりました。
お米も、かなりの種類が売られています。
パエリアむきも、サフランライスむきもいろいろあります。
スシパックも売られていました。
もちろん、
デンマークに日本人がたくさん住んでいるということは
ありません。
また、デンマークを訪れる日本人もそんなに多くありません。
それに、多く訪れるのは、
コペンハーゲンやオーゼンセ、オーフスくらいです。
こんな観光都市でもない町で、しかも生鮮食品、
売れなければ、当然廃棄になるはずなのに、
これだけ並べているということは…、
かなりスシがデンマークに浸透しているということですね。
こっそり内緒にしたかったくらいですが…、
ここだけの話…、
デンマークは、とっても住みよい国です。
食生活も工夫すれば、毎日日本食だって食べられます。
以上、今回はデンマークのショッピング(一部)ご紹介でした。
デンマークにご転勤の方、ご留学の方などいらっしゃいましたら、
何が入手しやすくて、何が入手困難か…など、
いろいろアドヴァイスさしあげることもできます。
どうぞお気軽にお問い合わせください。
クベンハウンは、コペンハーゲンのこと。
デンマークの伝説でちょっとまわり道しましたが、
リングステズの町にあった
プルサ(ソーセージ)スタンドで昼食。
それから、大急ぎでホームタウンに戻って、
約束していたインゲ先生とバウンさんのおうちに向かいます。
インゲ先生がドアの前に立って出迎えてくれています。
実はこのおうち、古いようで新築です。
というより建てかけです。
インゲ先生とバウンさんが、自分たちで建てたのです。
デンマーク人は、しばしば自分の家を、
自分で建てたりします。(オドロキです)
夢をふくらませながら、よく考えて、
少しずつ、何年もかけて建てていきます。
8年前にぼくたちがいたときに、
着工しだしたと言ってた家です。
広いお庭も、少しずつ整備中で、
資材の石もゴロゴロしてます。
少しずつですが、コツコツと、
楽しみながら完成させていきます。
ここで、ヒュッゲな時間を過ごしてから、
その日は、ホテルに帰って行きました。
さて、翌日はコペンハーゲンです。
第一の目的は古本屋さん。
旧証券取引所の前に車を停めて、
まず、情報集めに、グロントヴィ協会のある
これはヴァートウにあるグロントヴィの像です。
なんとか、古本屋をさがして、用件を済まし、
国立博物館で相当時間を費やしたあと、
コペンの街をウロウロします。
ホイブロという広場には、フィスケコーネの像があります。
魚おばさんという意味ですが、
昔は、この辺りで、こんな風にして魚を売っていたのでしょう。
今日は、魚料理を食べることにしましょう。
コペンハーゲンのレストランでおすすめは、ここ。
ペダーオクセPederoxeというお店です。
落ち着いた店内です。
コペン価格なので、少しお高めですが、味は満足です。
もうちょっと、コペン散策を続けましょう。
この人はご存知でしょうか?
テュコ・ブラーア(ティコ・ブラーエ)という
デンマークの天文学者です。
彼の集めたデータを解析して、弟子のケプラーが、
有名なケプラーの法則を発見しました。
デンマークのヴェン島という島に、
「星の城」Stjerneborgという名の、
テュコの天文台があったのですが、
彼の死後、取り壊されてしまいました。
その代わりに、新しい天文台として建てられたのが、
このロネトーン(円塔)Rundetårnです。
コペンハーゲンのランドマークの一つになっています。
完成したのは1642年、日本では徳川家光の時代です。
もちろんてっぺんまで上がることはできるのですが、
このときは、明るくても時間は夜の9時をすぎてます。
もちろん、営業時間外です。
前の本屋さんのショーウィンドウをちょっと覗くと、
日本のデザインを紹介した本がありました。
ジャパニーズ・ポップ・カルチャーなのだそうです。
たぶん、ドイツの出版社だと思います。
そのとなりには、
浮世絵の本も並べてありました。
日本文化への関心度はかなり高いようです。
また、ストロイエまで戻ります。
すると、ロイヤル・コペンハーゲンの店の前に人の列が…、
すると、iPhone4の発売日なのだそうです。
列の先に行って見ると、なるほど、
iPhone4のお店がありました。近寄ってみてみましょう。
たしかに今日の夜10:00からと書いてありますね。
でも販売はどうやら深夜12時のよう。
