大阪府警に何でも聞いてや。
大阪府警の募集ポスターの
センスがいいことは、
これは今年のポスター。
「頼る人から守る人に…」
キャッチコピーの意味が
いまいちようわからんけど、
「何でも聞いてや。」
という見出しは惹きつける。
で、写真は交番の看板を
写したものなのだが、
実際に交番の看板は、
いつのまにか、
こんなのになっていた。
子どもの目線に降りようとする
おまわりさん、
まるでウォルト・ディズニーのようだ。
でも見ようによっては、
子どもに尋ねられてるというより、
子どもに注意されてるような
感じもする。
いずれにしても、
親近感が持てて
いいと思う。
大阪府警は、
優しいおっちゃんばっかりや!
このあいだスピード違反で捕まったときも
やたら優しく接してくれました。
反省してます。
これからも安全運転に努めます。
Tiger Copenhagen
去年7月に日本初上陸した
「デンマークの100円ショップ」
こと
「Tiger 心斎橋」に、
やっと入店できました。
今まで何度か
行ったのですが、
開店してすぐには、
品切れ状態が続いて
臨時休業。
再度、開店しても
入荷が追いつかず、
臨時休業。
またまた開店してからは、
朝のうちに整理券を
ゲットした人だけが
入店できるという
システムになってました。
昨日、もうおちついただろうと
行ってみまして、
整理券もなしに、
やっとスムーズに入店できた
というわけです。
でも、店内はけっこうな人でした。
品物は北欧テイストで、
カラフルな雑貨がいっぱい。
でも、中国製の安いものが
多かったようです。
中国製でも
デザインがよかったら
いいんですけどね。
デンマークらしいものといえば、
いろいろなロウソクと、
キャンドル関係の小物。
(たとえば、
ロウソクを燭台にたてるときに
ぐらぐらしないように、
間にはさむアルミフォイルのカップとか)
それにデンマークの
お誕生日にはかかせない
ダネブロー(デンマーク国旗)の
シールや小物などがありました。
ちなみに店名のTigerは、
日本ではタイガーと云っていますが、
デンマークでの発音はティーア、
意味は「虎」です。
ただし、
デンマークの10クローネ
(約180円程度)
はデンマーク語でティーア、
つまりトラと発音が同じなんです。
それで10クロショップという意味で
ティーア(虎)という店名になったんですね。
別にデンマーク人が
阪神タイガースファンで、
大阪に初出店したわけでもないんです。
昨日は、そののち、
堺筋本町の
カヴォー・ド・シャサーニュという
フレンチのお店で、
ワイン会に参加してきました。
おいしいお料理と
ワインをたくさんいただき、
そして、最後に、
1987年もののワイン、
つまり26年前のワインを
いただきました。
ポマール プルミエ クリュ レ リュジアン 1987
プルミエ・クリュ
つまり一級品というわけで、
保存状態もよく、
上品に年をとったワインという
風格でした。
ワイン会主催して下さった
「愛ちゃん」
いつも、すてきな笑顔と
心づくしの企画を、
ありがとうございます。
今回もオチも何もない
ただの日記的なブログでした。
もっとみなさまに読んでいただいて、
クスッと笑っていただけるような
記事を書きたいと思っているんですが…。
なかなか、むずかしいです。
TDLへ行きたいか~?
たまにはブログネタででも、
やってみますね。
ブログネタ:30周年のTDLへ行きたい?
参加中
私は行きたい 派!
本文はここから
そりゃね、行きたいですよ。
でも、もっと行きたいのは、
開園10周年当時のアナハイムですね。
ぼくのオヤヂがその年(1965)に
アナハイムに行ってるんです。
そのとき持ち帰ったリーフレットの
あるページがこれです。
ウォルト・ディズニー自身のことばで、
次のようにつづられています。
「私がはじめてディズニーランドの
建設予定地を訪れたのは1953年のことでした。
当時、そこはただの平坦な土地でした。
川も山も、お城も、ロケットもありませんでした。
オレンジ畑がひろがり、
そしてクルミの木が数エーカー植えられていただけでした。
アナハイムは、当時、人口14,000の町でした。
もし誰かが、
「1年のうちに、600万人もの人が
ディズニーランドに訪問するようになるだろう」
と言っていれば、アナハイムの人たちは
私たちの誘致について考え直していたかもしれません。
実際、私たちはディズニーランドの構想について
考え直さなければならないでしょう!
