『最近、褒められてる?』

あなたもスタンプをGETしよう

昭和の生まれです
いちおう程度におなご

褒められたり、褒めたり、どっちの立場もスキルと慣れが必要だよなぁって思います。
褒める褒められる、褒められ方の受け取り方の文化の違いについての理解も必要。

アレよ、褒め方がなってないと相手を逆に怒らせることだってあり得るし、褒められることに慣れてないとせっかく褒められても上手く好意を返せなくて関係がギクシャクしがち。

わたしは今、生まれ育った環境とはかなり違う文化圏にいて、相互理解の難しさに直面しまくっている。奴隷根性が身に付いていないとでも言うべきなのかしら、弊職場にいると日々直面するアホちゃう?みたいなのに染まれてない。

そう、弊職場は相変わらず私にとって異世界。
わたしは21世紀で法理のもとに暮らしてると思ってるけど、弊職場はわたしが思うような条理では動いてない。

まあ脚首とトロッコが鉄の鎖で繋がれてるようなのを是と出来ない私のようなのは、弊職場において褒められるわけがないんだよな。
そんなわけで褒められ全然足りてないですねー。


それはさておき弊職場、今年も何も知らない大泉洋状態の新入社員さんや 社員を目指す!という業界未経験な中途の人などが入って来ています。
私からすると弊職場(この業界)はまるでアリスの帽子屋ティーパーティか、高校の文化祭前の1週間を延々と繰り返してるような感じ。

去年の大泉洋の生き残りが、かなりいい感じに弊職場色に染まった(ガンギマリ度そこそこ高め)感じなので(4月のうちに辞めた男性陣と、支社配属女子はいつのまにか退職済だったんで入社式参加者の一年後生存率は昨年度も50%を下回ってるものの)、今年の大泉洋たちも生存率が上がるといいですけどね。

今年の大泉洋たちもいい子たちなので、弊職場のガンギマリに染まって行くにしても出来る限り健やかで心穏やかであれよかし、と思ってたりはする。

褒められは全然足りてない(特にお気持ち乱高下バリバリのアデダシ課長からの仕打ちを避けるべく遠巻きにしがちなのもあるけど)し、アデダシ課長のかわいい成分補給も足りてないのでしおしおしてますが、今年もいちおう職場外でのスキルアップ及びスキル確認みたいなのには引き続き参加して行く方向。
まあ、次の級の受検要件が今年は満たせないので同じ級の別コースで。

と、今年も新入社員さん対象で講習会が催される季節。
社長の恩師らしき方を招聘した日があったりしたので、今年の講習会講師してくれたりもあるのかな?と思ったけど、特にそう言うことはなく、社内の人が講師役のいつもの講習会にとどまってました。
弊職場、もしかすると出来る!出来ています!と言い切る自信満々なのが評価される感じなのかもしれないと思い始めてる(いや、だいぶ前からその気配は感じてるけど)ので、出来ます宣言しちゃう方が良かったのかしら。

カタチ、厚み、重なり度、ラッピング、この辺のふんわり基準とフンワリ運用がもうちょいなんとかなればいいのにな。

後は練習見てもらうタイミングを捻り出す面倒くささ。
割と手持ち無沙汰なタイミングはあるものの、その隙間時間はほったらかしにされがち。
儀式参列の時の待ち時間とかに見てもらえると現場に出るインセンティブ上がると思うんだけどなあ。
そう言うの無理なのかな。

仕方ないので、朝練を敢行中。
毎回、斜め上方向みたいな難癖が付く。
結局やらせる気はない、ってことなんだろうとは思うけど、辞めるにしてもその部署配属を定期的に言いつかる立場を獲得した上で辞めても遅くはない。
そんな意気込み(方向性が微妙に間違ってる?)

