Youtubeも道具なので、良いも悪いもない | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

 

 

「Youtubeを見せてもいいのかどうか」

 

っていう話の続き。

 

 

 

「見せてもいいのかどうか?」

 

って、

 

「親が、子どもに見せる権限を与えてもいいのかどうか?」

 

ってことよね。

 

 

 

それって言い換えれば、

 

「親が、子どもの行動や選択に関する権限を持っている」

 

っていうことよね。

 

 

 

「子どものことは、親が決めてもいいと思っている」

 

ってこと。

 

 

 

Youtubeに関しては、子どものことを親が決めるから、親子関係がこじれるし、余計に子どもがYoutubeにハマるようになる。

 

リブログ先の記事は、3歳くらいの小さい子どもについて書いたけど、10歳とか15歳とかの子どもでも同じ考え方をします。

 

 

 

子どもの行動や選択は、基本的には、親が介入しない。

 

子どもがYoutubeにずっとハマってるということは、

 

「日常生活の中に、Youtube以上におもしろいことが無い」

 

っていうことでもあるわけよ。

 

 

 

Youtubeをしこたま見てた経験がある人は分かると思うけど、ある程度見たら飽きるんよね。

 

クオリティの低い動画もいっぱいあるし、Youtubeを見る最大の理由は、

 

「手軽だから」

 

よね。

 

 

 

だから、今はTiktokやショート動画とかの手軽で短い動画が流行ってる。

 

手っ取り早く結論、結末が知りたい。

 

 

 

食べ物で言えば、

 

「手っ取り早く栄養が取れるサプリメント」

 

「手っ取り早く味が楽しめるお菓子」

 

とか、そういうのを摂取しているようなもの。

 

 

 

それが良いとか悪いとかいう論理で話をしちゃうと、

 

「悪いものだから、制限をしよう」

 

ってやっちゃうやん?

 

 

 

制限をするなら、

 

「反発してよりハマる」

 

「隠れてこそこそとやる」

 

「子どもとの信頼関係が崩れる」

 

っていうリスクが高まることを把握しながら、制限をかけないといけない。

 

 

 

「隠れてこそこそとやる」

 

なんて、もうその時点で、子どもが親を信頼していない証拠よね。

 

 

 

信頼していないからこそ、

 

隠さないといけない

 

言えないことがある

 

嘘をつかないといけない

 

ってなるわけで、言い換えると、

 

「それが明るみに出ると、自分が非難される」

 

「それを言ってしまうと、自分の居場所が無くなる」

 

「本当のことを言ってしまうと、自分が見放されるかもしれない」

 

って思うからこそ、隠したり、嘘をついたりするんよ。

 

 

 

隠す必要があったり、

 

言えない理由があったり、

 

嘘をつく理由がある関係性・家庭になっているんだ、

 

ってことです。

 

 

 

 

 

 

 

一方で。

 

Youtubeには、良い面もある。

 

その良い面が発揮されるのは、

 

「目的を持って、Youtubeを利用している時」

 

です。

 

 

 

「数学の勉強をしたいから、解法の動画を見る」

 

とか、

 

「料理の作り方を知りたいから、料理の動画を見る」

 

とか、

 

「大好きなゲーム実況者が新しい動画をアップしたらから見る」

 

とか、

 

自分の中に目的があって見る動画は、何を得たいのかも明確にあります。

 

 

 

そういう場合は、

 

「学びになる」

 

「ストレス解消になる」

 

「知りたいことが知れる」

 

「問題解決のヒントを得る」

 

「楽しめる」

 

とかの良い面に触れられる。

 

Youtubeの良い面については、また今度ちゃんとまとめます。

 

 

 

 

 

 

 

手軽さで動画を見ている時は、特に良さを感じていないし、

 

「とりあえず、やることないし、動画を見るか」

 

みたいな感じになる。

 

 

 

そういう時間だって取っていいんだけど、

 

「楽しくもなく、何も得ることもない時間を取る理由とは??」

 

って話なんよな。

 

 

 