ディズニーランドの構想は、
実は私の二人の娘が幼い頃にはじまったのです。
毎週土曜日はいつもパパと一緒に遊ぶ日でした。
彼女たちをメリーゴーラウンドに乗せているあいだ、
私はピーナッツを食べながら、
かたわらのベンチに腰かけているのでした。
ひとりで座りながら、私は考えました。
親と子供が一緒に楽しめる
家族のための公園のようなものを
何か建てなければならない。
まあ、
それからあまりにも長くかかりはしましたが、
多くのアイデアから始めて、
それらをすべて捨て去って、
一から見直して、
そして最終的にあなたがディズニーランドで、
今日ごらんになるようなものへと進化したのです」
古き良きアメリカ、
人種問題も
貧富の格差も、
とんでもない状態でしょうが、
「古き良き」ディズニーランドに
行ってみたいと思うのです。
もう一つ正直なことを云えば、
ぼくにとって、世界最高のテーマパークは、
デンマークにある
LEGOLAND Billund
です。
ここの素晴らしさは、
もう語り尽くせません。
大人も子供も、レゴ、レゴ、レゴです!
レゴランドについては、
2010年9月21日の
過去ログ「レゴランド特集 」
をご覧ください。
時候のあいさつ
ご愛読くださっているみなさま、
ごぶさたしております。
あんまり長い間、
アップしなければ、
見捨てられてしまうかと思い、
時候のご挨拶だけいたします。
いや~、
それにしても寒い日が
続きますね。
ソメイヨシノはすっかり
散ってしまいましたが、
山桜はこれからでしょうか?
これだけ寒いですから、
花も長持ちするんじゃないでしょうか。
吉野は奥千本が7分咲き、
造幣局通り抜けは、
16日からですね。
この写真は4月3日に、
近所の公園で撮りました。
大阪の桜、
ずっと満開でありますように!
そして、読者のみなさまも
ご健勝であらせられますように!
明日は第6節、
ホームでアルディージャ戦です。
娘に会いました。
今日はベルリンに住む娘と会いました。
彼女はフンボルト大学の学生です。
日本学と社会学を専攻してます。
彼女が高校生のとき、
交換留学生で日本にやってきました。
そのとき少しホストファミリーをしたので、
彼女はぼくのドイツの娘ということなんです。
今回は、彼女が左足を痛めているので、
一緒にお散歩ができず、
カフェでジュースを飲んで、
少しお話して、
すぐに別れました。
おみやげに、頼まれていた
日本語の教科書をプレゼントしました。
彼女からもいろいろといっぱい、
ベルリンのおみやげをもらいました。
娘と別れてひとりテクテク。
何か、ベルリンのレポートをしなきゃ
と思いながら、テクテク。
日本ではこんなものでも、
各地のものを集めている方もおられるとか…。
ただのマンホールのふたの写真です。
ベルリンの名所がいろいろ描かれています。
ちなみに大阪市は大阪城でしたよね。
あぁ、そうそう、
ブログ仲間のさださん が、
食べ物のネタでのアップを希望されてました。
でも、ベルリンの食べ物だからって、
ソーセージとザウアークラウトとビールの
ご紹介しても、つまんないですよね。
ちょっと変ったところへ行ってみましょう。
フリードリヒ・シュトラーセ駅から
ウンター・デン・リンデンのほうへ2ブロック、
「SUSHI ishin (一心)」です。
もちろん、ベルリンにもあちこちに
スシ・バーはできているのですが、
このお店は大変な人気です。
みんな入店するのに並んでいます。
でも、店内は広くて、
おすしだからすぐに出てくるので、
待ち時間は意外と短いです。
人気の秘密は…、
ちゃんとした「おすし」なんです!
ぜんぜん間違ってません。
びっくりしましたよ。
たいてい海外で食べるおすしは、
「これはちゃうやろ」
という場合が多いのですが、
ここのおすしはイケます。
普通においしかったです。
で、これだけ食べて、
なんと€10ポッキリ。
こりゃ、人気もでるわけです。
ドイツ人もたくさん、
パクついて食べてました。
もし、ベルリンで、
間違ってないおすしを、
安く食べたかったなら、
「SUSHI ishin」へどうぞ!
さださん、こんな感じで、よかったでしょうか?
