昭和の生まれです

数年前に記憶を保持したまま人生やり直す系なドラマがあったのを思い出します。

地球圏の物質は重力や磁場など諸々のチカラにより循環していることになります。

量子力学の講義の折に『私たちの呼気に含まれる酸素原子がカエサルの肺にあったものを含むか否か?』を算出する計算式(詳しくはすっぽり忘れたけど)によると1個以上が含まれ得る、のだそうです。

 まあ、宗教的なスピリチュアルな側面以外として物質が循環しているのは間違いがなく、魂というものが同じく地球圏の概念であるならば、呼気の酸素原子と同じく魂もまた輪廻転生という循環をしているもんなのではないか?と思います。


でもなあ、特に生まれ変わりたいと私は思ってない感じ。

今生がそれほど素晴らしいものだったか?というとこれまでの半生振り返ってそういうわけでもなかったし、来世に是非とも成し遂げたいなにかがあるわけでもない。

敢えて言うなら輪廻転生のピボットリピート状態から一旦抜け出てみたいかな、とは思う。


そうは言っても凡人なので、物質としても魂的な方向でも使いまわされちゃうんだろうな。

その場合は毎度お馴染み職場のスリムコンパクト設計素敵男子課長んちの子にでもなってみたいかな。

あの人もそろそろ三十路後半に差し掛かるんで、繁殖する気があるんならちゃんと手を打った方がいいだろうにな。

歳周り的に私が伴侶になるのは無理があるんで転生して娘か孫か、デロデロに甘えてもいい関係性な続柄に潜り込みたいですね。


アデダシ課長のお気持ち乱高下、いつもジャレてる歳若い娘社員さんに窘めてもらって以降は多少収まって来ました。

まだ半月くらいしか持続してないので信用し切れるものではありませんが、手指も絡ませてないのに倦怠期のカレシみたいなムーブを噛まされる憂き目には遭ってない。


一方で、社内開催な講習会は今年アデダシ課長の仕切りで催行されることが多くて、私としては薄氷を踏むような心持ち。

講評を求めるにも、以前のように立ち止まってもくれないようなのをまたやられるかもしれないと思うと怖くてたまりません。

講習会は楽しいんだけど、検定は相変わらず社員さんのためにある(非正規をピックアップするつもりはさらさらない)感じ。

検定に使うための花材が非正規組と正社員さんで全然違う。花の丈が足りない、傷んでる、数が足りない、これだけでも受からせる気がないのがまるバレ。

それでもチャンスを与えられたのに機会を掴めなかった実績になっちゃうので、ほんと馬鹿みたい。

昭和の生まれです。


気分転換、なにしろよく眠ること。

これに尽きます。まあふて寝みたいな?

へちょこむことが起きたら多少は頑張るけど、頑張り過ぎないように出来る限り自分を大切にしておきたい。

ヒトは結構簡単に壊れるし、ウッカリ死んでしまう脆いものだと思う。



日中は流石にふて腐れると逆に社会的に立場をなくすことがある。

その場合は鼻歌ハミングで好きな曲を歌ったり。


鼻歌も難しいときは、

背筋を伸ばし目を瞑り口を閉じ、深めに鼻から腹式呼吸をしつつ眉間に指を添えて、気分転換せざるを得なくなった原因を軽く呪います。


軽率に呪う 笑

眉間、第3の目が開くとしたら眉間説を信じていて、その第3の目勘案の場所の目蓋に指を添えてるイメージ。

何が原因だかよく分からない小さめな不運が続くのは呪詛を仕掛けられたものとして捉えて、それを跳ね返すイメージ。


もちろん、呪うだけではなく何か感激するようなことが起きたらすぐに感謝しまくるしスキスキ言いまくる。


昨日でいうと、毎度おなじみ禁煙の社用車内で喫煙に及ばれたのだけど、もちろん呪っておきました。紙巻きタバコも電子タバコも非喫煙者から見れば同じように臭いのだけど、吸う側は電子タバコなら文句はないだろう?みたいな風情でわざわざコンビニに車を止めてタバコを買い求めてきて、停車してるのに車内で吸ってました。

