子どもと忘れ物 
★「忘れ物がなくならない」をテーマにして考えてきましたが、前回からとても時間が空いてしまいました。
 
★「雨霽(は)れて、傘を忘れる」
ということわざがあります。
 誰にも身に覚えがあることでしょう。雨が降っているときは傘がないと濡れてしまうので、傘を確認したり、すぐに傘がさせるように手元に引き寄せたりします。けれども、途中で雨があがって晴れてくるとそういう必要感がなくなるので傘への意識が薄れてしまい、出かけた先で傘を忘れてきてしまうのです。
 
☆とっても、よくわかりますね。雨が降っていれば、傘を手放さない。けれども、雨がやんでしまうと傘立てに置いた傘を忘れてきてしまう。建物や会館に入るときに傘立てに置いて、そこから出るときに晴れていたりするとそのままにしてしまう。傘立てに、ずっと前からの傘が残っていたりして、けっこうそういう人がいるんですね。
 
☆この話って、〔ルビンの壺〕の〔図〕と〔地〕でいうと、雨が降っていれば「傘が必要」という〔図〕がくっきりするんじゃないですかねぇ。建物のなかに居て窓から外を見ると雨、いざ玄関から出ようとすると雨・・・、周りの〔地〕が雨だから、どうしても「傘!!」と意識する。ところが、晴れてくると〔地〕だった雨が無くなるから〔図〕がぼんやりするような。〔ルビンの壺〕のような白黒がハッキリしなくなって、黒地がグレーに薄まってしまうような感じ・・・。だから、傘を忘れないためには、脳みそにしっかり「傘!!」と刻まなきゃならない。
 
★そう! そうなんです! あなたが今、おっしゃったこと、「脳みそにしっかりと刻まなきゃならない」・・・忘れ物をしないためには。雨が現に降っていなくても、傘立てに置いた傘を持ち帰るのを、脳みそにしっかり刻まなきゃならない。傘を持ち帰るという〔図〕を際立たせる雨降りという〔地〕が消えちゃったり薄まっちゃったりしても、忘れないようにしなきゃならない。そこなんですね。
 
★それでね、最初の「子どもの忘れ物」の話に戻るわけですが、子どもはそもそも天然の生き物で、現物中心の生き物ですから、約束事をしっかり守って、一つも忘れ物をしないなんて元々苦手なんですね。それらは、社会関係や集団のなかでの決め事やルールですから、「脳内作業」で成り立つものが大半でしょう。一つ一つ痛い目に遭いながら克服していくこと、そして周りが補助していくことではないでしょうか。
 
☆「脳内作業」と言われてピンと来たんですが、おとなでも忘れ物をしないようにメモをしたり、手の甲にマジックで何か書いたり、スマホのスケジュールに書き込んだりしてますよね。あれって、少しでも目に見えるように「補助」している。「自己補助」ですよね。〔図〕が見えるようにしている。子どもへの周りの補助というのは、それとなく声をかけるなどですね。
 
★発達障碍を持つ子どもへのサポートとして、時間や空間の構造化という方法があります。それは、発達障碍の子に限らず、あって良いものです。このこともふくめて、また次回に考えてみましょう。  (つづく・鮮)
 
この子と、どうかかわっていく? 
 
                              カンディンスキー
 
  前回、11月10日の土曜日に行われる「発達と発達障碍を考える講演と質疑」についてのお知らせをしました。講師は、岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター・児童精神科部長の高岡健先生で、テーマは、『この子と、どうかかわっていく? ~子育て、進路で立ち止まる時』です。
 
  そのテーマは、私たち自身と、私たちがふだん耳にしている不安や悩みを交流するなかで生み出されたものです。そこで、どんな不安や悩みがあったか、いくつかの例を紹介してみたいと思います。
 
◎子どもが昼夜逆転の生活をしていてしばらくになる。長い目で見た方がいいし、ダメになるわけではないと言われて安心したが、実際いつまで続けるんだろう。ゲーム三昧も、気になる。子どもの意思に任せておいていいものか。目安のようなことはあるのだろうか。そういう、目安が欲しいという考え方は、持たない方がいいのだろうか。
 
◎自分が子どもの親(母親)として、子どもに向き合っていこうと思うけれど、親(義理の親)から私に向けてチクチクと言われる。甘い、ぬるい。夫も、どちらかと言えばそちらに近い。子どもが、時々、今風の乱暴な言葉遣いをして祖父母に反発することがある。もう、イヤだ~と思ってしまう。
 
◎こんなに毎日かかわっていても、子どもに「ありがとう」と言われたことがありません。この先も、それは無いと思う。自分の気持ちは、どうおさめたらいいんでしょう。
 
◎(小学校の)担任から、「中学進学の際は、特別支援学校を考えたら」と言われた。たしかに、子どもの気になることはある。周りから浮いているようだとか、ついて行けるか心配だとか、でも「特別支援学校」というのはやっぱり「特別な子」の学校で一生ついてまわるんではないだろうか。通級や支援学級は、無いのだろうか。
 