共産主義アート
ベルリンの街の
いたるところから、
旧東ベルリンを象徴する
「テレビ塔」が見える。
ベルリンの壁(&緩衝地帯)の向うにも、
テレビ塔が見える。
冷戦時代もこんなふうに
見えていたはずだ。
「東建築」の代表である。
人間的というより、
ちょっと機械的な感じが強い。
再統一後の旧東独では、
「共産主義アート」
いわゆる「東芸術」が、
どんどんなくなっていっている。
上のはオラニエンブルク郊外の
ザクセンハウゼン強制収容所跡に
残る「東芸術」の一作品。
ナチス時代の強制収容所の
スローガン同様、
「東芸術」も、
「みんな、働けば自由になるんだぞ」
と、語りかけているようにも思える。
東側諸国の生活は、
一種の強制収容所の中みたいな
ものだったのだろうか?
以上、「共産主義アート」の断片でした。
一党独裁の国々は現在もあります。
決して遠い、そして昔の話ではありません。
願わくば人々が「笑って」暮せますように。
ベルリンの日常
ベルリンを訪れる観光客で、
ブランデンブルク門を
写真に撮らない人はいない。
今日もたくさんの観光客が、
ブランデンブルク門にカメラを
むけているのでありました。
そして、その写真に一緒におさまって、
小銭をかせごうとする路上パフォーマーも
たくさん集まるのでありました。
そんなベルリンの日常の風景。
再統一してからもう24年も
経とうとしているのに、
今もまだあちこちが再開発中。
つまり、工事中であります。
街のいたるところを
ピンクのパイプが走ります。
ベルリンの地味は、
水を多く含んだ砂ですので、
工事現場からは、
たくさんの地下水がでます。
それを汲み出さなきゃ、
建築はできません。
でも、また汲み出しすぎては、
隣のビルが傾いてしまいます。
そんな地下水を、
汲み出したり、
戻したりするのが、
このピンクのパイプの
役目なのでした。
もう四半世紀近く、
ベルリンっ子たちは、
こういう風景を、
毎日観ているので
あります。
これがベルリンの日常です。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
今日はJ.S.バッハの眠る街、
またナポレオン・ボナパルトを敗走させた
「諸国民の戦い」で有名なライプツィヒに
今回のライプツィヒ訪問の目的は
ゲヴァントハウス管弦楽団を聴くこと。
今日の演目はシベリウスのフィンランディアと
ヴァイオリン協奏曲、
そしてチャイコフスキーの交響曲6番「悲愴」です。
フィンランディアの愛国的なメロディーに
心臓もドキドキ、
指揮はゲヴァントハウスでカペル・マイスターを勤める
リッカルド・シャイー、
ヴァイオリン・ソロは台湾系オーストラリア人で
もちろん写真撮影は禁止ですので、
公演中の写真はありません。
西ベルリンに建てられたカラヤン・サーカス
(ベルリン・フィルの本拠地)に対抗して
東ドイツが意地と誇りで建てただけあって、
音響は最高でした。
ヴァイオリン・ソロのpp(ピアニッシモ)の音まで
よく響いていました。
ぼくは1999年にジェームス・レヴァインの振る
ベルリン・フィルを聴いたことはありますが、
2000年の夏にライプツィヒを訪れたときには、
このゲヴァント・ハウスの当日券が
目の前で売り切れになってしまいまして、
残念な思いをしたことがあります。
今回はその無念も晴らせて、
ほんとによかったと思いました。
実は今回のチケットは昨年の10月から手配したのに、
すぐに売り切れ状態が続き、入手困難でした。
八方手を尽くし、
先月やっとJTBの方が連日チェックをして下さって、
やっとインターネットで見つけて入手できたものでした。
JTBの奥野さんにも感謝しつつ、堪能した演奏会でした。
ライプツィヒ観光の定番、
こちらは聖トマス教会の中にあるバッハのお墓です。
再統一直後と違って、古い建物もきれいになりました。
こちらは1700年代からトルコから仕入れた
コーヒーを売っていたというお店。
「Zum Arabischen Coffe Baum」
今もカフェになっているんですが、その中に、
シューマンがいつも座っていた席というのがありました。
ライプツィヒ中央駅はとても大きいターミナル駅で、
中にはショッピング・モールもあります。
ライプツィヒは東ドイツ時代と違い、
今では日本人もたくさん訪れる街となりました。
改めて東西ドイツ再統一のありがたさを感じるのでありました。
昨夜ベルリンに到着したばかりで、
時差ボケ(あるいは老人ボケ?)もひどく、
演奏中に寝てしまうのではないかと思っていましたが、
すばらしい音響に集中も切れることなく、
聴き入ることができました。
演奏中、イビキとかかいてたら最悪ですもんね。
































