大和は国のまほろば
二週連続で日曜日、
大和国奈良を訪れました。
19日は、まず、遷都1300年を祝う、
平城京第一次大極殿に。
それにしても平城宮跡は、すごい人出でした。

秋めいた空も美しく復元された大極殿に映えます。

しばし、いにしえの大宮人の、
まじめな国家建設に思いを馳せるのでした。
少し移動して、
大仏さまも拝みます。
「国歌鎮護」のために造られた、
金銅の廬舎那仏です。
全国津々浦々すみずみまで、
安寧でありますようにという
聖武帝の大御心が、
かくも巨大な仏さまを造りました。
国のすみずみまで思う
主上(おかみ)の心は、
今の世にもありがたく思われます。
さて、そののち戒壇院や転害門、
そして春日大社から下の禰宜道を抜けて、
志賀直哉旧居へ。
今年2月、日本計算尺協会の研修で来た時は、
ちょうど時間に遅れて入館できませんでした。
このたびは、中もゆっくり見学。
2階からサルスベリを観ていると、
雨がポツポツと。
これもまた風情…。
暑かった夏も一雨ごとに涼しくなります。
邸内の復元された風呂に、
志賀直哉の生活臭を思います。
古都奈良は、ゆっくりと
1300年の時間を刻んでいるのです。
さて、1週間を経て26日。
お彼岸も過ぎ、
秋らしい涼やかな日曜。
このあいだ読んだ本居宣長の文章に惹かれて、
ひさしぶりに長谷寺にお参りしました。
「長谷路」でにゅうめんをいただいて、
小さなお庭をぼんやりながめます。
このゆっくりした風情が、
京都や大阪にない奈良の魅力。
商都大阪はもちろんのこと、
古都京都もなんでも商業主義。
特に京都のそれはウンチクばかりで
値段が高い×××。
ともあれ、そんな京都の貴族も愛した長谷寺へ。
紀貫之のふるさとの梅も…
でもこれはいったい何代目?
「梅はいさ何代目かを知らず」
って感じ。
本堂は清水(きよみず)と同じ舞台づくり。
でも、人はまばらです。
たぶん、今年の奈良観光は平城京跡に集中。
こちらは日曜でものんびりした様子ですね。
平安貴族の拝んだご本尊ではありませんが、
本居宣長の見たのはこの観音様です。
「おんまかきゃろにきゃそわか」
国学の大人(うし)を偲んで、
国体の護持を祈りました。
二本(ふたもと)の杉も、
どういう確証あってのことか、
歴史的には疑問も多いでしょう。
しかし、伝承・伝説とは
そういうものです。
人の少ない
門前町を歩きながら、
歴史と伝説の古都、
大和の国の風情を楽しみました。
ぼくのお師匠さまの、そのまたお師匠さまは、
亀井勝一郎という小説家です。
転向作家で、「大和古寺風物詩」という本を
お書きになっています。
ぼくは若い時にはよくわかりませんでしたが、
年を重ねるごとに、奈良の魅力がわかるように
なってきたような気がします。
さらばデンマーク
長々と綴ってまいりました
デンマーク旅日記ですが、
レゴランドも終わって
あとは駆け足に、
綴ってしまいましょう。
レゴランドのあるビルンBillundを離れて、
南ユラン方面を旅します。
まずはリーベRibeの街です。
この街は前にご紹介した
ダウマー姫
ゆかりの古い街です。
夜には、「夜警の歌」の
夜警とともに街をまわる
観光ツアーもあります。
ところどころでガイドしてくれます。
参加無料です。
ドイツ国境近く、
ガレフースGallehusという小さな村の
なんにもないところに、
黄金の角杯Guldhorneneが
発見された場所があります。
この話は、長くなるので
今回は、割愛しますが、
旅行の目的地のひとつでありました。
トゥナTønderの街角で、
サイクリングの旅人を撮りました。
そこから国境をこえて、
ドイツのフレンスブルクFlensburgまで
行って、またデンマークに戻ります。
国境を越えるといっても、
検問も何もありません。
ぼくが最初に来たときには
パスポートコントロールがあったんですがねぇ。
今となっては昔のことです。
かつてドイツと国境問題で
戦争をした地。
デュブルDybbøl要塞にも立ち寄りました。
スナボーSønderborgのお城は、
「ストックホルムの血浴」で有名な
クリスチャン2世が
17年にわたり幽閉されたところです。
そこから大急ぎで南シェランの
ホームタウンまで帰りました。
それからは比較的ゆっくりとして、
またコペンハーゲンに行って、