日英米独仏では6月にすでに発売されています。
それに続く17カ国での発売日なのだそうです。
楽しみに待つ人の列を、
遠くからフィスケ・コーネが見つめていました。
このあと、暮れかかってから、
人魚姫を確認に行ったときのことは、
すでにご報告しましたね。
あゝ、なんだか、オチのない話ばっかり…
まだまだ題材は山ほどあるのに、なんだかダラダラしてますね。
あ、そうそう、このときパーキングに戻ったときに、
いきなり「スキップ!」と声をかけられました。
見ると、昔の同僚のレスリーとお子さんたちがいます。
いくらデンマークが田舎だからといっても、コペンは都会です。
メールでデンマークに行くことは伝えておいたのですが、
偶然に出会うなんて、とっても珍しいことです。
「電話をするつもりだったよ」
「いつか家に来てちょうだい」
「今度の日曜ならまだ空いてるけど」
「じゃあ、日曜のお昼に来てちょうだい。一緒にランチをしましょう」
といって、そのときは別れました。
ダウマー姫の十字架
ハグバルド王子とシグネ姫の伝説の地にほど近く、
リングステズというちょっとした町があります。
この町には、大きな教会もあり、
前にはヴァルデマー大王の銅像も立っています。
今回のお話は、このヴァルデマー大王の息子、
ヴァルデマー勝利王(在位1202-1241)にまつわるお話です。
ヴァルデマー勝利王は、エストニア遠征の大成功により、
勝利王という愛称で呼ばれるようになった、有名な王です。
しかし、そればかりでなく、その戦争よりも前、
彼の最初の妃ダウマー姫とのロマンスでも有名です。
ヴァルデマー勝利王は、
王妃はスカンディナヴィアの王族から娶るという
それまでの慣例を破り、
遠く、南方のボヘミアから若いダウマー姫を妃に選びました。
30歳を越すヴァルデマー王のもとに嫁いで来たときの
彼女はわずか14歳です。
彼女は、ボヘミア王の血をひく姫でしたが、
家の事情から、いわばなかば政略結婚として、
はるか北方のデンマークの地に嫁ぐこととなりました。
彼女の本当の名前はドラゴミア。
ボヘミア調のその名前が親しみにくいので、
デンマーク語の「あけぼの姫」あるいは「朝日姫」という
意味の「ダウマー姫」と呼ばれるようになりました。
彼女のデンマークでの暮らしは、詳しく伝わっていません。
しかし、彼女はとても利発で聡明な少女として
語り継がれています。
そして、彼女の最期については、
バラッド(物語詩)が伝わっています。
彼女はユラン半島南部のリーベという町で病の床に伏し、
そのとき王はユラン中部スカナボーにいました。
彼女の病床の周りには、
デンマーク中から貴婦人たちが集められましたが、
なすすべもありません。
ダウマー姫は自分の死が近いのを悟り、
ヴァルデマー王を呼びに、呼びにやりました。
彼女の馬丁が、使者として馬に飛び乗り、
130キロの道のりを、スカナボーまで馳せつけたのです。
ヴァルデマー王は、すぐさま馬をしつらえて、
百人の家臣とともに、ユランの原野を南へと駆け抜けます。
あまりに過酷な騎乗であったため、
リーベの町の入り口にある橋にたどり着いたとき、
家臣はだれもついて来れず、
王の乗馬ただ一騎のみ、リーベに入っていきました。
それでも、王の到着は遅すぎました。
王が町の通りを駆け抜けているとき、
ダウマー姫は一人の貴婦人の腕の中で、
息をひきとります。
王は、その死の部屋に駆け込んで来て、
そこにいるすべての者に彼と祈るように命じました。
「私は断固として、ダウマー姫との別れを
許しはしない……」と。
そして、奇跡は起きました。
彼女が目をさましたのです。
しかし、彼女の目は血のように赤く、
彼女は最後のお願いに、ヴァルデマー王に
いとまごいを申し出ます。
そして、彼女は永遠の眠りにつきます。
その物語詩の繰り返し部分には、こう歌われています。
「あれに見えたるリングステズに、
ダウマー姫は眠れリ」
リングステズの町に彼女が埋葬されたというのは事実です。
18世紀のあるとき、教会のある司祭が、
ダウマー姫の墓所を掃除して、
その場所に自分の妻の棺を据えようとしましたが、
そのとき、美しい小さな黄金と七宝でできた十字架が発見されました。
それが今でも、
コペンハーゲンの国立博物館に展示されている
「ダウマー姫の十字架」です。
そして、こちらが裏側です。
今でも、このダウマー姫の十字架のコピーが、
