ゴツッ、フラフラ、ヨロヨロっの自分を大事にする

               

ひきこもり経験を持つ主人公が非常勤講師として、学校の不登校支援教室(STEPルーム)に関わるというドラマ。さまざまな問題・課題を投げかけて、終了しました。現実にある幾多の問題・課題をたったの5話で掘り下げるのは、なかなか大変だったと思います。

その「さまざまな問題・課題」について、いくつか振り返ってみます。


〔1〕〝いじめ〟を見えなくさせる力学に目を向けさせた
ドラマ「ひきこもり先生」は、〝いじめ〟を見えなくさせる力学に目を向けさせたと思います。ドラマでは校長が先頭に立って「なかった」と言わせるよう圧力をかけていました。
「いじめ調査」に、自分の学校で〝いじめ〟が存在すると掲載されることを怖れるのです。ちょうど今年6月、鹿児島県出水市で〝いじめ〟により中学生が自死してから10年経って、ようやく市が〝いじめ〟があったことを認め遺族と和解することになった事例などは、その一つです。裏を返せば、遺族の粘り強い開示請求がなければどうなっていたことか。市教委は一時期、自死した原因はその中学生の治療経過にあるとしていましたが、医学的にきっぱり否定されています。隠蔽力学の底知れなさを感じます。


〔2〕卒業するとはどういうことなのか
STEPルームの生徒たちが卒業式をどう迎えるかという段になって、それは「元のクラスに戻って行うべし」と告げられます。ところが、コロナ感染対策として急遽一斉休校が総理大臣から告げられ、卒業式自体が中止されてしまいます。そこで、STEPルームの生徒たちは自分たちだけで卒業式を行おうとします。
卒業するとは、いったいどういうことなのか。「右は中学校の課程を修了したことを証する」と卒業証書に書かれている文面の「課程」とは、おとなが作成したカリキュラムのことでしょう。〝好きなように進める・好きなように時間を使う〟として学んできたSTEPルームの生徒たちにとっての〝卒業〟は、そのような場を共にしてきたことへの一つの〝区切り〟なのでしょう。
おとなが一方的に決める「課程」、おとなが一方的に決める「一斉休校」、そういうことから巣立っていく姿が描かれていたと思います。


〔3〕大事な時に、どもってしまってスラスラ話せない
主人公・上島陽平は、大事な時にどもってしまってスラスラ話せない。でも、とても大事だと思っていることをしっかり話そうとする心の動きが、まるで目に見えるかのようです。その時の陽平の心は、陽平という人間のど真ん中にあることもよくわかります。スラスラ話し、理路整然として、多分それが世の中的には正解なのだろうと思えるが、話し手の本音がよくわからないのとずいぶん違うのです。

歯車の一つになって、スラスラ、スイスイと話し、動きたいと誰もが思うのですが、あるものに触れて、よくよく見て、聞いてみた時にゴツッと突き当たり、フラフラして、ヨロヨロっとしてしまうこともあります。それも、自分の姿です。そんな自分を、かんたんに投げ捨てないことが自分には必要なのだと思います。 
(了)

歯車の一つでしかない!

                         

【ドラマ「ひきこもり先生」第4話。あらすじ】
「苦しい時は、学校なんか来なくていい!」という陽平の言葉が波紋を呼ぶ。

上島陽平は、いじめの事実を事実として存在する、そこから出発することを主張する。

和斗がSTEPルームに転入してくる。今度は、和斗をいじめていた側の奥山が次の標的になり、奥山は転校していく。やはり、〝スクールカースト〟上位者のいじめが続いていく。

いじめゼロ、不登校ゼロを方針に掲げる榊校長(高橋克典)は、教育委員会のいじめ聞き取り調査を受ける陽平に「この学校にはいじめがない」と証言するように迫る。

いじめは事実として存在する。それを、ゼロだと言うことは出来ないと考える陽平。しかし、校長は和斗のことを持ち出す。高校進学を目指す和斗の「内申」に、いじめをしていた事実を書かざるを得ないと脅す。

