みなさんこんにちは。

ろべです。

 

「岬の兄妹」という映画を観てきた。


 


虫の知らせだったのだろうか。

年末に「アナタこの映画好きだと思うよ」と人に言われて予告編を見て「観よう」と思い、そのままにしていた。ふと思い出し、検索したらなんと最終上映。「あぶねー!!」と思いすぐ予約、駆け込んだ。

 

この映画の予告編を見たとき

野坂昭如の「花のお遍路」という短編を思い出した。

 

戦中戦後の超混乱期の日本を舞台にした小説で、可憐で美しく兄を慕う妹が、徴兵された大好きな兄が帰還するも半病人になり働けない兄のために、身を売る物語。

もとは優しかった母が、自分の娘の体を男に自由にさせる代わりに食糧をもらい裏でぺちゃぺちゃミルクをなめるシーンとか、度重なる売春のせいで妹が梅毒にかかっていく描写とかなかなかにえげつなくて、でも始まりと終わり方がとってもきれいでまるでそこに満開の桜が見えてくるようで、ずっと印象に残っている小説。

 

でも終戦直後の日本には、こんな風景がそこかしこにあったんだろうなと思った。

 

今もまたすぐに読みたいのだけど、これを収録されていた文庫本を私は売ってしまっており、深く後悔している。なので、この映画も絶対観たいと思っていたのだ。

 

 

結果として、ほんとうに、ほんとうに、観に行ってよかった。

 

観るべくして私は、観に行ったんだと思った。

ロマンティシズム発動。笑


今回のブログは長くなります。

 

*    *    *    *    *

 

この映画は、現代の日本で、私たちと地続きに生きる兄妹。

兄はかたわ(今では差別用語になるのかな)で常に片足を引きずっており、そして妹は自閉症の障碍者。

その二人が一見して極貧のもと暮らしている。

 

※ここからは完全にネタバレします。

これから観ようと思っている人はご注意ください。※

 


 

 

出だしから

仕事から帰ってきた兄・良夫が、「妹(真理子)がいなくなった」と誰かに電話して家を飛び出す。


言いようもないほど乱雑でボロイ室内、トタン屋根のような造り、鍵は錠前の家。

ロープの先が切れている、おそらく妹の足をつないでいるのだ。虐待ではなく、単純に徘徊を防ぐために。

 

「はじめちゃん」と呼ぶ電話口の向こうに、良夫は言う。「真理子を見つけたら教えて」

そして街を探し回る良夫もまた、片足を引きずっている。

そして、これがおそらく日常的な出来事なんだということがわかる。

 

結局、とある若者から電話があり「親切にも」送り届けてもらった、という形で真理子は戻ってくるが、帰ってきた妹を風呂に入れながら、良夫は妹のポケットに万札が入っていること、そして妹の下着に精液のようなものがついているのを見つける。

 

もうのっけからパンチが強くて、目を離せない。

 

貧困と、障碍、そして性 が開始10分で突きつけられる。

 

 

そしてこちらの予想通り(どうかそうならないでくれと願いつつも、確信に満ちた予想で。)

兄の突然の失業で、兄妹は更なる最貧困に堕ちていく。

肉体的にハンデがありそしておそらく学も職歴もない彼らに残された仕事は、内職程度。

そして、電気が止まる。町のゴミをあさる、ゴミの中のソースをなめる、悲惨の一途だ。そしてついに、兄は「冒険しようか」と呟いて「あること」を画策する・・・


(別に私はこの映画を総括したいわけじゃなくて、自分でもこの映画を思い出しながらかみ砕こうとしているので、内容の羅列が続いたり、長くなるのはご容赦ください)

 

性は売り物になる。

 

障碍者の女性の「性」は、それを保護・監督している者の意で、何とでもなってしまう。だからこそ悲惨な事件が絶えないのだろうし、「セックスワークに従事している人の中で軽・重度の知的障害者の割合は驚くほど高い」というのを読んだことがある。

 

そして何より彼らは完全に孤立している。

二人だけ、二人だけなのだ。

 

以前読んだ本に、鈴木大介という人が書いた「最貧困女子」というノンフィクションがあるのだけど(これもつらくて一度読んで売ってしまった記憶。。)

 

その中で

「『貧困』に陥る人の条件は『3つの縁』がないこと。

家族との縁、地域との縁、制度(社会保障)との縁。

これらの縁が欠落したとき、人は貧乏ではなく『貧困』に陥る」

と書いてあったのが印象的で、この兄妹も正しくそれに当てはまると思った。

 

