ん?最近の日本円の為替レート、世界の通貨に対して安くなってたと思ったけど、違ったのかな?


各国の通貨は価値が日々変動する。

とある通貨を別の通貨に変換しようとするときの変換率をあらわすものを為替レートって言うのだと思ってんだけど合ってる?


相手方の通貨に対して円の価値が下がると円安(例としては1ドルに対して円表記の金額は多くなる。海外からモノやサービスを買うときに買い負ける可能性が高くなる)、相手方の通貨に対して円の価値が強くなると円高(例としては1ドルに対しての円表記の金額は少なくなる。)

 という基本的な理解をしてる。 


blog題としては、言いたいのは『為替レートについてどう思う?』ってこと?かな?

 

日本円が他国の通貨に対して飛び抜けて強かったのは実のところ1970年代最後半から1990年代前半あたりくらいのごく限られた時期でしかなかったんだと思う。


ある時期までは世界のお金は実物の金を価値の裏打ちとして準備する、金本位制ってのを採用していたはずで、戦後その辺りの日本円はアメリカドルに対して360円(!)とかで固定されていたはず。

イマドキの為替レートでも1米ドルで200円までは下がってなかったはず(2024.5.30現在156円くらいっぽい)なんでとんでもない世界だったんじゃないかと思えてなりません。まあ、私生まれ落ちてない頃なんで体験したこともないんですけども。


日本、いちおう独自通貨発行して 独自言語での高等教育専門教育の体制がある。

それなりに自国民の人口ボリュームを保っていれば為替にそんなに振り回されるほどじゃなかったんじゃないか?と思う。

日本製品のガラパゴス化もそうした自国民の人口ボリュームがあってこそ、だったはず。

ただ、失われた30有余年の痛手は確実に国を沈めるのに余りあって、自国民出生数の急激な減少は世界にも歴史にも類をみない異常事態なんではないか、と思う。


日本が割とのほほんとしていられたのも、自国民の数がソコソコあって自国内のみに目を向けて商売しても辛うじて成り立ちうる人口があったからこそ。

それが失われると言うことは、世界の流れに靡いていかないといけなくなるということ。


人も少ない、通貨も弱い、となれば一層舵取りが難しくなるのは必定ではないかと。


いわゆる見棄てられた氷河期世代の端くれです。

氷河期世代ももはや40〜50代になってる。今からではこの世代に次世代産出能力はほぼ失われつつある。

私たちの世代を見捨てた時点で今の状況は予測し得たのだ。


そんなこんなで見捨てられた私たちをさらに責めるのはやめてほしいと思う。

且つ、私は例え国から世代として見捨てられてなかったとしても脚の間から小玉スイカ出す生きかたを選ばなかったおなごなので必死に救いまくってても同じような状況だった可能性もなくはないけど。


この先も劇的に出生数が上がるわけはないんで、国力はジワジワ沈んでいくんでしょうかね。

短い狂乱の時代を子供としてではあるけど体感したのは今世の面白みであったのでしょう。


日本人として生まれてるけど、もしかしたら私が儚くなるとき日本という国はまだあるのか?今の子供たちの中には違う国の所属なりに変わっていく層が出るのかもしれない。(悲観しすぎかしら?)

なかなか切ない気はしますね。