国立美術館に行ったりしました。
この国立美術館は、
ものすごくたくさんの絵が
かかっていて、
マチスやモジリアーニや、
ピカソやレジェなどもいっぱいです。
だけど、入館無料なんです。
またかつての同僚カイ先生の家に
およばれして、
先生の若い頃の写真をみせてもらったり、
(王室の衛兵をなさってたんです)
ヴァイキング時代の遺跡
トラレボーTrælleborgで、
復元されたロングハウスを見たり、
とにかくのんびり、
懐かしい想い出の地をまわりました。
デンマーク最終日の夜、
昔お世話になっていたおむかいさん
のおうちで、みんないっしょに
ドイツ・デンマーク戦を観ました。
もちろん、みんなデンマークの応援です。
2点先取されて、窮地だったのですが、
そこから、なんと2点とりかえして、
2対2の引き分けでした。
名残つきない
デンマークのふるさとを、
とぼとぼ夜の散歩しながら、
泊まっているアパートまで帰ります。
これが最後の夜でした。
翌日、おむかいさんに
もう一度あいさつに行って、
涙・涙の別れをして、
コペンハーゲン空港へ
向かったのでした。
日本に帰ってから、しばらくして…
デンマークで手配した
グロントヴィ全集が
届きました。
ともあれ、これでデンマークの旅日記はおしまいです。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。
旅も終盤となると淋しさばかりがこみあげて、
綴る力も落ちてしまいますね。
「蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ」
芭蕉も「おくのほそ道」を江戸に戻るまでを書かなかったのは、
「野ざらし」の旅と同様に、旅への意気込みの高い前半が、
書いていても面白かったからではないかと思いました。
レゴランド特集
レゴランドの前日は、
イエリングのキャンプ場で
バンガローに泊まりました。
明日が楽しみです。
ワインで前夜祭、スコール(乾杯)!
レゴランドのあるビルンはすぐ近く。
いよいよレゴランドホテル到着です。
すでにレゴランドの気分でいっぱい。
レゴのおさるたちもお出迎え。
中に入るとレゴでできたドラゴンがいました。
チェックインして、部屋に向かいます。
窓の外はもうレゴランドです。
こまかな調度品もレゴ仕様。
ここで連泊して、
3日間思いっきりレゴランド三昧です。
ワクワクしながら、パーク内へいそげ。
レゴランドは最近、
絶叫系アトラクションも増えてきましたが、
基本は、子どもも楽しめるやさしいもの。
新アトラクションでは、
これが、面白かったですね。
海賊船に乗るライドなんですが、
乗っているあいだ中、
お客さん同士が、
大砲で水をかけあいます。
手回しポンプの水鉄砲なので、
そうとう体力も要ります。
船対船も、船対陸も、総力戦です。
びしょびしょになって、
大笑いしてます。
数々ある、どのアトラクションも、
最大でも30分も待てば乗れます。
それに、レゴランドの魅力は、
本来、アトラクションではありません。
ショーもコンサートもありますし、
なんと言っても、原点は、
レゴで作られた数々の作品です。
ミニランドと呼ばれるエリアは、
いろいろな町並みが再現されています。
たとえばバイエルンの景色とか。
もちろん、レゴでできています。
レゴランドの作品はすべて、
チーティング(ずるっこ)なしで、
ちゃんとした組み方で組まれています。
組み方の研究をしだしたら、
キリがありません。
たとえば、この教会の石壁も、
よく見るとちゃんとレゴで組まれています。
こちらがその中でも、最も古いエリア
いわばレゴランドの原点です。
「デン・ガンムレ・ビュー」
(古い町)
と言われている一角です。
こちらは、コペンハーゲンの名所
ニューハウンの再現です。
どこかのお店に入っていきたくなりますね。
建物だけでなく、
数々の乗り物も動いています。
船や列車も、ていねいに作られています。
船の曲面をどうやって作るかが、
非常に興味のひかれるところですね。
このフェリーには、
車が出入りしています。
車は地面の中に埋められた無線アンテナで
制御されて、自走しています。
レールもないのに、
ハンドルがきられて曲がっていく様子は、
いつまで観ていてもあきません。
飛行機は、さすがに飛びませんが、
