日刊「きのこ」 skipのブログ -30ページ目

イエリング・ルーン石碑とBluetooth

レゴランドに行く前の日、
イエリングに寄りました。
デンマークの歴史上
確認されている最古の王、
ゴーム老王(ゴーム・デン・ガンムレ)
のお墓と、ルーン石碑のある町です。
今の女王様マルグレーテ2世も
このゴーム老王の血統です。

日刊「きのこ」 skipのブログ-墓にのぼる

ところが、このゴーム老王のお墓に
なんの囲いもなく、
観光客はどんどん登ることができます。

日刊「きのこ」 skipのブログ-南の丘

町には二つの墳丘に見える丘があり、
伝説では南の丘がゴーム老王の墓、
北の丘が王妃テューラの墓だと
思われていました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-発掘

ところが、
何世紀にもわたる研究により、
いろいろなことが解ってきました。
北の墳丘にゴーム老王は最初、
埋葬されたのですが、
後を継いだ息子のハーラル青歯王が、
デンマークを北欧神話の国から、
キリスト教に改宗した際に、
ふもとに作った教会に、
ゴーム老王を改葬したようです。
今も二つの丘の間には、
小さな教会が建っています。

日刊「きのこ」 skipのブログ-教会

教会は何度か建て替えられていますが、
場所はここのままです。

そしてその教会の横には、
有名なルーン石碑が二つ並んでいます。

日刊「きのこ」 skipのブログ-石碑大と小

小さい方の石碑には、
「ゴーム王が、
デンマークの誇りである
王妃テューラのために、
この墓碑を建てる」
と記されています。

これが「デンマーク」という名の
刻まれた最古の石碑で、
ゴームが「」として君臨していた
ことの証しとなっています。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ゴームとテューラ


大きい方の石碑には、
「ハーラル王が、
父ゴーム王と母テューラのために、
この墓碑を建てる。
ハーラル王は、
デンマーク全土とノルウェイを征服し、
デーン人をキリスト教に改宗した」
と記されています。

日刊「きのこ」 skipのブログ-石碑大オモテ

この石はもともと彩色されており、
当時を再現したものが、
横の博物館にあります。

日刊「きのこ」 skipのブログ-彩色石碑

実際にすべての人々の信仰が、
キリスト教になっていくのには
さまざまな経過があったでしょうが、
石に刻まれた動かぬ証拠として、
教会に届け出のあった
デンマーク国の出生証明
と言われています。
(デンマークでは出生届は教会に出します)


では、南の丘は何なのでしょう。
南の丘には石室もなく、
ただ、ハーラル青歯王が、
教会の両側に丘を作って、
バランスをよくするために、
築かせたのだろうと言われています。


ごく最近の研究により、
ゴーム王の時代には、
この陵墓が建造された当初は、
全長350メートルにもおよぶ
巨大舟形墳墓であったらしいことが
解ってきました。



日刊「きのこ」 skipのブログ-bluetooth

さて、デジタル機器の無線規格に
"Bluetooth"というのがありますね。
あれは、ハーラル青歯王から
名前をとっています。

みなさんの身近にも、
思わぬところにデンマーク王
隠れていますよ!



次回はいよいよレゴランドの予定。

お楽しみに。

(臨時増刊)4コマまんが


日刊「きのこ」 skipのブログ-赤い夕日に照らされて



大急ぎでツルツル描いて、

ギリギリ、判決の出る3時までにアップできました。

スカムリングの丘

ユラン半島の中部、
リレベルト海峡に面した
スカムリングの丘は、
デンマーク人の心のふるさとです。


おおざっぱな言い方をすれば、
デンマークのナショナル・アイデンティティは
反ドイツ」。
そうでないと、地理的にも文化的にも
近い位置である彼らは、
経済力や軍事力を用いられれば、
ドイツに併吞されてしまいかねないからです。


経済的にも法的にも統一が進み、
人も物流もさかんに行き来する
EU統合の流れの中で、
小国のナショナル・アイデンティティは
今も、たいへん重要なことです。


しかし、
「反ドイツ」といっても、
決して軍事力でまさろうというわけでもなく、
経済的に孤立しようとするわけでもありません。
彼らは文化的に、
国語的に、
そして、国民意識的に、
デンマーク!
を鼓舞することで、
その独立を保っているのです。


近代国家形成の過程で、
かつてドイツ、デンマークの国境をめぐって
紛争がありました。
スリースヴィ=ホルスティーン両公国が、
デンマーク王国に帰属するか否かが
争点でした。
現在ホルスティーンと、
南部・中部スリースヴィは
ドイツ領シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州に、
そして、北部スリースヴィだけが
デンマーク領となっています。
詳しく綴ればあまりに長くなるので
ここでは省きますが、
とにかく、国境問題をめぐって
国際対立が深まっていく中、、
デンマーク人たちはこの丘に集まり、
デンマーク語での集会を開いたのです。


