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SIS日記

NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

俳優・佐藤二朗の「弾け」 

                
クイズ「99人の壁」のテレビ番組をあるとき観ていて、これは面白いなと思った。99人を相手として得意な分野のクイズに挑戦する形式も新味があるが、佐藤二朗の絶妙な進行ぶりが目をひいた。当意即妙、かつ弾けているのだ。

佐藤二朗の持ち味である「弾け」が「動・動的」だとしたら、「ひきこもり先生」主人公の役柄としては「静・静的」なものが要求される。そこはどうなんだろうと思っていた時、佐藤氏が自身の歩みを語るインタビュー記事のことを思い出した。彼は、次のようなことを語っていたのだ。


『苦しんでいる人に対して「闘いなさい」なんて言葉は厳禁ですし、闘わずに助けを求めた方がいいです。でも、人間が歯をくいしばって「闘う」ことの価値はあると思っています。』

『★佐藤さん自身そう思えたきっかけは、何かあるのでしょうか?
僕が小学生の頃に遡(さかのぼ)るんですけど、主人公(※註)と同じようにメモ癖で悩む僕を心配した親がカウンセリングに連れて行ってくれました。そこで出会ったカウンセラーの言葉が印象的で「クセを治したら、あなたのよい面もなくなるかもよ」と言ってくれたんです。自分のマイナスな面ばかりを責めていた僕にとっては発想を変えてくれる言葉でした』(「不登校新聞」2020.10.1)

 

※註。この「主人公」とは、佐藤二朗が脚本を書き、監督した映画「memo」の主人公のこと。「memo」は、頭のなかに浮かんだことを繰り返しメモせずにいられない強迫神経症を抱えた主人公が、いろんな人との出会いをきっかけに自らの病と向き合う映画。佐藤氏自身の体験が反映されている。

佐藤氏は、強迫神経症を抱えていたという。
 

〈強迫神経症〉は、自分の行動場面が先に浮かんできて、完璧に実行する観念に囚われてしまうものだ。清潔恐怖にかかわる神経症が代表的だが、周囲に適合した行動の未来予測に囚われてしまうのが「メモ癖」だろう。カウンセラーの言葉は、完璧を求めるあまりにガチガチになっている佐藤氏の肩の力をふっとやわらげたと思う。

そして佐藤氏は、未来予測に閉じ込められていた〈いま・現在の・自分の・感覚〉を解き放つ術を知った。それが、「弾け」につながったのではないかというのが私の推測だ。
           
「ひきこもり先生」第2話で、父と母との間で苦しむ不登校生徒・坂本征二(南出凌嘉)が大好きだった陸上走に再び挑戦する場面。陽平は走り終わった征二をひたすら抱きかかえ、「走れたね、走れたね、走れたね・・」何度も何度も言葉をかけ、一緒になって喜ぶ。50歳を過ぎた大人が少年の達成を、我が事のようにして弾け、喜び合っているのだ。

第2話のあらすじを何にも紹介しないで申し訳ないが、この場面だけでも心に残る。陽平こと佐藤二朗が、〈いま・現在の・自分の・感覚〉を少年と共に解き放っているのだ。かつて、心を閉ざすあまりに娘を追い払ってしまった自らを見つめながら・・・。


※投稿者「不登校・ひきこもり情報室」・小木曽 (つづく)

「ひきこもり先生」主人公役・佐藤二朗

                              
※当ブログでは、しばらくの間、「不登校」「ひきこもり」の特集を組みます。「しばらく」というのはやってみなければ分からないけれども、10回ほど?になるのではないかと思います。ちょうど、NHKで「ひきこもり先生」という土曜ドラマが開始されたので、それをきっかけとしてです。担当は、『不登校・ひきこもり情報室』の小木曽です。気がついたことがあれば、コメントなどお寄せいただければ幸いです。

NHKで「ひきこもり先生」というドラマが始まって、第1回目「はじまりの一歩」を観た。(土曜ドラマ枠。第1回目は6月12日放映。主演・佐藤二朗)

【物語のあらすじと設定】
●上嶋陽平(佐藤二朗)は、38歳から11年間ひきこもり生活を続け、3年前にようやく部屋から脱出した、いわば「ひきこもりサバイバー」だ。ひきこもり脱出後、地域の人々の力を借りて焼鳥屋を開業したものの、無愛想な店主だった。

 

●そんな陽平が、ある市立中学校の非常勤講師を依頼される。校長の榊徹三(高橋克典)が、ひきこもりの経験者に不登校生徒を支援させたいと、陽平に白羽の矢を立てたのだ。

 

●スクールソーシャルワーカーの磯崎藍子(鈴木保奈美)や、若い教師・深野祥子(佐久間由衣)が、不登校生徒のための教室の運営に行き詰まる中、それは画期的なアイデアだった。
 

●陽平は、自分には荷が重すぎると固辞するも、たまたま出会った不登校生徒・堀田奈々(鈴木梨央)を生き別れた一人娘と重ね合わせていた。奈々は、母親にネグレクトされ、「自分なんか生まれてくる必要がなかった」と悩み、自殺念慮を持つ子だった。奈々にかかわりつつ、背中を押されるようにしてSTEPルーム(不登校支援教室)にかかわっていくのだった。

                              

第1回目を見終わっていろんな感想を持つが、ひきこもりの経験者が不登校支援教室にかかわっていくという、今までにない角度からのドラマづくりがされていることを注視したい。中でも、主人公・陽平を演じる佐藤二朗の存在感が大きい。

その、佐藤二朗が演じる短い一つの場面に目を奪われた。
陽平には娘がいた。5,6歳くらいか。娘は、「パパ~」と笑顔で部屋に入ってくる。その手に、娘が描いた家族の絵がある。

