ハグバルト王子とシグネ姫 | 日刊「きのこ」 skipのブログ

ハグバルト王子とシグネ姫

歴史的に一番古くさかのぼれるデンマーク王は、

ゴーム・デン・ガンムレ(ゴーム老王)といいます。

在位は諸説ありますが、西暦936年~約958年です。


しかし、彼は伝説では第58代デンマーク王です。

今回のお話はもっともっと古い、

第31代のシガル王の時代のことです。


シガル王には何人かの息子たちと

シグネ姫という娘がおりました。

息子たちは、遠くノルウェーに遠征に出かけ、

敵の王子ハグバルトの手にかかって殺されてしまいました。


そののちハグバルト王子は、デンマークにやってきて、

単身シガル王の宮殿に女装してしのびこみ、

シグネ姫と永遠の愛を誓うようになります。

シグネ姫は、兄弟を殺された恨みより、

むしろその武勇に魅力を感じていたようです。


やがて、ハグバルト王子は宮殿で見つかり、

激しい戦いのあと、とうとう捕まってしまいます。

シガル王やその王妃にしてみれば、

息子たちを殺され、娘の心まで奪われた

憎い敵です。

裁判で死刑が宣告され、

彼は丘の上の刑場に引き立てられます。


宮殿の中では、恋人を奪われ悲しみにくれる

シグネ姫と、そのおつきの女官たちが、

ハグバルトとともに、自らの命を絶つことを決心します。


丘の上で刑吏にむかってハグバルト王子は、

絞首台に彼のマントをかけるように頼みます。

刑吏が、言われるようにマントをかけると、

宮殿の望楼に立つ見張りは、それを見て、

てっきりハグバルトが吊るされたものと思い、

「ハグバルト王子は処刑されました」と報告します。


それを聴いたシグネ姫は、自らの宮殿に火を放ち、

綱で首を絞めて、命を絶ちました。

たくさんの女官たちもそれに従います。


日刊「きのこ」 skipのブログ-シグネ姫

宮殿のシグネ姫の寝室から火の手があがるのを、

丘の上から認めたハグバルト王子は、

シグネ姫が愛の誓いを守ったことを確信し、

喜んで、刑吏をうながし、絞首台にのぼるのでした。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルト王子

今でもスィーアステズ(シガル王の町)の郊外に、

ハグバルト王子が絞首にかかった丘、

シグネ姫の女官たちの部屋の建っていたところ、

というのが残っています。


…長くなりましたが、以上は

サクソ・グラマティクスの書いた『ゲスタ・ダノルム』

という古典に伝わる

ハグバルト王子とシグネ姫の一節の概要です。

同書はまた、農民が畑を耕していて、

立派な梁(はり)を見つけたが、

これこそシガル王の宮殿の痕跡らしいと

いうようなことを書いています。


グルントヴィが「北欧神話」という本の中で、

「シグネの女官の部屋の梁を鋤き返す」

“Pløiningen efter Bjelkerne af Signes Jomfru-Bur”

ということばを使っていたのは、ここからの援用です。


さて、本当に前置きが長くなりました。

ここからがいよいよ本題です。

グルントヴィを読みながら、

どうしても、その伝説の地を訪れてみたいと

ぼくはずっと思っていました。


インターネットでいろいろ情報を収集して、

レングステズRingstedの町の郊外に、

スィーアステズSigerstedという村落があり、

そのまた、村はずれに、

ハグバルズ・ホイHagbalds højという遺跡があるらしい、

そしてそのすぐそばにシグネス・ホイSignes højという

遺跡もあるらしい、というのはわかりました。

けれども、どちらも地図には載っていません。


とにかく車を走らせて、

現地周辺に行ってみることにしました。


なんとか人に訪ねながら、

ハグバルズ・ホイは見つけました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルスホイへの道

丘に見えませんか?