滑走路を走る姿は、いかにも飛びそうです。
これは、スペースシャトルです。
轟音とともに、今、打ち上げです。
もう、観だしたら
時間がいくらあっても足りません。
ここにご紹介しているのは、
ほんの一部だけです。
日本のコーナーもありますが、
そのほかに、もう一つ、
大阪城もあります。
これはミニランドに日本コーナーのできる
もっと前からありました。
屋根の色も、今なら緑を使うでしょうが、
昔なので黒で代用してます。
有名人も、たまに出会えます。
ダースベイダーも、以前いたりしました。
インディジョーンズは年をとりませんね。
アナセン(アンデルセン)は、
やさしく子どもたちに語っています。
色んな人と記念写真をとるのもいいですね。
ぼくがレゴランドが好きなのは、
パーク内のレストランが、
けっこうおいしいからでもあります。
どこかの鼠の国なんて、
高いばっかりで、
クソまずい冷凍やレトルトものですもんね。
レゴランドは違います。
それにワインやビールも供給されます。
子どもも大人も楽しめるように
できているんです。
そうそう、人間ばかりでなく、
家族の仲間、ペットも一緒に
連れて行けます。
たくさんの人が、
ワンちゃんと一緒に楽しんでいます。
アトラクションもショーも
そして夜のカントリーコンサートも
目いっぱいに楽しんで、
あっと言う間に時が経ってしまいます。
最終日は、お買い物です。
数々あるショップを廻って、
そこでしか売っていないグッズを
セレクトしていきます。
おもちゃだけじゃなく、
アパレル製品や日用品も
レゴ・ブランドでいっぱいです。
でも、ぼくはやっぱりブロックを。
ここでは、なんとパーツの量り売りを
しています。
ちょっと珍しい色や、
たくさん欲しかった細かいパーツ。
それらを自由に袋につめて、
1gいくらで、売っています。
レゴランドを離れるのは、
いつもとっても悲しいのですが、
しかたがありません。
おまけに、
レゴランドのとなりにある、
レゴの本社で
写真をパチリ。
偉大なレゴの発明者、
GKCのデンマーク的な思想よ、
永遠なれと願うのでありました。
書き忘れましたがレゴランドは、食べ物の持ち込みもOKです。
堅実なデンマーク人はお弁当やビールを持ち込んで、
それぞれのスタイルで、楽しんでいます。
かつて、中東の大家族、あきらかに服装でわかるのですが、
(多分第一夫人や第二夫人やいっぱい連れた様子)
かれらが、大勢で芝生に座り、
主人らしき男性が水パイプを吸いだしたのには驚きました。
いろんな楽しみ方があるものです。
イエリング・ルーン石碑とBluetooth
レゴランドに行く前の日、
イエリングに寄りました。
デンマークの歴史上
確認されている最古の王、
ゴーム老王(ゴーム・デン・ガンムレ)
のお墓と、ルーン石碑のある町です。
今の女王様マルグレーテ2世も
このゴーム老王の血統です。
ところが、このゴーム老王のお墓に
なんの囲いもなく、
観光客はどんどん登ることができます。
町には二つの墳丘に見える丘があり、
伝説では南の丘がゴーム老王の墓、
北の丘が王妃テューラの墓だと
思われていました。
ところが、
何世紀にもわたる研究により、
いろいろなことが解ってきました。
北の墳丘にゴーム老王は最初、
埋葬されたのですが、
後を継いだ息子のハーラル青歯王が、
デンマークを北欧神話の国から、
キリスト教に改宗した際に、
ふもとに作った教会に、
ゴーム老王を改葬したようです。
今も二つの丘の間には、
小さな教会が建っています。
教会は何度か建て替えられていますが、
場所はここのままです。
そしてその教会の横には、
有名なルーン石碑が二つ並んでいます。
小さい方の石碑には、
「ゴーム王が、
デンマークの誇りである
王妃テューラのために、
この墓碑を建てる」
と記されています。
これが「デンマーク」という名の
刻まれた最古の石碑で、
ゴームが「王」として君臨していた
ことの証しとなっています。
大きい方の石碑には、
「ハーラル王が、
父ゴーム王と母テューラのために、
この墓碑を建てる。
ハーラル王は、
デンマーク全土とノルウェイを征服し、
デーン人をキリスト教に改宗した」
と記されています。
この石はもともと彩色されており、
当時を再現したものが、
横の博物館にあります。
実際にすべての人々の信仰が、
キリスト教になっていくのには
