とあるMLに投稿されたというメールを読んで、頷けるところがたくさんありました。私も3月11日以来、この方と似たような思いを持ってきたので、ここに考えをまとめてみたいと思います(このメールは転載歓迎ということなのですが、エコブログではコピペが禁止されているので貼り付けられません)。

日本に住むすべての人々が多かれ少なかれ、原発事故による放射能汚染にさらされている今、ひとり親として2人の子を育てている私は、この子らを守るべく情報を収集し、自分なりに分析したり、考えたりしてあらゆる対策を講じてきました。そのために政府や東電の発表を参考にするつもりは当初からまったくありませんでしたが、そうはいっても何が本当で何がそうでないのかを判断する物差しは自分の直感とこれまでの人生で積み上げた知識だけです。

「すべての人が信頼できるような情報網があればいいのに」とか、「せめてこの子らを思う気持ちが自分と同じぐらい強い大人とこの作業を共有できたらどんなに気持ちが楽だろうか」と思いながら、それでも最後には「とにかく今できることを今してやりたい。今できるのは自分しかいない」と思い直してやってきました。

同時に、同じ母親として東北にいる被災者の方々やそのお子さんたち、そして私たちよりもずっと原発の近くにいる関東のお母さんたち子どもたちはどうしているのだろうか、なんとか逃げることができるよう手助けすることはできないだろうかと、これもまた行政や東電がまったくあてにならないことは自明だと考えていたので、自分なりにできることを検討していました。

そんななか、取るものも取りあえず被災地へ救援物資を運びに行くという人が町内にいました。ちょうど月末に行う予定のイベント用に準備していた食材がたくさんあったので、すぐに役に立ちそうなものを見繕い、またチェーンソー用に蓄えておいたガソリン、子どもたちと出し合ったカンパ金などを託し、「子どもたちを置いて行けない私の代わりに行ってくれてありがとう!」という気持ちで見送りました。

しかし、情報が集まるにつれ現地で被曝する危険がどれほどのものなのかもわかってきます。私の荷物を運んでくれた彼は大丈夫なのだろうか、また彼よりもさらに若い人たちが次々に被災地に乗り込んで行っていることも知り、「それは本当に危険を承知してのことなのだろうか?」と案じました。それでも行政の手が足りないのであれば「行くしかない」と決意する人の気持ちもわかる、自分だって状況が許せば行ってしまったかもしれないと思います。

とりあえず原発施設内で大量の被曝をして即死してしまうかもしれないような問題とは程度が違うのだから、それならば私が熟練した治療家になって、彼らが10年、20年後に発病しても支援できるよう励もうとでも考えるしかないような気がしています。

またその頃、沖縄で母子避難者の受入れ活動が始まったと知り、徳島でも同じことができないだろうかと考えてみたりもしました。しかしそうしているうちにだんだんとわかってきたのは、自分が住む土地を離れて余所へ行こうと考える人たちはたいへん少ないらしいということでした。小さな子どもたちが日々被曝しているのに、放射性物質は花粉や黄砂と違って目に見えないため危機感が薄いのですね。もちろんそれを逆手にとって「安全です」と力説する行政や企業、マスコミが拍車をかけているのでしょう。

「危険」であると言ってしまえば「避難」を促さなければならず、それには多額の費用負担が伴います。また「安全」であるとしておけば、後々に健康被害が出たとしても、「事故とは無関係」であると主張する根拠に使えるわけです。だからチェルノブイリ事故の影響も全体的には過小評価されてきたし、予防接種にしても公害問題にしても同じことでした。

つまりは、人を人と思わない政策によって、お金のために一部の(たまたま貧乏クジを引いてしまった)人を見殺しにしてしまうのが今の日本の政府です。その政府は日本の国民、つまり私たちが選んだことになっています。

私のブログ記事を読むような人のほとんどは、今の政府に大きな不満を感じており、日本をなんとか変えなければならないと考えているのではないでしょうか。しかし、そうした考えを持つ人はほんの一握りであるため、これまでもずっと政治に反映されることはありませんでした。結局は原発を止めるには至らず、だからこそ今回のような事故が起こることになってしまったのです。

「だからずっと反対してきたのに!」― 自分の国ではなく遠く離れたヨーロッパの国々が出してくれる放射性物質拡散予測図を見ながら今後数日の予定を決め、今日のように放射性物質が飛散してくる日には本当に情けない気持ちになります。福島からは700kmも離れた四国にあってさえそうなのですから、さらに近い地域や、風向きが頻繁に影響するところに住むお母さんたちはどのような気持ちでいることかと思いを馳せます。

