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『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

「志有る者は,要は当に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。」

『志ある者は,古今第一等の人物たらんことをもって,自ら期すべきである。』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>

コトを成そうとする際に,ライバルとしのぎを削ったり,その道で一流と目される人物を目標に掲げたりするのが通例である。

そして,その道で今現在において一流と称されることが夢だったりする。

しかし,一斎先生曰く,そんなんじゃあまだまだ小さいと。

どうせなら,歴史に名を残しているような人物と自分を比べなさい,そうすればいかに自分が何にも為していないかを痛感するでしょうと。

スケールがデカすぎる・・・・・
「お~Dさん,なんでここにおるんや?」

「ありゃシノ先生・・・・・いま選択実習で外科を回ってます」

「そっかそっか」

外科の先生が病理検体の説明に来た時に,学生のDさんが病理の部屋にやってきた。

Dさんは医学部6年生で,ただいま自分が希望した科で実習中の身。

その天然ズッコケキャラのおかげで,ポリクリ実習などで自然にDさんの名前を覚えてしまった。

その親しみやすい雰囲気が気に入って,その後に顔を合わせてはちょくちょく声をかけるようにしている。



「あれっ?シノ先生,お知り合いですか?」と外科の先生。

「まぁね・・・・・マブダチかな?」

「アハハッ,シノ先生・・・・・それって死語です」と言わんでもいいコトをDさん。

グサッ!



条件反射的に出てきた言葉「マブダチ」。

だが,死語って言われると,四十過ぎのおっさんには少し複雑に響いてくる。

そんなん古いわ~ポンコツ(←これも死語?)って言われたようで。

自分のボキャブラリーの錆びつきを指摘されたようで。

時代の流れについていけてない事実を見せつけられたようで。



しかし,自分は自分,ありのままでええやないか・・・・・っと立ち直り素早く,

Dさんを捕まえて「せっかくやから病変を触らせてもらえ」だの「そんなに強く触るな!」だの,口うるさいことばっかり言っていた。

今思い出せば,

自分が学生時代にも,馴れ馴れしく近寄ってきた講師の先生がウザかったっけ。

嫌われんように気をつけよう・・・・・
「布置宜しきを得て,而も安排を仮らざる者は山川なり。」

『上手に布き並べられ,これ以上に節整する必要のないのは,山や川の状態である。』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>

山川は形がマチマチで揃っていない。

山の高さや川の長さを揃えようとはされないし,

なんでみんな違うんや?って疑問も挟まれない。

そのバラバラなのが自然だから。



山川はなぜそこにあるのか?

そこにあるのは誰かが決めたわけでもなく,

どうしてそこにあるんや!って怒ってもしょうがない。

そこにある必然性がないのが自然だから。



山川はいつからそこにあっていつまでそこにあるのか?

いつかは山は平野となり川は干からびて無くなるかもしれず,

かと言ってそこにあり続けようとする意志もない。

変わりゆく存在なのが自然だから。



そんな山川に比べて,

私たちのしでかすことはなんと「不自然」なことが多いのだろう。

せめて私たちの為す行動のひとつでも「自然」にしたいものだ。

そうすればみんながそれを「自然」に受け止めてくれる。
「ピッピ~~~~・・・・ハイ,走っちゃダメ」

「ピッピ~~~~・・・・XXしないでください」

日頃運動不足の父が,いっ君とみーを連れ立ってスイミングプールへ行く。

最近のプールはやたらと規則に厳しい。

飛び込みでもしようものなら「即退場!」ってな雰囲気である。

自分の子供の頃とは雲泥の差っちゅうか・・・

あれダメこれダメそれもダメというべからずオンパレードである。

たとえば・・・・・

1)いい年した大人がジャーンプ,足からドッボーン・・・・・「ピッピ~~~」

「すいません,飛び込まないでください」

「あっ・・・すいません」

普通の大人が自然にしてしまう行動が,ここでは禁止事項に盛りこまれている。

2)「ウェーキング用プール」で,みーを抱っこして歩いていたら・・・・・「ピッピ~~~」

みーは小さすぎるので,ウォーキングプールはダメらしい。

う~~ん,抱っこしててもダメか・・・・・

3)プールサイドを走って・・・・・「ピッピ~~~」

これは基本。昔もあった。

4)スイミングキャップをかぶってなくて・・・・・「ピッピ~~~」

スキンヘッドのヒトはええんちゃう?って言いたくなるけど。

とにかくひっきりなしに「ピッピ~~~」である。



まぁ万が一事故があったら管理責任が・・・ということなんだろう。

気持ちはスッゴイ分かるので,あんまり茶化す気にはなれないけど。

それにしてもいつの間にこんなに世知辛くなったんだ,日本文化?

ちょっと管理的にやりすぎっちゅうか・・・・,滑稽な感じまでするけど。

まぁこの時代,「スイミングではストイックに泳ぎまくり!」なのであって,「スイミングでキャッキャと遊ぼう!」という感覚は捨てなきゃいけないのかもしれん。



さらに,ここスイミング「ケッペキ」では1時間の休憩ごとにラジオ体操をする。

「ラジオ体操第一,よお~い」となって,

「チャンチャッカチャカチャカ」と始まって,

みんな並んで元気に体操である。

夏休みの「朝のラジオ体操」よりも熱心で真面目っちゅうか。

でも休憩ごとにラジオ体操第一ばっかやらされると飽きるし,

たまには第二もやったらええし,

週末はアンパンマン体操も織り交ぜたらええやんって・・・・,

オレだけか,こんなアホなこと思うのは。



帰りの駐車場で・・・

車は入口近くに駐車したので,さあ帰ろう!っと出口に向う。

ここの駐車場は,入口と出口が隣り合って一箇所にあるという作り。

駐車場内はいちおう一方通行で,出口に至るには一度グルッと奥まで行ってから戻ってくるのが順路。

でも出口はすぐそこやし車もあんまり止まっとらんし・・・ってショートカットして出口に向かおうとしたら,スイミングを終えて出て来た客から順路を通れ!って注意された。

ハイハイすいません。

車もまばらな駐車場,バカバカしくなったので途中でこっそりショートカットしたんだが・・・

何で客までもが見事なまでにケッペキなの?

自分はココには合わんわ・・・・・
「已むを得ざるに薄りて,しかる後に諸を外に発する者は花なり。」

『準備万端ととのって,やむにやまれなくなって,蕾を破って外に咲き出すのが花である。』

(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)






<しの訳>

花が咲くには,準備をしっかりしなければならない。

蕾の中は見えないが,実は着々コツコツと咲く準備が進められる。

まるで,初学者が基礎を固めるために先輩を真似習い,同僚と相競うがごとく。



花が咲くには,機が熟さねばならない。

咲くための花弁などの用意ができても,開花には季節や天候をじ~っと待たなければならない。

まるで,年余の努力でコツコツと実力を蓄える中級者が,焦らずに背伸びをせずにその時期をじっくり待つがごとく。



花が咲くには,蕾を破らねばならない。

準備ができてその時が来ても,自分のそれまでの状態を脱皮するエネルギーが要る。

まるで,努力の積み重ねという現状に甘んじるのではなく,更に一皮剥けたステップアップが必要であるがごとく。