洗礼式の贈り物として、
たくさんのデンマークの小さな少女たちの頸を飾っています。
この話には実は続きがありまして、ダウマー姫なきあと、
後妻としてポルトガル王女のビレンガーリア姫が迎えられましたが、
この名前がまた、デンマーク風にビーンゲアト姫と変えられました。
ところがその意味は「熊の飼育係」です。
彼女はとても美しい女性だったそうですが、
とても悪い人だったという伝えられています。
リングステズ教会からは、彼女の髪と頭骨が発掘されています。
髪は今も保存されており、教会に展示されています。
すでに灰色にしぼんでしまっていますが、
きっとゆたかに美しいものであったことが想像されます。
また頭骨は非常に均整のとれた、美しいものであったと言われています。
でも、デンマーク人には今でもダウマー姫の方が
よっぽど人気があるというのは、いかにも不思議ですね。
ハグバルト王子とシグネ姫
歴史的に一番古くさかのぼれるデンマーク王は、
ゴーム・デン・ガンムレ(ゴーム老王)といいます。
在位は諸説ありますが、西暦936年~約958年です。
しかし、彼は伝説では第58代デンマーク王です。
今回のお話はもっともっと古い、
第31代のシガル王の時代のことです。
シガル王には何人かの息子たちと
シグネ姫という娘がおりました。
息子たちは、遠くノルウェーに遠征に出かけ、
敵の王子ハグバルトの手にかかって殺されてしまいました。
そののちハグバルト王子は、デンマークにやってきて、
単身シガル王の宮殿に女装してしのびこみ、
シグネ姫と永遠の愛を誓うようになります。
シグネ姫は、兄弟を殺された恨みより、
むしろその武勇に魅力を感じていたようです。
やがて、ハグバルト王子は宮殿で見つかり、
激しい戦いのあと、とうとう捕まってしまいます。
シガル王やその王妃にしてみれば、
息子たちを殺され、娘の心まで奪われた
憎い敵です。
裁判で死刑が宣告され、
彼は丘の上の刑場に引き立てられます。
宮殿の中では、恋人を奪われ悲しみにくれる
シグネ姫と、そのおつきの女官たちが、
ハグバルトとともに、自らの命を絶つことを決心します。
丘の上で刑吏にむかってハグバルト王子は、
絞首台に彼のマントをかけるように頼みます。
刑吏が、言われるようにマントをかけると、
宮殿の望楼に立つ見張りは、それを見て、
てっきりハグバルトが吊るされたものと思い、
「ハグバルト王子は処刑されました」と報告します。
それを聴いたシグネ姫は、自らの宮殿に火を放ち、
綱で首を絞めて、命を絶ちました。
たくさんの女官たちもそれに従います。
宮殿のシグネ姫の寝室から火の手があがるのを、
丘の上から認めたハグバルト王子は、
シグネ姫が愛の誓いを守ったことを確信し、
喜んで、刑吏をうながし、絞首台にのぼるのでした。
今でもスィーアステズ(シガル王の町)の郊外に、
ハグバルト王子が絞首にかかった丘、
シグネ姫の女官たちの部屋の建っていたところ、
というのが残っています。
…長くなりましたが、以上は
サクソ・グラマティクスの書いた『ゲスタ・ダノルム』
という古典に伝わる
ハグバルト王子とシグネ姫の一節の概要です。
同書はまた、農民が畑を耕していて、
立派な梁(はり)を見つけたが、
これこそシガル王の宮殿の痕跡らしいと
いうようなことを書いています。
グルントヴィが「北欧神話」という本の中で、
「シグネの女官の部屋の梁を鋤き返す」
“Pløiningen efter Bjelkerne af Signes Jomfru-Bur”
ということばを使っていたのは、ここからの援用です。
さて、本当に前置きが長くなりました。
ここからがいよいよ本題です。
グルントヴィを読みながら、
どうしても、その伝説の地を訪れてみたいと
ぼくはずっと思っていました。
インターネットでいろいろ情報を収集して、
レングステズRingstedの町の郊外に、
スィーアステズSigerstedという村落があり、
そのまた、村はずれに、
ハグバルズ・ホイHagbalds højという遺跡があるらしい、
そしてそのすぐそばにシグネス・ホイSignes højという
遺跡もあるらしい、というのはわかりました。
けれども、どちらも地図には載っていません。
とにかく車を走らせて、
現地周辺に行ってみることにしました。
なんとか人に訪ねながら、
ハグバルズ・ホイは見つけました。
丘に見えませんか?
