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SIS日記

NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

「食べたい」と農との間 


 

春。ずいぶん温かくなってきた。畑に行くと、オオイヌノフグリヒメオドリコソウたちが群生している。それぞれ賢く冬を過ごして、他の植物が繁茂しないうちに広がり、辺り一帯を占領している。オオイヌノフグリはさながら地表に青空を映しているし、ヒメオドリコソウは春を歌いながら群舞している。

あらためて、オオイヌノフグリの花に近づいて見てみた。4枚の花びらは、同じ青でも濃さがすこ~し違うんだなぁ。群青の細いスジがそれぞれ外側に向かっている。ただし、雄しべ・雌しべがある真ん中はぽっこり空けている。まじまじと見詰めるほど、なんて品のある花だろうと思う。

よくぞ君は、こんな素敵な色合いと造形を地中から引き出してくれました・・」と思って手を合わせたものの、この「引き出した」という言い方で良いのだろうかと思い返した。
あれこれ、考えた。地中に青や群青色があるのか? いや、オオイヌノフグリに備わった力が創り出すのか? 私にはよく解らず、説明も出来ない。ただ、思わずふっと「引き出した」と表現したくなった、小さな花へのリスペクト故の言葉であり、この際お許しあれ!

さて、私がそもそも畑に来たのは少し前に種蒔きした
春ダイコンが芽出ししているか、見に来たのだった。おぅ、出ている出ている! 可愛らしい双葉が並んでいる。隣の畝では、ホウレンソウが芽出ししている。

ダイコンは、まだちょこんとした双葉でしかないが、これはやがて何処かの神殿の柱みたいなものを地中から「引き出して」くる。いや、「おっ建てる」と言うべきか。それも、生白い。柱の上には、「花馬」の花飾りみたいな葉を四方八方に飾り付ける。色は地味なのだが。

やがて、白き神殿柱が幾つも建った頃、ダイコンなれども「ゴボウ抜き」して、コトコト、グツグツ、焚き火して鍋で煮よう。アルプス牧童帽の矢羽根みたいなホウレンソウは、軽く炒めておひたしか。

コロナ禍の、せっかくの「巣ごもり」の中だ。
自分が思い立ち、それなりに準備し、「種」の形になった生き物の力を借りて、地中から糧を引き出してもらって、おっ建ててもらって、目で見て、匂いを嗅いで、見届けて、自分と周りで相伴して、「おいしかったぁ~」と言えるような、発起から終わりまでが自分の気持ちと一致するような事を大事にしたい。些細な話だけれども。

 

投稿者・鮮 「ら・鮮・快・談」とリンクしています。

 

NHK「よるドラ」から出された宿題 


「ここは今から倫理です」という題名のドラマが、1月から3月にわたって放映された。(NHK・土曜11:30「よるドラ」枠。主演・山田裕貴。原作・雨瀬シオリ「ここは今から倫理です」集英社コミック)

高校で「倫理」を教える教師・高柳を主人公としたドラマである。主演の山田裕貴の演技を観てみたかったこと、それから高校・倫理など珍しい分野を扱うドラマはどんなだろうという興味を覚えたこと、この2つの興味から観た。見逃しもあって、原作のコミックも買ってみた。

一応、私も高校「倫理」教員免許を持っていて、そうなる可能性はあった身だから尚のこと関心を持った。しかるに、原作コミックもドラマも、現代に生きる若者の様々な生態を真正面から取り上げていて、いろいろ考えさせられた。「リストカット」「性」「不登校・居場所」「孤独・孤立」「SNS・グループチャット」「いじめ」「薬物・受け子」「緘黙」「万引き」「親子の関係」等々がその都度のテーマとなっていて、たくさん宿題を出されたような感覚だ。その中のいくつかを、順に取り上げてみる。

さて、「倫理」は、選択授業になっている。高柳は、授業開始にあたってこう言う。
『倫理は、学ばなくても将来、困ることはほぼ無い学問です。……数学のような汎用性も、英語のような実用性もありません。この授業で得た知識が役に立つ仕事はほぼ無い。この知識がよく役に立つ場面があるとすれば、死が近づいた時とか、……信じられるものがなくなった時、〝宗教とは何か〟〝よりよい生き方を考える〟〝いのちとは何か〟……』

……要は、実利・実用ではないが、自らの内側から問い直したり、立て直したりする時の〝手がかり〟になり得る。そして、それは「いつか・どこか」でなく、すぐ足下にある。現代に生きる若者・高校生が抱える諸問題の中に……。このドラマ・コミックは、そういう仕立てになっている。


〔性被害と自死念慮〕……八木まりあの場合
高柳の「倫理」を選択受講する生徒の中に、八木まりあ・酒井美由紀という二人の女子生徒がいる。美由紀は頭が良く、気位が高い。まりあは、明るい性格で、ノリが軽い。美由紀は、まりあなど相手にしたくないのだが、まりあは意に介さずつきまとっていた。

ある日、まりあは授業中ぐったりしている。いつものように、美由紀の方を見向きもしない。美由紀は「なんだ、こいつ。学校に寝に来たのか」と思う。今日は、うるさく絡んで来ないからいいだろう。授業の後、美由紀は高柳を廊下で呼びとめて言う。「先生の、私たちを見下ろすような態度、不快です。あと、今日のヘラクレイトスとプラトンの関係性の部分、分かり辛かったわ。」