この理由は明確にあって、

 

「相手のための時間」

 

です。

 

 

 

自分には何も得るものはないけど、その動画を作った人には

 

「見てもらうための理由」

 

があるわけよね。

 

 

 

再生数を稼いで、認知度を上げたいとか、広告収入でお金を稼ぎたい、とか。

 

自分が好きでもない、興味もない、どこの誰かも知らないような、お手軽な動画に時間を費やし、その人が喜ぶような行動をしてるわけです。

 

 

 

自分が楽しくもなく、何も得ることも無いお手軽な動画に時間を費やす。

 

それが、その動画を作った人のプラスになる。

 

 

 

自分には、何も得るものが無いのに、

 

相手の得るもののために、時間を使う。

 

 

 

これってまさに、

 

「自己犠牲」

 

よね。

 

 

 

Youtubeの自己犠牲的な使い方です。

 

自分がYoutubeを見る場合には、

 

「自己犠牲的な使い方じゃなくて、目的を考えてからYoutubeを見よ」

 

ってやればいい。

 

 

 

でも、子どもに対して同じようにしちゃうと、

 

「親が子どもの行動をコントロールする」

 

っていうのがどうしても入ってきちゃう。

 

 

 

「目的を考えてYoutubeを見なさいよ」

 

なんていうのは、完全に「小言」よね(笑)

 

 

 

子どもから、

 

「うるさい」

 

って言われたら終わりだし、それが子どもの心に、

 

「Youtubeを見るには目的を持たなければならない」

 

なんていうのを刻み込むことになれば、それこそ「親の呪い」なんよね。

 

 

 

僕ら親がやりたいことは、

 

「子どもをYoutubeが持つリスクから救い出すこと」

 

ではなく、

 

「子ども自身がYoutubeの陰陽両側面を理解して、自分で目的を設定して見るようになること」

 

なのよ。

 

 

 

親が、子どもをコントロールしたり、

 

親が、子どもを助け出したいのではなく、

 

子どもが、自分で自分をコントロールして、

 

子どもが、自分で自分を守り、成長させていけるようなってほしい。

 

 

 

親が子どもをより良く生きさせるのではなく、

 

親は、子どもがより良く生きれるようにサポートをしていく役割なんです。

 

親が直接を手を下すのではなく、親が生き方を教えていくんです。

 

 

 

だとすれば、親のやることは、

 

「Youtubeについてごちゃごちゃ言うこと」

 

じゃない。

 

 

 

さっきも書いたように、Youtubeは、

 

「目的を持って見ると良い使い方ができる」

 

「目的を持たないと、手軽さだけの自己犠牲的な使い方をしちゃう」

 

っていうものです。

 

 

 

「子どもにYoutubeを見る目的を考えさせる」

 

っていうのも、子どもの立場に立って考えると分かるけど、

 

「かなり鬱陶しい関わり方」

 

です。

 

 

 

「余計なお世話じゃい!」

 

って言われて、子どもはより深くYoutubeにハマり込んでいきます。

 

 

 

 

 

 

 

僕ら親の関わり方は、まず最初にやることは、

 

「子どもがどんな目的であれ、Youtubeを見てもいいんだ」

 

っていう思うことです。

 

 

 

これを

 

「遊びの解放」

 

って言います。

 

 

 

Youtubeを見ることをコントロールしようとしないし、

 

目的を考えさせようともしないし、

 

ごちゃごちゃと小言も言わないし、

 

不安にもならず、不機嫌にもならない。

 

 

 

なんなら、

 

「何見てるの~?」

 

「一緒に見よ~」

 

くらいには認めていたい。

 

 

 

あと、よくありがちなのが、

 

「子どものスマホを制限したい親が、実はめっちゃスマホ見てる」

 

っていうケース。

 

これも自分を振り返っておきたいね。

 

 

 

ほんで、「遊びの解放」ができたら、家庭を子どもの安全基地にしていく。

 

子どもとのコミュニケーションを改善して、子どもがありのままの自分でいられるような家庭にしていく。

 