デンマーク(特にシェラン島)は平らな土地なんです。
もうちょっと近づきます。
まわりに誰もいませんが、ふもとにはちゃんと案内板もあります。
ホイhøjはデンマーク語で丘のことですが、
同時に墳丘つまり古墳の意味でもあります。
ここも、考古学的には、
青銅器時代(紀元前1800-500)の古墳でした。
考古学者によっては未発掘であると書かれていました。
ここが、「ハグバルト王子処刑の丘」の
伝説の地だと思うと感慨もひとしおです。
さて、次はシグネス・ホイですが…。
こちらは、さっぱり手がかりがありません。
スィーアステズの村の教会にも行ってみましたが、
まわりに誰もいません。
この碑にも何も書かれていません。
てっぺんに王冠がのっているのは、
シガル王の王宮がこの地にのあったという誇りでしょう。
途方にくれているとき、村の西のはしっこの家の裏畑で、
やっと働いている人影を見つけました。
大きい牛を飼っている家でした。
最初に奥さんに、話をしたら、
「夫を呼んでくるわ。彼はここの生まれだから」
と言って、すぐに呼んできてくれました。
「こんにちわ」
「どこから来たの?」
「日本です」
「へぇ、あのワールドカップの試合は見たかい?
ぼくたちは負けちゃったけど…」
ちょうどその日、ぼくはデンマーク代表のシャツを
着ていました。
「デンマークを応援してましたよ」
それからシグネス・ホイの話をしたら…、
「ハグバルズ・ホイじゃないのかね。
ハグバルズ・ホイには行ったのか?」
「ええ、行きました。シグネス・ホイを捜しているんです」
「あぁ、知ってるよ。
ハグバルス・ホイの手前でね…、ここから2キロ、
う~ん、バイクで先導してあげるから、ついておいで。
バイクを出してくるから、ちょっと待ってて」
と言って、彼は自転車に乗って出てきました。
バイクって、自転車だったのです。
緩やかなくだりだったとはいえ、約2キロ。
彼は颯爽と自動車の前を先導してくれました。
畑の中の道で止まった彼は、
「あの向こうに見えているのが、それなんだけど…
近づけないな。畑の中だから」
わかりますでしょうか?
親切に教えてくれた彼に、
一生懸命お礼を言うと、
「じゃあ、さよなら」
といって自転車を、ひっくりかえして、
今度は緩い上り斜面を、颯爽とこいで登っていきました。
さて、もう少し、なんとか近づけないものでしょうか?