その2回めの集会(1844年)のさい、
N.F.S.グロントヴィも演台に立ち、
北部スリースヴィに住む
デンマーク語を母語とする人々の歴史について
語りました。


以上、前説が長くなりました。


今まで訪れたことがなかったので、
このたびスカムリングの丘に行ってきました。
丘の上からはリレベルト海峡をへだてて、
フュン島が低く見えます。

日刊「きのこ」 skipのブログ-リレベルトを臨む

小さな資料館もあって、
自然や歴史、もちろん集会のことも、
いろいろと展示されています。

日刊「きのこ」 skipのブログ-展示

この展示された地図の赤い部分に、
スカムリングの丘はあります。

日刊「きのこ」 skipのブログ-旗と記念碑

丘の頂上には記念碑が立ち、
そばに大きなダネ・ブロー(デンマーク国旗)が
はためいています。


人々が集まり演説を聴いたという場所は
その横にある、丘の斜面です。

日刊「きのこ」 skipのブログ-演説をした場所

いわば天然の半円形劇場です。
このくぼんだところに石をならべて、
簡単な演台をこしらえたのです。

日刊「きのこ」 skipのブログ-演台

この演台の足元には、
グロントヴィの名前も刻まれています。

日刊「きのこ」 skipのブログ-演台の彫刻

それにしても簡素なものです。
演台に立って、観客席をみあげて…、

日刊「きのこ」 skipのブログ-演台からみた観客席

しばし、当時の人々の姿を想像し、

瞑想にふけります。



そこで、ぼくは感じたのですが…、
「集会をするのに、大きな施設を作らずに、
天然の丘の斜面を利用する。
立派な演台を造らずに、
ほとんどまるで天然石をならべただけ。
高いところに立つ演者を見上げる形で
演説を聴くのではなく、
聴衆は演者を見下ろす形。」

これって、ヒトラーがニュルンベルクの
ツェッペリンフェルトでやったことと
まるで正反対のことですね。


そこにあらためて北欧の、
精神的なアイデンティティ
感じることができました。


心のふるさとスカムリングの丘、
今も、訪れる人は絶えません。




またまた仕事が忙しくて、遅くなりましたが、

みなさまからのコメントを心の支えに、

なんとか今日じゅうにアップすることができました。

北欧の精神を少しでもご紹介できたら幸いです。



グロントヴィの悲恋

8月1日。

コペンハーゲンでばったり出会った
かつての同僚、レスリーのお家に行きました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-レスリー家

家の中は、どこもいつも片付いてますね。

日刊「きのこ」 skipのブログ-キッチン

キッチンも、今日はゴタゴタしていたはずなのに、
こんなふうにサッパリしてます。

日刊「きのこ」 skipのブログ-中庭
中庭もある古い農家の家を買い取ったそうです。

日刊「きのこ」 skipのブログ-中庭のバラ

中庭の片隅にバラが咲いています。

ランチをとりながら一緒に楽しく会話。
庭や畑を散歩して、ヒュッゲな時を過ごしました。


レスリーの家を出発してから、
冷戦博物館Koldkrigsmuseum」の横を通りました。
日刊「きのこ」 skipのブログ-冷戦博物館

冷戦時代の基地を、博物館にして
ミサイルやレーダー施設を展示してます。
(嘉手納が博物館になるのはいつの日かしらん)


日刊「きのこ」 skipのブログ-ステウンスクリント

以前、ミュンス・クリントの記事 で少し触れた
ステウンス・クリントStevnsklintの白亜の崖です。
どれがイリジウムの層なのか確認できませんでした。
崖はどんどん海に侵食され、
崖の上の教会は、

1928年にアプシス(後陣)部分が崩落しました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-教会の外

崖の上、ぎりぎりのところに、

アプシスの崩れた教会が、建っています。



さて、その翌日。
南シェランのホームタウンをしばし離れ、
ユラン(ユトランド)半島に向けて出発です。
ファルスタ島、ロラン島を抜けて、

日刊「きのこ」 skipのブログ-フェリー

フェリーでランゲラン島に渡ります。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ランゲランへ

目標は、イーイルゲEgelykke荘園

日刊「きのこ」 skipのブログ-egelykkeの鐘

大学を卒業して、若き日のグロントヴィは、
この荘園に住込みの家庭教師としてやってきました。
ところが、そこで
領主カール・スティーンスン=レトの奥方である
コンスタンセ夫人に
許されぬ恋を抱いてしまいます。

日刊「きのこ」 skipのブログ-コンステンセ

若きグロントヴィは悩み、
そして、その実らぬ恋を昇華させます。
その熱情は、以後の彼の文学作品に
大きく影響を与えたと言われています。

そのときの苦悩が、
出納陽一著『グロントウィ伝』では、
次のように綴られています。

「1806年5月6日の日記に彼が
『夫人に対する愛情をさらに高い
内生活に向けられないだろうか』と記し、
更に2ヶ月後の日記に
『私の恋愛は盲目的な汚辱に
ならずに済んだことは、
誠に有難いことであった』と記し、又
『私は問題が解決したと思った』