たかだか片道1時間ちょっとの道のりで嗜好品を我慢できないのって中毒だと思うのよね。

喫煙者でも、その辺りの我慢ができる人も当然いるわけなので私の横で平然とタバコを吸うその人を呪わずに置けましょうか?そんなことできるわけない。

呪っておきました軽く。


逆に、帰り道に食べたごはん屋さんのごはんがとても美味しくて、(そんなに期待しないで入ってたのもあるかも)お店の人に『美味しかった!』『すごく美味しかった!』といいまくりました。

なかなかプライベートで頻繁に行ける立地ではなかったのもあって、次の機会までそれを表さずにおけなかったのでした。


なんだろう店内に手書きポップみたいなのが色々貼ってあって、その分量が多すぎず少な過ぎず。更にトイレを借りたところ兼用トイレはともかく、女性専用トイレにうがい薬と綿棒、楊枝が備えられていて痺れました。

そうなのよ、うがい薬と綿棒までは分かるけど、楊枝!

同行者の目の届かない物陰で楊枝を使うにしても楊枝ケースから楊枝を取った時点で(あ、この人何か歯に詰まったんだな?)というのはバレてしまう。

個包装で持ち去りの危険はなくはないのに、なんていうか、心遣いも素晴らしいなと思いました。


餃子の餡つくりバイトを急募していて、ウッカリ応募してしまいそうでした(まて!


話を戻しますが、気分転換の方法として最強なのは睡眠をとることだと思ってる。

次点としては湯船に長めに浸かるお風呂に入ること。

この辺は出来なくなるとかなりダメージ受けてる感じなので、疲れてるけどなんかお風呂に入るの億劫みたいにならないように、適宜自分を甘やかしていく方向性。

好きなものを食べたら飲んだり、好きなひとをムギュムギュしたり、メンタル的な甘やかしも物理的な甘やかしと同じくらい必要。


オトナ生活、ちゃんとできていてあたりまえ、少しでもウッカリすると鬼怒られる!無理ゲー展開なことが多くて(特に弊職場はなんか褒めたり誰かを認める尊重するのをあんまり見かけない。

誰かに微笑みかける、褒める、その辺ってちょっとだけ表情筋を動かすだけで特にモトデもかからないのに、リソース活用されてないんで、異世界みを感じます。

先ずは褒める、笑いかける、みたいなのを旨とする世界で暮らしてたんですよね…

もしかするとパラレルワールドに迷い込んだかな?と思うくらい弊職場めんどくさい感じ。


鼻歌、小躍り、感激して抱擁!みたいなのがどうやら受け入れられない(ぐぬぬ

他人に起きた悪いことは小さめにしてあげたいし、自分に起きたいいことは周りに大きめに感謝しまくりたい。

そんな感じの人に囲まれてるとそもそも気分転換をそれほど必要としないで暮らせる気はする。

ハレルヤ!

 

ん?最近の日本円の為替レート、世界の通貨に対して安くなってたと思ったけど、違ったのかな?


各国の通貨は価値が日々変動する。

とある通貨を別の通貨に変換しようとするときの変換率をあらわすものを為替レートって言うのだと思ってんだけど合ってる?


相手方の通貨に対して円の価値が下がると円安(例としては1ドルに対して円表記の金額は多くなる。海外からモノやサービスを買うときに買い負ける可能性が高くなる)、相手方の通貨に対して円の価値が強くなると円高(例としては1ドルに対しての円表記の金額は少なくなる。)

 という基本的な理解をしてる。 


blog題としては、言いたいのは『為替レートについてどう思う?』ってこと?かな?

 

日本円が他国の通貨に対して飛び抜けて強かったのは実のところ1970年代最後半から1990年代前半あたりくらいのごく限られた時期でしかなかったんだと思う。


ある時期までは世界のお金は実物の金を価値の裏打ちとして準備する、金本位制ってのを採用していたはずで、戦後その辺りの日本円はアメリカドルに対して360円(!)とかで固定されていたはず。

イマドキの為替レートでも1米ドルで200円までは下がってなかったはず(2024.5.30現在156円くらいっぽい)なんでとんでもない世界だったんじゃないかと思えてなりません。まあ、私生まれ落ちてない頃なんで体験したこともないんですけども。