いろいろ廻ってみましたが、
立ち入れそうな道はありませんでした。
いちばんマシなところから、カメラのズームでパチリ。
一応、ネットでもう一度調べなおしてみると…。
レングステズ市の植生保護の報告書に、
エルメ・ホイElme høj別名シグネス・ホイとして、
この同じ丘(古墳)が、写真つきで載っていました。
さすが、地元のおじさん…彼でないとわからないような、
何の案内もないところを教えていただいて、
ぼくは、悠久の歴史ロマンに浸ることができたのでした。
これはおそらく、ハグバルト王子とシグネ姫の伝説の地を、
日本で紹介したはじめてのものだと思います。
少しでも、興味を持ってくださる方がいれば、
ぼくは幸せです。
【追記】位置情報
ハグバルズ・ホイ 55°24'30" N 11°42'36" E
シグネス・ホイ 55°24'46" N 11°42'32" E
『ゲスタ・ダノルム』は『デンマーク人の事績』という
谷口幸男氏訳の日本語版で
1章から9章まで読むことができます。
(10章から16章までは未刊)
日本では有名な話ではないので、説明が長くなってしまいました…。
ぼくに文章力があれば、もっと簡潔になったと思います。
ニュクービング・ファルスタの中世センター
デンマークに着いたのが7月26日の夜。
一夜明けて、ホテルで動き出す準備をしていたら、
知人のカイ先生が「スキップ先生!」といって
訪ねてきた。
何人かに旅行のことを言っておいたのを伝聞したらしい。
とりあえず再会の日程を打ち合わせて帰った。
それから長男の小学校のときの
親友ステーフンを訪ねていった。
日本に留学していたのはスティーフン。
同じ綴りだが発音がちょっと違う。
さてステーフンとも再訪の約束をして、
その日向かったのは、ファルスタ島の
ニュクービングNykøbingにある
中世センターMiddelaldercentret、
いわばデンマークの中世時代村だ。
デンマーク史で中世とは、
ヴァイキング時代のあと、
宗教改革までの時代をいう。
大ざっぱに言えば、
バルト海の覇権を争って、
エストニアやハンザ同盟と戦っていた
ヴァルデマー諸王の時代や、
北欧大連合となるマルグレーテ1世の
カルマル連合の時代もふくまれる。
もっと簡単に言えば、
「騎士と攻城兵器」の時代だ。
だから、この時代村の目玉も
「馬上槍試合と遠投石器」の実演である。
さて、いよいよ本物の騎士の登場です。
試合は何度も行われ、槍が折れるほど激しくぶつかりあうので
結構危険だと思います。
槍が相手の盾に命中すれば勝ち、はずれれば負けです。
園内は建物の情景展示だけでなく、
当時の服装をした人たちが、
生活しているようにふるまっています。
いよいよ、次は遠投石器です。
何しろ早くアームが振りあがるので、
写真はとれませんでしたが、
バスケットボール以上もあるような石が、
かなりはるか沖合いの方へ飛んでいきました。
それから中世センターをあとにして、
今度はミュン島の東端にある、小さなお城、
リセルンLiselund slotにやってきました。
邸を大きく作りすぎず、その代わりに庭園を広大に造ります。
ここもそんなお城のひとつです。
18世紀末のお金持ちの贅沢ですね。
小さいようですが、けっこうな広さですね。
あちこちに小さな建物もあって、
いろんな角度で楽しめるようです。
さて、それからさらに東端に向かいました。
はじめてミュン島へ行くと、かならず訪れる場所でしょうね。
北欧神話の世界樹ユグドラシルもかくやと思わせるような
根の張りようですね、これは。
森を下っていくと、
白亜(チョーク)の崖の下に出ます。
ミュンス・クリントという崖です。
この白亜の崖は文字通り白亜紀の膨大な堆積を示しています。
同じようなものが、英国ドーバーにもありますね。
デンマークにももう一箇所、ステウンス・クリントというのがあって、
その一番上層部から、イリジウムを大量に含む粘土層、
K-T境界が確認され、恐竜絶滅はユカタン半島に落下した
巨大隕石によるという説が、定説となりました。
このあと、駐車場から出るときに、
トゥルーズから来たフランス人3人が、
ヒッチハイクしてきたので、スティーイStegeの町まで
約20キロ、同乗させてあげました。
これで、日本に好意を持つフランス人3人増やしたかな?
ブログってたしかに「日記的」であるといわれるのですが、
こんな個人的な旅日記って、つまらないのじゃないかと思っています。
もっと爆笑ネタがあればいいのですが、あいにくデンマークは爆笑の国ではなく、
むしろ、ゆっくりと落ち着いて、突拍子なこともない田舎な国ですので…。
これからしばらくこのようなデンマーク旅行記が続くかと思います。
よろしければ、どうぞ、最後までおつきあい願います。
転校生のおにいさん、おねえさん。
というわけで、わが家のカエルの学校 に、
新しいおにいさん、おねえさんがやってきました。
「はーい」
あきらめかけていたケロコロビンゴですが、
また、挑戦し続けますか…。
エコバッグやペンセットじゃなくて、よかった。
レゴ・ミニフィグです!