在庫や納品物の格納冷蔵庫に並んでる品物を真似て朝練をする。
本数だの配置だの難癖がついたとして、でも納品棚にあるヤツを写したんですけどね?って思えるんでメンタルへのダメージが薄められるんで。

試験対策としても納品物作成は勝ち取りたいんでボチボチ頑張ります。

『こどもの頃、夢中になった本は?』

あなたもスタンプをGETしよう


夢中になった本、1冊だとか特定の書名だとかをあげるのが難しい。
就学前検診で視力低下の懸念から読書から遠ざかるべし、との注意を受ける程度に活字中毒、本を愛する子供でした。

昭和の生まれです。
首都圏近郊のなんとなく郊外に生まれ育ってる庶民。
住まいから見える範囲に保育園があったけど、親の方針で自転車で30分弱の距離にあった幼稚園へ通ってました。

生傷の絶えない女児で行きつけの外科があるほどのおてんばでした。

幼稚園では絵本が備え付けられていたけど、その辺を読み尽くした後は自治体運営?の移動図書館というのが住まいに定期的に来てくれていたので、そこで絵本と言わず画集と言わずあらゆる本を借りまくり小学生になる前に自力である程度の文字のある本は読めるようになっていました。

本屋さんは中身を見られないことも多い。
通常の図書館は本を借りに行き期日には本を返さなければならない。
が、移動図書館は沢山の本(子供にとって)を持って来てもらって、選びたい放題に選んで(チラ読みパラ読みし放題)貸し出して貰って、期日が来たらまた引き取りに来てくれる!上げ膳据え膳システムみたいな感じだった。
但し、露天に敷物を広げてそこで本を選ぶ方向だったので荒天のときは来なかったり、来ても返却だけになりがちだったり(書籍に雨滴は大敵ですからねえ)したのは難点だったと思うけど。

幼稚園にあるのはだいたい絵本で、画集やら写真集やら(私立の幼稚園だったし)まではカバーされてなかった。
幼稚園児時代は送迎を親に頼ってたので、移動手段が限られていて(公共交通機関は発達しまくってる地域だけど、子供といえども運賃は掛かるので)本格的に自治体図書館で本を借りまくるようになるのは、小学校に上がって自転車を乗りこなすようになってからでした。

小学校の図書室も本読み放題借り放題で、日々通学してる学校で貸出しも返却も完結出来るので学校に行くの楽しくて仕方なかった。
やがて、分厚い事典類のような蔵書以外は読み尽くして、自治体図書館デビューをする。
自治体図書館は大人区民も利用対象に含まれてる上に学校の図書室よりも当然蔵書数も多く、視聴覚資料も充実していたのでたちまち図書館の虜になったものでした。

地元図書館の蔵書は流石に興味のない分野のものもあって全制覇はしなかったものの、特定の分野の蔵書を特に厚くした専門図書館の存在や、そもそもの国内で発行された書籍は国会図書館なるところにすべて納められ、手続きを踏めば国民誰もが利用できるものなのだと知るようになる。

図書館というものを創り出した先人の知恵に感謝しかありません。

昭和の当時、書籍と呼ばれるもの読むべき価値残すべき価値のあるものの中に、マンガやビデオゲームは含まれなかった。
今やマンガについて芸術的文化的な価値を見いださないなんて考え方の方が少数派だと思うほどに、20〜30年程度で評価が変化したと思う。
同じように、ビデオゲームやアプリゲームのストーリー性があるものだったりも将来的には昭和の頃の書籍のようなカテゴリーに近づくのだろうと思っています。

媒体が紙ベースなのか、プログラムベースでディスプレイ上にあらわれるものなのか、の違いこそあれ、ビデオゲームやアプリゲームについても保存収集、分野ごとに研究が進められて然るべき。
まあ国会図書館なんかでは当然その辺りやってるはずですけども。

本やそれに類するものに、庶民でも触れられる文化的な社会が いま危うくなりかけていることを不安に思っています。
持続可能な社会が求められるのはなにもお金儲けのためやお金持ちの道楽のためではなく、ある程度の知性を保てる大衆がより付加価値の高い産物やサービスの市場受け皿になるからでもある。

楽するための努力、楽しむための努力、これができるのも安全安心である程度経済的に余裕がある社会があってこそ。

本やそれに類するものが庶民から失われませんように。

『行ってみたい世界遺産は?』

あなたもスタンプをGETしよう


昭和の生まれです。
いちおう程度におなご。

人生でかつてないほどビンボーです。
働いてなかった頃よりなんかビンボー。
いわゆるワーキングプア。
氷河期世代でもあり、人生としても割と壊れてる感じ。

旅行って、連れ立つ人がいたり みやげ話やお土産を持って帰りたい人がいたりしてこそ、楽しいものなんじゃないのか?って気がしていて、私には連れ立つ人もみやげ話を聴いてくれる人もいないんで、あんまり思い浮かばないのが現状です。
まあ、氷河期世代にありがちなビンボーでもありますしね。