日本、いちおう独自通貨発行して 独自言語での高等教育専門教育の体制がある。

それなりに自国民の人口ボリュームを保っていれば為替にそんなに振り回されるほどじゃなかったんじゃないか?と思う。

日本製品のガラパゴス化もそうした自国民の人口ボリュームがあってこそ、だったはず。

ただ、失われた30有余年の痛手は確実に国を沈めるのに余りあって、自国民出生数の急激な減少は世界にも歴史にも類をみない異常事態なんではないか、と思う。


日本が割とのほほんとしていられたのも、自国民の数がソコソコあって自国内のみに目を向けて商売しても辛うじて成り立ちうる人口があったからこそ。

それが失われると言うことは、世界の流れに靡いていかないといけなくなるということ。


人も少ない、通貨も弱い、となれば一層舵取りが難しくなるのは必定ではないかと。


いわゆる見棄てられた氷河期世代の端くれです。

氷河期世代ももはや40〜50代になってる。今からではこの世代に次世代産出能力はほぼ失われつつある。

私たちの世代を見捨てた時点で今の状況は予測し得たのだ。


そんなこんなで見捨てられた私たちをさらに責めるのはやめてほしいと思う。

且つ、私は例え国から世代として見捨てられてなかったとしても脚の間から小玉スイカ出す生きかたを選ばなかったおなごなので必死に救いまくってても同じような状況だった可能性もなくはないけど。


この先も劇的に出生数が上がるわけはないんで、国力はジワジワ沈んでいくんでしょうかね。

短い狂乱の時代を子供としてではあるけど体感したのは今世の面白みであったのでしょう。


日本人として生まれてるけど、もしかしたら私が儚くなるとき日本という国はまだあるのか?今の子供たちの中には違う国の所属なりに変わっていく層が出るのかもしれない。(悲観しすぎかしら?)

なかなか切ない気はしますね。


推しに会えたらしたいこと

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昭和の生まれです。

関東圏平野部に生まれ育ってる。

劇場や映画館はじめ文化的な施設やサービス物品などへのアクセスに恵まれた環境にしか暮らしたことがない。

 

推し、という単語は割と最近用いられるようになったことばだと思っているけど、非日常の存在に夢中になる、非日常な存在に日々の活力の源としての価値を見出す、ということ自体は割と古くから日本人には馴染みのある感覚なんじゃなかろうか。


人生でかつてないほどビンボーです。

なので、今日は帝劇明日は三越みたいな生活をしてると経済的に破綻するのは目に見えてる。

そう言う意味合いにおいての推しには長らく会いに行けてないのはとても寂しいことです…。


が、ヒトには食物以外のエネルギー源てやはり必要だと思っていて、邪道ではあるけど今は市井の人を内心の推しとして日々の活力源のひとつにしちゃっています。

アレですね、ロシア文学とかのようになまじ財産がある場合市井の人を推す悲劇に陥らないで済むと言う意味ではラッキーなのかも(自分に言い聞かせる←)

市井の人を担ぐのは手放しにやるとかなりリスキーだけども、ビンボーだと娯楽にかけられる金銭的な余裕はなくなるし、そんなもんなのかもしれない。


現状の推し、職場の可愛い歳下上司たち(方向性の異なるカワイイ属性持ちの男子がいる職場です)に担ってもらってる感じ。

なので出勤に大成功しさえすれば、いちおう推しを見ることができる。


先方が市政の人であって、世代が違う勢いで歳下なのと、職場の上司である、というドラの揃い踏みみたいな関係性なので、こちらの推し感を先方に悟られたら負け。

世代が違う単なる職場の同僚に推し的な感情をぶつけられたとして、私なら気味が悪いと思うんで、生活の安定のためにもひた隠す一択です。


職場を離れたら市政の人なんでそもそも推せない人でもある。

推しでいてもらうたまには、何もしないでおくしかない関係性ですねー

推しに何かできる!というのは幸せなんじゃなかろうか。

推し、本人なりに幸せで健やかに生きて動いててくれたらそれでいい。

生きてる生きてる、動いてる!それで十分です 笑


 

 

 勝負服、元は競馬用語で騎手がレースで騎乗するときに着る服を指すはず。


派生語として勝負下着だの勝負メイクだの、要するにここぞ!と言うときに勝ちに行くための装備心意気みたいなことを言ってるものと解釈しています。


今世紀BBC制作版のシャーロックシリーズを愛しているのですが、そのアイリーンの勝負服設定潔くて好きだなと思っています。

アイリーンみたいな職業でないと速攻捕まる可能性が高いですが。

私はある程度裁縫の心得があったりするので(被服学科服飾論専攻)女性なら服を着ててもなんとなく各部位のサイズは想定できたりしなくもないんだけど、そう言うんでもない人はどう言う感じなんだろう。