◎学校相談員としてある小学校でAくんとかかわるようになった。Aくんの言動に手を焼いている。学年の違うBくんが科目によって離れることになると、一緒でなきゃイヤだという。かんしゃくを起こすと手がつけられない。手当たり次第にまわりの物を投げたりする。男の先生を呼んできて助けてもらう。この状態に、びっくりしている。
 
等々です。
高岡健氏 講演会のお知らせ 
 
 
 お知らせです。
 
 11月10日の土曜日に、「発達と発達障碍を考える講演と質疑」の催しを行います。講師は、岐阜県立希望が丘こども医療福祉センター・児童精神科部長の高岡健先生です。
 
 テーマは、『この子と、どうかかわっていく? ~子育て、進路で立ち止まる時』です。
 
  時間、場所などの案内はSISのホームページをご覧ください。ここでは、どんな内容の講演になるのか、ご案内していきたいと思います。
   
 家庭や学校などで、この子とどうかかわったらよいか、立ち止まってしまうことがあります。どうしてこの子には手がかかるのか。見た目は 他の子と変わらないのに、こだわりが強く、一人遊びが多い。かんしゃくやパニック、感覚が敏感。毎日が大変。
 親子のしつけ? 愛情不足? 理解が大事と言うけれど、辛い気持ちになる。この子の将来は? 「特別支援」が必要? ・・・? ・・・?

 
 こんな悩みを、高岡健先生と一緒に考えてみたいと思います。
 
 高岡健先生は、岐阜大学医学部に長らく在籍し、現在は、岐阜県立希望が丘こども医療福祉センターの児童精神科部長として、また発達精神医学研究所所長として活躍する児童精神科医です。
 
  テーマにある『この子』というのは、生活場面のなかでの「この子」であり、学校など教育場面での「この子」です。『どうかかわっていく?』と、時により考え込んだり悩んだりしてしまうのは、親であり、教師や支援員などであり、そういう時におとなたちは何を元にしていけばよいのかという指針が求められています。にもかかわらず、暗中模索で、手探りになっているのが実情ではないでしょうか。
 
 11月10日の講演会は、後半に質疑の時間が多めにとってあります。進みたいけれども立ち止まってしまう切実な問題を出していただき、一緒に考え合いたいと思います。
「忘れる」って何だ? 
 
 
 時間が空いてしまいましたが、なかなか無くならない忘れ物について考えています。ひとことで言えば、「忘れちゃぁダメだ」という意識がなかなか〔図〕として立ち上がって来ずに、〔地〕になったまま意識から遠のいているからです。それを、「ルビンの壺」図を例にして考えてきました。
 
★〔ルビンの壺〕を例にして、認知や知覚において〔図〕が前景に立ち上がり、〔地〕は後景に退くという、『図と地の分離』についてお話ししてきました。
 そこで、具体例をお話しします。少し前に葬式があって、数珠を忘れたんですね。時々、数珠を忘れるんです。それに対して、香典は忘れたことがないんです。これは、香典というものの〔図〕の立ち上がり方が強いのではないかと思います。葬式というと、すぐに受付で頭を下げてお悔やみを述べて香典を受け取ってもらうという〔図〕がくっきりとイメージされるのではないかと思います。
 ですから、葬式に出かけるときに、香典袋を用意し自分の名前を書き、時間を見計らって出かけるのが大きな〔図〕で、お焼香のときに数珠を出して拝むのは〔地〕になっちゃっている。
 ですが、さすがに、自分の母親の葬式ではしっかり数珠を肌身離さずでしたね。自分が「喪主」としてどう振る舞うか、あらかじめシミュレーションしていたので、しっかり〔図〕になっていたからだと思います。
 
☆なるほど、よく分かります。聞いていて、数珠についての気の入れ方が香典と比べて少し違うのかなと思って聞きました。
 
★受付で香典を出して、式場に座っていて、いざお焼香のときになって「ややっ、いかん。数珠を忘れた」となります。そのときになって、やっと数珠にかかわる〔図〕が立ち上がるんですね。
 
☆きっと、子どももそうでしょうね。教室でみんなが宿題のプリントを出し始めるときに、「あっ、忘れちゃった」となるんでしょうね。
 
★夏休み明けの持ち物にかかわって、いったんドリル・プリントを手にしたが、工作も持っていかなきゃならないことに気がついて、もうプリントは玄関に置きっぱなしだったというのは、まさしく〔図〕がプリントから工作に置き換わったということですね。
 