デンマークでレゴ三昧してきました。
念のため申しておきますと、
レゴはデンマークの誇る天才的おもちゃです。
いや、最近は総合デザインブランドというべきかも。
レゴランドではVintage Minifigure Collectionという
化粧ボックス入り人形がvol.5まで出ていました。
vol.1
vol.2
なかでもvol.4の人気が高く、
あちこちで売り切れていました。
やっぱり緑の服のフォレストマンと
ユールマン(サンタクロース)が
レアで人気が高いのでしょうか?
ちなみに価格は一箱150DKKでした。
さて、日本ではタカラトミーがガチャガチャで販売する
「レゴ・ミニフィギュア シリーズ1」ですが、
ヨーロッパにはガチャガチャ文化がないため、
中身の見えない袋入りで売られています。
…と、いうことは…、
がんばれば、手探りで袋の中身を
摸牌(モーパイ)できるのです!!
ガチャガチャでコンプリートしようと思えば、
相当かけなければいけないと思います。
ぼくの経験ではかつて、
6種類のキャラクタをコンプリートするのに
軽く2倍以上かかりました。
根拠のない予想ですが、
16種類のコンプリートとなると、
どう考えても4倍以上はかかるでしょうね。
(数学的根拠は調査中です)
ということは、タカラトミーさんの一回300円で、
16体コンプリートしようと思うと、
2万円は覚悟しなければいけませんね。
大人げないと言われようと、
マナー違反だと思われようと、
スーパーで一生懸命、
袋を触りましたよ。
で、的中率は100パーセント。
一袋20DKKですから日本より高めですが、
ガチャ・コンプリートを思えばはるかに安い。
こちらがそのみなさんです。
緑の服のフォレストマンはレア・アイテムだけに、
わざわざ4体ゲットしました。
チアガールも、ひとりではつまらないので仲間を。
仲間がいれば大ワザもできます。
デンマークでは8月から
シリーズ2がリリースされたはずなんですが、
ぼくがいった各店では、まだみかけませんでした。
このシリーズとは別に、
日本では売られていないのが、こちら、
これは単体の箱物で売られています。
25DKKでした。
珍しいものといえば、こちら。
ポッチ数や高さがそのまま測れるので、
あと、何段ぐらい積めばいいかなど、わかりやすいです。
これは便利ものですね。
「レゴはずし」もオマケに入っていました。
あ~、レゴは楽し!
でも、レゴに興味のない人のために、
別の話題をひとつ。
デンマークで売られていた
「フリスク・プッシュケース」。
プッシュ・ボタンを押すと、
一粒ずつフリスクが出てくるのでとても便利です。
宿題が山ほど残る中、
少しずつ整理していきたいと思います。
ご意見・ご希望お待ちしてます。
宿題やったか? byカトちゃん
大いに反省もし、語り合わねばならない。
それは1年を通じて、
いつ取り上げられてもいい話題だ。
しかし、何か記念日を設けるなら、
いったいいつがいいのだろう。
8月15日が本当に正しいのだろうか?
いちばん楽しいはずの土曜日の夜に
「宿題やったか?」と聴かれるのが
とてもイヤだったように、
いちばん楽しいはずの夏休みに
毎年毎年、戦争の話。
戦争に敗れたことが悪いのか?
それとも戦争を始めたことが悪いのか?
日中戦争の開戦なら7月7日、
太平洋戦争の開戦なら12月8日。
戦争を始めたことの是非を問うなら、
そのどちらかにしたらどうだろう。
沖縄では慰霊の日は6月23日、
そしてその次の土曜日を、
「うたの日」として、
みんなで唄が歌えるという
平和の大切さを感じるように、
BEGINの呼びかけで
毎年コンサートが行われている。
その沖縄でも、
摩文仁の丘の牛島中将自決のあとも、
指揮系統のないまま戦闘はつづく。
最終的に生き残り部隊が、投降したのは
8月29日という。
もっとも生き残り部隊という意味では、
小野田寛郎少尉の「戦闘」は
ルバング島で1974年まで続く。
対する北のはて占守島では、
8月17日になってから、戦闘が始まる。
占守のことを忘れないために、
その戦闘の終わる8月21日を
「終戦記念日」にしてはどうか?