アデダシ課長はスリムコンパクト設計。ムネタイラサンで胸板って感じではないものの、10kg超えるくらいの納品物とかを両手で肩より上に掲げてスタスタ運んだりする程度には筋力もある。

わたしの勝負服状態をお目にかける機会はなさそうだからアレだけど。


ここ最近(1〜2週間くらい)毎度おなじみ職場のスリムコンパクト設計素敵男子課長のご様子がなんだか沈みがち?アンニュイな感じで(それも実に味わい深くてすきですけども)心配です。

理不尽な感情の乱高下をぶつけられることは確かに減ってるんだけど、お互いかなりの描き割看板のような存在感になっててつまらないです(わがまま

通常春のお彼岸を過ぎれば、徐々に繁忙期では無くなっていくとされる業界なのだけど、ダラダラとそれなりの規模の案件が入ってくるんで差配をする立場なアデダシ課長(素敵男子)は大変なんでしょうね。


先日、社内講習会からの検定をいちおう受験したんだけど 検定なんだけど使える花材の質が公平に担保されているとは言い難いやり方なのは変わらず、それを上回るような実力がある訳でもなく、結果も特に知らされず(こっちから聞けばおしえてくれるんだろうけど、そのやり方もどうかと思ってる。検定なのに。)検定試験の試験官側の手間ひまご苦労みたいなものも、受験者側の頑張りや緊張感なんかも、なんか甲斐のないお取り扱いだよなあって。

何かにつけて弊職場のインセンティブの付け方下手くそすぎてヘニョヘニョします。

ま、受かったところで非正規組はコンスタントに納品物作成に業務として配属されるんでもなく、張り合いなんてほとんどないのに。


今年も冷房がちゃんと効く可能性が薄い設えに変わりはないままそろそろ暑さが本気出してくる季節になろうとしてる。

傷病休暇扱いのような正社員さんと同じ扱いもない身の上なんで、死なない程度に頑張る方向。

死ぬ気で頑張らせたいんなら、死ぬ気で頑張っても死なないだろう環境がないとね。

ヒトなんて結構あっという間にこわれたりしんでしまったりするものですからね…。

気をつけていかないと。


今年も、職場内評価額が低い私なのだけど、皮膚の代謝サイクルかよ!くらいに辞める人が後を絶たない弊職場、当然ながら〈入ったばかりで何も分からない〉人が常にいたりする。

今回の入ったばかりの人の、何も分からないぶりはいつものこととして、何回か同じことを(最初にメモを取って見返せば済む程度の基本事項)同じテンションで(何回も聞いて申し訳ない、みたいなんでもない)言ってくる人に目をつけられてて閉口してる。

いない方がむしろ作業が捗るくらい煩わしく思い始めててよろしくない。

同じ仕事を振れば覚えてくれるかと思いきや、それもないし、不満そうな気配が増してる。

私はそんな指示を振るような立場として評価されてないし、その人の面倒見ても評価項目にそう言うのがないんで、やっても無駄。

あまりそんなのやりたくないし。

なんとかあのメモを取らないひとから逃れる手はないものか。

こちらの手も止めさせられることが多くなるので、勘弁してほしい。

昭和の生まれです。

人生でかつてないほどビンボーで、最近映画さえもなんとなく観に行けていない。

でも映画は好き。


映画だったのか、定かではなく ながらく題名もおぼろげだった映画らしきもの


『過去へ旅した女』

多分アメリカの作品。

兄のコレクションにあったのを観たのだと思うんだけど、いつもは用意してくれたのを観たのに対してあのときは私が1人勝手にライブラリーから手に取って観たんだと思う。

インタネッツは便利ですね。

検索してみたところ、原題はざっくり『二つの世界のジェニーローガン』

製作は1979年のアメリカだったらしい。

日本では劇場公開されたわけではなく(?)4〜5年後にTV版にして放送されたことがあるみたい。

(パッケージ販売されてる風味の見た目じゃなかった。VHFビデオテープの時代)