さまざまな経過があったでしょうが、
石に刻まれた動かぬ証拠として、
教会に届け出のあった
「デンマーク国の出生証明」
と言われています。
(デンマークでは出生届は教会に出します)
では、南の丘は何なのでしょう。
南の丘には石室もなく、
ただ、ハーラル青歯王が、
教会の両側に丘を作って、
バランスをよくするために、
築かせたのだろうと言われています。
ごく最近の研究により、
ゴーム王の時代には、
この陵墓が建造された当初は、
全長350メートルにもおよぶ
巨大舟形墳墓であったらしいことが
解ってきました。
さて、デジタル機器の無線規格に
"Bluetooth"というのがありますね。
あれは、ハーラル青歯王から
名前をとっています。
みなさんの身近にも、
思わぬところにデンマーク王は
隠れていますよ!
次回はいよいよレゴランドの予定。
お楽しみに。
スカムリングの丘
ユラン半島の中部、
リレベルト海峡に面した
スカムリングの丘は、
デンマーク人の心のふるさとです。
おおざっぱな言い方をすれば、
デンマークのナショナル・アイデンティティは
「反ドイツ」。
そうでないと、地理的にも文化的にも
近い位置である彼らは、
経済力や軍事力を用いられれば、
ドイツに併吞されてしまいかねないからです。
経済的にも法的にも統一が進み、
人も物流もさかんに行き来する
EU統合の流れの中で、
小国のナショナル・アイデンティティは
今も、たいへん重要なことです。
しかし、
「反ドイツ」といっても、
決して軍事力でまさろうというわけでもなく、
経済的に孤立しようとするわけでもありません。
彼らは文化的に、
国語的に、
そして、国民意識的に、
「デンマーク!」
を鼓舞することで、
その独立を保っているのです。
近代国家形成の過程で、
かつてドイツ、デンマークの国境をめぐって
紛争がありました。
スリースヴィ=ホルスティーン両公国が、
デンマーク王国に帰属するか否かが
争点でした。
現在ホルスティーンと、
南部・中部スリースヴィは
ドイツ領シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州に、
そして、北部スリースヴィだけが
デンマーク領となっています。
詳しく綴ればあまりに長くなるので
ここでは省きますが、
とにかく、国境問題をめぐって
国際対立が深まっていく中、、
デンマーク人たちはこの丘に集まり、
デンマーク語での集会を開いたのです。
その2回めの集会(1844年)のさい、
N.F.S.グロントヴィも演台に立ち、
北部スリースヴィに住む
デンマーク語を母語とする人々の歴史について
語りました。
以上、前説が長くなりました。
今まで訪れたことがなかったので、
このたびスカムリングの丘に行ってきました。
丘の上からはリレベルト海峡をへだてて、
フュン島が低く見えます。
小さな資料館もあって、
自然や歴史、もちろん集会のことも、
いろいろと展示されています。
この展示された地図の赤い部分に、
スカムリングの丘はあります。
丘の頂上には記念碑が立ち、
そばに大きなダネ・ブロー(デンマーク国旗)が
はためいています。
人々が集まり演説を聴いたという場所は
その横にある、丘の斜面です。
いわば天然の半円形劇場です。
このくぼんだところに石をならべて、
簡単な演台をこしらえたのです。
この演台の足元には、
グロントヴィの名前も刻まれています。
それにしても簡素なものです。
演台に立って、観客席をみあげて…、
しばし、当時の人々の姿を想像し、
瞑想にふけります。
そこで、ぼくは感じたのですが…、
「集会をするのに、大きな施設を作らずに、
天然の丘の斜面を利用する。
立派な演台を造らずに、
ほとんどまるで天然石をならべただけ。
高いところに立つ演者を見上げる形で
演説を聴くのではなく、
聴衆は演者を見下ろす形。」
これって、ヒトラーがニュルンベルクの
ツェッペリンフェルトでやったことと
まるで正反対のことですね。
そこにあらためて北欧の、
精神的なアイデンティティを
感じることができました。
心のふるさとスカムリングの丘、
今も、訪れる人は絶えません。
またまた仕事が忙しくて、遅くなりましたが、
みなさまからのコメントを心の支えに、
なんとか今日じゅうにアップすることができました。
