『最近、褒められてる?』
『こどもの頃、夢中になった本は?』
『行ってみたい世界遺産は?』
『何色のランドセルがタイプ?』
『ホワイトデーに欲しいものは?』
昭和の生まれです。
いちおう程度におなご。
最近はバレンタインデーより更にホワイトデーの方が下火ですよね。
ホワイトデーは日本発祥だとどこかで聞きかじった覚えがある。
貰ったもんは返さないと、的な。
普通に、嬉しい相手から示された好意を1ヶ月も寝かせておくはずないのであって、『1か月後のお返し』などというものはほぼ残念賞、お断りの印だと思ってる。
軽めのお歳暮お中元を互換するご挨拶習慣としてのみバレンタインやホワイトデーは残っていくのかもしれないですねえ。
欲しいもの、受動喫煙しないで済む職場環境かしらね。
特に喫煙者率の高い同僚と雑談の方向性みたいなものが全然違ってて、辛い。
ここの職場で必要とされる教養が私に備わってない。
競輪や競艇は選手たちの師弟関係が勝敗に影響する!とか力説されてもわからないんだよな。
逆に義務教育程度なことしか言ってないとしても、話が通じないことが殆どでまるで異世界に来たよう。
〈汝は結婚せよ(ハプスブルグ家の婚姻による戦争回避政策を言った言葉、だいたいテストで書かされるんでみんな知ってるかと思った)〉とか言ったとしてキョトンとされる。
まあ、入職当時から感じてたことではあるんだけど。
とりあえず契約書の出社時間が当たり前になるように勤務時間が戻るといいんだけどなあ。
私だけ無駄に早出なんで、無理矢理にでも自分を鼓舞していくのにもそろそろ限界を感じます。
『あなたの一番大切な人は?』
昭和の生まれです。
いちおう程度におなご。
大切なひと、は思い浮かぶけど
1番大切なひと、は決めがたい。
大切なひとやモノや色々に順序をつけるのって とても難しくて残酷なことなんじゃないかと思えてなりません。
おりしも、13年前?の今日3月11日は東日本大震災が起きた日でもあるわけで
あのとき、どうしても救いきれずにトリアージせざるを得なかったエピソードや
大切なひとの手を離さざるを得なかったエピソードを思い起こすとき、
1番大切なひと
を決めなくてもいい人生を送れるに越したことはないんじゃないか?と思ったりもします。
まあ、そんな重い〈1番〉ではなくて平時の他愛無い〈いちばんすきなひと〉なんだろうと思うけどもこのblogネタ。
今月中に運転免許証の更新に行く必要があるんだけど、都内はともかく 近隣県在住としては違反者講習だとかなり遠方まで行く必要があって気が重い。
しかも私どうやらお知らせの葉書を部屋の中のどこかに紛失してて詰んでる。
いまの職場が合ってないんだよな…
私は密閉されたあちら側に喫煙場所があっても何故かそこで誰かがタバコを吸い始めると 臭い!と感じる謎体質が発動しちゃうときがある。
(かなり弱ってるとき)
世間と喫煙者率が反転してる感じな弊職場なので、タバコを吸うことによる暴力性みたいなものが全く無視される或いはむしろ嫌煙権を主張しようものなら陰に日向に何かしら陥れられそうになる。
仕事してる間は副流煙にさらされないで働きたいだけなのに、それがとても難しい…。
困ったもんです。
『かわいがってる年下はいる?』
『ミシンと手縫いどっちが得意?』
『にんにく料理は好き?』
昭和の生まれです。
曽祖父の死因が生にんにくの食べ過ぎにより臓器に穴が開いたことだと聞かされていまして、なかなかに情けない死因だなぁと子孫としては思っています。
うちの先祖、石鹸で足を滑らせたとか廊下に撒かれた碁石につまづいて欄干だかで頭打って打ちどころが悪くて、みたいなケッタイな死因ソコソコあるらしい。
そんなうっかりさんたちの子孫なんだと思うと、