と、その時、校舎屋上の縁(へり)に立ち、今にも身投げしそうな八木まりあの姿をみて、高柳はダッシュする。何が起きたのか。遅れて酒井美由紀も行く。
「は……?」「何で急に飛び降りるの?」「あんた、私よりずっと幸せそうだったじゃん」「彼氏いるんでしょ。死ぬ理由ないじゃん」

まりあが屋上の縁に立っている理由が解る。その「彼氏」たちにレイプされたのだ。彼氏の大学のサークルに誘われ、付き合ってきた。心地よかった。楽しかった。でも、昨夜の合コンまでが彼らの裏の目的だった。(こういうサークル事件報道が実際にあった。)まりあは、疑いもせず、軽く付いていってしまった自分を苛(さいな)んで余りある状態にいる。

美由紀「バカじゃないの!? そっそんなの・・死ぬ事に・・命の重さに比べたらちっちゃい事じゃないか!?」

すると、高柳。「違います!!」「恋に破れても・・家族が死んでも いじめられても 就職に失敗しても 仕事がイヤでも お金がなくても 人生が退屈でも!!」「それがどんな理由でも 命に換わる程、重い絶望になるんです!!」「あの網の向こうに行く為に、どれほどの覚悟が必要な事か・・・」

結果的にまりあは(網の向こうから)戻る。まりあと美由紀の絆は深まる。
ただし、私には〔何か〕が残る。高柳の「違います!!」以下の言葉は、(画面上では)美由紀に向かって発せられている。まりあを向かずに、だ。この〔何か〕は何だろうか。ま、悪いものでないことは確かだが……。

最後に、高柳は屋上で「倫理」を口述する。『〝なんといっても、最上の証明は経験だ〟(フランシス・ベーコン)』「たくさん勉強して・・色んな知識を得て・・たくさん遊んで色んな経験をすることです。そうすれば貴がた方の視野はもっと広がる事でしょう。」
まりあ・美由紀「・・先生の話ぃ、いっつも難しい~!」「ありがとね」

ははぁ~ん、倫理ねぇ……。「ここは今から倫理です」・・面白い!! 
(順次、つづく)

 

「食べたい」と調理・料理との間 


この一年ほどのコロナ禍における暮らしのなかで、焚き火調理をずいぶんとした。元々そういう志向性があった(好きだった)からだが、ほとんど外食をしなくなったこともある。

庭先の一角にレンガをいくつか積んで、ブリキの煙突を立てて、赤土で塗り固めて竈を造った。栗畑で出た、不要な枯れ枝を使う。頃合いの10数本ほどで、けっこうな火力になる。

昨日は、バジルと塩コショウをまぶした鶏肉の炙り焼き。アルミホイルを敷いて、鶏肉とモヤシ、それからあぜ道に自生するナバナをつまんで乗せる。セリがあれば言うことないが、まだ少し早いか。

すぐにジリジリ、鶏肉が焼けてくる。少ししてモヤシ、ナバナと鶏肉とをひっくり返す。肉から出る汁が野菜にしみ込むはずだ。うんうん、そうなってきた。匂いも色もいい案配になってきた。

晩ご飯は十穀米と、その焚き火鶏肉料理と、冷凍しておいたカボチャの煮物とだ。よしよし、鶏肉はしっかり中まで火が通っていて柔らかいし、ナバナはほろ苦さが充満している。モヤシがちょっとぐったりして、焦げ目がついているのが反省点か。

鶏肉を焚き火で調理し、焼き加減を見て、それから口に入れて味わうと、一連のことが自分のなかで一致する。だいたい思っている通りだ。IH器具調理、ガス調理と比べて、肉の身がほっくらしている。

さて、こんなちょっとした焚き火調理の話と、新型コロナ禍の問題とをリンクさせたい。リンクというか、ワープになるかも……。

あらゆる食べ物が、途中経過をすっ飛ばして口に入るようなことが急速に進んできた。「食べたい」と「食べ物」とを一直線に繋ぐ貨幣経済の進展だ。その高度な進展は、今や「食べてみたい」という気をそそるようにあの手この手を使って多彩・多様になっている。いや、なりすぎて過剰なくらいで、そこに「食品ロス」の穴がぽっかり開く。


※日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は612万トンだという。

「食」にかかわる欲望開発システムがグローバル化し、アジアの奥地か南米の奥地かは解らないが、新型コロナ・ウィルスを連れてきてしまったのではないだろうか。それで、運良く終息して「アフター・コロナ」となった時、『元に戻る』でいいのだろうか。

コロナ禍における「巣ごもり」体験報告の中から、「今まで出来なかった○○を観た・聞いた・紐解いた……」「あらためて△△を試みた……」「眠っていた□□を引きずり出してみた……」などさまざまな試行錯誤がされていると聞く。高度な貨幣経済の中で、欲望開発対象になっていた自らを、あらためて自分から出発する自分に戻す機会ではないだろうか。

些細な話だけれども、自分が思い立ち、それなりに準備し、目で見て、匂いを嗅いで、見届けて、自分と周りで相伴して、「おいしかったぁ~」と言えるような、発起から終わりまでが自分の気持ちと一致するような事を大事にしたい。いま、そう思っている。

 

  投稿者・鮮  ※ブログ「ら・鮮・快・談」とリンクしています。