と記しているのを見ても、
いかにグルントウィが
夫人との恋を切り抜けるのに
努力したかが判るのである」


彼が悲恋に悩んだ荘園、
そのお邸に行ってみましょう。

日刊「きのこ」 skipのブログ-立入禁止

おやおや、入り口には
立入禁止の看板が……、
でもデンマーク語とドイツ語なので、
アホな日本人が判らなかった顔をして、
こっそり侵入してみます。

日刊「きのこ」 skipのブログ-egelykke本館

本館の表側、お庭の方にまわって、
写真をパチリ。

誰か人が出てきてくれたら、
何かしらお話が聴けたかもしれないのに、
幸か不幸か、この侵入者は、
誰にも発見されずに、出てきました。

ここも、ずっと訪れたかった地でした。



それからフュン島へ橋で渡り、
有名なイーエスコウEgeskov城に行きました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-イーエスコウ城

以前、このお城へは何度も遊びに来ていました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-城主さまと

これは今からもう11年も前、
1999年にイーエスコウを訪れたとき、
お城でばったり会った城主さま
一緒に写真を撮らせてもらったものです。

でも、なんだか昔にくらべて今は、
入場料もやたら高くなったようです。
それに、すみずみに商業主義が感じられ、
以前のもっとのんびりした感じが、
だんだん失われつつあるのかと、
少し悲しく思ったりしたのでした。



観光客が増えると、どうしても商業主義に傾いていく。
デンマークの田舎でさえ、そんな気がして、悲しいです。




(臨時増刊) 9・11 フロリダ?



日刊「きのこ」 skipのブログ-燃える勾欄
勾欄(こうらん)が燃えていますね。
それだけです。
しょーもないことです。





(おまけ)なぞなぞ

イエス、ムハンマド、お釈迦様、

この中で、ひとりだけ毛糸が編めない。

誰でしょう?


正解はお釈迦様、

なぜなら不器用(ブッキョウ)。


こんなバチあたりななぞなぞを、

昔、聴いたことがありました。


アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン。

(合掌)

ベオウルフのヘオロットを訪ねる。

古英語で書かれた「ベオウルフ」が、
はじめて近代語に翻訳されたのは、
グロントヴィによるデンマーク語訳であった。
(“Bjovulfs Drape”という題名で、
1820年「ダネ・ヴィアケ第2巻」に発表)


「ベオウルフ」は、
スウェーデンの英雄ベオウルフが、
デンマーク王フロースガールの王宮に来て、
毎夜、王宮を襲うという魔物グレンデルを退治。
復讐に来たグレンデルの母親(巨人)も退治。
やがて老王となったベオウルフは、
民を襲うドラゴンと戦って、勝ちはしたものの、
重傷をおい、そのまま絶命するという話。


日刊「きのこ」 skipのブログ-グレンデル

大英博物館に写本が残っているが、
グロントヴィは1829年に、
このオリジナル手稿の調査もしている。


さて…、
フロースガール王King Hroðgarとは?
また、彼の王宮とはどこか?

最近の研究によってそれが明らかになりつつある。
イギリスでフロースガール王と伝えられているのは、
デンマークの伝説の王、
第11代ロルボ・クラキHrolf Kraki

(6世紀のころの王)
のことであろうと推察されている。
また、雄ジカの宮を意味する
彼の王宮ヘオロットHeorotは、
古来、ロルボ・クラキの王宮のあったと伝えられている
ライラLejreにあったと推定されている。

しかも、そのライラの町からは、
全長50mを越す、ロングハウスの遺跡が3棟も、
1986-88年と、2004-05年に発掘されるにおよび、
伝説は確信あるものへとなりつつあるのである。


前説(まえせつ)が長くなりました。

そんなわけで、ライラにヘオロットを求めて
行ってみました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ロスキレ大聖堂
(ロスキレ大聖堂)
ライラは世界文化遺産のあるロスキレの
南西約8kmにある小さな町です。

訪れたのは、「伝説の地ライラ」という時代村です。
石器時代や鉄器時代、そしてヴァイキング時代の
生活が再現されているという体験型ミュージアムです。
入場料が1人125DKK(約2000円)もするわりに、
中は、何もない自然のまんまの公園です。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ライラ 丘の上
立っているのは遺跡でもなんでもなく、
ただの道しるべです。
自然の中をただ歩いて、歴史や伝説を感じとる
ってそんなところのようです。

日刊「きのこ」 skipのブログ-hyldeblomster
丘の上は一面の花。

日刊「きのこ」 skipのブログ-hyldeblomstアップ

この花はヒュルデブロムストHyldeblomst
英語名elder、日本名ニワトコです。
デンマークではこの花を摘み、
砂糖とともに煮出して冷まし、
ジュースとして飲みます。
夏のさわやかな飲み物です。
3日前に訪れたインゲ先生のおうちでも、
庭に生えていたこの花で、ジュースをつくって
飲ませていただきました。

少し歩くと、丘のふもとに村落が…、

日刊「きのこ」 skipのブログ-鉄器時代の村

近寄って行ってみましょう。

日刊「きのこ」 skipのブログ-近景

これは鉄器時代の村の再現だそうです。
中に入ると、鉄器時代のランチも再現してました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-鉄器時代ランチ