それと、世界遺産って微妙に欧州系文明礼賛に偏ってる気がするのよね。

まあ、それはさておき。
シルクロード、地上版の他にも海路によるシルクロードも観てみたいなとは思う。

今や日本の国勢は沈みゆく感じを持ってるけど、為替やら治安やらの心配がないなら、色々な世界遺産観てまわりたいとは思う。
私は飛行機が苦手なんで、興味はありつつ国外旅行は片手で足りる程度しか行ったことがない。
パスポートも作ったものの、ページを使い切ることなく期限が切れてたと思うし(それすらも曖昧)。

船旅でのんびりした旅程で行けるならいいのかもなあ。

どっちかと言うと、職場の可愛い年下上司を騙くらかして(言い方)黒子の数でも確認する都内隠遁御籠もりプランみたいな方が食指が動くかも。
あの人ホント何してても私の理性を壊してくる。

『何色のランドセルがタイプ?』

あなたもスタンプをGETしよう

昭和の生まれです。
ランドセルの好みってこと?タイプってなに?

私の頃はランドセル、素材は本革か合皮か2択くらいな選択肢しかなかったし、色のバリエーションも普及品としては赤か黒か紺か茶色のせいぜい4択くらいなもんでした。

私のランドセルは、ある日幼稚園から帰ると届いていた赤い合皮の普及品だったはず。
個人的には茶色がよかったし(というか赤は激しすぎてあんまり好みじゃなかった)、縦型よりは横長なのがよかったけど、通学鞄として教科書類が運べればそれでいいくらいにしか思ってないのが昭和だった気がする。

背負うタイプな鞄の楽さ、中学生で手持ちの革鞄に変更になって思い知りました。
中学生高校生こそ背負うタイプの通学鞄が採用になっててほしいと思ってたのだけど平成初期も大して選択肢そのものがなくて中学生では合皮な手持ちの鞄に片手の自由を奪われつつ通学してた気がする(昔のことすぎてよく覚えていない)。

日本におけるランドセル、もうちょい小学生のアイコンから脱皮したらいいのにね。


さてさて職場。
来期からどうやら食事補助制度が導入されるらしい(希望者のみ)。
ホント、経営者夫妻は本当いい人たちなのに、なんでこんなに異世界感が満載なんだろう弊職場。

今期の繁忙期、相手先からの申し越しによりお取引がはじまった割とご近所なお取引先からのお仕事が大層な分量で、世間的な物価上昇はさておき弊職場的に景気が良かったみたいです。
(私はそのお取引先関連で朝っぱらから道端で着替えさせられたり酷い目に遭ってる上にそこの納品物関連に一ミリも関われてないので、個人的には正直言ってどうでもいいお取引先ではある)

で、どうやら期末の賞与が支給になった模様。
中間賞与も多分支給されたようだけど、中間賞与については全く支給の実感がない支給のされ方だったので、今回のやり方に変わったのはいい傾向だと思う。
私に支給になったのは半月分くらいの額面から税金諸々が引かれた5桁程度。
でも 契約書通りに賞与の支給がされてありがたいなあと思う。(blog題は私に明細を示しつつの、社長さんの一言。私の評価が低いということを言ってたのか、少なくてごめんねみたいな意味合いで言ったらしたのか、うまく聞けなかった。)

ホント社長いい人なんで、(アデダシ課長みたさが優るけども)(社長夫人も素敵なかたなのだ)異世界だなぁと思いながらもウッカリ勤め続けちゃってるんだよな。

どっちにしても、水場の仕事は業務時間中に教わる(それが普通だと思ってるんだけどなあ)のに何故か納品物関連については時間外に練習することが求められるのは相変わらず。おんじょぶとれーにんぐですらない。

アパレル産業、縫製工の養成に 製品にする部材資材を教材として用い、完成品は学び手の手元には残らない方式で学ぶみたいなのが昭和30〜40年代頃にはポピュラーだったんだそうだ。