北欧の精神を少しでもご紹介できたら幸いです。
グロントヴィの悲恋
8月1日。
コペンハーゲンでばったり出会った
かつての同僚、レスリーのお家に行きました。
家の中は、どこもいつも片付いてますね。
キッチンも、今日はゴタゴタしていたはずなのに、
こんなふうにサッパリしてます。
中庭もある古い農家の家を買い取ったそうです。
中庭の片隅にバラが咲いています。
ランチをとりながら一緒に楽しく会話。
庭や畑を散歩して、ヒュッゲな時を過ごしました。
レスリーの家を出発してから、
「冷戦博物館Koldkrigsmuseum」の横を通りました。
冷戦時代の基地を、博物館にして
ミサイルやレーダー施設を展示してます。
(嘉手納が博物館になるのはいつの日かしらん)
以前、ミュンス・クリントの記事
で少し触れた
ステウンス・クリントStevnsklintの白亜の崖です。
どれがイリジウムの層なのか確認できませんでした。
崖はどんどん海に侵食され、
崖の上の教会は、
1928年にアプシス(後陣)部分が崩落しました。
崖の上、ぎりぎりのところに、
アプシスの崩れた教会が、建っています。
さて、その翌日。
南シェランのホームタウンをしばし離れ、
ユラン(ユトランド)半島に向けて出発です。
ファルスタ島、ロラン島を抜けて、
フェリーでランゲラン島に渡ります。
目標は、イーイルゲEgelykke荘園。
大学を卒業して、若き日のグロントヴィは、
この荘園に住込みの家庭教師としてやってきました。
ところが、そこで
領主カール・スティーンスン=レトの奥方である
コンスタンセ夫人に
許されぬ恋を抱いてしまいます。
若きグロントヴィは悩み、
そして、その実らぬ恋を昇華させます。
その熱情は、以後の彼の文学作品に
大きく影響を与えたと言われています。
そのときの苦悩が、
出納陽一著『グロントウィ伝』では、
次のように綴られています。
「1806年5月6日の日記に彼が
『夫人に対する愛情をさらに高い
内生活に向けられないだろうか』と記し、
更に2ヶ月後の日記に
『私の恋愛は盲目的な汚辱に
ならずに済んだことは、
誠に有難いことであった』と記し、又
『私は問題が解決したと思った』
と記しているのを見ても、
いかにグルントウィが
夫人との恋を切り抜けるのに
努力したかが判るのである」
彼が悲恋に悩んだ荘園、
そのお邸に行ってみましょう。
おやおや、入り口には
立入禁止の看板が……、
でもデンマーク語とドイツ語なので、
アホな日本人が判らなかった顔をして、
こっそり侵入してみます。
本館の表側、お庭の方にまわって、
写真をパチリ。
誰か人が出てきてくれたら、
何かしらお話が聴けたかもしれないのに、
幸か不幸か、この侵入者は、
誰にも発見されずに、出てきました。
ここも、ずっと訪れたかった地でした。
それからフュン島へ橋で渡り、
有名なイーエスコウEgeskov城に行きました。
以前、このお城へは何度も遊びに来ていました。
これは今からもう11年も前、
1999年にイーエスコウを訪れたとき、
お城でばったり会った城主さまと
一緒に写真を撮らせてもらったものです。
でも、なんだか昔にくらべて今は、
入場料もやたら高くなったようです。
それに、すみずみに商業主義が感じられ、
以前のもっとのんびりした感じが、
だんだん失われつつあるのかと、
少し悲しく思ったりしたのでした。
観光客が増えると、どうしても商業主義に傾いていく。
デンマークの田舎でさえ、そんな気がして、悲しいです。
ベオウルフのヘオロットを訪ねる。
古英語で書かれた「ベオウルフ」が、
はじめて近代語に翻訳されたのは、
グロントヴィによるデンマーク語訳であった。
(“Bjovulfs Drape”という題名で、
1820年「ダネ・ヴィアケ第2巻」に発表)
「ベオウルフ」は、
スウェーデンの英雄ベオウルフが、
デンマーク王フロースガールの王宮に来て、
毎夜、王宮を襲うという魔物グレンデルを退治。
復讐に来たグレンデルの母親(巨人)も退治。
やがて老王となったベオウルフは、
民を襲うドラゴンと戦って、勝ちはしたものの、
重傷をおい、そのまま絶命するという話。
大英博物館に写本が残っているが、
グロントヴィは1829年に、
このオリジナル手稿の調査もしている。
さて…、
フロースガール王King Hroðgarとは?