このおせんべいみたいなパンを、男の子が配ってくれました。

鉄器時代の味、けっこうおいしかったです。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ボート遊び

鉄器時代の親子がボート遊びを始めます。

日刊「きのこ」 skipのブログ-鉄器時代のくらし

伝説の人々のくらしはこんな感じだったのでしょうか。

もう少し離れた地区には、
観光客も遊べるボートがあります。

日刊「きのこ」 skipのブログ-一般ボート遊び

こちらは勝手にライフジャケットをつけて、
勝手に自己責任で遊びます。
このほかにも、石器時代の地区などもあるのですが、
とても広くて、基本的に自然があるばかりです。

最後にたどりつくのはミュージアムショップです。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ミュージアムショップ

時代村には関係ないですが、
カラフルなフエルト製品が目を惹きました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ライラ ポスター


自然の中で、しばし、ありし日のヘオロットを想い、

感慨にひたった、「伝説の地ライラ」でありました。

さて、帰りにはクーイKøgeの町にちょっと寄って、

日刊「きのこ」 skipのブログ-クーイ

それから以前にもお伝えした、
海辺のレストランで食事をして、

日刊「きのこ」 skipのブログ-fjordkroen


日刊「きのこ」 skipのブログ-フラッドフィスク

日も暮れかかる頃、ヨットハーバーのある、
わがホームタウンに帰って来ました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-ニュスー

ただいま。

日刊「きのこ」 skipのブログ-プラストゥー



今回はライラの遺跡の発掘現場はつきとめることはできませんでしたが、

これからも情報収集を心がけ、伝説と歴史のつながりについて、

考察を続けたいと思います。

それはさておき、今日は重陽ですね。

菊花酒でも呑みますか…。

デンマークのショッピング・モール


もう、1月以上も前のことになります。

7月の終わりの金曜日には、

買い物に出かけました。


その前に、長男の親友のおうちに、ちょっと寄って、

一緒にパナケーエpandekageを食べました。

日刊「きのこ」 skipのブログ-pandekage

パナケーエは、英語ではパンケーキですが、

ホットケーキのようにふくらませてません。

かといって、クレープほど薄くはありません。

それにジャムやクリーム、砂糖なんかを乗せて

巻いたり、たたんだりして食べます。

朝から、長男の親友のステーフンがひとりで、

たくさん焼いて、待っててくれました。

ステーフンは技術専門学校に通う18歳です。

将来、彼の父や兄のように電気工事屋さんに

なりたいのだそうです。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ステーフンの家の中

こちらがステーフンのおうちの中です。

デンマーク人の家はいつも、キレイに片付いています。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ステーフンお庭

こちらがステーフンのおうちの庭。

ここは普通の住宅街の、一戸建ての家です。


さて、それから、買い物によく行っていた、

ネストヴィズNæstvedの街にある

ショッピングモール に行きます。

通いなれた道を30キロほど、走ります。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ビルカ外

外は小雨模様ですが、日本の猛暑のことを思えば

「雨もまた良し」です。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ビルカを歩く

ショッピングモールの中をカートを押して歩きます。

セレッソのシャツ着てるのは、うちの次男です。


日刊「きのこ」 skipのブログ-フェラーリ

モール内の広場に、なぜかフェラーリが飾られていました。

日本のスーパーカー・ブームの時代なら、

これだけでも大騒ぎでしょうね。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ビルカ通路1

左は電機屋さん、右は雑貨屋さんですね。

通路も広々としています。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ビルカ通路3

ブティックのショウウインドゥには、

Wickedむけの緑のマネキンもいますねwww。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ビルカ通路2

大型の水槽もあって、水族館のように子どもも見入ってます。

カートがけっこう大きいので、乗せている子どもの位置も高く、

大人と視線があわせやすいというのも、いいと思います。


では、モール内最大のスーパーをご案内しましょう。

広いので、全部はご紹介できませんが、ほんの一部。


日刊「きのこ」 skipのブログ-レゴのコーナー

まず、目指すのはレゴのコーナー。

スーパー内のおもちゃ売り場の中でも、

かなりの面積を占めてますので、

遠くからでもすぐに見つけられます。

ときどき安売りもするので、そんなときは見逃せません。


ずっと飛ばして、次は食料品売り場の中の

チーズのコーナーへ。


日刊「きのこ」 skipのブログ-チーズ売り場

チーズ売り場は、こんなに広いです。

(この写真に写っていないところにもずっと続いてます)

そして、デンマークのチーズが、またおいしいのです!