縫製品はリフォームするより新品を作る方が多分技術が拙くてもなんとかなる。

お花の場合もその方式採用されればいいのにな。初心者は新品花材だとウッカリ気後しがち。
一方でリデュース花材だと傷みの見分けなんかも必要になってしまう。
機会があれば新品花材で気後れしないようにバシバシ新人を投入しちゃえばもっと会社は上向くんじゃないかなあって思うんだけど、なかなか理解されない感じ。

『ホワイトデーに欲しいものは?』

あなたもスタンプをGETしよう


昭和の生まれです。

いちおう程度におなご。

最近はバレンタインデーより更にホワイトデーの方が下火ですよね。

ホワイトデーは日本発祥だとどこかで聞きかじった覚えがある。

貰ったもんは返さないと、的な。

普通に、嬉しい相手から示された好意を1ヶ月も寝かせておくはずないのであって、『1か月後のお返し』などというものはほぼ残念賞、お断りの印だと思ってる。

軽めのお歳暮お中元を互換するご挨拶習慣としてのみバレンタインやホワイトデーは残っていくのかもしれないですねえ。



欲しいもの、受動喫煙しないで済む職場環境かしらね。

特に喫煙者率の高い同僚と雑談の方向性みたいなものが全然違ってて、辛い。

ここの職場で必要とされる教養が私に備わってない。


競輪や競艇は選手たちの師弟関係が勝敗に影響する!とか力説されてもわからないんだよな。


逆に義務教育程度なことしか言ってないとしても、話が通じないことが殆どでまるで異世界に来たよう。

〈汝は結婚せよ(ハプスブルグ家の婚姻による戦争回避政策を言った言葉、だいたいテストで書かされるんでみんな知ってるかと思った)〉とか言ったとしてキョトンとされる。


まあ、入職当時から感じてたことではあるんだけど。


とりあえず契約書の出社時間が当たり前になるように勤務時間が戻るといいんだけどなあ。

私だけ無駄に早出なんで、無理矢理にでも自分を鼓舞していくのにもそろそろ限界を感じます。

『あなたの一番大切な人は?』

あなたもスタンプをGETしよう


昭和の生まれです。

いちおう程度におなご。

 

大切なひと、は思い浮かぶけど

1番大切なひと、は決めがたい。


大切なひとやモノや色々に順序をつけるのって とても難しくて残酷なことなんじゃないかと思えてなりません。


おりしも、13年前?の今日3月11日は東日本大震災が起きた日でもあるわけで

あのとき、どうしても救いきれずにトリアージせざるを得なかったエピソードや

大切なひとの手を離さざるを得なかったエピソードを思い起こすとき、

1番大切なひと

を決めなくてもいい人生を送れるに越したことはないんじゃないか?と思ったりもします。


まあ、そんな重い〈1番〉ではなくて平時の他愛無い〈いちばんすきなひと〉なんだろうと思うけどもこのblogネタ。


今月中に運転免許証の更新に行く必要があるんだけど、都内はともかく 近隣県在住としては違反者講習だとかなり遠方まで行く必要があって気が重い。

しかも私どうやらお知らせの葉書を部屋の中のどこかに紛失してて詰んでる。

いまの職場が合ってないんだよな…

私は密閉されたあちら側に喫煙場所があっても何故かそこで誰かがタバコを吸い始めると 臭い!と感じる謎体質が発動しちゃうときがある。

(かなり弱ってるとき)

世間と喫煙者率が反転してる感じな弊職場なので、タバコを吸うことによる暴力性みたいなものが全く無視される或いはむしろ嫌煙権を主張しようものなら陰に日向に何かしら陥れられそうになる。

仕事してる間は副流煙にさらされないで働きたいだけなのに、それがとても難しい…。

困ったもんです。

『かわいがってる年下はいる?』

あなたもスタンプをGETしよう


昭和の生まれです。
いちおう程度におなご。
そろそろ更年期に差し掛かるはず?
そろそろ生理の煩わしさから卒業出来るはず?
ではあるものの規則正しく内臓の融解排出でハライタ背中痛食欲増進眠気増進に悩まされる日々。