何かと考えることの多い、
8月15日である。
「或る阿呆の長征 」さん、占守に取材旅行に行ってくださいよ。
*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*
ひとコマまんが
昔描いたまんがを載せます。
レトロな感じなので、あえて彩色しないでモノクロ線画です。
平成7年6月刊「月刊新きのこ 第16号」より。
ぼくらは「かばん持ち」と呼んでいた遊びです。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
しばらくの間、デンマークに行っています。
その間、ネット環境から離れてロハス生活に徹します。
そのため、3の倍数の更新日は、時限公開記事でおとどけいたしております。
コメント返しはできませんが、帰ったら必ず読ませていただきますので、
いつもとお変わりなく、ご意見ご感想をどしどしお寄せください。
予定通りですと、今日コペンハーゲンを出発、明朝KIXに帰国します。
たぶん、日本食を食べたいと思っていることでしょう。
変わりゆく大阪
天王寺がえらいことになっています。
ひところのベルリン・ポツダム広場を思わせるような、
再開発工事のラッシュです。
知らないうちに「Hoop」とか「あべのand」とかいう
おしゃれなビルもできてました。
「あべのand」の中には、
たとえば次のお店。
Børne Lund(子どもの森という意味のデンマーク語)。
北欧テイストのカラフルなおもちゃ屋さんですね。
もうひとつ、カラフルといえば、
用がなくてもすいこまれそうになりますね。
こんなおしゃれなお店は、
もともと天王寺・アベノのイメージじゃないんです。
その考えは「古い」とあらためて考えさせられました。
近鉄百貨店も本館はすべて取り潰されて、
今、建て替え工事中です。
そのため、周りの景色もぜんぜん変わりました。
近鉄百貨店のあったところ。
あべの筋におりて、近鉄百貨店前から
北向きにチン電(路面電車)の駅を見ます。
ずいぶん近く見えます。
真ん中奥の建物は、「天王寺ステーションビル」
古くは民衆駅と呼ばれ、市民に親しまれました。
このあべの筋の西側が、
「阿倍野再開発事業」(金塚地区)です。
たくさんあった小さな店や、アパートや住宅を、
思いっきり立ち退きさせて、「再開発」。
着工は1976年(昭和51)というから、オドロキ。
どんだけかかっとるんや!
メインとなる建物がA2棟という計画名の、このビル。
10メートル以上ひいて、建築中です。
しかし、こんな道路拡幅は必要なのでしょうか?
自動車が走り抜けるためなら、
道路は広いほうがいいかも知れません。
けど、人が歩いて、そこで生活するのに、
本当に必要ですか?
長い信号を待って、道路を渡るだけでも、
たいへんじゃないですか?
たとえばお年寄りは、
むこう側へつくだけでもやっとのことでは?
現在の最新の都市計画論では、
車を中心とした道路計画は、
すでに見直されています。
ル・コルビュジエをいつまでも
崇拝していてはいけないのです。
年寄りも子どもも、笑って歩いて、
そしてチンチン電車に乗って…。
小さなお店の店主とのつきあいもできて…。
それが、本当の「街」なんじゃないでしょうか。
ぼくは「再開発」を歓迎する気になれないのです。
疲れてきたので、いつものお店へ。
新しくできるビルにテナントで入るそうで、
駅からは多少近くなるそうですが…。
チンチン電車が走るたびにゴトゴト響き、
静かに時の流れる今の風情は、
どこまで残るでしょうか?
変わりゆく大阪について、
少し考えさせられたのでした。
(2010年初夏識ス)
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しばらくの間、デンマークに行っています。
その間、ネット環境から離れてロハス生活に徹します。
そのため、3の倍数の更新日は、時限公開記事でおとどけいたしております。
コメント返しはできませんが、帰ったら必ず読ませていただきますので、
いつもとお変わりなく、ご意見ご感想をどしどしお寄せください。
「ナガサキ」の被曝2世という立場のぼくですが……、
予定どおりですと、今はPræstøという田舎町でのんびりしているはずです。


































































