次は野菜のコーナーへ行ってみましょう。


日刊「きのこ」 skipのブログ-野菜コーナー1

ひとつひとつパックに入っていないのは、エコのためです。

必要なぶんだけ、自分で袋に入れます。


日刊「きのこ」 skipのブログ-野菜コーナー2
デンマークのこのエンドウマメって大きくておいしいんです。

生でパクパク食べます。

アナセン(アンデルセン)の作品にも、

5つぶのえんどうまめ」や

えんどうまめの上に寝たお姫さま」など、

エンドウマメの登場するお話がありますね。


これもできるだけ身の詰まってそうなのを選んで、

量り売りです。


日刊「きのこ」 skipのブログ-野菜コーナー3
量り売りばかりでなく、

パックに入ったコーナーももちろんあります。

エノキはenokiと書かれてパックで売られてます。


デンマークで、こんなに野菜が豊富になったのは、

政事・軍事・経済の多方面にわたるEU統合と、

1998年のシェンゲン協定加盟国内のパスポート検査撤廃、

以後のこと。

けっこう新しいんです。

デンマークの食生活も大きく変貌しつつあります。



日刊「きのこ」 skipのブログ-edamame

冷凍食品コーナーにこんな表示も。



日刊「きのこ」 skipのブログ-塩あじえだ豆

冷凍モノですが、日本のえだ豆です。



日刊「きのこ」 skipのブログ-醤油も豊富

お醤油もこんなに種類が置かれるようになりました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-米売り場

お米も、かなりの種類が売られています。

パエリアむきも、サフランライスむきもいろいろあります。


日刊「きのこ」 skipのブログ-スシ米

スシ米も、何種類か売られてました。



日刊「きのこ」 skipのブログ-スシパック
お惣菜のコーナーには、

スシパックも売られていました。

もちろん、

デンマークに日本人がたくさん住んでいるということは

ありません。

また、デンマークを訪れる日本人もそんなに多くありません。

それに、多く訪れるのは、

コペンハーゲンやオーゼンセ、オーフスくらいです。



こんな観光都市でもない町で、しかも生鮮食品、

売れなければ、当然廃棄になるはずなのに、

これだけ並べているということは…、

かなりスシがデンマークに浸透しているということですね。


こっそり内緒にしたかったくらいですが…、

ここだけの話…、

デンマークは、とっても住みよい国です

食生活も工夫すれば、毎日日本食だって食べられます。


以上、今回はデンマークのショッピング(一部)ご紹介でした。




デンマークにご転勤の方、ご留学の方などいらっしゃいましたら、

何が入手しやすくて、何が入手困難か…など、

いろいろアドヴァイスさしあげることもできます。

どうぞお気軽にお問い合わせください。


クベンハウンは、コペンハーゲンのこと。

デンマークの伝説でちょっとまわり道しましたが、

リングステズの町にあった

プルサ(ソーセージ)スタンドで昼食。


日刊「きのこ」 skipのブログ-リングステズの町並

それから、大急ぎでホームタウンに戻って、

約束していたインゲ先生とバウンさんのおうちに向かいます。


日刊「きのこ」 skipのブログ-インゲ先生お迎え
このかわいいおうちです。

インゲ先生がドアの前に立って出迎えてくれています。

実はこのおうち、古いようで新築です。

というより建てかけです。

インゲ先生とバウンさんが、自分たちで建てたのです。

デンマーク人は、しばしば自分の家を、

自分で建てたりします。(オドロキです)


日刊「きのこ」 skipのブログ-インゲ先生サンルーム
ここは建築中のサンルームです。

夢をふくらませながら、よく考えて、

少しずつ、何年もかけて建てていきます。

8年前にぼくたちがいたときに、

着工しだしたと言ってた家です。


日刊「きのこ」 skipのブログ-インゲ先生庭

広いお庭も、少しずつ整備中で、

資材の石もゴロゴロしてます。

少しずつですが、コツコツと、

楽しみながら完成させていきます。

ここで、ヒュッゲな時間を過ごしてから、

その日は、ホテルに帰って行きました。


さて、翌日はコペンハーゲンです。

第一の目的は古本屋さん。


日刊「きのこ」 skipのブログ-旧証券取引所の前

旧証券取引所の前に車を停めて、

まず、情報集めに、グロントヴィ協会のある

ヴァートウに行ってみましたが、あいにく夏休みでした。
日刊「きのこ」 skipのブログ-ヴァートウのグロントヴィ像

これはヴァートウにあるグロントヴィの像です。


なんとか、古本屋をさがして、用件を済まし、

国立博物館で相当時間を費やしたあと、

コペンの街をウロウロします。

ホイブロという広場には、フィスケコーネの像があります。


日刊「きのこ」 skipのブログ-フィスケコーネ

魚おばさんという意味ですが、

昔は、この辺りで、こんな風にして魚を売っていたのでしょう。


今日は、魚料理を食べることにしましょう。

コペンハーゲンのレストランでおすすめは、ここ。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ペダーオクセの外

ペダーオクセPederoxeというお店です。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ペダーオクセの中

落ち着いた店内です。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ペダーオクセの料理

コペン価格なので、少しお高めですが、味は満足です。


もうちょっと、コペン散策を続けましょう。


日刊「きのこ」 skipのブログ-チコ・ブラーエ

この人はご存知でしょうか?