職場にどうかと思う感じで素敵に見えてしまう歳下上司がおります。
世代が違うのになんでこんなことになってしまってるのか自分のウッカリに笑うしかありません。
まあ、叶わないのは分かりきってるのでこちらからどうこうする気はないです。
相手がよほどの酔狂人でもない限り、誘われることはないのでこっちが気をつければウッカリ職を失うみたいなことにはならずに済むはず。

これが10歳くらい私が若ければ頑張ればどうにかなるかなあと思ってどうにかしなくもない(弱気)かもしれないけど(ねーよ!寝ぼけてんじゃないわよ!)
おそらく かの人よりも彼のお母さんとの方が、私と歳が近いと思われる。
のでそんな恐ろしい目にあの人を遭わせるのは気が引けます。

弟は求めてないんです。
でも歳下素敵男子(上司だけど)あの人からもうちょい親しんでもらえると私はものすごく嬉しいのにな、とは日々おもっています。

私はあの人の寝顔を見て眠れたら今生の至福くらいな勢いで嬉しいけど、私と仲良くなっても先方にはメリットがないのでそんなことが起こるわけないよね、とも思っている。

社風に全然合ってないので、毎日が針の筵。
心を無にして過ごす日々です。

『ミシンと手縫いどっちが得意?』

あなたもスタンプをGETしよう


昭和の生まれです。
家政学部を卒業しています。
自分の寸法で原型使っての平面構成(スーツやらコートやらブラウスやらボトムやら)とちょぴっとドレーピングで型紙作ったり展開させたり程度の洋裁とかなり基礎的な運針による和裁(のようなもの)の心得があります。
スモッキングや刺繍などなど手芸分野についても単位取る段で必要だったし、趣味でもある。

スーツやコート本体を縫うとしたらミシンを使う方が速い。
が、シャツはともかくコートのボタンホールはミシンに機能が付いていなければ出来ない(かなり面倒)し、機能が付いてても仕上がりの見た目の美しさは手縫いの方が向くと思う(高級感は断然手縫いだろう)。
ボタン付けやホックなどなどのパーツ取付も手縫いの方が丈夫に出来たりしますよね。

どっちでも同じくらい出来る。
どっちかしか出来ないってのは稀なのでは。


さてさて職場。
相変わらずやってることは入荷花材下拵えや在庫花材の管理保守、概ね荷物運び、ゴミ掃除。
私は納品物作成班配属の芽はないのが諸々のタイミングから身に沁みていて業務にときめきもヘッタクレもない。

でも、具に社員さんたちと話が出来るご近所マダムが嬉しいことに納品物作成班によく配属されるようになって来ています。それはそれでめでたいです。
特に入職前にお花の心得があった、前職がお花関連だった、という人が納品物作成班に配属されることはあったけど、彼女のケースは後進に光を投げかけるものだと思うから。

まあ、逆に煙草の煙やらが無理で雑談も難しい私にはその道は難しいことも明らかになった感があるので、(社風に染まないんだよな)私個人としてはどんよりですが。

納品物作成のために、花材下拵えの業務が必要だと信じてその附帯業務として現場の業務も妥協というか仕方がないこと、と思って来たのでかなり入職のときの仕方なさが報われてないこと甚だしい。
当初やりたい業務のための妥協だったものが報われる可能性は限りなく低い、ことが分かってしまったらどう頑張っていったらいいんだろう。
仕事として収入に見合う労働をしていくんだろうかな。なんか考えが全然まとまらない。

職場のスリムコンパクト設計素敵男子課長も、よく分からないポイントでその熱量は適正なの?みたいな火力で怒って来たりする。
世界有数の素敵さだと思ってる人にイケズにされるのは本当につらい。
他の人からもお菓子はずしとかもされるし、なんかみんな睡眠時間が足りてないからなのか、大人なのに?みたいな目にもよく遭う。
辞めてほしいと遠回しに言われてるのかな?とよく思う。
色々、頑張って大丈夫かどうか、うっかり何かに飛び込んでも世間に迷惑だし、そういうことにならないように気をつけたい。