デンマーク(特にシェラン島)は平らな土地なんです。

もうちょっと近づきます。


日刊「きのこ」 skipのブログ-Hagbards hoej

まわりに誰もいませんが、ふもとにはちゃんと案内板もあります。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルスホイ案内板
かなり風化してますが、ちゃんと読めます。

ホイhøjはデンマーク語で丘のことですが、

同時に墳丘つまり古墳の意味でもあります。

ここも、考古学的には、

青銅器時代(紀元前1800-500)の古墳でした。

考古学者によっては未発掘であると書かれていました。


日刊「きのこ」 skipのブログ-ハグバルスホイの上
ぼくたちは丘の上に上がり、しばらく花をながめていました。

ここが、「ハグバルト王子処刑の丘」の

伝説の地だと思うと感慨もひとしおです。


さて、次はシグネス・ホイですが…。

こちらは、さっぱり手がかりがありません。

スィーアステズの村の教会にも行ってみましたが、

まわりに誰もいません。


日刊「きのこ」 skipのブログ-Sigerstedの碑
スィーアステズの村にあった、

この碑にも何も書かれていません。

てっぺんに王冠がのっているのは、

シガル王の王宮がこの地にのあったという誇りでしょう。


途方にくれているとき、村の西のはしっこの家の裏畑で、

やっと働いている人影を見つけました。

大きい牛を飼っている家でした。

最初に奥さんに、話をしたら、

「夫を呼んでくるわ。彼はここの生まれだから」

と言って、すぐに呼んできてくれました。


「こんにちわ」

「どこから来たの?」

「日本です」

「へぇ、あのワールドカップの試合は見たかい?

ぼくたちは負けちゃったけど…」


ちょうどその日、ぼくはデンマーク代表のシャツを

着ていました。

「デンマークを応援してましたよ」


それからシグネス・ホイの話をしたら…、

「ハグバルズ・ホイじゃないのかね。

ハグバルズ・ホイには行ったのか?」

「ええ、行きました。シグネス・ホイを捜しているんです」

「あぁ、知ってるよ。

ハグバルス・ホイの手前でね…、ここから2キロ、

う~ん、バイクで先導してあげるから、ついておいで。

バイクを出してくるから、ちょっと待ってて」


と言って、彼は自転車に乗って出てきました。

バイクって、自転車だったのです。

緩やかなくだりだったとはいえ、約2キロ。

彼は颯爽と自動車の前を先導してくれました。


畑の中の道で止まった彼は、

「あの向こうに見えているのが、それなんだけど…

近づけないな。畑の中だから」


日刊「きのこ」 skipのブログ-シグネスホイ遠望
麦畑のむこう、林の手前に、ちょっとふくらんでいるのが

わかりますでしょうか?


親切に教えてくれた彼に、

一生懸命お礼を言うと、

「じゃあ、さよなら」

といって自転車を、ひっくりかえして、

今度は緩い上り斜面を、颯爽とこいで登っていきました。


さて、もう少し、なんとか近づけないものでしょうか?

いろいろ廻ってみましたが、

立ち入れそうな道はありませんでした。

いちばんマシなところから、カメラのズームでパチリ。


日刊「きのこ」 skipのブログ-Signes hoej
事実はともあれ、これがシグネにまつわる伝説の地です。

一応、ネットでもう一度調べなおしてみると…。

レングステズ市の植生保護の報告書に、

エルメ・ホイElme høj別名シグネス・ホイとして、

この同じ丘(古墳)が、写真つきで載っていました。


さすが、地元のおじさん…彼でないとわからないような、

何の案内もないところを教えていただいて、

ぼくは、悠久の歴史ロマンに浸ることができたのでした。


これはおそらく、ハグバルト王子とシグネ姫の伝説の地を、

日本で紹介したはじめてのものだと思います。

少しでも、興味を持ってくださる方がいれば、

ぼくは幸せです。


【追記】位置情報

ハグバルズ・ホイ 55°24'30" N 11°42'36" E

シグネス・ホイ   55°24'46" N 11°42'32" E



『ゲスタ・ダノルム』は『デンマーク人の事績』という

谷口幸男氏訳の日本語版で

1章から9章まで読むことができます。

(10章から16章までは未刊)

日本では有名な話ではないので、説明が長くなってしまいました…。

ぼくに文章力があれば、もっと簡潔になったと思います。