教育委員会に出向き、証言をする場で、陽平は苦しみながら「いじめはありません」と嘘をついてしまう。

陽平は、連絡が途絶えていた娘・ゆいとの待ち合わせ場所へ行く。だが教育委員会で嘘をついたことで久しぶりに会えた娘にも言いたいことを言えない。

陽平は、あまりにも不甲斐ない自分を嫌になってしまう。再び、ひきこもってしまう。


               
【感想……歯車の一つでしかないことへの自己嫌悪】

自分の存在が歯車の一つでしかないことへの再発見。そして、自己嫌悪! そこから来る居たたまれなさ。自室で呻き、わめき、叫び続ける陽平。出口のない悲しみが、ひしひしと伝わってきます。

 

表の網・裏の網

             

今回は、「番外編・ブラック校則」というタイトルで書かせていただきます。

(1)ある高校生徒が、髪の毛をツーブロックにした。すると、教師から校則違反と言われ、丸坊主にさせられた。           

(2)ある野球好きな中学生が、将来は野球に進むことを目指していて、憧れのプロ選手ゆかりの腕輪を肌身離さず持っていた。宿泊学習の時に教師に見つかり、違反だとして取り上げられた。後日、返却を申し入れると「違反した分際で何を言ってる!」と拒否された。どうやら、その教師が紛失させたらしい。

(3)ある高校生が、体育館で行う体育授業の際に、体育館シューズを忘れて通常シューズで臨んだ。体育教師は、その生徒に1時間の正座を命じて授業を受けさせなかった。生徒は家にでなく教室に忘れただけだったが、教師は「つべこべ言うな!」と怒った。


事例としてあげた3つの出来事は、いったいいつの時代の事かと思うほどですが、実はいずれも最近起きた事ばかりです。

※事例(1)は、2020年3月に東京都議会における質疑にて教育長が行った答弁が話題になった。教育長答弁「(ツーブロック禁止は)外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」と答弁。その後、ツーブロック髪型を理由に事件や事故のケースはないことが判明した。

最近、〝ブラック校則〟の存在が話題になっています。もちろん、批判的に。下着の色が指定されている校則もあるとのこと。

いろんな角度から話題に出来る事例ばかりですね。そもそもこれって、学業(勉強)に関係あるの? とか、何十年続けているの? まだ続けるつもり? 本気なの? と。

で、ここでは一つの角度に絞って言ってみます。それは、こういう教師の行き過ぎた振るまいについて。
(1)〝丸坊主〟にさせるって、あなた何様?!
(2)失くしたら普通は「すまないっ!」でしょ!?
(3)教室に取りに行かせて終わり!! の話じゃん!?
          
この時、教師は、張り巡らされた網にひっっかかった獲物を糸でぐるぐる巻きしておいて、一人密かに〝愉悦〟に浸っているのではないかと思えてしまう。〝愉(たの)しい〟んです!(そういう顔はしないが…) 何しろ、網(校則)はちゃんと示してあるのに、向こうから引っかかってくるんだから。それに、網(校則)を張っているのは、教育長だって先刻ご承知のことなんだから。わざわざ引っかかるお前がバカなんだからさ……。

〝スクールカースト〟というものは、この〝愉しさ〟をちゃんと見て、コピーして、やっぱり張り巡らせているのだと思います。もう一つの、裏の網を。お手本からよく学んで……。


 

好きなように進める、好きなように時間を使える

  教室内にソファーがある草潤中学校

今回は、「番外編・不登校特例校」として書かせていただきます。

ドラマ「ひきこもり先生」に登場するSTEPルーム(不登校支援教室)は、「ここでは、自分の好きなようにカリキュラムを組んで進めていいのよ。好きな時間に登校して、好きな時間に帰っていいのよ」という場所です。(深野先生が堀田奈々に告げる言葉)

このSTEPルームが、学校として拡大したものが現在、少しずつ出来つつあります。「不登校特例校」と呼ばれています。今年、4月に出来た「岐阜市立草潤(そうじゅん)中学校」はその一つですが、つい最近NHK・Eテレで特集されましたので紹介します。

いろいろエピソードがありますが、1つだけ紹介します。


◆1クラス15人で編成される教室にカメラが入る。ところが、その時間に教室に居るのは数人だけ。(他の生徒はどこ?)
 