テュコ・ブラーア(ティコ・ブラーエ)という

デンマークの天文学者です。

彼の集めたデータを解析して、弟子のケプラーが、

有名なケプラーの法則を発見しました。


デンマークのヴェン島という島に、

「星の城」Stjerneborgという名の、

テュコの天文台があったのですが、

彼の死後、取り壊されてしまいました。

その代わりに、新しい天文台として建てられたのが、

このロネトーン(円塔)Rundetårnです。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ロネトーン

コペンハーゲンのランドマークの一つになっています。

完成したのは1642年、日本では徳川家光の時代です。

もちろんてっぺんまで上がることはできるのですが、

このときは、明るくても時間は夜の9時をすぎてます。

もちろん、営業時間外です。


前の本屋さんのショーウィンドウをちょっと覗くと、

日本のデザインを紹介した本がありました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-Tokyo Clash

ジャパニーズ・ポップ・カルチャーなのだそうです。

たぶん、ドイツの出版社だと思います。

そのとなりには、


日刊「きのこ」 skipのブログ-浮世絵の本

浮世絵の本も並べてありました。

日本文化への関心度はかなり高いようです。

また、ストロイエまで戻ります。

すると、ロイヤル・コペンハーゲンの店の前に人の列が…、


日刊「きのこ」 skipのブログ-人の列
なんだろうと思って、さっそく並んでいる人に聞いてみました。

すると、iPhone4の発売日なのだそうです。

列の先に行って見ると、なるほど、


日刊「きのこ」 skipのブログ-列の先

iPhone4のお店がありました。近寄ってみてみましょう。


日刊「きのこ」 skipのブログ-iPhone4

たしかに今日の夜10:00からと書いてありますね。

でも販売はどうやら深夜12時のよう。

日英米独仏では6月にすでに発売されています。

それに続く17カ国での発売日なのだそうです。


楽しみに待つ人の列を、

遠くからフィスケ・コーネが見つめていました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-フィスケコーネ2



このあと、暮れかかってから、

人魚姫を確認に行ったときのことは、

すでにご報告しましたね。




あゝ、なんだか、オチのない話ばっかり…

まだまだ題材は山ほどあるのに、なんだかダラダラしてますね。


あ、そうそう、このときパーキングに戻ったときに、

いきなり「スキップ!」と声をかけられました。

見ると、昔の同僚のレスリーとお子さんたちがいます。

いくらデンマークが田舎だからといっても、コペンは都会です。

メールでデンマークに行くことは伝えておいたのですが、

偶然に出会うなんて、とっても珍しいことです。

「電話をするつもりだったよ」

「いつか家に来てちょうだい」

「今度の日曜ならまだ空いてるけど」

「じゃあ、日曜のお昼に来てちょうだい。一緒にランチをしましょう」

といって、そのときは別れました。







ダウマー姫の十字架

ハグバルド王子とシグネ姫の伝説の地にほど近く、

リングステズというちょっとした町があります。


日刊「きのこ」 skipのブログ-リングステズ教会

この町には、大きな教会もあり、


日刊「きのこ」 skipのブログ-ヴァルデマー大王

前にはヴァルデマー大王の銅像も立っています。


今回のお話は、このヴァルデマー大王の息子、

ヴァルデマー勝利王(在位1202-1241)にまつわるお話です。


ヴァルデマー勝利王は、エストニア遠征の大成功により、

勝利王という愛称で呼ばれるようになった、有名な王です。

しかし、そればかりでなく、その戦争よりも前、

彼の最初の妃ダウマー姫とのロマンスでも有名です。


ヴァルデマー勝利王は、

王妃はスカンディナヴィアの王族から娶るという

それまでの慣例を破り、

遠く、南方のボヘミアから若いダウマー姫を妃に選びました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ダウマー姫