 

 

これは各家庭ごとにやることが違うんだけど、

 

「夫婦関係を良好なものにする」

 

っていうのは必須です。

 

 

 

夫婦関係が良くないと、子どもは家庭内でストレスを抱えやすくなるし、思考停止に陥りやすくなる。

 

そうなると、ストレス解消のためとか、思考停止状態でも取り組める「Youtubeを見る」という活動を選択しやすくなる。

 

 

 

「遊びの解放」もできて、

 

夫婦関係も良好であるならば、

 

次にやることは、

 

「親が自分のやりたいことを全力でやる」

 

です。

 

 

 

親が

 

「やりたいことやってない/やりたくないことをやってる」

 

っていうのは、

 

「自分軸ではなく、他人軸で動いている」

 

ってこと。

 

 

 

言い換えれば、

 

「行動がそもそも自己犠牲的」

 

なのよ。

 

 

 

親の行動が自己犠牲的なので、自己犠牲的なやつに、子どもの自己犠牲的な行動は変えられません。

 

というか、そもそも、子どもが自己犠牲的なYoutubeの見方をしてるのも、元をたどれば、

 

「親の自己犠牲的な生き方の結果」

 

でもあると思うんよな。

 

なので、親自身の生き方も、自分軸に沿った生き方にしていく必要があるやろなと思う。

 

 

 

「遊びの解放」

 

「安全基地」

 

「自分軸の生き方」

 

ができて初めて、

 

「子どもと対話」

 

ができます。

 

 

 

ここでする対話は、

 

「いかにしてYoutubeをやめさせるか」

 

っていうレベルの話じゃなくて、

 

「いかにして人生を楽しむのか(楽しんでいるのか)」

 

っていう話です。

 

 

 

言ってみれば、

 

「それぞれの楽しいことや興味あること、おもしろいことを話そうぜ」

 

ってこと。

 

 

 

Youtubeを見るとか見ないとかの話なんて、どうでもいい(笑)

 

おもしろければ見るし、おもしろくなければ見ない。

 

そんだけ。

 

 

 

親がYoutubeに注目してる時点で、おかしいんよ。

 

子どもの人生をそんな矮小なものに捉えるんじゃなくて、もっともっと可能性と才能とおもしろさに満ちたものに捉えなおす。

 

 

 

そしたら、子どもとの対話もとっても楽しいものになる。

 

親子の対話が楽しいんだから、子どもはもっと楽しいことをしようとする。

 

その延長線上に、学校や勉強だって入ってくるし、もっと成長すれば、仕事だって自然と入ってくる。

 

 

 

 

 

この記事のタイトルは、

 

「Youtubeも道具なので、良いも悪いもない」

 

っていうのにしたけど、実際は、

 

「子どもがYoutubeを見てるかどうかなんて、どっちでもいい」

 

です。

 

 

 

もっと親が自分の人生を生きようぜ!だし、

 

もっと子どもと対話しようぜ!!です。

 

 

 

親が自分の人生を生きてたら、そもそも、子どもはそんなにYoutubeにハマらんよ。

 

見るのは見るかもしれんけど、ハマりはしない。

 

なぜなら、親を見てたり、一緒に居たら、

 

「人生にはおもろいことや楽しいことがいっぱいあるんやな」

 

って分かるから。

 

 

 

それが分かってる子どもは、Youtubeのお手軽動画ごときには繋ぎとめておけないぜ。

 

 

 

 

 

他にも、こんな記事がオススメなので、読んでみて!

 

子どもの役に立つ「親の教え」と邪魔になる「親の呪い」の違い

子どもをとにかくよく観察する

ゲームはただの道具に過ぎない

こういう風にして家庭に歪みが生まれていく

なんで、「不登校は問題じゃない」って言えるのか?

子どもが抱えている困難、課題に気付き、協力する

 

 

 

 

 

★メルマガ登録はこちら★

「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」

 

★公式LINEの友達追加はこちら★

 

★講演依頼をお考えの方はこちら★