勝手に見ちゃったんで再度観る機会はなくて、ネット検索が充実するまで何が何だか良くわかってなかった。

兄に本気の彼女が出来た頃のさみしさと映画の内容が同時に思い出される。

多分配信もバリバリされてるので、もう一度観ようと思えば観れるのだけど、なんとなくみていない。

後年 好きな人と同衾するにあたりこの映画のヒロインがドレスを脱ぐタイミングで見せた表情を思い出したりしたのでなかなかの影響を私に与えていたのだと思われる。


『時をかける少女』

主演原田知世さん版と仲里依紗さん版とアニメ版、それぞれに愛しています。

原田知世さん版では深町くんの少女マンガ感もさることながら、深町夫妻(祖父母にあたる)のやりとり、運命に抗ってでも記憶を失っていても恋をとる主人公の芯の強さ、禁忌に触れるのは分かっているのに遠くない未来にも主人公の人生に登場してしまう〈彼〉の業のようなもの、なにひとつ本人に落ち度はないのにおそらく運命の人を失ってる酒蔵のぼん。後にウッカリ今で言う聖地巡礼的に尾道に行ってしまったことを思い出します。


仲里依紗さん版は深町くんにあたるのは彼女の実父ですらないみたいだけど(原田版みてると、よく思い止まれたな?という別の面白さも感じたりする)永遠に報われないのに深く恋を心に刻んでしまった彼女の、本来の運命のひとは大変だろうななんてことを思ったりする。


アニメ版はSF要素がオモシロ要素を呼ぶ仕掛けみたいになっている面もあって、実写版2作の成功があってこその作品だったような気もしなくもない。


『復活の日』

いわゆる角川映画の初期の作品だと思ってる。

今となっては過去の価値観と感じる描写もあるものの、パンデミックからのアポカリプスものとしては外せない作品の一つだと思う。

わたしはおなごなので、滅亡しかけてる種族の存続のためにマリトたちのような選択は出来なさそうだよな、なんで思う。


映画は好きなものが多すぎてまだまだアレだけどキリがないのでこの辺で。


『好きな恋愛映画は?』

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さてさてさて、職場。

相変わらずなんだけど、人員の入れ替わりがはげしい故に、ここのところはお花関連の練習について練習しやすい雰囲気があって助かっています。


今年の検定試験官は、昨年の(カープ課長 支社のお兄さん役職者 アデダシ課長)3人体制から、アデダシ課長と最近役職者になったお酒弱い女子先輩の2人体制に変更になった模様。

職位で同等ではないので、おそらくは実質アデダシ課長の単独判定による、判定に変わったと言ってもいいと思う。


アデダシ課長は相変わらず わたしに対して初手から喧嘩腰なご様子でいらっしゃるので、受けたところで受かる気がしないんだよな(諦観。

まあ、仕事なので大丈夫なら大丈夫で合格させてくれるだろうとは思うけど、私としてはアデダシ課長が試験官じゃない試験が別にあるんだったら、寧ろ心の平穏のためにそっちを受けたいよなあ…。

そして、これから閑散期に入る頃合いなのもあって検定に合格したからって実務で納品物作成物班に配属される可能性ってかなり低そう。且つ、繁忙期は繁忙期で鬼のように忙しくなるから結局社員さんに自信をつけさせるための検定であって、そもそも非正規雇用にチャンスを与える気はなさそう。


しかも今年は検定なのに合否関係なし、採点なしらしい 模擬検定なる『意味あんのそれ?』みたいなのも導入されたようで、受検予定者側に困惑を招きまくっています…。時間の無駄、非正規をバカにするにも程があるみたいな気になるのは視野狭窄なのかしら。

賃金単価の安い非正規に細かいものは任せられるように仕立て上げた方が、社員さんは楽出来るだろうにな。(この場合の楽というのは、更なるスキルアップ可能になるという意味合い)

隗より始めよって知らんのかいな。


講習会の開催頻度もアッサリめなのに毎度講習会に動画を撮るでもなく、勿体無いかんじ。

背後からの動画、右側左側から手元アップで撮る動画、なんなら前方高い位置からの動画、とか1度に4方向くらいから動画撮りまくってアーカイブしといてくれたら大喜びするんですけどもね。


イオングループは会社内の業務に細かく検定を設けていて、検定受験と合格を積み重ねてると職場でのスキルが自然に身につくシステムになってると風の噂に聞いたことがあります…。(お刺身5級みたいなのがあるらしい)