30歳を越すヴァルデマー王のもとに嫁いで来たときの

彼女はわずか14歳です。

彼女は、ボヘミア王の血をひく姫でしたが、

家の事情から、いわばなかば政略結婚として、

はるか北方のデンマークの地に嫁ぐこととなりました。


彼女の本当の名前はドラゴミア。

ボヘミア調のその名前が親しみにくいので、

デンマーク語の「あけぼの姫」あるいは「朝日姫」という

意味の「ダウマー姫」と呼ばれるようになりました。


彼女のデンマークでの暮らしは、詳しく伝わっていません。

しかし、彼女はとても利発で聡明な少女として

語り継がれています。

そして、彼女の最期については、

バラッド(物語詩)が伝わっています。


彼女はユラン半島南部のリーベという町で病の床に伏し、

そのとき王はユラン中部スカナボーにいました。

彼女の病床の周りには、

デンマーク中から貴婦人たちが集められましたが、

なすすべもありません。

ダウマー姫は自分の死が近いのを悟り、

ヴァルデマー王を呼びに、呼びにやりました。

彼女の馬丁が、使者として馬に飛び乗り、

130キロの道のりを、スカナボーまで馳せつけたのです。

ヴァルデマー王は、すぐさま馬をしつらえて、

百人の家臣とともに、ユランの原野を南へと駆け抜けます。

あまりに過酷な騎乗であったため、

リーベの町の入り口にある橋にたどり着いたとき、

家臣はだれもついて来れず、

王の乗馬ただ一騎のみ、リーベに入っていきました。

それでも、王の到着は遅すぎました。

王が町の通りを駆け抜けているとき、

ダウマー姫は一人の貴婦人の腕の中で、

息をひきとります。


王は、その死の部屋に駆け込んで来て、

そこにいるすべての者に彼と祈るように命じました。

「私は断固として、ダウマー姫との別れを

許しはしない……」と。


そして、奇跡は起きました。

彼女が目をさましたのです。

しかし、彼女の目は血のように赤く、

彼女は最後のお願いに、ヴァルデマー王に

いとまごいを申し出ます。

そして、彼女は永遠の眠りにつきます。


その物語詩の繰り返し部分には、こう歌われています。

「あれに見えたるリングステズに、

ダウマー姫は眠れリ」


リングステズの町に彼女が埋葬されたというのは事実です。

18世紀のあるとき、教会のある司祭が、

ダウマー姫の墓所を掃除して、

その場所に自分の妻の棺を据えようとしましたが、

そのとき、美しい小さな黄金と七宝でできた十字架が発見されました。

それが今でも、

コペンハーゲンの国立博物館に展示されている

「ダウマー姫の十字架」です。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ダウマー十字架表
これがその表側です。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ダウマー十字架裏

そして、こちらが裏側です。


今でも、このダウマー姫の十字架のコピーが、

洗礼式の贈り物として、

たくさんのデンマークの小さな少女たちの頸を飾っています。




この話には実は続きがありまして、ダウマー姫なきあと、

後妻としてポルトガル王女のビレンガーリア姫が迎えられましたが、

この名前がまた、デンマーク風にビーンゲアト姫と変えられました。

ところがその意味は「熊の飼育係」です。

彼女はとても美しい女性だったそうですが、

とても悪い人だったという伝えられています。

リングステズ教会からは、彼女の髪と頭骨が発掘されています。

髪は今も保存されており、教会に展示されています。

すでに灰色にしぼんでしまっていますが、

きっとゆたかに美しいものであったことが想像されます。

また頭骨は非常に均整のとれた、美しいものであったと言われています。


でも、デンマーク人には今でもダウマー姫の方が

よっぽど人気があるというのは、いかにも不思議ですね。













ハグバルト王子とシグネ姫

歴史的に一番古くさかのぼれるデンマーク王は、

ゴーム・デン・ガンムレ(ゴーム老王)といいます。

在位は諸説ありますが、西暦936年~約958年です。


しかし、彼は伝説では第58代デンマーク王です。

今回のお話はもっともっと古い、

第31代のシガル王の時代のことです。


シガル王には何人かの息子たちと

シグネ姫という娘がおりました。

息子たちは、遠くノルウェーに遠征に出かけ、

敵の王子ハグバルトの手にかかって殺されてしまいました。


そののちハグバルト王子は、デンマークにやってきて、

単身シガル王の宮殿に女装してしのびこみ、

シグネ姫と永遠の愛を誓うようになります。

シグネ姫は、兄弟を殺された恨みより、

むしろその武勇に魅力を感じていたようです。


やがて、ハグバルト王子は宮殿で見つかり、

激しい戦いのあと、とうとう捕まってしまいます。

シガル王やその王妃にしてみれば、

息子たちを殺され、娘の心まで奪われた

憎い敵です。

裁判で死刑が宣告され、

彼は丘の上の刑場に引き立てられます。


宮殿の中では、恋人を奪われ悲しみにくれる

シグネ姫と、そのおつきの女官たちが、

ハグバルトとともに、自らの命を絶つことを決心します。


丘の上で刑吏にむかってハグバルト王子は、

絞首台に彼のマントをかけるように頼みます。

刑吏が、言われるようにマントをかけると、

宮殿の望楼に立つ見張りは、それを見て、

てっきりハグバルトが吊るされたものと思い、

「ハグバルト王子は処刑されました」と報告します。


それを聴いたシグネ姫は、自らの宮殿に火を放ち、

綱で首を絞めて、命を絶ちました。

たくさんの女官たちもそれに従います。


日刊「きのこ」 skipのブログ-シグネ姫

宮殿のシグネ姫の寝室から火の手があがるのを、

丘の上から認めたハグバルト王子は、

シグネ姫が愛の誓いを守ったことを確信し、

喜んで、刑吏をうながし、絞首台にのぼるのでした。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルト王子

今でもスィーアステズ(シガル王の町)の郊外に、

ハグバルト王子が絞首にかかった丘、

シグネ姫の女官たちの部屋の建っていたところ、

というのが残っています。


…長くなりましたが、以上は

サクソ・グラマティクスの書いた『ゲスタ・ダノルム』

という古典に伝わる

ハグバルト王子とシグネ姫の一節の概要です。

同書はまた、農民が畑を耕していて、

立派な梁(はり)を見つけたが、

これこそシガル王の宮殿の痕跡らしいと

いうようなことを書いています。


グルントヴィが「北欧神話」という本の中で、

「シグネの女官の部屋の梁を鋤き返す」

“Pløiningen efter Bjelkerne af Signes Jomfru-Bur”