◆カリキュラムが一斉に固定されていないので、生徒は教室にいてもいいし、他の図書室・音楽室・理科室などに居てもいい。(深野先生の言うように「好きなように」)
 

◆カメラが図書室に入る。一人の生徒が漫画を読んでいる。(それでもいい? それでもいい!)
 

◆ただし、一人一人が今どこに居るかが分かるよう、校内配置図にネームプレートを貼っておくようにする。(磁石式)教師はそれを頼りにして校内を回り、一人一人の確認をし、必要な助言をする。(なるほど! 「好きなように進める」を後押しするわけだ)
 

◆ところが、一人の生徒から「今は、声かけしてほしくない」と言われてしまう。
 

◆戸惑う教師・・・そこで教師間で相談し、先ほどのネームプレートに声かけしてほしくない生徒は赤いシールを貼り付けておくことにする。(なるほど!)

さて、いろんなことを考えさせられるエピソードです。あなたは、どう考えます?

私が考えたこと。
 

◇「自分に集中したい。まとまった時間がほしい」ことを保証する。これ、とても大事なことだと思います。
 

◇学校で漫画なんか読んでていい? 自分で進めるリズムをつくるということでは、いいと思います。息抜き、気分転換という面もあります。また、漫画のコマ展開って、動的で一定の飛躍があって、想像力を掻き立て刺激的です。漫画本を閉じて、全く別の事に向かった時に、さっきの飛躍・刺激の余韻が何らかの影響をもたらすことだってあるのですよ。
 

◇「学校に生徒が合わせる」から「学校が生徒に合わせる」への転換がもっと進めば、いろんなことが根っこから変わっていくでしょうね。

最後に、学校名の「草潤」ですが、〝みずみずしいうるおい〟ということですが、草は自然にある陽光と地中の水分を摂り入れてこそ豊かに成長します。その豊かさは、自然からの贈り物です。さえぎるものがなければ。そういう精神からの命名かと思います。

 

「息苦しさ」を生み出す学校『鳥獣戯画』

  画像はドラマとは関係ありません。

 

ドラマ「ひきこもり先生」第3話に、ドラマの舞台である梅谷中学校のある場面が挿入されています。「清掃時間」の場面です。

清掃時間に生徒が、雑巾で廊下を拭いたり、ハタキで窓枠をはたいたり、ホウキで掃いたりしている場面。見回りに来る教師A「私語は無しだーっ」。教師Bは「無言の行」と大書した画用紙を持って、唇に人差し指を当てて「シーーッ(静かに!)」。再び教師A「周りとしゃべらないことで、自分に集中する~~ぅ!」と、それぞれが見回りながら通り過ぎる。

と、そこへ校長の榊が登場。「みんな、やってるねぇ!」「先生方、よろしく!」 見回りしていた教師はすかさず校長の近くに寄って、「ハイッ!」 生徒は、無言のまま。……こういう場面です。

思わず、笑ってしまうような場面です。私は、『鳥獣戯画』を思い浮かべて、タヌキ(校長)とキツネ(見回り教師)らがはしゃぎ回り、黙々と下を向くウサギたち(生徒)の姿を想像してしまいました。


★清掃は、「キレイにする」のが目的で機能です。クラスメイトとしゃべっていようが、キレイになればいい。目に付く汚れが放置されるようなら、それは投げかけていくこと。

 

★「黙働清掃」などと名付けて〝人間形成〟を図る目的としているようですが、生徒の〝自己形成〟は開放的環境の元、自分の発意でものごとを進める中で成されること。見回りしてすることと、違うんじゃない?
 

★「違うんじゃない?」という感覚を生徒が持つとして、そのまんまそう言える? この「黙働清掃」から自由に抜けられる?

思ったとしても言えない、その場から抜けられない、するとそれが「息苦しい」の元凶の一つです。清掃時間だけでなく、他にもいろいろ生徒の感覚に合わない「制約・拘束」が重なっていると、その学校空間は「閉鎖的」であると思います。

「閉鎖的」というのは、生徒の自由な感覚に対してのことです。この閉鎖性が、〝スクールカースト〟の栄養源であり、いじめの発生源だと思います。どうでしょうか。