前の記事(前編)からの続きです。

 


映画「渚の兄妹」。

 

最初予告編をみたときも、Youtubeの小さい画面で見ただけだから、そこまで役者さんの細かい顔のつくりを見ていたわけじゃなかった。

 

でも、実際劇場で始まったときに。

最初役者名がOPでぱっと一瞬でたときに、ふとした既視感。


あれ。

 

そしてそのあと、映画が始まり、真理子役の女優さんが全面に映し出されたとき。


あれ。

 

わたし、

この人を、知っている。

 

誰だ、とは一瞬わからなくて、でも妙な既視感に胸がざわついた。

 

その後ものすごい描写が続く。


「体当たり」なんて言葉じゃ生ぬるいくらい、もう体中をさらけだして、えぐい体勢はもちろん喘ぎ声も、なにもかもすごい。

メイクなんてしていない、一切の虚栄心とかが見えず、動きとか本当に自閉症の人だと思った、すごい芝居だった。芝居に見えなかった。


そして、その胸のざわざわはずっと続き、ある時点で確信した。



やっぱりそうだ。


彼女だ。


エンドロールの名前をみて、上映後すぐに検索した。


名前の表記が違っている気がする。

顔立ちはずいぶん大人びて、髪も伸びている。

でも、間違いなく彼女だと思った。


彼女は、私が約8年前に受けた、とある映画監督のワークショップ形式のオーディションで一緒になり、同じチームを組んだ人、だった。


とても上手な人で、すごく記憶に残っている。

真理子が窓越しに見せるきれいなきれいな光の中の表情を見た瞬間に、私の記憶のなかの彼女と合致した。自分のブログを探したら、そのときのワークショップのことを書いた記事もでてきた。


盛暑の候

ひとつじゃないこと。


この時、私のチームはちょっとトラブルがあって、主役をするはずだった人がセリフをほとんど入れていない、ということが直前にわかり、危うくうちのチームは発表ができないかもという危機に陥る。そのとき私は思わずやらせてくださいと名乗りを上げた。(なんかこう書くと格好いいが、  実際は単純に、発表できないとか理不尽すぎるだろという怒りから。)


その瞬間やってしまった、と思ったし、そのやるはずだった人と気まずくなることも分かってはいたけど、「あの決断は正しかったと思います」といってくれたのも彼女だった。(結果として、私は見事に一応主役的?なポジションをゲットしたものの、見事にこき下ろされました(笑))そして別場所に集まって課題の芝居について、確か新宿の喫茶店で話したりした。

すごく役者っぽい人だった。


たった3日間のワークショップだったけど、彼女は存在感があったし、お芝居がうまかった。


監督はおそらく彼女を最初から知っていて、だけど最初のエチュードで「お前どうしたん!?なんでそんな下手になったん?!」と叫んでおり、

その言葉から、彼女はすでにこの中で一目も二目も置かれている役者さんなんだと察した。


あとで監督が打ち上げの席で「こいつは出てきたときに、ものすごく天性で芝居のうまい、女優の卵がいるって評判になったけど、今回お前を久しぶりにみてなんでこんなへたくそになったんだ!?と驚いたよ。でもまあ、まだやるんだろ?」と話していた。

おそらくこの2~30人いる役者の卵の中で彼女はすでにもう違っていたのだと思うし、多くの関係者から期待をかけられていたのだろう。


彼女との出会いはそれっきり、おそらく彼女はわたしを覚えていないだろう。


だけど不思議なもんで、たった三日間だったけれど缶詰になって、一つのチームでワンシーンだけの芝居を完成させるという作業をやったそのときの光景は結構焼き付いているし、彼女の表情は結構覚えている。それ以外で覚えているのは、当時偶然にもワークショップで一緒になった友人のえのきん、あともう一人素敵な女優さんがいたな。でもそれぐらい。


ここ最近でかなり衝撃的な出来事だったと思う。


衝撃を受けた映画の、衝撃的な役を演じている女優さんが、かつて一緒に、ほんの一瞬だけど、お芝居をやった人だった。


なんというか、圧倒されたし、もう本当に誤解を恐れずにいうけど、打ちのめされたし自分はなんなんだろうと思った。(誤解しないでほしい、別に同じ土俵に立ってたとは全っく思っていません💦)


折しも前日、Oggi the Partyのとあるイベントの本番で、ショーステージを終えたばかりだった。そのイベント自体も、ショーも、すごく心に残るもので、やれてよかった、本当によかったと思った。


だけど、その反面、自分がやろうとしていることって本当に何なんだろうと思ったな


私は細々とだけど、男役をずっとやってきて、でも最近すごく思ってた。男役ってすごく限定的で、評価は残酷で、はかなくて。そして私自身そのことばかりを気にして楽しめていないときがあることを自覚しつつあった。評価されたいばかりが先行してた部分もあり、評価されないと自虐に走ってしまう。なんというか、わたしのなかになんのビジョンもないまま、ただただ好きでやってきただけだった。楽しくはあった、でも結果的に今の私に何ができるか、認めてくれる仲間内でやってきただけで、私には「男役ならここは何者にも負けない」という武器すら結局持たずここまできた。というかそんな観念すらなかった。気づけばこの年になっていた。


別に男役を好きならやっていけばよいと思う、気の向くまま思いの動くまま今までのようにやっていけば楽しいと思うし、それでよいとも思う。

でもそれでいいのかという思いもある、うー。


もし自分が「私はこれを誇りにしてます」と思えるものが欲しいのだとしたら、もっとやり方を考えなきゃとも思う💦

でないと、このまま、どことなく自分の足元に自信がないままただ続けることになる。

人の評価や意見に左右されるようなものだけが残ってしまっている気がする💦

 

彼女をうらやましく思った、とかそんな大それたことではなくて、ただ8年が過ぎたということ。

8年たてば人は顔立ちすら変わるんだ、それくらい努力してきた人たちは。そしてそれに従って手にするものも変わるんだ、と思った。


でもきのう、友達に、「わたしも時々思うんだけど、じゃあ自分は全然頑張って来なかったか?と考えたら、そんなことはない、そのときそのときは必死に頑張ってたじゃんて思えたりする」って言われて。

あ、そうかもって。(笑)


それに、ここ何日か色々思ったけど

男役好きなんだよな、やっぱり。

 

とにかくいろいろな思いがないまぜになって、渋谷駅をあとにした。いまでも、まだ胸中が不思議な感じです。

このタイミングでこの映画を観たこと、彼女を観たことは、なにかの意味があるのか、ないのか。

わかりません、わからないことだらけだな。


単なる書き散らしでした💦