ということばを使っていたのは、ここからの援用です。


さて、本当に前置きが長くなりました。

ここからがいよいよ本題です。

グルントヴィを読みながら、

どうしても、その伝説の地を訪れてみたいと

ぼくはずっと思っていました。


インターネットでいろいろ情報を収集して、

レングステズRingstedの町の郊外に、

スィーアステズSigerstedという村落があり、

そのまた、村はずれに、

ハグバルズ・ホイHagbalds højという遺跡があるらしい、

そしてそのすぐそばにシグネス・ホイSignes højという

遺跡もあるらしい、というのはわかりました。

けれども、どちらも地図には載っていません。


とにかく車を走らせて、

現地周辺に行ってみることにしました。


なんとか人に訪ねながら、

ハグバルズ・ホイは見つけました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルスホイへの道

丘に見えませんか?

デンマーク(特にシェラン島)は平らな土地なんです。

もうちょっと近づきます。


日刊「きのこ」 skipのブログ-Hagbards hoej

まわりに誰もいませんが、ふもとにはちゃんと案内板もあります。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルスホイ案内板
かなり風化してますが、ちゃんと読めます。

ホイhøjはデンマーク語で丘のことですが、

同時に墳丘つまり古墳の意味でもあります。

ここも、考古学的には、

青銅器時代(紀元前1800-500)の古墳でした。

考古学者によっては未発掘であると書かれていました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルスホイの上
ぼくたちは丘の上に上がり、しばらく花をながめていました。

ここが、「ハグバルト王子処刑の丘」の

伝説の地だと思うと感慨もひとしおです。


さて、次はシグネス・ホイですが…。

こちらは、さっぱり手がかりがありません。

スィーアステズの村の教会にも行ってみましたが、

まわりに誰もいません。


日刊「きのこ」 skipのブログ-Sigerstedの碑
スィーアステズの村にあった、

この碑にも何も書かれていません。

てっぺんに王冠がのっているのは、

シガル王の王宮がこの地にのあったという誇りでしょう。


途方にくれているとき、村の西のはしっこの家の裏畑で、

やっと働いている人影を見つけました。

大きい牛を飼っている家でした。

最初に奥さんに、話をしたら、

「夫を呼んでくるわ。彼はここの生まれだから」

と言って、すぐに呼んできてくれました。


「こんにちわ」

「どこから来たの?」

「日本です」

「へぇ、あのワールドカップの試合は見たかい?

ぼくたちは負けちゃったけど…」


ちょうどその日、ぼくはデンマーク代表のシャツを

着ていました。

「デンマークを応援してましたよ」


それからシグネス・ホイの話をしたら…、

「ハグバルズ・ホイじゃないのかね。

ハグバルズ・ホイには行ったのか?」

「ええ、行きました。シグネス・ホイを捜しているんです」

「あぁ、知ってるよ。

ハグバルス・ホイの手前でね…、ここから2キロ、

う~ん、バイクで先導してあげるから、ついておいで。

バイクを出してくるから、ちょっと待ってて」


と言って、彼は自転車に乗って出てきました。

バイクって、自転車だったのです。

緩やかなくだりだったとはいえ、約2キロ。

彼は颯爽と自動車の前を先導してくれました。


畑の中の道で止まった彼は、

「あの向こうに見えているのが、それなんだけど…

近づけないな。畑の中だから」


日刊「きのこ」 skipのブログ-シグネスホイ遠望
麦畑のむこう、林の手前に、ちょっとふくらんでいるのが

わかりますでしょうか?


親切に教えてくれた彼に、

一生懸命お礼を言うと、

「じゃあ、さよなら」

といって自転車を、ひっくりかえして、

今度は緩い上り斜面を、颯爽とこいで登っていきました。


さて、もう少し、なんとか近づけないものでしょうか?

いろいろ廻ってみましたが、

立ち入れそうな道はありませんでした。

いちばんマシなところから、カメラのズームでパチリ。


日刊「きのこ」 skipのブログ-Signes hoej
事実はともあれ、これがシグネにまつわる伝説の地です。

一応、ネットでもう一度調べなおしてみると…。

レングステズ市の植生保護の報告書に、

エルメ・ホイElme høj別名シグネス・ホイとして、

この同じ丘(古墳)が、写真つきで載っていました。


さすが、地元のおじさん…彼でないとわからないような、

何の案内もないところを教えていただいて、

ぼくは、悠久の歴史ロマンに浸ることができたのでした。


これはおそらく、ハグバルト王子とシグネ姫の伝説の地を、

日本で紹介したはじめてのものだと思います。

少しでも、興味を持ってくださる方がいれば、

ぼくは幸せです。


【追記】位置情報

ハグバルズ・ホイ 55°24'30" N 11°42'36" E

シグネス・ホイ   55°24'46" N 11°42'32" E



『ゲスタ・ダノルム』は『デンマーク人の事績』という

谷口幸男氏訳の日本語版で

1章から9章まで読むことができます。

(10章から16章までは未刊)

日本では有名な話ではないので、説明が長くなってしまいました…。

ぼくに文章力があれば、もっと簡潔になったと思います。