しかし、流れ来る放射性物質に対する反応は実にさまざまです。「被曝する覚悟を決めた」という人、「この先どうなるかわからないから、とにかく毎日を楽しく過ごせるようにということを優先している(子どもを外に出さない、マスクをかけるなどの措置もとっていないとのこと)」という人、「すべてを信頼することにしている」という人、「関西だから気にしない」という人、「福島でも大丈夫!救援がまず第一」という人。

私も、大人の自分をどう守るかについてはさほど神経を使ってはいません。もちろん以前から心身の健康に気を配っていたので、それと同じ程度には考えるようにしています。しかし子どもたちについては、「適切に」怖がり、それなりに対処する必要があると思っているのです。大人と子どもの感受性は大きく異なり、子どもにはより速く、より大きな被害が出ることを知っているからです。

過剰な恐怖というのは人の免疫を弱めますから、無暗やたらに怖がることは体によくないと私も思います。しかし、実際には怖くもないことを怖がることは不健康ですが、本当に怖いことをきちんと把握して「適切に」怖がることは大切なことではないでしょうか。「危険物があれば触らない、触るのであればそれなりの注意をする」「崖があったら近寄らない、近寄る場合は落ちないように気を付ける」というのと同じです。

たとえばこの四国にも、この2か月余りの間に何度か放射性物質が風に乗ってやってきました。その間わが家では外出を避けるとか、マスクをかけるとか、雨が降ったら当たらないようにするとか、内部被曝を避けるために葉物の野菜は当分の間食べないなどの対策をとっていますが、それほど難しいことであるとは思えません。

仮に私たちが放射性物質が絶えず流れてくる東北や関東に住んでいたら、事態が収拾するまでそこを離れることが最善の策だと考えるでしょう。子どもたちの健康被害を気に病みながらノイローゼのようになりながら日々を過ごすのも、逆に危険性を度外視してこれまで通りの日常を送ることも、「適切に」怖がっている状態とは思えません。

しかしながら、これはあくまでも自分に置き換えたときの話であって、今現在東北や関東に暮らす人々がどのような行動をとるかはその人たちの自由意思によるものだと思います。もちろん、この四国にあっても同じことです。スーパーも地元の野菜販売所も、扱う食品にさほど留意しているようには見えません。しかし私は茨城県産の納豆を買うのはやめて、買い置きしてある青大豆で自家製造することにしました(作る気力のないときには食べないことを選びます)。

私が葉物野菜や納豆にまで注意を払っているのは、子どもたちの体内に放射性ヨウ素を取り込んでほしくないからです。おそらくこのブログを読んでいる人はもうご存知だと思いますが、人体に必須な微量元素であるヨウ素はたいへん貴重であるため、体は直ちにそれを取り込み甲状腺に集めます。そして一度取り込んだヨウ素はほとんどが排出されずに蓄積されていくので、放射性ヨウ素が体内に入らないように気を配る(外出しない、マスクの着用、水や食物、とりわけ葉野菜への留意)ことや、自然界に存在するヨウ素(海藻など)を先に摂って放射性ヨウ素を取り込む隙を与えないようにすることが大切だと考えているのです。

先日、生後半年ほどの赤ちゃんがいるお父さんに会った際、赤ちゃんであればなおのこと母乳をあげているお母さんの生活に左右されてしまうのではないかと案じてそうした話をしてみたのですが、「ずいぶん調べているんだね、ご苦労様」「僕らはすべて信じていくことにしている」「この町でほかにもいろいろ調べている人はいるけど」と、まるで怖がりの気の毒な人を見るような目で見つめられてしまいました。そのとき、「ああ、そうだな、人により望む生き方はそれぞれであり、私のしたことは余計なお世話であるに違いない」と感じたのです。

私が知っている程度のことは、その気になれば誰であっても調べることができるはずです。たとえ被災地にいたとしても(もちろんがれきの下に埋まっている状態ではさすがに無理でしょうが)、「原発が壊れたら大変なことになるのでは?」という危機感をはじめから持っていれば、実際にこうなったときに情報を集めようと努力するだろうし、今の日本であれば何らかの方法で求める情報は手に入るはずだと思います。

そうであるのに求めないというのは、その人の意思によるものですから、これはもう他人がとやかく言う必要はないだろうというのが私の意見です。これは自分自身が尊重してほしいと願っている自由を他人にも同じように保障したいという気持ちがあるからです。人がどう生きるか、どう死ぬか。健康とか病といった問題は、つまりは生き方の問題なのですよね。

ですから、これまでにも予防接種、医療、食、子育て、環境といったいろいろな問題に対してとってきたのと同じスタンスで、求める人には惜しみなく与え、求めない人にまで余計な手出しをすることなく、まずは自分の立っているところからだんだんと、ジワジワと、愛や癒しの波動が広がるように丁寧に暮らしていこうという結論に落ち着くのでした。