☆あぁ、ほんとだ。プリントのことは、すぅっと〔地〕になって抜けていったんですね。
 
★それでね、ちょっと話が変わるんですけれど、室町時代の「閑吟集(かんぎんしゅう)」に面白いうたが載っていまして、こんなのがあります。
 
『思ひだすとは 忘るるか、おもひださずや、忘れねば。』
 このうたの意味はですね、「あなたを恋しくて思いだしましたなどと体の良いことをおっしゃってますが、普段忘れているから思いだしたと言っているだけですよ。いつも私のことを心に思っていてくださるなら、思いだすなんていうことにはならないはずですよ。」という手厳しいものです。
 
☆ほんとに面白いうたですね。手厳しいことを、スパッと言っている。普段から心のなかに存在していれば、「思いだす」なんて言わない。それを、会ったときだけいかにも貴女を思いだしているなんて言うのはホンモノじゃない証拠だということですね。
 
★「閑吟集」のこのうたが、ちょうど頃合いの〔図〕と〔地〕の話と重なります。「貴女への思い」なって言うけど、普段は〔地〕に沈んでいて、出会ったときだけもっともらしく〔図〕ですと言っているのね、と喝破しているわけですね。
 
 さて、では次回は忘れ物をめぐって、忘れ物をしてしまう子どもについて考えてみたいと思います。厳密に言うと、子どもという存在と忘れ物との関係について、です。
(つづく・鮮)
どうしたらいい? 子どもの忘れ物 
 
 
☆子ども(小6男子)が、忘れ物がひどくて困っています。夏休みの宿題は、父親や祖父の助けを借りてなんとか終わらせたんですが、始業式の日からもうたいへんでした。ドリル・プリントを居間の机上に置いてあったので、「ほら、プリント」と言って手に持たせると、工作を持っていかなきゃならないことに気がついて、それでもうプリントは玄関に置きっぱなし。
 その日、学校から帰ってきたときに、「プリント、忘れていったでしょ」と言うと、こともなげに「あっ」で終わりです。気持ち、ここにあらずって言うんでしょうか。 もう少しで中学生になるっていうのに、どうしたものかと思います。
 
★忘れ物がなかなかなくならない。別のことに気をとられると、直前のことも忘れてしまう……などですね。
申し訳ないんですが、忘れ物は本人が痛い目に遭いながら少しずつ克服していかなければどうしようもない、というのが私の持論ですので「忘れ物を無くす妙案」みたいなものはありません。他の方に相談してください。
 ただし、『忘れ物をするというのは、どういうことか』ということはお話しできますので、よろしかったら聞いてください。
 
☆そうですか。じゃ、まぁ、聞いてみます。
 
★いま、ここに取り出した紙には何やら白地の部分と黒地の部分とがあります。これは、〔ルビンの壺〕という、心理学でよく使われる「視覚的図形」です。これが何かというと、黒地の部分をよく見ていると「向き合った人物の横顔」ということが見えてきます。そして、今度は白地の部分に目をとめていると「中央がくびれた壺」が見えてきませんか。
 
☆あぁ、黒いところが「人の横顔」で、白いとことが「壺」に見えます。
 
★はい。それでそのとき、「人の横顔」を見ているときに「壺」が見えていますか? はんたいに、「壺」を見ているときに「人の横顔」が見えていますか? つまり、「人の横顔」と「壺」とを同時に見ることができますか?
 
☆だって、この図は黒字と白地が補い合っているんだから、同時に見えて当然でしょう……。あれれっ、なんだか不思議! 両方を同時に見ようとしても、見ることができない。「人の横顔」をじーっと見ると「壺」がボーッとしてくるようで、「壺」をじーっと見ると「横顔」が遠のいていくような感じですね。
 
★そうなんです。同時には見ることができません。それは、こういうことなんです。「視覚的図形」ここでは〔ルビンの壺〕図のなかで、一方では「人の横顔」がくっきりと見える。そのくっきりした形の部分を〔図〕と呼び、そうでない形の部分「壺」を〔地〕とします。つまり、「人の横顔」を意識的に見ようとすると、「壺」の部分は〔地〕となって後景に退く。〔図〕の周囲にある背景になっていく。
 これは、「人の横顔」と「壺」とが、逆に〔図〕と〔地〕が反転しても同じことです。こうしたことを、認知心理学のなかでは『図と地の分離』として捉え、知覚や認知のあり方について、解明を進めてきたのです。
 
☆「ルビンの壺」の話が少しわかりかけてきたんですが、さっきから一向に忘れ物の話になっていませんね。たぶん・・・ですけど、「わすれちゃ、いけない」という意識が、〔地〕となって隠れちゃうんじゃないかとおっしゃりたいのではないですか。
 
★はい、そうですね。今日は、話が長くなりましたので次回に引き続いて考えましょうか。
 
☆ハイ。