足元見られてるよなあ(はふん

『にんにく料理は好き?』

あなたもスタンプをGETしよう


昭和の生まれです。

曽祖父の死因が生にんにくの食べ過ぎにより臓器に穴が開いたことだと聞かされていまして、なかなかに情けない死因だなぁと子孫としては思っています。


うちの先祖、石鹸で足を滑らせたとか廊下に撒かれた碁石につまづいて欄干だかで頭打って打ちどころが悪くて、みたいなケッタイな死因ソコソコあるらしい。

そんなうっかりさんたちの子孫なんだと思うと、

(私、頑張ってる方なんじゃない?)と思える感じ。誇れるご先祖さまも悪くないと思うけど、うっかりエピソード満載な先祖も良いもんだよな、と思うなどします。

そんな由緒正しいウッカリものの血を引く私、日々職場の足元が安定しない環境で花材の包装セロファンやら花材の葉や茎で足を滑らせそうになったり、迂闊に死にかけています…。


大蒜、漢字で書くとにんにく感薄まる気がする。

にんにく、私はあんまり得意じゃない。

生にんにく、薬味として優秀だと思う場面はあるけど、薬味のアルナシを選べるなら避けて食べたい。

加熱したにんにく、ホクホクしてて美味しいとは思うものの、ホクホクみを感じさせる食べ物他にもあるし、敢えてにんにくを選びたいと思わない。(百合根は好きです)

アレよ、食べた後の呼気が独特の臭気を放つのが嫌い。

胃がムカムカする感じがきらい。


山葵、芥子、山椒、この辺は割と大丈夫だけど、唐辛子もあんまり好きじゃない。


にんにくを効かせたメニューは好きなものもあるので、呼気に影響が出ない品種のにんにくが開発されたらいいのかも。



さてさて職場。

春先に入った若い男の子たちがポロポロっと3人くらい連休を待たずに辞めてゆき、夏の終わりに入った男の子も秋口に辞めてゆき、そこからは一段落してるかに見えていました。

が、今年度をもって?事務の社員さんが1人お辞めになられるのだそうです。若い娘さんで、サクッと転職を決めた模様。

円満退社みたいなので(春先秋口の子たちは微妙に音信不通になって辞めていった)彼女のためには喜ぶべきことなのだろうけど、相変わらず正規雇用でも3ヶ月に1人程度のペースで人が辞めまくる。


事務方は冷暖房も完備されてて作業場からみると人間らしい温湿環境が整ってらように見えるのだけど、それでも辞めていくんですよね。

まあ今の世の中転職は当たり前なのかもだけど。


今回は送別会日程が流れて来ました。

私の休みの日なので、おそらく参加してほしくないってことなんだろうと思うことにしとく 笑

たまたまなのかわからないけど、休みの日に親睦系イベントが開催されることが多いので参加しにくいです。翌日無駄に早出になったり、あまつさえどこかに直行なんて言われたら目も当てられない。



作るよりも買った方が安いもの

同じネタで投稿する

 昭和の生まれです

いちおう程度におなご

関東圏平野部に生まれ育ってる庶民です


大体の品物は買う方が安い。

自作するためのスキル習得や材料、作成のための時間捻出、後始末、諸々を考えれば。


でも敢えて手作りするのは、そこに値段という価値を超えた愛情だったり、手間暇をかけることを余暇として楽しんでいたり、高い安いという価値基準以外のものを見出すときではないだろうか。


貨幣経済や産業化のはじまりの頃を描いた海外ドラマ(多分、 『大聖堂』という題名だったような)を観たことがあるんだけど、物々交換の非効率や各自が品物を売りに行く非効率について思い知らされる作りになっていて興味深かった。


何かを自作してみる体験はしておく方がいいし、品物やサービスを作る(考えだす)、品物やサービスを提供することに関して法規制や制限の有る無しを調べること(安全性の確認)、品物やサービスを売る、品物やサービスを売って利益を上げる、利益が上がった後の手続き(税金だったり色々)という一連の流れは実際にやってみるのは人生経験としてあった方がいいことのように思う。

消費も経済活動の一部だし。


世間の社会の 経済活動から一切離れて生活を立てていくこと(安全な飲料水の確保から)は殆ど不可能に近いことを理解しておくのは人生において有益だと思う。


ただ例外もある。

それは自分や大切に思うひとの健康と愛情を向けた相手 愛情を向けられる相手との関係性についてはお金ではどうにもならない部分がある。


ある程度以上のビンボーは健康も愛情も育ようがないので、お金は大切だけど。


どの辺りから無理なのか、早めに見極められるようになっておくのは人生に必須な気がする。