まあ、創立年次と企業規模、そもそもの業態が弊職場とイオングループとでは違うものの、良さげなものは真似したらいいのにな。


弊職場については講習会や検定そのものの開催頻度がそもそも低すぎるのと、検定がザックリしちゃってるのが諸悪の根源って気はする。


そして、仕事とは全然関係ないけどまだ買ってから5年と経ってない冷蔵庫がどうやら冷気を発しなくなった。

地味に困ってる。

修理無料保証期間がイマドキだとメーカー保証は1年(!)販売店保証でも5年か3年らしい。

およそ家電の保証期間って感じがしない…

そして当然のように販売店の無料保証期間が切れていたので、修理するとしたら有償修理になるみたい。

とほほのほ。

昭和の生まれです。

子ども時代に生死を彷徨う外科手術と1ヶ月ちょいの入院生活を経験しています。術後10〜15年程度空きっ腹に冷たいものを食すともれなく倒れてウンウン唸るみたいなことになりがちでした。


日本のヒンヤリお菓子系食品の表記、氷菓とクリーム系種類別で3種類に分かれている認識。

かき氷系の氷菓よりはクリーム系な方が好き。

種類別なら〈アイスクリーム〉か〈アイスミルク〉表記のものを選びがち。


ラクトアイスよりはアイスミルク、アイスミルクよりはアイスクリームを選びたい派です。

また、落ち着いて食べたいので、スティックタイプよりはカップタイプのアイスクリームを選びがち。


特にわたしは牛乳が主食か!ってくらいに好きなので、〈アイスクリーム〉表記なものの中でもミルクっぽさが強いものを好みます。

ハーゲンダッツ的な味わいで、お値ごろなのが森永乳業さんのMOWシリーズ。


長らく、森永乳業さんのMOWシリーズを愛してきました。今もmowシリーズを愛してやまないのだけど、難攻不落な森永mowの牙城を脅かさんとする勢力としての、明治さんから発売のdear milkにも最近よろめいています…。


この記事を書くにあたってそれぞれの会社のブランドサイトも閲覧してみたところ、森永乳業さんでも明治のdear milk的なものを出されてるようなんだけど、私は生協を使ってないので目にする機会がなかったみたい。


あとは森永乳業さん、企業姿勢として謙虚なのか、ブランド紹介に社名が入ってないので恥ずかしがってないでババン!と森永!森永乳業です!的な主張をしてくれてもいいのになと思う。

明治さんの、明治です!明治のディアミルク!です!感、多分後発だからこそのところはありそうだけど、嫌いじゃないんで。


渋谷の某受信料でなりたってる放送局のすぐ目の前にある、白一(しろいち)というそれはそれは美味しいミルクのアイスを売るお店があります。

専門店なんでそれなりのお値段なんだけど、明治のディアミルクはそれに迫る牛乳感があります。見つけるとうっかり買ってしまいます。


スティックタイプのアイスクリームの場合は、森永さんのパルムシリーズが強い。

定番パルムの青い箱、外側も中側もチョコのがありそうでなかったチョコチョコしいバータイプのアイスで、(パキシエルは森永製菓さんから出てるみたい。パルムシリーズよりすこし庶民派なんだよねパキシエル。)中身がプレーンなパルムより好き。


出始めの頃は高級感のあるアイスと言えばハーゲンダッツが強かったと思うのだけど、ハーゲンダッツはお値段の割に期待して食べるとやや肩透かしなこともあったりなかったり。

(こじんのかんそうです)


『好きなアイスの味は?』

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さてさて職場。

同年代で花屋さんキャリア10年くらいある方が(ブランクあるから、と)バイトから入られていまして、本人的にも出来るひとのようなのと、押し付けがましくなく、人を小馬鹿にもせず、教えるのを厭わない人柄の方で、めちゃくちゃ助かっています。


自分ができること、と 誰かに教えること、は別のスキルだと シャーロックホームズにもアーサーコナンドイル氏は言わせていますが、本当にその通りだと思う。(モーリスさんは関係なかった。訂正)