また、彼の王宮とはどこか?
最近の研究によってそれが明らかになりつつある。
イギリスでフロースガール王と伝えられているのは、
デンマークの伝説の王、
第11代ロルボ・クラキHrolf Kraki
(6世紀のころの王)
のことであろうと推察されている。
また、雄ジカの宮を意味する
彼の王宮ヘオロットHeorotは、
古来、ロルボ・クラキの王宮のあったと伝えられている
ライラLejreにあったと推定されている。
しかも、そのライラの町からは、
全長50mを越す、ロングハウスの遺跡が3棟も、
1986-88年と、2004-05年に発掘されるにおよび、
伝説は確信あるものへとなりつつあるのである。
前説(まえせつ)が長くなりました。
そんなわけで、ライラにヘオロットを求めて
行ってみました。
(ロスキレ大聖堂)
ライラは世界文化遺産のあるロスキレの
南西約8kmにある小さな町です。
訪れたのは、「伝説の地ライラ」という時代村です。
石器時代や鉄器時代、そしてヴァイキング時代の
生活が再現されているという体験型ミュージアムです。
入場料が1人125DKK(約2000円)もするわりに、
中は、何もない自然のまんまの公園です。
立っているのは遺跡でもなんでもなく、
ただの道しるべです。
自然の中をただ歩いて、歴史や伝説を感じとる
ってそんなところのようです。
丘の上は一面の花。
この花はヒュルデブロムストHyldeblomst、
英語名elder、日本名ニワトコです。
デンマークではこの花を摘み、
砂糖とともに煮出して冷まし、
ジュースとして飲みます。
夏のさわやかな飲み物です。
3日前に訪れたインゲ先生のおうちでも、
庭に生えていたこの花で、ジュースをつくって
飲ませていただきました。
少し歩くと、丘のふもとに村落が…、
近寄って行ってみましょう。
これは鉄器時代の村の再現だそうです。
中に入ると、鉄器時代のランチも再現してました。
このおせんべいみたいなパンを、男の子が配ってくれました。
鉄器時代の味、けっこうおいしかったです。
鉄器時代の親子がボート遊びを始めます。
伝説の人々のくらしはこんな感じだったのでしょうか。
こちらは勝手にライフジャケットをつけて、
勝手に自己責任で遊びます。
このほかにも、石器時代の地区などもあるのですが、
とても広くて、基本的に自然があるばかりです。
時代村には関係ないですが、
カラフルなフエルト製品が目を惹きました。
自然の中で、しばし、ありし日のヘオロットを想い、
感慨にひたった、「伝説の地ライラ」でありました。
さて、帰りにはクーイKøgeの町にちょっと寄って、
それから以前にもお伝えした、
海辺のレストランで食事をして、
日も暮れかかる頃、ヨットハーバーのある、
わがホームタウンに帰って来ました。
ただいま。
今回はライラの遺跡の発掘現場はつきとめることはできませんでしたが、
これからも情報収集を心がけ、伝説と歴史のつながりについて、
考察を続けたいと思います。
それはさておき、今日は重陽ですね。
菊花酒でも呑みますか…。










