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SIS日記

NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

少し前にもお知らせしましたが、当コラムへの投稿について一部移動をします。
 
当コラムは、SISの諸活動に資する投稿を主とするということで、下記の項目に関する投稿は継続します。
●「不登校・ひきこもり」
●「発達障碍」
●「養育・子育て」
●「いじめ問題」
●「傾聴」
●その他、SISの活動、姿勢に関わること、など
 
上記以外の投稿は、これまでの書き手であった(鮮)の個人ブログで展開します。「さんぽみち」シリーズ、文学・哲学・旅などのジャンルです。
(鮮)の個人ブログは、「ら・鮮・快・談」として継続します。よろしければ覗いてみてください。https://ameblo.jp/rasenkwaidan
科学の力を使うこと 〔暮らしのさんぽみち〕
 
節分で行われる豆まきで「鬼は外」という「鬼」とは、姿・形を見せずに災いをもたらすということで、元々は「穏・陰(オニ)」と表記されていた。
 
現在、感染を広げるコロナ・ウィルスも、姿・形を見せずに災いをもたらすという意味で「穏・陰(オニ)」である。では、その見えないものをどうしたらよいか。どうしたら、目に見えるものにして感染に立ち向かえるのか。
 
新型コロナ・ウィルスのように目に見えない存在は、科学(science)の力を使って目に見えるようにする。目に見えるようにして、共有する。そして、科学的な対策を総動員する。これに尽きると思う。
 
コロナで言えば、人体感染を見えるものに置き換えるのがPCR検査「陽性」反応。すでに「抗体」化している状態を見るのが「抗体反応検査」。一件でも「陽性」が確認されたら、可能性があるルートを面状に追跡して把握する。一件でも把握できない可能性がある場合、該当する地域・都市・生活形態の状況と経過時間から予測できるコロナ伝播の可能性を数値化して先手を打つ。感染によって重症化する傾向を数値化し、対応する病床・できない病床ならびにマン・パワーのマップ、ネットワークを拡充する……。
 
……「科学」を突き詰めて考えるべく書き進めていくと、現状との乖離に気が滅入ってくる。
「科学」が優先されるのでなく、別の思惑がチラチラ見えてくるのだ。
 
アメリカでは、この4年間に日本の皆保険制度に似た「オバマ・ケア」が削られ、医療を受けられない貧困層が感染を増大させている。(わかっていたことだ)日本では、皆保険制度があるものの、常態として「儲からない」病院の統廃合と病床削減、保健所と職員の削減が行われてきた。(わかっていたことだ)
わが国の宰相が「仮定のことについては答えかねる」と宣う。最悪も含めての「仮定」を検証する手立てがいま最も求められていることであるのに。戦闘爆撃機と基地建設費で予算化される莫大な血税をコロナ対策費に回すようなことが、いま最も求められているのに。「不要不急」という言葉を、ここでこそ使うべきであるのに。
 
「政治」について発言するつもりでなく、「科学」を突き詰めるつもりで書いていくと、こうなってくる。別の「鬼」がいるのではないか、と。
 
……どうしたものか。
 
コロナ禍と暮らし 〔生活・快・談〕
 
節分が例年の2月3日でなく、今日2月2日となるのは124年ぶりのことらしい。地球が太陽の周りをまわる周期の誤差を調整するものだという。
 
「鬼は外」と言って豆をまく節分行事は、平安時代から「鬼遣(おにやらい)」として定着し続いている。(「追儺」とも言う。鬼を打って追い払う儀式の意)その「鬼」とは、古くは「穏・陰」(オニ)と書かれていた。つまり、元々は《姿・形を見せない災い》という意味だった。
 
「姿・形を見せずに災いをもたらす」というのは、疫病(伝染病)のことで、現在のコロナ・ウィルスもそれである。
 
多くの伝染病が気温が上昇して来る初夏に流行しやすかったことから、「夏越しの祓(なごしのはらえ)」として祓い清める神事が行われて来ている。京都・八坂神社で行われる「祇園祭」などはその代表的な例だ。全国各地に八坂神社が勧請され、「夏越しの祓」が今も行われている。「午頭天王」「茅の輪くぐり」「天王様」などの言葉や文字が散見できたなら、関連があると思える。
「鬼遣」は、「夏越し」でなくて立春の行事だ。元々は、立春だけでなく、立夏、立秋、立冬の前日がすべて「節分」とされていたが、室町時代から一年の節目にあたる春の節分に重きが置かれるようになった。
さて、懸案であるコロナ・ウィルスのこと。それは、姿・形を見せずに災いをもたらすという意味で「鬼・穏・陰」(オニ)だ。平安、室町時代からすれば科学が発達した現在、どうすれば、どう考えればよいのか。自分なりに、少し、考えてみたい。(続く)