(私、頑張ってる方なんじゃない?)と思える感じ。誇れるご先祖さまも悪くないと思うけど、うっかりエピソード満載な先祖も良いもんだよな、と思うなどします。
そんな由緒正しいウッカリものの血を引く私、日々職場の足元が安定しない環境で花材の包装セロファンやら花材の葉や茎で足を滑らせそうになったり、迂闊に死にかけています…。
大蒜、漢字で書くとにんにく感薄まる気がする。
にんにく、私はあんまり得意じゃない。
生にんにく、薬味として優秀だと思う場面はあるけど、薬味のアルナシを選べるなら避けて食べたい。
加熱したにんにく、ホクホクしてて美味しいとは思うものの、ホクホクみを感じさせる食べ物他にもあるし、敢えてにんにくを選びたいと思わない。(百合根は好きです)
アレよ、食べた後の呼気が独特の臭気を放つのが嫌い。
胃がムカムカする感じがきらい。
山葵、芥子、山椒、この辺は割と大丈夫だけど、唐辛子もあんまり好きじゃない。
にんにくを効かせたメニューは好きなものもあるので、呼気に影響が出ない品種のにんにくが開発されたらいいのかも。
さてさて職場。
春先に入った若い男の子たちがポロポロっと3人くらい連休を待たずに辞めてゆき、夏の終わりに入った男の子も秋口に辞めてゆき、そこからは一段落してるかに見えていました。
が、今年度をもって?事務の社員さんが1人お辞めになられるのだそうです。若い娘さんで、サクッと転職を決めた模様。
円満退社みたいなので(春先秋口の子たちは微妙に音信不通になって辞めていった)彼女のためには喜ぶべきことなのだろうけど、相変わらず正規雇用でも3ヶ月に1人程度のペースで人が辞めまくる。
事務方は冷暖房も完備されてて作業場からみると人間らしい温湿環境が整ってらように見えるのだけど、それでも辞めていくんですよね。
まあ今の世の中転職は当たり前なのかもだけど。
今回は送別会日程が流れて来ました。
私の休みの日なので、おそらく参加してほしくないってことなんだろうと思うことにしとく 笑
たまたまなのかわからないけど、休みの日に親睦系イベントが開催されることが多いので参加しにくいです。翌日無駄に早出になったり、あまつさえどこかに直行なんて言われたら目も当てられない。
昭和の生まれです
いちおう程度におなご
関東圏平野部に生まれ育ってる庶民です
大体の品物は買う方が安い。
自作するためのスキル習得や材料、作成のための時間捻出、後始末、諸々を考えれば。
でも敢えて手作りするのは、そこに値段という価値を超えた愛情だったり、手間暇をかけることを余暇として楽しんでいたり、高い安いという価値基準以外のものを見出すときではないだろうか。
貨幣経済や産業化のはじまりの頃を描いた海外ドラマ(多分、 『大聖堂』という題名だったような)を観たことがあるんだけど、物々交換の非効率や各自が品物を売りに行く非効率について思い知らされる作りになっていて興味深かった。
何かを自作してみる体験はしておく方がいいし、品物やサービスを作る(考えだす)、品物やサービスを提供することに関して法規制や制限の有る無しを調べること(安全性の確認)、品物やサービスを売る、品物やサービスを売って利益を上げる、利益が上がった後の手続き(税金だったり色々)という一連の流れは実際にやってみるのは人生経験としてあった方がいいことのように思う。
消費も経済活動の一部だし。
世間の社会の 経済活動から一切離れて生活を立てていくこと(安全な飲料水の確保から)は殆ど不可能に近いことを理解しておくのは人生において有益だと思う。
ただ例外もある。
それは自分や大切に思うひとの健康と愛情を向けた相手 愛情を向けられる相手との関係性についてはお金ではどうにもならない部分がある。
ある程度以上のビンボーは健康も愛情も育ようがないので、お金は大切だけど。
どの辺りから無理なのか、早めに見極められるようになっておくのは人生に必須な気がする。