良夫は生活保護、とか障碍者年金とかそういった制度におそらく無知。(だから兄が造船所での職を失った瞬間に、彼らは一気に貧苦に喘ぐ)

 

また、二人にはおそらく父親は最初からおらず(影もでてこない)、そして母親はおそらくここ数年で亡くなっており、妹を支えていた唯一の肉親がいなくなったため兄は帰ってきて同居したものと推測できる。

 

そして、良夫の唯一の友人として出てくる「はじめちゃん」。

呼び名から察するに幼馴染。ヨシオは妹がいなくなったり、何か事が起こると、はじめちゃんを頼る。


しかしはじめちゃん自身は、地域に根差した警察官であり、公務員であり、身重の妻がいて、マンション(社宅?)に住んでいる。

彼は二人の兄妹と誰よりも密接なようで、彼らからやはり遠い遠いところにいる。しかしそのはじめちゃんだけが、彼らが持つ唯一の縁であり、

「岬」というのが、こちら側(普通)とあちら側(貧困)を分けるぎりぎりの場所だとするなら、文字通り「岬に住む」彼らの最後の防波堤が、はじめちゃんなのだ。(あ、正確にいうと会社のあの人もそうかな)

 

はじめちゃんは結局、兄妹の所業を知ったとき、良夫を避難し、頬に拳骨をくらわすだけで、実際に何かしらの救済行動には出ない。

「オメエみてえなやつを、偽善者っていうんだよ!」

そのセリフを吐く良夫の顔はドアップに映されていてまるで、スクリーンを見ている私らに突きつけているよう。目の前の貧困に、なにもしない社会。

 

初めて真理子に「おしごと」をさせて、自力で得たお金を手にした彼らが最初にしたことは

 

マクドナルドを大量に買ってきて食べること、そして家中の窓という窓を覆っていた段ボールをはがすことだった。

 

ああそうだよな、てっとりばやく腹が膨れて机いっぱいになって幸福感が得られるのはマックのポテトやバーガーだよなって妙に納得したしなんかすごくホッとさせられてしまったシーンだった。ストーブがついて、電気がついて、お金ってなんてすごいんだろうと。

 

あと何がすごいって、真理子を買う客層がね、めちゃめちゃリアル感満載なこと。

 

性欲に溢れた若者だけじゃないわけ、

仏壇にいる亡き妻に毎朝花を添えて、きちんと新聞とってるジイサンが若い女のアソコをなめたいがために買う。

真理子を見た途端「いやいやチェンジでしょ、この子普通じゃないじゃん、だめでしょそういうの」とか、一見マトモそうなことを言ったかと思えば、「何してもいい」「料金割り引く」という良夫の言葉にいとも簡単に前言撤回する普通の若い男。

 

買うのである。普通に売買なんである、少し黒くなったバナナが値引きされるように真理子も時に値引きされ、買われる。

 

結局欲望を吐き出したいっていうのは生理現象で、だから「食う」「寝る」と同じくらい需要があって真理子は言葉の意思疎通がうまくはいかないけど次々と買われていく。

 

真理子は、何をされているかわかっていないけれど「SEXの快楽は得ている」ということが如実に浮き出される。

それが、リアル。だからこそ、悲惨。いや救いなのか。

 

でもこの映画の良かったところは、ところどころ僅かながらユーモアをちゃんと忘れていないところだった。金を盗もうとした学生に、市の物狂いで○○〇を投げつけるシーンなんか思わず笑った。ひとってすごいと思ったww 

そのあとのいじめられっこの清々しい顔、生きてると素晴らしいものが見られるんですね、と言わせたあの顔。あの手で握手するんかいww あそこは劇場内でも笑いが起きてたな。

やっぱり笑いどころって大切なんだなって思った、息がつけるから。

 

 

そして、やがてある事態が起こる。

観客の私たち側からすれば完全に予想しうる出来事なんだけど、なんの知識もなく、精々「おしごと前に化粧を施す」ということしか頭を回せなかった良夫に告げられた真理子の身体の変化。良夫は、思い当たるある客のもとへ駆けつける。その彼もまた身体障碍者であったのだが、その彼に言うのだ、「真理子と結婚してやってくれないか」と。

 