すると陽平が、「頼むから、あっちへ行って! 頼むから!」「いいから、あっちへ行って!!」と娘を追い払おうとする。……思わず目をそむけたくなる場面だ。やって来た娘のことを気をとめるどころでなくなっている。自分のことだけで切羽詰まっている。言葉は「頼むから」だが、相手に有無など言わさない、暴風のような荒くれ声だ。「あっちへ行って」と振り回される手は、まるで何かを握り潰そうかというほど激しく振られる。

視聴者として画面を見ているだけでも、たまらない、耐えられない。ましてや娘の身になれば、と思える場面だ。

……ほんの、1分あるかないかの、この挿入場面によって主人公・上島陽平が友人と思っていた人間から多額の借金を負い、家庭を崩壊させたこと、騙された自分が一番許せないと思えたこと、死なないでいることで精一杯で、大切な人を失ってしまったこと、そういう陽平の心の状態がビンビンと伝わってくる。

  この短い挿入場面が、フラッシュバックとなって陽平を幾度も幾度も襲ったことが想像できる。「自分が許せない」という心のあり方が、こんなにも大切な人(家族・娘)を遮断し、切り裂いていくことになるということ。「死なないでいることで精一杯」というヒリヒリと焼け付くような状態であること。如実に想像できる。

 

  ※投稿者「不登校・ひきこもり情報室」・小木曽 (つづく)
 

「リストカット」を行う生徒への向き合い方 


「ここは今から倫理です」というタイトルでは長いので、今風に「ここ・倫」としてみた。今回は、リストカットをめぐる出来事があり、それに不登校気味の生徒、それから教師間の考え方の違いが絡んでくる。やや複雑だ。(コミック原題「切っちゃおうかな」)「eu zen」(エウ・ゼーン、よく生きる)という言葉がキーワードになっている。

高崎由梨という女子生徒がいる。以前から、リストカットを繰り返している。自分でも、はっきりした理由はわからない。ただ、ムカつく事があった時、悔しい時、辛い時、手首を切っていた。そして、学校で事件を起こす前の夜、家で母と一悶着があった。鉢合わせた脱衣場で手首の傷を見咎められ、説教され、由梨は(うざ~い、クソ)(めんどくさ)と滅入った気分のまま登校したのだった。

「倫理」の授業。高柳は、〝プラグマティズム〟について講義している。『〝行為〟と〝人格〟は道徳的に同じひとつのもの』『〝行為〟として現れないような〝人格〟など無意味』 そんな学説を紹介している。

由梨は、昨夜来のモヤモヤした気分が続いていて、〝私の人格って何だろう?〟〝リストカットする私の行為は私の人格とどういう関係なんだろう〟なんてぼんやり考えている。そして、ふぅっと筆箱から刃物を取り出して手首に当てる。(授業中だ! しかし、本人は半ば無意識のよう・・)

すると、近くの席の都幾川幸人(ときがわ・ゆきと。不登校気味だが倫理は出席する)が突然に大声で叫んで止めに入る。「な、なんで、そんなことしてんの!!?」 教室中が騒然とする。

保健室の藤川先生が呼びに行かれる。幸人の方がパニックを起こしたのだ。由梨は、何が起きたのか呆然としている。

幸人は保健室のベッドで目を覚ます。幸人の傍らに座る由梨が刃物を持っていない事を確かめると、由梨を抱きしめる。「よかった・・・」と。

それまで由梨は、リストカットをひっそり独りでしていたし、常に説教される対象でしかなかった。幸人の行動も言葉も、直截的だが自分の周りには無かったものだ。


さて、騒動が一段落して藤川先生と高柳との会話。(長くなるけれど、この会話どう思われるか・・)
藤「いったい教室で何があったの?」
高「高崎さんがリストカットをして、それを見た都幾川くんが止めただけです」
藤「ほんとうに、それだけ?」
高「さあ? 知らないです」
藤「そんな無責任な!」


高「リストカットがどんなものかは知っている。彼女がしていたのは知らなかった」
高「リストカットについては、悪い事であるとは言い切れない。その行為自体がある種の〝救い〟であるとも聞くから。しかし自傷を〝し続けろ〟とも言えない。都幾川くんが刃物恐怖症なのも知っている。しかしその原因は分からない。・・我々は他人なのだから・・」

藤「あなた冷たい人ね」
高「いま彼らが戦うべきは〝自分自身〟。我々が無理に入り込んだら、戦う相手が増えてしまう・・」
高「それでも・・彼ら自身が自ら考えて勇気を持って助けを求めてきてくれたならば、私は全力でそれに応えましょう・・」

藤「・・私、貴方の考え方、きらいだわ!」


高「〝他人〟を〝他人〟と切り捨てられない。うっとうしいくらいに人の世話を焼きたがる、貴方みたいなお節介な人・・僕はきらいじゃない」
高「eu zen(エウ・ゼーン、よく生きる)、僕はまだ出来ていないけれど、貴方は出来ている気がする・・・」
藤「・・・・・」

高柳の、冷めたものの見方。〝無理に入り込まない〟・・・
藤川の、(ふだんの行動から窺い知れる)〝うっとうしいくらいに世話を焼く〟・・・

最小限にコメント3つ。

1.高柳が言う「リストカットは〝救いでもある〟」は、摂食障害やうつ病、他にも言えること。どう向き合うか。
2.高柳・藤川の会話とは別個に、幸人の(止めに入る)そのまんまの行動が由梨にとっては出会ったことのない、何か心を動かすものであったことは確か。
3.
「人のため」としながら、自分の何かの満足のために「お節介」するのも多々あり。    
※蛇足。「eu zen」は、このコミックなりの味付けと思うので深入りせず。