まだまだイメージとしても遅い烙印を押されちゃってるのでアレなんだけど。


辞める前に作成物班に入れるといいんだけどなあ。

どうなることやら。


 昭和の生まれです。

水曜夜の宇宙旅行を嗜んだ世代。


海外SFドラマの草分けと言えばスタートレックシリーズ

スタトレの世界で宇宙最強な戦闘民族というか戦士の星がクリンゴン帝国です。


新スタトレに登場するクリンゴン人のウォーフは、幼少の頃から地球で地球人の養父母に育てられてるけど、本国では割と高位な家系のクリンゴン人のサラブレッド的な出自。


そんな、宇宙最強なクリンゴン人であるところのウォーフがとある任務において、長時間の激務により艦橋でよろけたときに船内ドクターから言われる台詞はかなり衝撃的です。


か弱いはずの地球人な私の勤務時間、一日あたり概ね8時間拘束の7時間勤務がデフォルトです。


でもウォーフは5時間艦橋で指揮を執っていて《あまりの激務に》よろけてしまうわけです。

さすが未来。


 本邦の現行有効な労働基準法では、一日あたりの労働時間は6時間とし、残業したとして8時間までを旨とすべし、と言うことになっている。

取り敢えず、労働基準法の厳守徹底に本腰入れるべきじゃないのかなあ。

こんなにないがしろにされてる法律ってどうなの?



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 えー。

納品物作成班に入りたいけど、全然入れそうにないよ?

アデダシ課長も酷くお気持ち乱高下しまくってて落ち着く気配もないよ?当初のスリムコンパクト設計素敵男子感を取り戻してオラにお優しくあってほしいわ。

叶えばいいのに両方とも。

『好きな人のタイプは?』

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昭和の生まれです。
コンカツしたことない…
私らが若いころは結婚すると言うことはセットで妊娠出産がついてくるみたいな感じでした。
自分に備わってる妊娠出産機能をできる限り発動させたくない私にとって、結婚のための活動などというものをする訳がないのでした。

私は好きなタイプが絞りきれないので一夫一婦制を採用してる日本の婚姻システムにそもそも向いてないのもあったりなかったり。

好きなタイプ、なんでみんな一つに絞れるの?
その辺がよくわかんない。

眠るときに横で寝息を感じるような関係性において好きなタイプと、煩悩の赴くままに肉欲をぶつけ合うみたいな関係性において好きなタイプと、一緒に仕事をするのに好きなタイプと、例えば仮に一緒に子供を育てるのに好きなタイプと、重ならない方が自然じゃない?

そんなわけで、関係性によって好きなタイプは当然変わるでしょ?と私は思っていて、かつ同じく私の好みであっても時間の経過とともに好みが変わることも当然あるんじゃないのかな?とも思っているので、好きなタイプ色々ありすぎて絞れないですね。

人生の季節としてもう春や夏だと言い張るのは無理があるお年頃に差し掛かる今の私から見て、おそらくハズレがないだろうと思えるのは
睡眠時間と睡眠の質が安堵されてる人生を歩んでるかどうか。
睡眠負債は人格も健康も壊していくし、睡眠負債を負債と捉えない生き方を私は尊敬できない。

尊敬できない相手を信頼できないだろうし、その働き方を是とする会社なりに勤めてるとしたら、多分経済的にもあんまり恵まれてないはずで、
お金で避けられる不幸が世の中には確かにあるし、お金さえ有れば避けられる不幸を避けられない人生は私にとって幸せだと思えないだろうから。

ますば眠れる人生を送れてるか?
ハナシはそれからだ、って感じかも。


それはそうと、アデダシ課長のお気持ち乱高下が全然治らない。
怒られポイントはともかくとして、怒るときの怒り方度合い(お怒りパラメータ)が理不尽に感じることが結構多い。

どこでキレて来るか分からないのと、
なんでそんなにキレて来るのか分からないのと、
理不尽のカタマリみたいになってて近寄りたくない。なるべく視界に入らないようにしてるし、視線を合わせないようにしてる。

私でなくても構わない問い掛けはできる限り他の人に言ってもらうし、私でないとダメな問い掛けの場合は 必ず話しかけて大丈夫か?聞いてから話しかける。

それでもなんかしらの不機嫌をぶつけられることもしばしばなので、切ない。

こちらから打てる手はほぼないし、パワハラみたいな申し立てもしたくないのでひたすら耐え忍ぶ感じ。

役職付きになった社員さんと仲良くなってる気配があるのだそうで、それならもう少しお気持ち乱高下が治ってくれてもいいのにな、と思う。