そのとき良夫がすがったのは、「堕胎」ではなく「結婚出産」というあまりにも普通の、しあわせの形だった。でもそれは、すげなく断られる。

「俺なら、OKすると思った?」

その返答も、あまりにリアル。

そうだ、あまりにも虫のいい話。でも見ている私たちはどこか無意識にそんな結末もありなのではないかと一瞬期待してしまうのだ。それは彼もまた障碍者だからかもしれない。でも違う、当たり前だがそんな夢みたいなことは早々起こらない。

そして抜け出してきた妹はそのアパートの前で泣き叫ぶ。何が起きているかわからないはずの真理子は、地べたにはいつくばって叫ぶ。真理子が劇中で泣き叫んでいるシーンは、ここと、そして序盤に、良夫にお気に入りの貯金箱を壊されたとき。これくらいしかなかった。

そうだ、「おしごと」しているとき、彼女は一切泣かなかったと今更に思い至る。

 

 

そして、産婦人科のシーンになり、手術が行われたことを告げる。

結末は・・・

彼はなんと復職が叶う。辞めるときに餞別を渡してきた会社の上司?が、海辺にいる兄妹のもとにきて「一人辞めることになったから戻ってこないか?」と。

しかし、良夫は、思わず砂をなげつけ吐き捨てる。横にいる真理子は買ってもらったたくさんのお菓子を食べながら、その上司に指なめる?といいながら「おしごと」をしようとする。その姿に、ヨシオは叫ぶ。

「・・・お前らのせいで、おれは、おれはこんなことになったんだ!」

 

最後は、出だしと全く同じ。

はじめちゃんに電話する良夫。「真理子がいなくなった、また見つけたら教えて」。

そして足を引きずりながら街中を探し回る。

そして岬の突端にいる妹の姿をみつけ、良夫は胸をなでおろす。

なんでこんなところにいるんだよ。

その瞬間、携帯の電話が鳴る。はじめちゃんからだろうか。

しかしその音を聞いて真理子は振り向く。その表情に、ヨシオが息をのんで、終わる。

*       *     *    *    *

わたしは、この時よしおは、真理子に「女の顔」を見たのだと思う。「おしごと」があるときは決まって電話がかかってきた。「おしごと」だ、そう真理子は思ったのではないか。

かつて身ごもった真理子、すべてが最初に戻ったかのようで、戻ってはいない

何も元通りにはならない。それを突きつけられたかのようなラストだった

*      *    *

 

昔みた、山田洋二監督の「学校2」という映画で、こんなシーンがあったことを思いだす。

軽い知的障害をもった吉岡秀隆さんが演じる「たかし」が、神戸浩さんが演じる重度の障害を持つ「ゆうや」とともに旅にでるんだけど、その彼が西田敏行演じる教師に言う言葉。こんなニュアンスだった。

「おれ、もっとバカだったらよかった。こいつ(ゆうや)みたいに、人が自分をバカにしていることもわからないくらいバカだったら。おれ、バカだけど、それはわかっちゃうんだ。」

 

良夫が途中に、夢を見ているシーンがある。

ものすごい笑顔で、全速力で「走って」いる。そして子供のように遊具で遊び、子供に交じってはしゃいでいるのだ。しかし笑いながら目覚めた自分の足は、やはり動かない。彼はなく、私は彼の不自由な足が、先天的なものか後天的なものかわからなかったが、この夢で、おそらく生まれつきだったのではないかと思った。母がなじる「ちゃんと妹の面倒をみなさい」という声。彼もまた、鎖をずっとつけられた者だった。真理子と違うのは、「自意識」があるだけ、それ故に彼は苦悩するし、自分のしていることもわかってしまう。

真理子は自分のしていることがわからない、

おしごとをし続けた真理子は、たとえ性病にかかっても「おしごとする!」という。

それは大好きなプリンを買ってもらえるからかもしれないし、SEXの愉しさを知ってしまったからかもしれない、はたまた人肌の温もりを覚えてしまったからかもしれない(そう感じられる描写があった気がする)

再び兄が職に戻ってもなお、真理子は徘徊するし、振り向いた彼女の顔はおそらくもう「何かを知ってしまった」顔だったんだろうと思う。

それは悲惨なのか、わかっていないから幸せなのか。その問いはわからない。

 

そしてね、

2倍の衝撃と書いたのは、理由があります。


この映画に出ていた「妹の真理子役」の女優さんに、見おぼえがあったからでした。


あまりに長くなりすぎたので、このブログ二つに分けます。